Not Love,But AFFECTION

落花流水


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あるは人にはよく「あだ名とか呼び名」をつける

(〃⌒∇⌒)ゞてへっ♪

けれど、自分はつけられたことがないです。


苗字が珍しくて、呼びやすい苗字なので、

「苗字呼び捨て」か「苗字+ちゃん」が多い。

あとは下の名前かな?

不思議と苗字呼び捨ての人は多いのに、

下の名前を呼ぶ人は「さん」か「ちゃん」つける人多いなー♪


で。

そんなあるについた唯一のあだ名?!が「ポニーちゃん」。

高校時代に1個上の「男クラ」(国公立理系受験選択のクラスは

男子学生が多いので、そういうクラスができる・・・。

逆に私立短大受験選択クラスや専門学校受験選択クラスは

女クラになることが多かった・笑・)の先輩たちにつけられたあだ名。


あだ名の由来は、単純明快ヽ(´▽`)ノ

そうです。

女子高生時代のあるは「ポニーテール」がトレードマークでした☆

学校ではほとんど「ポニーテール」でしたねー^^

中学生のときは、ショートにしていたので、高校入学当時は短かった

のですが、夏を迎える頃にはポニーテールしていて、

それから、ほぼ、ポニーテールでした☆


最初は気付かなかったのですが、その「男クラ」の担任に

あるのクラスは数学を習っていて、その先生に教えてもらいましたorz

「ある!お前うちのクラスで人気があるぞぉ。

隠し撮りした写真とか、掲示板に貼ってあるし。」


Σ(´Д`lll)エエ!!


「ど・ど・ど・どうしてorz」


その後、友達の彼氏がそのクラスだったので聴いたら・・・


「うん。あるある。「ポニーちゃんコーナー」♪」


(゚Д゚;≡゚Д゚;)?


「な・な・な・なにそれ?!」


「写真とか貼ってあるよ。

で、あるちゃんのクラスの時間割とか、

「今日のあるちゃん」記事とかも貼ってあるよ。」

「orz・゜・(ノД`)。・゜・」

「あ!でも、大丈夫!抜け駆け厳禁!って書いてあるし(*´∀`)つ」

「あーん。なにそれー・゜・(ノД`)。・゜・」


ということで^^;

男クラの先輩のあたたかい?!応援を受けて、

悪い虫が付くことは1年間ありませんでしたorz


今でも、たまにプライベイトな時間の時は

「ポニーテール」ですが、あの頃のことを想うと

なんだか「くすくす」笑いがでちゃうあるです☆


ポニーテール


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4年生のときに校舎が、鉄筋に変わりました。

給食を運ぶエレベーター付!

最初は感動しましたね^^

 

そして、4・5年生を受け持ってくれた久保先生は

理科が専門の大学を出たばかりの男の先生でした。

 

この先生がすごく変わっていて、

理科はものすごく実験が多くて、教科書はほとんど開いていません^^;

 

1時間目から6時間目まで1日「図画」で、

しかも、校庭内に散らばってすきなところで好きな風景を描く。

という感じで^^

しかも絵の具の色は五原色だけ。

「欲しい色はその五原色で作りなさい」といった感じでした。

 

だから、わたしは今でも「風景画」を描くのが大すきです☆

 

わたしは大好きだったのですが、一部の親御さんから、

「勉強が遅れる」と苦情が相次ぎ

・・・うちの親は「いいんじゃない?^^?・・・って感じでしたけど^^;

結局、6年生は担任を下ろされてしまいました。

 

他のクラスは担任の先生が変わらなかったのに、

わたしのクラスだけ担任が変わってしまったのです。

 

そして6年生は年配の温和な感じの男の先生で宮本先生。

毎夕ホームルームで「短歌」を1句作るように言われて、毎日

作っていましたね^^

 

1年後には大学ノートいっぱいになりました(*´∀`)つ

「これは先生の老後の楽しみと宝物だ」って、先生はいつも

言っていました^^


先生たちの個性的な指導のお陰でとても楽しい小学校生活だったと

想います☆

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わたしの小学校は当時全国でも、マンモス校として

有名だったそうです。

わたしたちの学年は5クラス。

でも、上の学年は1学年6クラスとか7クラスでした。


通常、1から3年生まで、同じクラスで、

4~6年まで同じクラス。

クラス替えは6年間で1回だったのですが、

わたしたちの学年は2年生に上がるときに6クラスになったので、

合計2回クラス替えがありました。


1年2組 吉丸先生

当時50代の女性の先生で、すごくやさしくて大好きでした。

2年2組 重松先生

当時40代の女性の先生で、ちょっぴり厳しい先生でした。

3年2組 藤波先生

当時30代の男性の先生で、すごく面白い先生でした。


3年生までは木造の校舎で、授業が終わると、掃除で、

ほうきで掃いたあとに、雑巾がけしてました^^


2年生くらいまでは、入院したり、自宅療養だったりで、

あまり学校に行けてません・苦笑・

でも3年生くらいから、少しずつ学校に行けるようになってきて、

すごく楽しかった。


父親参観日に、

小刀で竹馬と竹とんぼを親子で作る!!というときに、

あるぱぱが作ってくれた竹とんぼが一番高く遠く飛んだとき・・・

竹馬が一番上手にできていたとき・・・

すごくすごく嬉しかったのを覚えています。


確か、父親参観日に来てくれたのはこの1回だけ・苦笑・

あとは仕事で忙しくて来てもらえませんでした。


あれー??

母の日が近いのに、前回からあるぱぱの話ばっかり?!

でも・・・

母親は身近にいつもいてくれたけれど、

父親はほとんど一緒にいることができなかったので、

少ない想いでを覚えているのでしょうね・苦笑・

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かまくら作ったことありますか^^


福岡は本当に平野部で雪が大量に積もることは

少ないのですが・・・

あるが、小さい頃。

かなり、積もったことがあります。


従弟が産まれた時の話だろう・・・とあるままがいっているので、

あるが、5歳になってすぐの頃のようです。


従弟を生んだ叔母(母の妹)のところに、あるままが弟(当時1歳半)を

連れて行き、あるとあるぱぱ2人でのお留守番でした。

記憶がある限りでは、父親と2人きりは初めてのことです^^


すっごくたくさん降った雪で、近所の友達やお兄ちゃん・お姉ちゃんたちが

遊んでいるのがすごくうらやましくて、

「また、寝込むといけないから・・・ちょっとだけ」の約束で

外に出してもらって、みんなが作ったかまくらもどき・・・で

遊んだ記憶があります。


あるぱぱが迎えに来て、ちょっとしか遊べなかったけど、

雪でいつもの景色が真っ白にお化粧していたのを覚えています☆


家に帰るとあるぱぱがカレーと温かいスープを作っていてくれて、

それがすごくおいしくて、

後から、何度も「ぱぱのカレーがおいしい♪」とあるままに

訴えていたらしい^^;


で、あるままは、あるぱぱのカレーを超える

おいしいカレーを作るべく・苦笑・かなり工夫してくれたらしい^^;


父親も普段仕事で滅多に家にいないのに、

いきなり5歳の娘と2人きりになって、

きっと戸惑ったこともあったのでしょうが、

父親なりに気を遣ってくれていたのだろうなーって

今、考えると想います☆


ぱぱ!あのときはありがとう☆

今でも覚えているほど、すごくおいしかったよ♪


「あるぶろ」をご覧になっている、「お父さん」!

GWにはぜひ!「妻」と「子供」に料理の腕♪振るってみませんか?^^?

きっと、子供のココロに残ると想いますよ(*´∀`)つ



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ひなげし(雛芥子)

学名:Papaver rhoeas

漢名:グビジンソウ(虞美人草)
花言葉は「無償の愛」

 

 

ひなげし

 

 

4月から6月にかけて咲く春の花。

ヨーロッパ原産で江戸時代に渡来したそうです^^

 

漢名「虞美人草」は中国歴史上の絶世の美女である虞妃の

悲しいお話から。

 

楚(そ)の国の項羽(こうう)と、漢の国の劉邦(りゅうほう)の

最期の戦いのとき、

項羽は愛する虞妃(ぐき)とともに劉邦の大軍に  まわりを包囲されます。

 

項羽は別れの宴をして、 楚の国の歌を歌ってから

(これが「四面楚歌(しめんそか)」のことばの由来ですね!)、            
最後の出撃をし、虞妃も自刃して殉じます。

     
その彼女が死んだあとに、美しい花が咲きます。     
そのとき咲いた花が「ひなげし=虞美人草」だった・・・

 

また、

 「随分遠いね。元来(がんらい)どこから登るのだ」で始まるのは

夏目漱石の小説「虞美人草」

この作品はすきな人多いみたいですね。

前半はちょっとくどくどしいですが・苦笑・

後半がいいですね。「宗近くん」の熱い語りが^^

 

印象派の代表的な画家 クロード・モネの1873年の作品

(所蔵 オルセー美術館)にも

ひなげしの咲く野原を散歩する妻のカミーユと息子ジャンを

描いている「ひなげし」という作品があります。

 

もねひなげし

 

 

そして・・・やっと言葉を覚え始めた2歳ちょっとのわたしが、

「アグネス・チャン」「ひなげしの花」を熱唱している

カセットテープが・・・今も実家に残っている^^

 


 「ひなげしの花」


丘のうえひなげしの花で 占うのあの人のココロ

今日もひとり

来る来ない 帰らない帰る あの人はいないのよ 遠い

街に行ったの

愛のおもいは 胸にあふれそうよ

愛の涙は 今日もこぼれそうよ

 

手を離れひなげしの花は 風の中寂しげに舞うの

どこへ行くの

愛してる愛してないあなた

さよならをこの胸に残し 街にでかけた 

愛のおもいは 胸にあふれそうよ

愛の涙は 今日もこぼれそうよ


愛のおもいは 胸にあふれそうよ

愛の涙は 今日もこぼれそうよ

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毎年。

年長組さんの卒園の前には「おゆうぎ会」というのが、

ありました。

 

劇や歌や踊りなどの発表をするのですが、

年長組は「劇」と決まっていました。

私たちのときは「シンデレラ」。

 

配役はもちろん保育園の先生が勝手に決めます。

さて、問題です。

あるは何の役だったでしょう^^;

 

 

続きは・・・ココカラ・・・^^;

 

タイトル: シンデレラ - DVD

 

 

 

 

 

 

 

 

実は・・・「シンデレラ」だったんですΣ(゚Д゚)

す・すみません_| ̄|○

 

立候補したわけでもなんでもなく!本当に

先生方が勝手に決めた配役ですから!

ゆ・許してください_| ̄|○

 

ちなみに↓記事に出てくる幼馴染は「いぢわるな継母」役で・苦笑・

でも、本人はかなりノリノリでやってました・笑・

緑色のドレスが嬉しかったらしい(*´∀`)つ

 

あの時、王子様役だった男の子は確か、小学校の途中で転校

してしまったんですよねー。

あ!

でも「恋心」とかはなかったです^^;

「初恋」はまだまだ・・・この後ですから・・・?!

 

舞踏会のときと最後にドレスをきて、ティアラ(もちろん画用紙と金の色紙)

つけるところは嬉しかったけれど^^

台詞は多いし、出ずっぱりだし、で結構子供心に「大変^^;」って想った

記憶があります☆

 

はああ。現実の世界でも。

早く王子様が探しに来てくれないかしら?!

・爆!・

 

ちなみに・・・

シンデレラの本名はEllaです。
Ellaは一日中雑用に追われ、一休みするのは

いつも台所の暖炉のそばで灰にまみれながら。

そんなEllaを見て、継母たちが、

「Ella」のことを「Cinder-Ella」と呼びます。

Cinderは英語で灰のことなので、
Cinderella:シンデレラは、直訳すれば「灰まみれのエラ」になります。

 

シンデレラの邦題が「灰被り姫」なのは、このせいです。

 

ソコから転じて、今では・・・

「Cinderella」は

1.隠れた美人;(価値がありながら)埋もれた事象. 

2 無名から一躍有名になった人

という意味に使われる単語になりました・・・とさ^^

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わたしは3歳から6歳まで保育園に通っていました。

住んでいた団地から歩いて10分くらい。

いまなら、5分で着くかな?

 

お昼には必ず「脱脂粉乳」が出た。

小さい頃は牛乳が好きだった私が牛乳が飲めなくなったのは

この脱脂粉乳のせいだと想う。

 

「脱脂粉乳」は脂肪分を抜き取った牛乳を乾燥させたもの。

今ではダイエット食に使われたりするようですが、

それの粉が溶けきれずに、浮いてるんですよ。かたまりで。

それがいやでいやで。

 

小学校の給食は牛乳(それも、1・2年生の頃は確か瓶でした)。

だったから、保育園の時期だけ。

あの、保育園がそうだったのか、全国的にそうだったのかは

わからないけれど・・・

 

いまでも、牛乳は苦手。豆乳も。

コーヒーとか紅茶とかに入っていれば大丈夫だけど、

牛乳パックとか渡されて「飲む?」とか言われると、

半泣き・・・。

 

飲んでいる人のそばにもできるだけ近寄らない・・・

 

一番ダメなのが「ホットミルク」。

 

も。あの匂いがだめ。

 

だから、うちの家族は私の前で絶対「ミルク」飲まない^^;

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保育園生の時。

一番すきだった歌。

 

「数字の歌」  夢虹二作詞・小谷肇作曲

 

数字(すうじ)の1は なーに
工場(こうば)の えんとつ  (モクモク)

数字の2は なーに
お池(いけ)の がちょう  (ガーガー)

数字の3は なーに
赤ちゃんの お耳  (ピクピク)

数字の4は なーに
案山子(かかし)の 弓矢(ゆみや)  (ビュンビュン)

数字の5は なーに
お家(うち)の 鍵(かぎ)よ  (ガチャガチャ)

数字の6は なーに
狸(たぬき)の お腹(なか)  (ボンポコポン)

数字の7は なーに
こわれた ラッパ  (プッププー)

数字の8は なーに
棚(たな)の ダルマ  (ゴロンゴロン)

数字の9は なーに
おたまじゃくし  (スイスイ)

数字の10は なーに
えんとつと おつきさま  (オシマイ)

 

この歌に沿ってかかれた絵が年長組みの教室に飾ってあったのを

今でも覚えています☆

 

特に印象的だったのは一番最後の「煙突とお月様」の絵。

あの頃から、わたしにとって「月」は特別なものだったのかも

知れません。

 

空を見上げて。

「月」が見えたら・・・

わたしを想い出してください。

 

そのときだけでもいいから・・・。

 

 

 

2月の月

 

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そして、団地に引っ越してきて2歳半で出会ったのが、

今、京都に住んでいる幼馴染。

1つ下の妹も含めて、もう、付き合いは軽く30年を超え・爆!・

 

保育園・小中高と同じところに通い、高校生の時は

共働きの彼女の家のまかないをしていた私^^;

 

そこの家族に「ねー。マヨネーズの買い置きどこー?」と

聴かれるほどだった・・・。

 

保育園から小学校にかけては一緒にピアノを習っていたが、

彼女は途中からピアノをやめて、日本画を習い始めた。

 

京都の芸術系の大学に合格してからは、

ずっと京都在住。

結婚式も京都だったため、福岡の友達は私以外はみんな欠席。

 

私は、その幼馴染の親戚と同じマイクロバスに乗せてもらって、

3泊4日(うち、一日は車中泊・苦笑・)で行ってきた。

 

小さい頃からのつきあいだし、まかないはしているはだし、

(もちろん、親戚のあつまりのまかないもしていた・苦笑・)

で、親戚中みんな私のことを知っている・・・から、

気は遣わなかったし、おじちゃんおばちゃんばかりで、

(当時)若かったのは私と妹だけだったので、2人で溜息つきながらの

旅?!だった。

 

そういえば、1個下の妹の短大の入学式に父兄として、

ついて行ったこともある^^

完全に学生と間違えられていたけど。

 

2人とも今は結婚して、「妻」と「母」をしている。

彼女たちの「夫」ととも、「夫の家族」とも、親戚のような付き合いをして

いるわたし・・・。

近所に住んでいれば、完全に「乳母」なのだろうけど^^;

それでも、集まると完全に子供は押し付けられる(>_<")

 

いいけどね^^;子供好きだから^^

 

地震の時も心配してメールくれて、

メールくれるたびに「早く結婚しろー」といれてくる彼女^^

 

幼馴染集団(小・中・高同じの美術部集団)は、全部で11人。

(私は美術部じゃないの^^美術部員のまかない・・・ここでも・苦笑・)

そのうち独身は2人だけ^^;

 

そのメールの返信はいつもコレ。

「もう少し、はらはらしながら見守ってて(にひっ!)」

 

おさななじみ

 

 

 あ!しかも・・・この幼馴染も「O型」だ・・・Σ(゚Д゚)

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あるは。

福岡で生まれて、福岡で育ちました。

父30歳・母が27歳の時に、2人の初めての子供として生まれました。

 

みなさん。ご存知の通り。

12月1日19:00生まれ。2500gに満たない

小さな小さな赤ちゃんだったそうです。

 

最初に住んでいた家は、海の近くで、会社から帰ってくると

父はよく私を海に連れて行っていたそうなので、

わたしの海好きはこのころにインプットされたのかもしれません。

 

2年半後の6月に弟が生まれます。

それをきっかけに、市営団地にお引越し。

六畳の和室が2部屋に水洗洋式トイレとお風呂と2畳ほどのキッチン。

 

私はここで小学2年生まで過ごすことになり、一番付き合いの長い

幼馴染に出逢うことになります。

 

その私の一番古い記憶・・・

夏でした。

おそらく、弟が生まれて、1ヶ月くらいの頃だと想います。

だから、私が2歳7ヶ月くらいでしょうか。

 

ふと、目を覚ますと、母がいませんでした。

部屋にもベランダにもお風呂にもトイレにもキッチンにも・・・

なんだか急に部屋が広く感じられ、音が全て消えました。

母がいないという恐怖。ひとりぼっちだという寂しさ。

 

はだしで外に出ました。

 

遠くで母の声がしました。

 

声のするほうにいくと、砂場のところで、弟を乗せたベビーカーの

そばに立って、近所のお母さんたちと話している母がいました。

 

それを確認して、私は家に戻りました。

 

部屋はいつもどおりでした。

外でみんなが遊んでいる声がします。

それに混じって母の声も聴こえてくるような気がしました。

蝉の鳴き声も聴こえます。

 

私は、お風呂場まで、這っていって足を洗って、

また、寝ました。

 

モノクロームの景色の中で、鮮やかな色を放っていた、

母の笑顔を私は今でもはっきりと想い出せます。

 

そして、これからも、きっと。

 

夕焼け雲


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