絶対大掃除したい場所 ブログネタ:絶対大掃除したい場所 参加中
絶対大掃除したい場所っつーか、しなきゃいかん場所。「オフィス」。
窓の交換をし、密閉式の真空窓にしたのですが、その結果、オフィスの中が瓦礫の山で埋まり、さらにセメントをこねたときに撒き散らされたと思われる粉塵が、工事をしていなかった部屋にまで蔓延している。PC、コピー機、大丈夫かなぁ・・・。

瓦礫の山はとりあえず窓枠工事現場の見張りをしていたガナー君が屋外に撤去はしてくれたわけですが、肺をはじめとして呼吸器系が弱い彼に粉塵まで清掃させるわけにはいかぬ。

ゆえに、私がやるべきなのですが、、、久々にバロメーターがダウン気味で体が動かぬ。

とりあえず明日から週末までの通訳の仕事を終えたら、気持ちを切り替えて、大掃除せねばならぬ。

自宅内部と違って、オフィスにあるものって、とても単純にまさにオフィス用の机・椅子、書類棚、ファイルキャビネットとかA3対応コピー複合機、カフェのショーケース、冷蔵庫、冷凍庫、テーブル、椅子、そんな程度ですから、気合さえ入れば、ちゃんと大掃除としてやりがいがあるオブジェクトであると思います。

会社を経営、、、といっておきながら、実際は、今は超零細個人事業というよりは、さらにフリーターみたいな感じの日常生活パターンになっちゃってるので、まずは心の大掃除が先決ですね。

ビジネスって当たり前のことですが、自分の頭脳と心とフィジカルな部分のバランスがとれてないと、うまくいかない。

資金繰りがどうの、とか、マネジメント能力がどうの、という以前に、自分の中の動力源が健全に、「自分のビジネスはこれだ」って明確なビジョンをもてなくなっちゃうと、ぐらつくのです。

働くことも仕事をすることも、それは自分の精神状態に関係なく、能力と集中力で、意欲的に向き合うことができる。
働くのは好きだし、何より、大学時代に巡り合い、取り組んできたモンゴル語を生かして、モンゴルと日本の交流に携わることが出来ているのは、自分にとってはすごくラッキーなことだと感謝しているのです。

自分が自分の能力を生かして働くのって楽しい。

でもビジネスをやるってなるのは、そこから先に、社会貢献っていうか社会参加っていうものが重要になってくると思うし、文化を創ったり、社会を創ったりするというビジョンが不可欠。

あれやら、これやら、モンゴルに戻ってきてから具体的にオフィスを再興して、動こうって思ったときに、協力者をどうするか、とか人、雇わなきゃいかん、とか考えたらね・・・ちょっと萎えた。

また人に裏切られるんじゃないか、また足元すくわれるんじゃないか、またお金、奪われるんじゃないか、っていう恐怖や不安が募るこのマイナス思考を大掃除しなくちゃいかん。

オフィス=自分の仕事=自分の生き様ってくらいの意気込みで、集中して、大掃除、しようと思います。

人が集まってわいわいできる、心が安らぐ、生きる希望が持てる、心のモヤモヤが解消できる、、、そんな千客万来なオフィスにしたいです。

オフィスになるのか、今流行りのサロンになるのか、カフェを復活させるのか・・・

まだ考え中。

前に旅人カフェをやる!って決めたときに、ゴルバンゴル調査隊でお世話になったお兄さんからの手紙に「モンゴルの「かもめ食堂」だね。」って激励された時は、「かもめ食堂」っていう作品を知らなかったのですが、今回、小説とDVDを日本から持ち帰ってみて思った。

あぁ、こういうまっつぐに淡々と、何があっても誰に対しても分け隔てなく誠実に生きられる人になりたい。

食堂的な外食産業をモンゴルでやろうとすると、どうしても調理師免許だの給仕係免許だのバーテンダー免許だの、資格やライセンスを持っているモンゴル人を雇わなきゃいけないっていうルールがありまして、そのことが逆に私がやりたいカフェとか、サービスビジネスの足かせになっちゃうんですね。

モンゴル人を雇うっていうことの難しさは、モンゴルでビジネスをやる日本人のみならず外国人にとっての共通の最大課題です。

でも人が生きる希望を見出し、誠実に働くことで自己実現をしたいっていう夢がモンゴル人でも持てるようなビジョンをどーんと提示できるようにならねば。

田崎先生の「ビジネスパーソンのための断捨離思考のすすめ」は、ビジネス思考にも、いろいろいらないものをそぎ落とし捨てるってことが大事、といったことが書かれているんだそうです。

ミッションもビジョンも、あまりごちゃごちゃせず、スッキリと、明確で力強い言葉でたーん!としないとね。

あー、田崎先生の本、読みたいなぁ。
明日、発売です。





かもめ食堂 (幻冬舎文庫)/群 ようこ

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かもめ食堂 [DVD]/小林聡美,片桐はいり,もたいまさこ

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ビジネスパーソンのための断捨離思考のすすめ (DO BOOKS)/田崎正巳

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「野宿」というのは、まぁ人によって、その言葉から連想する状況は様々だと思います。

私などは、モンゴル暮らしで兼業遊牧民だったり、旅行業も営んでいて、自分で企画し、通訳ガイドもほとんど全部担当しているので、21世紀に入ってからの「野宿度」はたぶん、一般的な日本人より高いと思います。

でも、今日、ご紹介する本の著者には負ける。かなう気がしない。その生き様、大好き!

ティーンエイジャーの頃から「野宿」を追求し、人生の半生を野宿伝道に捧げている「編集長」かとうちあきさんが上梓した、とってもわかりやすい入門書、その名も「野宿入門」です。

編集長、と呼ばれているのは、ミニコミ誌「野宿野郎」という彼女の外見からは想像もできない骨太でシュールな「野宿」をテーマに既に6(7号 6号完全改訂版)号の編集制作をしているからです。

「野宿野郎」のホームページもありまして、これがまた、野宿に関する情報・ネットワークてんこ盛りのすさまじく充実したコンテンツなのです。ココにリンクしときましたー。

手のひらサイズで活字レイアウトも文体も軽やかに読みやすい、すーっと心の中に「野宿からの誘惑」が入り込んでくる本のサブタイトルは「ちょっと自由になる生き方」とあります。

かとうちあきさんは、私の生きる指針のひとつ「人生なんでもあり。好奇心でガンガン突き進んでもいいんだ」を実践する秘密結社(秘密でもなんでもないけどね)「地平線会議」つながりのお友達です。

骨太、ユーモラスで男前な文体でかなり強力に野宿道を説く自信をほとばしらせながら「野宿」を語る文体と裏腹に、かとうちあき本人は、とっても謙虚でおくゆかしく、言葉の端々から、謙遜がにじみ出るというキュートさと華奢なはかなさを併せ持つ永遠の「女子高生」みたいな人なのです。

生で彼女が語る「野宿への勧誘」はそれなりにパワフルですが、やっぱり謙遜が表立つため、ミニコミ誌「野宿野郎」でしばし、信者が語る「酔っぱらって強引に野宿へと人をひきずりこむ編集長」のかけらも想像できません。でも、文章になると、それはそれは「猛者」という感じで、「野宿に関しては、私、人生かけてますけんね」的なすごい愛情と人生哲学がほとばしるので、信者の執筆記事も、まんざらありえない話ではないのかもしれない。
いざ、「野宿」というホームグラウンドに寝ころんだ時の彼女は最強の「野宿野郎」に変身するのかもしれない。

「入門」となってるだけのことはあり、ミニコミ誌「野宿野郎」ほどに、「野宿好きな人が野宿の幅を広げ、野宿を日本全国に普及するために」というディープで妥協のない、全面的な野宿讃歌ではなく、寝袋もなければ、酔っぱらって「もうこの場で寝ころびたい」というほどまでに羽目を外し、我を忘れたことがない一般的な正しい日本人にも「野宿もあり」でしょう、とかわいらしく提唱している、この一冊を読めば、誰でも今晩から「野宿、してみようかな」と思っちゃうであろう名著なのです。

「ちょっと自由になる生き方」って大事だと思います。

日本はマスコミも行政も学校も家庭も、なんとなく「人間、かくあるべし」的な正論を展開してしまっていて、建て前では「人間、もっと自由であれ」とか「型破りもあっていい」みたいなことを言っていても、ちょっとでも人と違うことやってると、あれこれとつまらない横槍でつっついてくるうざったさがあるのです。

私のように、悪気はないけど、「ついうっかり」とか、「なんとなく」で、「人の道」といわれる本線から、ちょっぴり寄り道しちゃったり、道草くっちゃったり、ぜーんぜん違うところに藪こぎした挙句迷っちゃうような人にとって、日本人の正論って時々辛くなるのです。


この「野宿入門」は、正論なんてものはハナから想定していない。
かとうちあきちゃんが「楽しい」って思っている、心から愛している「野宿」というライフスタイルで、読者の「日本人的正論生活」にがんじがらめになっている心を、ちょっぴり解きほぐし、大人社会で閉じ込められた「生きるってことは楽しい」とか、「垣根を超えちゃうってワクワクする」という子供の頃のいたずら心や好奇心を目覚めさせてくれる「癒し」ブックなんだと思うのです。

間違ってる、なんてことはないけれど、人間、どう生きたところで、誰かに何かしらの形で、「ちょっぴり迷惑かけてしまう」。

ちょっぴり迷惑かけちゃうけど、ごめんね。
迷惑だってわかってるんだけど、やりたくなっちゃったの。

そんな謙虚さは、周囲の人たちにも「なんとなく、ま、いっか」って許容されるし、そういう許容という行為は、人をやさしくしてくれる。

他人に優しい事をできると、人は自分もなんだか「いい気持ち」になれる。

「野宿」を通じての出会い、「共にする野宿」は心を通わせる。

「野宿人」ってちょっと小人さんみたいなところがある。

いつの間にか、そこに寝ていて、いつの間にやら跡形もなく、いずこへか去っている。

そんな感じの人たちなので、もし、道端で、あるいは公園で、駅で、すやすやと眠っている人をみかけたら、そっとしておいてあげて下さい。

野宿入門/かとうちあき

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野宿したい人も、したくない人も、肩の力をすーっと抜き、世の中のいろんな苦境や紆余曲折も「ま、いっか」と楽しく観察する視点やおおらかな思考回路が、読むだけで修得できる「野宿入門」をぜひご一読くださいませ。
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『1Q84』読んだ? ブログネタ:『1Q84』読んだ? 参加中
モンゴルからの一時帰国が急遽決まり、発売直後から入手すらできない!とまでニュースで取り上げられるほどの爆発的な売れ行きだった久々の村上春樹作品「1Q84」を本日購入しましたよー。6月23日現在で第8刷!上下巻本の単行本としては、すさまじい勢いですよね。活字離れとか、本が売れないっていわれているこの時代に、これだけの短期間での大ヒットを記録する純文学作品ってすごい。

村上春樹さんの作品というのは、時代性があるような、ないような、でも、すごくビビッドで、いつまでも「僕」をはじめ、主人公が若々しいのです。自分がその年齢じゃなくても、「そんな気持ちになる」ことができる説得力というか不思議な力が、その文章にはあるのです。

初めての村上春樹さん作品は、「風の歌を聴け」でした。
その題名にひかれて、思わず手にとっちゃったのです。
高校生の時でした。アメリカから帰ってきたばかりで、なんとなく日本語が不自由で、ぎこちなく、アメリカでも1、2位を争うであろうくらいの過疎の田舎町から、いきなり日本の首都・東京なんかに戻ってきちゃった私が、日本語や日本の空気になじむために、「風の歌を聴け」を読む時間は、私にとってすごく必要だったのです。

村上春樹さんの文学作品はどれもそうなんだけど、日本語で読む味わいとともに、いったん、頭の中で英語に変換してから読むことでしみわたってくるというとても不思議な作品です。
英作文とも違うんだけど、英語版も数多く出ているから読み比べてみるとわかると思います。

海外小説の翻訳本を読んだときの、ちょっと不思議な日本語感覚のちょうど鏡を通した裏返しみたいな、違和感とも違う、でもまったく同じ象とはいえない、ちょっとしたズレと味わいがあり、それがとても心地よいのです。

「風の歌を聴け」に出会った時は、中味も知らず、本のあらすじも読まず、衝動的に買っちゃったけど、それ以降の作品については、新刊本で買ったことはなかったし、しかも、たいてい、文庫本で、古本屋さんで買うか、最初に図書館で読み込んでから、という買い方でした。
そんな買い方しなくたって、村上さんの作品は絶対面白いんだけど、なんとなくそうなのでした。

「1Q84」だって、ほんとは図書館で読んでから、文庫本になってから読もうって思ってたのです。

新聞の書評欄で絶賛してても、ニュースで話題になってても、別にいいやって。
天の邪鬼なところもあるのです。

どうせ本屋さんにもおいてないんじゃないのー、なんて。

でも、今日、ひさびさに出歩いて、駅ビルの本屋さんに山積みになっているのを見て、つい立ち読みしちゃって、そのまま、上下巻揃えて買っちゃいました。

「1Q84」とは、1984年の9が英語のアルファベットのQに置き換えられているんですね。
今から、25年くらい前の話?
すごいな、そんな昔の話なのに、私はしっかり人格を持ったひとりの娘だったのです。
記憶鮮明なのです。あらーって感じです。

「風の歌を聴け」とか「ノルウェイの森」がまるで昔の話をのぞいているような他人事だったのに比べると、1984年ってとってもリアルなのです。
私はその時代、ちゃんと生きてたんだっていうこと。その同時代性みたいなものがとても不思議です。

最近の村上春樹作品というのは、実験的な感じのもの、特に時間の流れや「この世」の現実世界と異次元的なパラレルワールドのつなげ方っていうのが、とても文学的だなって思ってました。

変な話だけれど、それぞれ別々の作品として読めるんだけど、一つの文や単語の使い方、構成、登場人物が、どこかで一つの水脈でつながっているのです。バラバラに作品を分解して、証拠品みたいに並べると、「ほら、この事件、とあの事件はつながってますよ」と同一犯人だった!みたいな・・・

「1Q84」はそういう要素要素の繋がりというものが、ふんだんにちりばめられている村上春樹作品の集大成、のような予感にはらんだ出だしです。

そして、主人公が二人、しかも男女で、女の方が先に登場しているっていうのは、初めてなんじゃないかしら?

去年、一時帰国中に買った村上春樹さんのエッセイみたいな「遠い太鼓」を読んで、彼自身のきわめてリアルな文学的な生活感や、その南欧滞在中の出来事が「ノルウェイの森」と「ダンス・ダンス・ダンス」に反映されている様子などがわかって、一段と作品に対する愛着や味わい、深みが増しました。

同じ村上でも、村上龍さんがいろんな別業界、異業種の人たちとの交流を公開していたり、テレビなどにも積極的に出て(ご自身の看板番組だって持ってる!)、自分の口で語るのとは違って、村上春樹さんは、その素顔も私はほとんど知らなかったし、マラソンやってるとか旅好きだとかっていっても、その旅が実にプライベートで、ほんとに旅行者的に取材をしているってことがとても不思議でした。

モンゴルにも「ノモンハン事件」の繋がりで、いらっしゃったけれど、その感想はむしろ・・・って感じだったけれど、とても簡潔でリアルなモンゴル旅の感想でした。味もそっけもないっていうか・・・
でも行った人にしか書けない感想なわけで。そういう意味でとてもリアルでしたね。

作品に自分の実体験が反映されているようでも、それはストレートに実体験なのではなく、村上春樹という生身のファクターを通して行われた行動が、村上春樹という人格、感覚によって熟成され、パラレルワールドで純文学的な発酵することによって作品となるということなんだろうなぁ。。。

彼自身の年の重ね方は、実にまっすぐで、じいさん臭くなるわけでも、若者ぶってるわけでもなく、実直に村上春樹的である、ということなんだろうなぁ、とエルサレムでの受賞会見のコメントで感じました。

歴史に残る名言だったと思います。

ノーベル文学賞の候補者リストに村上さん、載っているそうです。

ノーベル文学賞受賞作家の作品でも川端康成さんのは読めるけれど、なぜか私は大江健三郎さんの作品を完読できません。1冊として読破できないのです。読み進められない。なぜか?よくわからないけれど、そうなのです。面白くないわけではないと思うんだけれども、世界観がちっとも自分の中にしみこんでこない。

好き嫌いっていうのがあると思うのですが、村上春樹さんの作品は、実に日本的な日本人なんだけど、その文体、文章構成、単語、その他村上春樹的な要素によって、世界の人々と感覚を共有しながらも、「そういうもんかなぁ?」という村上春樹的な独自視点や独特の比喩、暗喩、記号論的な謎かけが秘められている気がします。

読み応えがあるっていうのは、すでに最初の30ページで確信しました。

なので、こっから先は我慢して、モンゴルでじっくり読む、のんびり旅の友にするためにとっておくことにします。

MIATモンゴル航空の重量制限は厳しいし、今回、ビデオカメラだの三脚だの夏用の衣類だの資料だのといろいろ持ち帰らねばならぬものが多く、決して気軽にってわけにはいかないんだけれど、ともかくもこの2冊は旅行鞄に入れて、長い長い海外滞在のおともにすべきほんである、と思うのです。

モンゴルに帰ってから読むのがとても楽しみです。待ちきれないなー。
あと4日だ・・・。
名残惜しいような気もするけれど、7月の仕事のこととか、愛犬のこととか、いろんなことを考えると早く戻りたい気もしています。



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