薔薇の花束

薔薇の花束 手に持った花束を渡すとき、ちょっと照れながら渡しました。大きな薔薇の花束だった。ニューヨークでも、結構ちゃんとした花屋では薔薇はいい値段でした。
ニューヨークでトリッシュの母にわたしたちが会ったときのことです。


ニューケイナンという日本で云うと軽井沢のような高級な地域に彼らは暮らしていて、7月4日のアメリカ独立記念日にわたしたちは招待されました。素晴らしい花火をそこの場所で見ることができました。凄く大きな花火を間近にみました。本当に素晴らしかったです。
フランス人のトリッシュの母はアメリカへ来たときは英語が上手く話せなかったと言っていました。フランス訛りの英語、わたしたちにとってはフランス訛りだといっても日本訛りの英語と同じように適当に聞こえてしまいました。彼女の仏語アクセントの喋りがとても印象に残っています。その横で、トリッシュの父親、彼は大企業の法務担当弁護士だとかで、静かにその母親を見守っていました。思い返すと、彼との会話の話題は、もっぱら、奥さん主導の会話だったように記憶しています。


花束は誠意のしるしでもあると思います。
わたしの親しい友に、愛する人がいたら、その女性に毎日花束を贈ればいいんじゃないの、とわたしは言ったことがあります。妻がそうしたらいいと言ったからです。彼は頑張りました、ずいぶんと前のことですけれど。
花束は素晴らしい。贈られた方も、そして贈った方もこころが覚えているから。

AD