月桂冠CM

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CM

  

月桂冠のCMを見るといつも姉夫婦を思い出します。

なんでだろう。

毎回、ヴァージョンが変わっても、そのたびに思い出すのです。

兄夫婦もそうだけど、姉夫婦も、結婚して何年たっても以前と変わらず恋人同士の頃のように仲のいい夫婦です。

  

  

CM

  

姉夫婦は、のっぽ(義兄)とチビ(姉)のでこぼこコンビだけど、共通点がお酒が好きなこと。

だからあのCMで思い出すのかな…

  

  

CM

いや、そうじゃないなぁ

なんだろう…

  

  

CM

  

永作ひろみに姉が似てるわけではないし…

似てるとしたら髪型と、そんなにかざりっけがないのに女性らしいとこくらい。

姉は若い頃の鈴木保奈美さんに似ています。

  

  

CM

  

そして月桂冠は飲んだことがなくて美味しいのかどうなのか知らない…

(笑)


  


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パソコンを壊しました…

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風力発電

    

やっちゃいました。

母のパソコンにコーヒーをぶちまけ、パソコンは検査入院してしまいました。

兄夫婦が来たことや、4人で一緒に行ったとこのことなど、たくさん書きたいことはあったのですが、書けずにいました。

そのためただいまネットカフェ中です。

慣れないキーボードはタイプしづらいです。

  

  

上の写真は兄夫婦と母と4人で若松に風力発電を見に行ったときのもの。

今まで知らなかったけど、すごく間近で見れるんです。

カンドーしました。

いろいろ書きたいことはあるけれど、今日はヒトのブログをチェックすることに残り少ない時間を使おうと思います。

またのアップは横浜に帰ってから…。

ああ、母のパソコンは手術費用がどれくらいかかるのかしら…(泣

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改造計画

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ボク避難中…

  

昨日、美容室に行ってカラーリングをしたのですが、母の髪も気になっていたので、私が夜染めてやりました。

親友がなくなって以来、欝気味だった母の髪は、正直言って驚くほど白髪の量が増えていました。

明るく笑って見せてくれても、それを見ると心が痛みました。

ですが、私の白髪染めは見事成功し、つやつやの栗色になりました。ヤッタネ(^∀^*)

  

  

そして今日、兄から母の携帯にメールが入り、18日頃に帰ってくるだろうと漠然としていた予定が、18日から21日まで帰ってきてくれることが分かりました。

兄嫁のMさんも一緒です。

「えー、4日間もだって。そんなに帰ってきてくれると思ってなかったから、20日までしか休みとってないよぉ。21日も休みたいなあ…」

と、久々に嬉しそうな顔をして言うので、また見送りなんかしたら寂しくて泣いちゃうんだろうから、最後の日いなくてちょうどいいじゃんと言ってなだめました。

  

  

その後、兄夫婦が寝泊りする部屋を母と二人で少し改造しました。

「ああ、でも、あれもこうして…、あそこだってこうしたいし…」

兄だけならともかく、Mさんが来てくれるので、母は浮き足立って色々やってます。

でも、「最近何にもやる気が起きなくて」と、ぐったりしていた母が、こんなに活発なのはいいことです。

こっちの親の勝手な都合なのに心配して一緒に顔を見せにはるばる東京から来てくれるような優しい奥さんを兄はもって幸せです。

でも、結局は日中暇にしている私が、部屋の改造のほとんどをやるんだろうなあ(笑)

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Tのおばちゃん

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Tのおばちゃん、

母の中学生の頃からの親友で本当に長い間仲良くしてくれて感謝してます。

うちと子どもの年齢がみんな一緒で、そういう意味でもおばちゃんと母は本当に仲良しだね。

血のつながりもないのに私のことも小さい頃から色々面倒見てくれてありがとう。

  

  

このあいだ、2月3日の節分の日、母を迎えに行っただけのつもりが私まで晩御飯ご馳走になってしまって。

でも、おばちゃんの作るものは何でも手が込んでて美味しくて本当に何でもできる人だなあって関心するよ。

もう長く寝込んでいるおじちゃんの世話を愚痴ひとつ言わず楽しそうにやっているおばちゃんを心から尊敬します。

  

  

あの日も、節分だから豆が食べたいと言ったおじちゃんの言葉は、もう私には何を言っているか聞き取れない時もありました。

だけど、おばちゃんはおじちゃんの言ってることは何でも分かって、「豆は飲み込みがちょっと不安なのよね。」と私に言いながらも軽くつぶした豆をおじちゃんに食べさせ嬉しそうに笑ってた。

  

  

私が看護学校に入学して10日もたってない頃に、母が脳下垂体に膿腫があると分かって手術を受けなきゃいけなくなったことがあったよね。

あの時、手術当日は立ち会えても、単位があるから翌日に横浜に帰らなきゃいけなかった私は母を一人残すことが不安だった。

でも、おばちゃんがあの時も母のそばにいてくれた。

手術を前にした母におばちゃんが100万円を渡して、「これで元気になって帰ってきて」と言ってくれたことは、後から聞いたんだよ。

受け取らなかったけれど、母はその友情だけで十分心強かったんだよ。

  

  

私も都合のいい話だけど、おばちゃんがいてくれてるから母を福岡に一人残してても安心感があったの。

介護で大変なおばちゃんのところに週に1回は母が顔を出してるのも、母は看護師だから少しは役に立つかなって反面、おばちゃんがいてくれるから、母も安心だなって気持ちがあった。

  

  

今朝母からのメールで、

「驚かないで聞いてください。今朝早くTのおばちゃんが亡くなりました。クモ膜下出血でした。今、Tさんちにいます。電話はできません。また知らせます。」

というメッセージを見るまでは、まさかおばちゃんにもう会えなくなるとは思ってなかった。

  

  

たった1週間前、2月13日、母がまたお邪魔して、二人で出かけるっていうから送っていって、また帰りに迎えにいった時、坂の下まで降りてきてくれて、運転席の私を覗き込んで、

「試験頑張ってね。Mちゃんなら大丈夫よ。」

って言ってくれたのが最後になるなんて。

  

  

お母さんね、17~18日に知り合いと行った旅行から帰ってきたとき、土産物の袋を出しながら「これとね、これがTさんのなんだ♪」って嬉しそうに言ってたんだよ。

あれ、まだ渡してなかったのに。

うちはお父さんがいなくて、子どもはみんな関東に出てるから、お母さんは福岡でひとりで、私たち子どもがどんなにこっちに来いといっても来なかったのは、Tのおばちゃんがいたからだよ。

    

  

私、「甘いもの今はいいや」とか言って、おばちゃんがあの日お母さんに持たせてくれた手作りのアップルパイ食べてないんだ。

またいつでも作ってもらえると思ってたんだよ。

おばちゃんはずっと元気だったし、心配なのはおじちゃんだけだと思い込んでた。

看護師になろうってのに、おばちゃんの血圧がどうなのかとか考えもしなかった。

  

  

おばちゃんの作った料理を食いしん坊の私がシアワセそうな顔して食べるのを見て、「そんな風に食べてくれるとうれしいわ」って、この間言ってたじゃん。

私、もうおばちゃんの作った料理食べれないの?

年取ったら、お母さんと二人で暮らそうって言ってたじゃん。

あれはどうなの?

  

  

お母さん、一緒にお花やったり、お習字したりする相手がいなくなったじゃん。

一緒にいこうって、スポーツセンターの申込書もらってきたばっかだったじゃん。

あと少しで私、看護師なるんだよ。

楽しみにしてくれてたでしょ。

本当は嘘でしょ?

嘘なんでしょ?

お母さん、あれきり電話してこないんだ。

もうそろそろ、「冗談でした(笑)」って電話かかってくるんでしょ?

私のお正月

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おせち① おせち②


同じく里帰りしてきた姉と、母と、犬との4人(3人と1匹)で、お正月を過ごしました。

幸せでした。

でも、おかげで全く勉強はしないまま帰ってきました。

テヘッ/(^∀^*)

  

  

でも、いいリフレッシュ期間を過ごせたからこそ、ここから集中して勉強ができるんだ。

そう、考えてます。

根拠のない、ウルトラポジティブは、私のとりえですから☆

美女と野獣

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美女と野獣


私には兄と姉がいます。

一番上が兄です。

兄は、うちの、いわばエリートでした。



うちは親は長男の兄にとても厳しく、幼い頃から家事のいっさいを手伝わせ、幼い妹たちの面倒も見させました。

両親共に仕事をしていたので、保育所に通う小さな私を小学生の、これまた小さな兄が私を迎えにきて、負ぶって連れて帰ってくれてたそうです。



兄は親の方針で、決して塾などには通わせてもらえず、習い事もしていませんでしたが、家にたくさん両親が買った本があったので、沢山の本を読んで、いろんなことに興味をもって、賢い子どもでした。

だから、中学生になって、受験を前にしても、洗濯や掃除、母が夜勤の時は夕食を作ったりしているにも関わらず、公立に落ちたら高校は行かせないと言われプレッシャーを感じながらも、学区内で一番の高校に合格しました。

いまだにですが、私は兄が勉強する姿など見たこともありませんでした。

見ていたのは本を読む姿だけ。

それと、器用に色々なものを工作している姿。



中学時代は柔道をやっていて、結局はその後(大学時代に)黒帯まで取ったのだけど、高校では美術部に入りました。

この頃私はやっと、小学校4年生で、なんとなく、兄と私とのタイプの違いを感じだしました。

「うちのお兄ちゃんはオタクだな。」って()



17年前、高校生だった兄が一番欲しがっていたもの、それはマッキントッシュのなんとかいうタイプ。

当時は家族の誰もが、それをなんにどう使うのか分からなかった。

どうやら、デザインに使いたかったらしかったのですが、そんなこと田舎の厳格な父親が理解できるはずもなく、兄は手書きのデザインで賞を取り、新聞などにも載ったりして、その新聞記事や作品などを手に、一番行きたがっていた大学の推薦試験に受かり、さっさと関東へ出て行ってしまいました。

そんなわけで中学生になった頃には兄は家にはいませんでした。



一番歳下で、兄とは対照的に甘やかされて育った私は、公立の高校にいけず、両親の離婚で母と2人になった私の、私立高校の学費は、大学を卒業しソニーにデザイナーとして就職し携帯の画面内の画像のデザインとか、ホームページのデザインとか、私にはよく分からない仕事をしだした兄が払ってくれたりしました。



だけど、私が高校生の頃6年ぶりくらいに実家に帰ってきて私を見て兄は驚いていました。

私もまた驚いていました。

人種の差ともいえるくらい()私たちは、タイプが違った。

ルーズソックスを履いて、ブランドと化粧品なら何でも知ってる私と、パソコンやアートのことなら何でも知ってる兄()

今でも、兄の友達に会うとみんな私を見て驚きます。

あまりにも似てないから()

親の離婚で苗字も違うようになったし。

本当に兄妹かと、よく疑われます()



正直兄が、高校に受かった時も、大学を推薦で決めた時も、就職した時もちっとも凄いとは思わなかったけど、1年前、結婚した時は、初めて「でかした!」と思いました。

優しくて可愛くて綺麗で本当にいいお嫁さん。

兄が結婚を決めた時、母と姉と私は、「あんなの(兄)の、どこがよかったのかは分からないけど、何があってもMさん(お嫁さん)の味方でいよう。みんなで大切にしよう。」と誓いました()

だってまるで二人は美女と野獣なんだもん。

ビューティーといれば、ビーストも、王子になれるのです。