文体について考えることがある。
これは、不思議なことだが、うまれながらにして備わっているものと言えると思う。それは、恐らく、生い立ちなどとも関係が深いのだろう。今、野田宇太郎の東京文学散歩をつらつらと読み始めた。散歩だから、歩きながら様々なことを思う。私も読みながら自分のことを思った。

夏の今頃になると、不思議と、子供の時の夏を思い出す。特に変わったことがあったわけではないが、夏の季節を暑さと共に涼やかさをつれて思い出す。エアコンの涼しさではなく、木陰に吹く風を肌に感じる。ランニングシャツで顔に浮き出た汗をぬぐいながら、一休みすることがあった。いつも、暑さの中を駆けていた。一体何をしていたのだろうか。カミューの異邦人のように、ギラギラしていた太陽が主人公のことがあった。若者には未来がなく、ただ悶々と暑さに自分の青春を重ねている。結局は、人生の夏が青春と呼ばれる時期にあたっていたのかと。意識の中には、いつも蝉がなき、その声だけを黙視するのだがいつか音は鳴りやんでいる。

木立に囲まれた静寂を夏の今に想う。

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