茂はさもじろうに不思議な親近感を抱き始めていた。さもじろうは、飄々としており、全てに対して素直だった。茂と話をしていても決して妥協をするようなことはなかった。茂は、さもじろうと話していると自分が何を考えて、また自分の行動の意義をいつも話さなければならなかった。さもじろうは、茂の答えを聞くのが好きみたいだった。
茂は、さもじろうが置いていった目玉の絵をじっと見ていた。さもじろうは、絵本作家になりたいと言っていたことを思い出した。茂は、キャンバスの中に目だけの絵を画く、さもじろうという人間は、どんな男なんだろうと思った。その絵は、優しい眼かと思うと悲しみと憎悪に満ちているようにも見えた。
茂は、絵を見ていたら、小学生の高学年になろうとしていた時に知り合った「カキ」という自分より三つ年上の少年の眼を思い出した。
カキは遊ぶことは何でも知っていた。
「おい、お前、東京から来た子だろ。」カキは茂にそう話しかけた。
茂は夏休みになると三浦岬の手前の親戚の家に預けられた。その時は、まだ、父親と年子で一学年下の妹、梨恵がいた。梨恵と茂は夏休みの間中、久里浜の母方のお婆さんの家で過ごした。
ひと夏が長かった時もあれば、短く感じた時もあった。だが、カキと知り合った2年間の夏は短かったように茂は感じた。
「カキ、どこへ行くの?」
「お前も来るか?」
「うん、行こうかな。」
「あのよ、この川の上流からよ、筏に乗って来ようかと思ってんだオレたち」
「おれ、ばあちゃんに聞いてくる。行ってもいいかどうかさ。」
「お前のばあちゃん、オレはちょっとな。」
「ちょっと待ってて」
「ばあちゃんはどこにいるの?」
「駅前に買い物行ったよ。パチンコしに行ったと思うよ。なに?茂」
「怜子ちゃん、僕、カキと一緒にあそこの川の上流から筏で下ってきてもいい?」
「何だって。馬鹿だね、お前は。いい訳ないだろう。あぶないよ。」
「なんでさ。だって、おもしろいよ。」
「川を下るなんて、なんでおもしろいもんかね。とにかく、駄目だって言ったらだめだよ。」
茂は心の中では、川を筏で下るなんてことはとても危険かも知れないと思っていた。しかし、一方ではそんな冒険をすることを強く望んでいる自分がいた。怜子は茂の叔母、洋子の妹で、ここ久里浜で洋子の母親の喜久枝と暮らしていた。
「カキ、おれは一緒に行かない。」
「ふーん。そうか。」
「でも、どこから下るかさ、一緒に行って見たいな。」
「しげる、しげるんちの裏にある、川に下ってくるから、おまえさ、それ待ってろ。」
「誰が一緒に行くんだって?」
「竜一、ゆきお、オレ」
「えー、ゆきおも行くんだ。」
竜一とゆきおは兄弟だった。喜久枝が住んでいる集落の外れに、いつ崩れ落ちてもいいような一軒家に何世帯かで住んでいた。電気はなく、畳もなく、ゴザを敷いたところで生活していた。茂は、ゆきおの父親のことを見たことはなかった。ゆきおと竜一は、この集落のいろいろな家から、使いっ走りを頼まれて、小遣いを得ており、それが生活費になっていると言う噂だった。ゆきおは、小学生低学年で、竜一より二つ下だった。竜一は、知能障害のせいで、計算ができなかった。
「じゃーな」
カキは茂に、満面の笑みを浮かべて、走り去っていった。
カキは違う集落にいた。そこの共同アパートの一室で母親と暮らしていた。横須賀ベースに駐留していた米兵の息子だった。年の割に、背がスラーと高くて、ハーフということで、眼がちょっと緑がかっていた。髪は軽くカールしており、目は涼しげで、夏の暑さの中で、常に爽やかな雰囲気を醸し出していた。頬に一筋の深い傷があった。年上の女を巡って、地元のやくざに傷つけられたと、ゆきお達は言っていた。
喜久枝の家から、カキを見送りながら、茂はトンボを目で追っていた。そのトンボは、急に空に向かっていなくなった。茂はゆっくりと足で地面の土を蹴りながら、川の方へ歩いて行った。途中、向日葵が大きな花を咲かせているのを見て、自分の背丈と比べてみた。隣の家の便所の小窓を覗いてみたりした。遠くから、梨恵が遊んでいる声が聞こえた。女の子同士四~五人でゴム縄跳びをしているらしかった。
茂は、川の畔にいた。川と言っても、川幅が五メートル位の小川といってもよい。川底には蜆がたくさんいた。しかし、まずくて、この蜆を食べるのは、ゆきおの家ぐらいだった。
川に、少しつきだした小さな艀のような板があり、そこから、大きな四つ手で小魚をすくい取るための小屋があった。茂は、その小屋の隣で、川の流れを見つめていた。思った以上に小魚が泳いでいるのが意外だった。鬼ヤンマが飛んできた。川の向こう岸に散在している家々の生活の音が聞こえていた。
随分と待っていて、退屈していると、向こう岸の向こうの方から、カキとゆきおと竜一の三人が筏を持って歩いてくるのが見えた。
「どうしたの。」
「途中で、筏が壊れちゃったんだ。」
「むずかしいべ。」
ゆきおが、洟を垂らしながらしたり顔で言った。
「馬鹿、ゆきおが悪いんだべ。お前がよ、大騒ぎするから、橋にぶつかったんだべ。」
「カキ、凄いね。」
茂は、冒険心のあるカキを尊敬して、カキ、カキと言っていた。