月の腕輪 5(小説)

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 空調が全くない和楽荘は、自然の移り変わりが部屋にいてもわかった。外の気温が、日一日と下がっていくと、スリーシーズン用の寝袋では寒さを感じ始めた。
 隣の五十代の女性は名前を西小路と言った。朝日が昇るか昇らないうちから壁越しに、炊事の音が聞こえた。また、向かいの部屋に住む母娘も朝早くから出かけた。茂は、誰もいないと思い、ギターでフォークソングを弾くようになっていた。

茂がアパートを借りてから二週間ほど経ったある日、、アパートの二階へ至る金属製の外階段で、ドテラを着た、顔がいたって小さく、半分坊主頭で、背は一八〇センチぐらいある青年に茂は会った。
「おたく、歌がうまいね。」
「え、歌って?」
「ギターでフォークソングよく歌ってるだろう。」
「聞こえてますか? すみません。」
 茂は、しどろもどろになりながら、自分が昼間歌っていることへの迷惑を詫びた。
「聴いているんだ。本当にいいよな。プロみたいでさ。神田川だっけ、あれいいな。」
アパートの住民の一人、さもじろうという絵描きの卵に茂は会った。
 さもじろうと茂が初めてアパートの近くにある『天狗』という赤提灯でお互い飲めない酒を飲みながら語ったのは、お互い将来何になるかと言うことだった。お互い少し酔っ払ってきた。
 さもじろうは、赤い顔をしながら、茂に、知っててあの部屋を借りたのかと尋ねた

 さもじろうは、茂が住んでいる部屋は、隣の母娘の息子が住んでいたと言った。二階に住んでいる伊埜というタクシー運転手をしている男の高校の同級生だという話だった。
 息子の名前をさもじろうは覚えてはいなかった。とにかく、その息子はかなりの悪で、母娘には重荷だったらしい。その息子には二人の妹がおり、下の娘が一八歳の時、今から三年前のこと、息子が所属していた暴力団で息子が賭博に負けて、ものすごい金額を借金したそうだ。母娘は金を工面するのに大変だったらしい。その借金の形で姉が暴力団の息のかかったクラブで働かされることになった。妹は風俗に売られるということになった。息子にとっては、やはり妹ということで、暴力団の親分に指を詰めて、妹には手を出さないで欲しいと懇願したそうだ。
 しかし、ある日、組の若いのが二人このアパートに、下の妹を連れにやってきた。そのことを知った息子はあわててアパートに駆けつけてきて、大騒ぎになったらしい。自分の部屋、すなわち、今、茂のいる部屋で話し合っていたのだが、やくざ同士ということで突然切れて、息子が匕首で一人の心臓を突き刺し、逃げるもう一人の首付け根を後ろから切りつけたとのことだった。凄まじい血の海の中で一人のチンピラは死んでいたそうだ。警官が来たときは、息子は部屋で黙って座っていた。それ以来、妹の方は、ああしてほとんど部屋から出なくなった、ということを、さもじろうが話した。
 茂は、まさか向かいの部屋に妹の方が居るとは思わず、赤面してしまった。ひと月が経つけど、そういえば何人であの部屋に暮らしているのかわからなかった。
「ぼくの部屋で、人が死んだの。えーっ、聞いてないよ。」
「息子が殺人犯でさ、懲役十八年の実刑だってよ。可哀想に、世間に対して顔向けできないんだな。家族は悪くないんだ。家族が一番の被害者なのにな。」
 茂は急に気持ちが悪くなって、居酒屋の隣の、半分が空き地になっているところで、ゲーゲー吐き始めた。さもじろうは、茂に何故か詫びながら、二人でよろよろとアパートへ帰って行った。帰る途中、茂は泣き始めていた。その時、さもじろうが意外なことを話し出した。
「俺はな、そのチンピラの幽霊をよく見るんだ。そいつ、自分が死んだことを知っていなんだな。そもそも、そこがお墓だろ。いっぱい幽霊がいてもいいのに、そいつだけ出てくんだな。」
「えーっ。お化け。おれは霊感が全然無いから。きっと呪い殺されちゃうよー。」
「そいつわさ、アパートの敷地から出られないみたいで、いわゆる、その空間だけにしか出られないっていう幽霊。なんてったけ、ポルターグスターってやつ。」
「ポルターガイストって、物が動いたり、ドアが勝手にしまったりするやつ?」
「うーん、ちょっと違うな。そいつは、アパートの敷地内だけでしか出てこないんだ。」
「さもじろうは、そいつとよく話しするのかい?」
「俺は絵描きだから、そいつのこと、結構ありがたいんだ。なんか、そいつが出てくると、俺、芸術家になったようなきがしてよ。」
 二人は取り留めなく、そいつのことを話していていた。

 「伊埜さんもそういつを見るって?」
 「見んらしい。隣の部屋だからな。伊埜さんはここのアパートの大家の代理だし。」
  二人は気があって、それからも数回酒場に行った。
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