暁のうた 仮面舞踏会3 | *Aurora Luce**

暁のうた 仮面舞踏会3

暗がりの中でも、聞き間違うことはなかった。

右手もその感触を忘れはしなかった。


「へ、平気なの、身体は…踊ったりして」


手を置けとは言うけれど、身体の具合も心配だった。

それに…私が恥ずかしかった。


周りの人たちは、

私には刺激的なまでに身体を寄せ合っているのに、

悠然とステップを踏んでいる。


見ず知らずの人となら、意外と普通に踊れるのかもしれない。

でも、自分もこんな大人のダンスを

今、それも眼の前の人と踊るなんて、とても信じられなかった。


「大丈夫だから来たのだろうが、早くしろ。

 もうダンスは始まっているのだ、

 動かなくては他のペアにぶつかる」


確かにダンス自体は単調みたいだし、

ゆっくりした動きだから、病み上がりでも踊れるとは思う。

私も始めて踊るけれど、ステップも簡単そうだし大丈夫だと思う。


だけどこんな暗がりの中、あんな体勢で曲に合わせて踊ったら、

自分がどうなるかわからなくなりそうで怖かった。


闇の帳と感情を煽るような旋律に、心を同調させたら最後、

引き返せないところまでいってしまいそうな気がした。


左手が、戸惑い震える理性を守ろうとするかのように、

彼の肩に乗るのをためらっていた。


そんな葛藤を知らない彼は、

身動きできない私に痺れを切らせたように、

腰に回した手に力をこめると、私の身体を強く引き寄せた。


瞬間、全身の血がざわめくような感覚に襲われて、

私は自分の身体のことだけれど、にわかに信じられなかった。


喉を這い上がって唇から漏れそうになる、

熱い塊のようなものを堪えるだけで精一杯だった。


身体を動かす力が、

どこかに行ってしまったように力が入らなかったけれど、


「仮面はもう外せ、余計に視界が悪くなる…

 俺に合わせて動けばいい。簡単だ、すぐ慣れる」


そう耳元で囁かれて、

またなにかに押し流されそうになるのをやっとの思いで抑えると、

震える手で仮面を外して、

リースルさまの私室で腰につけてもらった専用の金具にさげた。


胸と喉の間に渦巻いている、熱を持った感情のせいで、

普段の声を出すのがとても辛いように思えて、返事はできなかった。


触れられている腰から伝わるものに同化されるみたいに、

感覚がなくなってきて、

頭も心も白くなりかけるのを、眼を閉じて耐えた。


そんな思考の抵抗をよそに、今度は脚が動かなくなってくると、

なにかに頼らなくてはその場に崩れ落ちてしまうような気がして、

私はとうとう観念して左手を広い肩の上に置いた。


他の人たちにぶつかるとか、

今の自分の顔を見られるのが恥ずかしいとか、

考える余裕もなかった。

彼に合わせて動くこと…それが今の私の限界だった。


こんなに思っていたなんて。

動けなくなるほど、声が出せなくなるほどだったなんて。


早く、誰か、なにか、私を元に戻して…


潤んできた眼をさまよわせて、

私は自分が元に戻れるものを懸命に探した。


いつの間にか、暗がりに眼が慣れてきていたのが幸いだった。

周りの人たちの仮面や、

会場の外の人たちの顔が見えてくると、

ようやく現実に戻ってこられたような気がして、

私の心と身体も、次第に落ち着きを取り戻した。


「どうして私だってわかったの…?」

気がつくと、私は無意識のうちにつぶやいていた。

きっと不思議でたまらなかったからだと思う。


私が着るドレスも、つける仮面も知らないはずなのに。

それ以外で私だと確信できるのは、髪の色だけだけど、

私の髪はどこにでもいる栗色だから、特徴にはならないし…


自分の声が、いつもよりうわずっているのに気がついて、

とても恥ずかしくなったけれど、

口にしてしまったものは仕方ないので、

気づいていないふりをすることにした。


「あの挙動不審振りを見れば、たとえ仮面を被っていようが、

 どんなに立派なドレスを着ていようがわかる。

 踊っている最中に、視線を節操なく動かしおって…

 パートナーに対して失礼だと思わんのか」


私とは対照的に、

いつもどおりの声色なのが少しだけ憎らしかった。

自分が気にしていたことを、

はっきり言われたのが悔しかったせいもあるかもしれない。


けど「誰のせいでああなってしまったと思ってるの!?」

と言いたい気持ちを消すことはできなかった。


「ごめんなさい…」

「どうだ、もう覚えただろう」


私の反省に表情だけで頷くと、足元を見ながら聞いてきた。


確かにステップは、

2歩下がって左右に足踏み、2歩進んで足踏みと単調で、

回転したり、手を動かしたりしなくてよかったから、

そういう意味では助かったけど。


この体勢が問題よ、この…


ううん、もう考えるのやめよう。

ここで考え始めたら、また身体が動かなくなってしまう。


…そうよ。


しゃべってた方が気が紛れるみたい。

だったらこのダンスが終わるまで、しゃべり続けてやるわ。


私はやっとまともに回転し始めた頭で

(あくまで私基準だけど)

是が非でも話題をひねり出すことにした。


「うん、慣れたけど…

 どうして仮面舞踏会があること、

 出発前に教えてくれなかったの?」

「いつも参加しないから忘れていた。それだけだ」

「仮面、リースルさまに借りられたからよかったけど、

 もし借りられなかったら」

「借りられたからいいだろうが、もう黙っていろ。

 踊っている最中にべらべらしゃべる奴があるか」


いるわよここに。なにか文句あるの?


もうだめ、これ以上黙っていたら、

市街地の居酒屋にだって行けなくなるのよ。

私と一緒に行きたいと思うなら、しゃべらせなさいよね。


…それは私の思い込みだ、って?


細かいこと気にしてたら、

一国の宰相なんて務まらないわよ。


「なんで突然踊る気になったの?

 興味ないって言ってたのに」

「おまえを当てそうな奴が、

 近くにいるのにも気づかなかったのか。

 それでよく皇帝陛下の記念品が欲しいなどと言えたものだ」


え?

もちろん全然気がつかなかったけど…

ていうか、今もそんな余裕ないんだけど、そうなの?


「うん、知らない。誰?」


そんなにいやな顔されるような

変なことを言ったつもりはないんだけど、

眼の前の臣下は、

明らかにいまいましそうな顔で私を見て、


「…もういい、いい加減口を閉じて、

 その呆けた顔をなんとかしろ、いまいましい」


人の顔を間抜け面呼ばわりしたうえに、

本当にいまいましいと言ってのけてくれたので、

私はいよいよ従う気をなくした。


「やだ」


一応ね、ここまではずっと、

周りに聞こえないほどの小声で話してたのよ。


でも、次のステップで後ろに下がったとき、

ユートレクトが紛れもなく故意に私の足を踏みつけてきた。


思わず普通の音量で、


「いたっ!」


と声をあげてしまうと、

周りの視線が痛いほど私に突き刺さった。


私が悪いんじゃないのに。


ありったけの怨念をこめて加害者を睨みつけると、

非礼な臣下は、いつもにも増して憎たらしく冷静な顔で、

知らん顔を決め込んでいた。


絶対、次のステージ「居酒屋」で、

この恨み晴らしてやるんだから、覚えてらっしゃい!




…その怒りというか、なんともいえない気持ちに助けられて、

私はなんとか無事にこのステージを乗り切ることができた。



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