「心・知・体」論

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 人間とは何か、人間の本質的な構成要素は何かという原論は、人文科学、社会科学を研究するに当たりとても重要な問題である。

 私は、人間の構成要素を「心」・「知」・「体」の三つに分類するのが本質的であると考える。

 この理論には歴史的な裏づけがある。

 まず、古代社会(日本においては弥生時代~平安時代)においては、人間の能力開発に挑んだのは宗教家(例えば神主や修験者)であった。彼らは精神(宗教)を鍛えると共に、医術(活人術)と武術(殺人術)を生み出し研究した。宗教=「心」、医術=「知」、武術=「体」の開発である。古代世界においては宗教と医術と武術は三位一体であった。

 次に、中世社会(日本においては鎌倉時代~江戸時代)において人間の能力開発に挑んだのは、宗教家に加えて武士階級がいた。武士は禅(心)を学び、学問(知)を修め、武術(体)を修行した。やはり「心」・「知」・「体」を三位一体で学んでいる。また江戸時代においては、社会の知識階級は主に僧侶(心)、医者(知)、武士(体)の三階級であるとされており、求道者の基本的な要素が「心」・「知」・「体」の三要素であることを示唆している。

 もう少し分析的に議論を進めると、人間の構成要素を「精神」と「身体」の二つに大別することには異論の無いところであろう。そして、「精神」には「主観」と「客観」の二種類があることもよく知られている。「主観」を「心」、「客観」を「知」と言い換えれば、やはり人間は「心」・「知」・「体」の三つに分類できる。

 「心」・「知」・「体」は互いに密接に結びついている。ある要素が健康であることが、他の要素の健康に結びつくし、ある要素の成長が、他の要素の成長に結びつく。

 例えば、心の未熟な人間、つまり自分の心の歪みと向き合わず、心のバランスを欠いたまま強引に自己を正当化して生きている人間は、ある事象を分析するときに、自らにとって都合の悪い事実は曲解する(自分に都合よく)か、捨象する(見て見ぬふりをする)。これでは知性が歪んでいく。「心」が「知」に影響を与えている事例である。

 また、心を病むと体調が不良になることは良く知られている。「心」が「体」に影響を与えている事例である。

 剣道をする人間は理知的で、空手をする人間は大雑把であるという説もある。「体」が「知」に影響を与えている事例である。

 つまり、人間の真の健康のためには、「心」・「知」・「体」を満遍なく開発し、またそれを歪んだものにしないことが必要なのである。

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