モンゴルは民主化移行後の1992年に発布された憲法で信仰の自由が認められています。
社会主義時代は基本的に無宗教といいつつもお年寄りとか、なんとなくそれまでの習慣で「信仰するなら仏教」という流れがあります。

でもって、本日5月27日は、仏教を信仰しておられる方々にとっては、かなり特別な日です。
サカダワ(釈尊の誕生、成道、涅槃の日)で、特に今年は満月と重なり、より多くの徳を積むことができる日・・・なんだそうです。

モンゴルだと、イフ ドゥイチェンといいます。

ガナー君はこのサカダワにあわせて、タイのお坊様が去年から国立競技場(ナーダムスタジアム)で開催するようになった「108の灯明風船祭り」のイベントのために、ここんところずーっと忙しくドライバーのお仕事をやっております。

この仕事は、ガナー君と私がラブワゴンを某モンゴル人から取り戻したあとで初めてゲットした仕事で、ガナー君が自分で見つけてきたということでも彼にとって、とても思い入れのあるものなのです。
もともと、ガナー君は仏教徒ですから、タイからきた高僧やこのサカダワのための大きなイベントに関われる、というだけでも名誉なこと、と大喜びです。

去年は初めての年ということもあって、タイからのお坊様たちもかなり豪華なお食事やモンゴル観光もお楽しみだったようですが、今年はかなり低予算になったそうで、皆様、我が家のご近所のローカルな人たちのアパートをドミトリーがわりに2週間借り切っているそうです。
食事ももともとお坊さんってあんまり食べないそうで、ガナー君もかなり食いっぱぐれることも多いみたい。ちょっとした空き時間に私が作っておいたお弁当を食べてたり、私がいるときをめがけて襲撃して30分くらいでまた出かける、というようにあわただしいことこの上ありません。

今年は、モンゴルの地元のお寺もいくつかが、この日にあわせてイベントというか法会を行うと大々的に宣伝しているため、スタジアムのイベント、どのくらい集まるのかなぁ?

また去年は強風でかなり予定時間がずれてしまったということで、今年はまずモンゴル最大のイベント会場のひとつUBパレスで法会を行い、そのあとにスタジアムで108の灯明風船を飛ばす、ということになっているようです。

今日は、ずいぶん寒く、先程まで雨がザンザン降っていましたが、法会スタート予定時刻の19時直前に雨があがり、日光がぱーっとさしました。
ウランバートルのスモッグがきれいに洗い流されました。

これもまた、超自然的なパワーのおかげでしょうか?

タイ国本土が、内紛で落ち着かない時期で、さらにMIATモンゴル航空が突然94時間のストライキを強行したりとハプニング続きではありましたが、今日、この日まで予定通りに準備が進んだというのも、やはりお坊様たちの功徳と修行の賜物でしょうか?

2年目がうまくいけば、今後も恒例のイベントとなるでしょう。
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まだ1ヶ月ほど先を目標にしているのですが、「モンゴルまるかじり」ブログのリニューアルを準備中です。

何がどう変わるか?というのは、
・できるだけ「3000字以内」記事でシンプルに構成したものにする
・プライベートライフ系は、アメンバー記事扱いにする(最終的には、別ブログに移行させます)
・モンゴルの旅と暮らしのお役立ち情報をデータベース的に使えるようにする
・モンゴルへの旅行を検討している方やビジネスなどの立ち上げを夢見ている方にとって、わかりやすく実用的にする
・ネガティブ記事の場合は、最終的に気分的に「救われる」、問題解決の方法提案で終わらせる
・日本語で無料提供するモンゴル国・モンゴル関連情報ブログとして圧倒的な地位を確立する

などなど、いろいろ変えようと思っております。

「変わるぞ!」と強く意識するようになったのは、伊藤淳子姐さん(お会いしたことないけどお慕いもうしあげておりまする)が制作中の「女性起業家・リーダー名鑑」にモンゴル代表選手として抜擢していただいちゃったからです。

日本の女性起業家の草分け的存在で、地域活性化や農業等の元気ブランド育成等々、日本を元気にする、女性ならではの底力が発揮できる環境を地道に人柄と才能と努力と経験と、、、様々なことで作ってきた方なのです、伊藤さんは。

かっこいいんですよ、すっごく。頼もしいオーラがすごいほとばしっているのです。

紹介されている方も一部ですが、やっぱりすごく輝いていて、勢いのある人たちばかり。

こんなすごい人たちと一緒に紹介されてしまうのでは、「モンゴルまるかじり」も「怪しげ」とか「変わり者」とかいうキワモノブログなイメージを払拭して、ちゃんと、モンゴルで起業して、奮闘はしてるんですよー。

決して怪しい会社じゃないから、オマカセいただいても大丈夫ですよー、というブログ記事をそろえたい、と思ったわけです。

人間、なんぼがんばっても、本性とか根っこの部分は軸となってしまってるから、やっぱり、モンゴルだるまのブログだなぁ、って言うのは残っちゃうと思います。

たまーに、アンチモンゴル、な人たちや、アンチモンゴルだるまな人からの匿名のコメントがあり、ブログ記事が荒れそうになったこともありましたが、そういうマイナス・ネガティブな人たちが他の読者さまや私を不愉快な気持ちに陥れるのを避けるためにも、私自身が愚痴テイストになったり、「おだりモード」にならないようにしなきゃいけません。

うぉっと、また長くなってきたぞ。すみませんね。饒舌な文体で。。。

でもって、何がいいたいか、というとですね、、、アメンバー記事はほんとに「ネガティ部」だったり、超内輪で不特定多数の方、私を直接ご存知ない、やりとりのない方が呼んでもぜーんぜん面白くないものばっかりなんですよ、ということです。

そして、やがてはこのブログでのアメンバー記事は、消滅するか、別ブログに移行します。

なので、アメブロメンバーじゃない方には申し訳ないのですが、今しばらくお待ちくださいませ、と。

読者登録していただいていない方に突然アメンバーに、、、と言われると、違和感があるんですね。
ご本人がブログがなかったり、プロフィールもまったくどんな方なのかわからない方って怖い。

プライベート炸裂赤裸々記事が、過去数年間に渡ってあるので、いきなり全部を削除やアメンバー限定記事にはできませんから、焦る必要はないと思います。

私も少しずつ、また「がんばってみるぜ!」とやる気になってきたところであります。
やる気に連動して仕事もいろいろ増えてきたので、夏至を目標に、抜本的に「Change my blog」を進めていきます。

ここはこうしたほうがいいよ、というご助言や、「この記事やシリーズはなくさないで」というリクエストなどがいただけましたら、ブログ改革の参考に活用させていただきたいと思います。

引き続き、「モンゴルまるかじり」をご愛顧くださいませ。

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緑が元気になってくると私も元気になってきます。
5月は、たっぷり休養し、精神的にも肉体的にも傷ついたりもしましたが、それでも自分らしく過ごせています。

この「自分らしく」とか「好きなように時間を使いたい」っていうのは、冬の間中、ずーっとずーっと私が渇望していたことです。

私のように波風立たずに生きるというのが難しい性格の人にとって、こういう流れや波をいかにコントロールするかって大事なことです。

母国日本では誰もが「心得ておる」というような人間関係のイロハやお互いのバランスをとるための努力が必要であることを子供の頃から習得することが大事って教育や躾を受けてきたもんですが、ここモンゴル国では、「何はともあれ自分好き」な人が多く、「総国民自己中心派」といっても過言ではないほど、「自分の都合」でグイグイきます。

控えめそう、とか、謙虚、とかマジメ、とか評価の高い学者さんとか学校の先生とか、政治家さんとかでも大なり小なり「自己主張」の強固さはあります。モンゴル人にとって、「自己主張」をすることは悪いことではないし、「我を通す」ことも悪いことではなく、無意識に誰もがやってることなんですな。

だからといって、外国人の常識とか主張や優位性についての抵抗感って庶民度、貧困度が高くなればなるほど、激しい。

「知らない言葉、知らない考え方」を拒否したり、抵抗感を覚えるのは、人間誰しもありますが、賢い人、向上心のある人ほど、この本能的な抵抗感を克服し、あるいはコントロールして、「アナザーワールド」へと足を踏み入れることに意欲的。これもまたモンゴルでも日本でも同じことですね。

でもって、5月くらいになると、私もまた「自分の殻をぶち壊したい」という破壊と再生の衝動が強くなり、仕事でも出会いでも、チャレンジ意欲が高まります。
なので、古いつきあいを壊さないと自分が前に進めない、と思ったときに、「さよなら」することもためらいなくなってしまう。

とにかく5月の私は、夏へ向かって、猛然と芽生えるのです。
ちょうどモンゴルの草木が気温が上がるにつれ、雪や氷に閉じ込められていたその新しい息吹をグイグイと天に向かって伸ばすのと同じですね。

この「のびのび感」をこの時期にしっかりつかむためには、春のエネルギー蓄積が必要なのです。

例年は、冬の間に、一時帰国して大好きな人たちとの時間をたっぷりとり、美味しいものを味わい、体全身全霊をこめて「私の大好き」に浸ることでエネルギーを充填していましたが、今年は全く逆で冬の間に魂を押さえ込みすぎてエネルギーの放出ができず、マイナスエネルギーを溜め込みすぎ、春がきたばかりの頃には、完全に枯渇してて、立つことも、笑うこともできないほどにへとへと、ギスギスになってましたから、春の充電のためにも「なーんにもしない」という期間が必要でした。

そして、まだしばらくはこの充電中を続けているか、仕事をそろそろ欲しい、となるか、という境目だったんですね、先週半ばあたりまでが。

先週から日本人会に参加することになったり、エコツーリズム関連の翻訳の仕事が舞い込んできたり、ダルハンのプロジェクトの話などが立て続けに入ってきました。
会いたい、と思っていた人とお目にかかれるようにもなってきました。

昨日は、まったくもっての偶然が偶然を呼んで、JOCVの環境教育隊員さんとバガノールでご活躍の看護師さんと会えました。この人たちのブログを私は毎記事、更新を楽しみにしている愛読者なので、感激でした。決められた期間を異国で過ごし、自らの専門性や志を武器に、地元に食い込んで活動をしていくボランティア活動というのは、特殊な体験できっと人生の大事なマイルストーンとして刻まれていくんだろうなぁ。

またゴルバンゴルプロジェクト、という私が初めてのモンゴル語通訳に抜擢された読売新聞社がスポンサーでモンゴル科学アカデミーと日本の学者さん達がいくつもの研究分野にまたがって3年間展開した「チンギスハーンの陵墓さがし」を銘打った考古学調査があったんですけどね、このプロジェクトでご一緒させていただいた記者さんが、6月半ばに超短期間だけど取材でいらっしゃる、って話がありました。

でも、ちょうどその期間が、とあるツアーのアテンドと重なって、残念だなぁ、会いたいけど会えないのかなぁ・・・こんなチャンスめったにないのになぁ、と思ってたら、なんとなんと!ツアーのほうが「他の人に頼むことにしたからキャンセルします」と先方からお断りしてもらえたー!!

ツアー業者としては、こういうふうに仕事がキャンセルになった、ってことで落ち込んだり、反省したりしたほうがいいのかもしれないけれど、私の旅ってとてもメンタルなところとか大事にするので、相性というかご縁って大事なんですね。やりとりがやたらと多くてメンドクサイところもあるなぁ、って多分、お互い思うんでしょうけれど、このやりとりのなかで「どうもチグハグだ」とか「お客様の意向が読めないぞ」ってことが、すごくタマになんだけどあるんですね。魂のキャッチボールが出来ていないというか。この辺もうちょい修行すれば、ちゃんとどんなボールでも受け止めて、いい感じで投げ返せるようになるか、もっとコースを決めてバシバシ決められるようになるんだろうけれど、シーズンはじめ頃っていうか、エンジンかかるまでは、誰でもウェルカムとはいかないのだなぁ。。。この辺は私の弱点です。小学生の頃から「誰とでも仲良くできる」っていう生活態度項目で「もう少し努力してほしい」を食らうことがシバシバあったので、もうこれは弱点として受け入れ、付き合っていくしかない。

この弱点を補うためか、私は、「自分が好きになる」人をひきつける力が強く、出会い運が良いのでした。

どちらかを選ばねばならぬ、という予定がダブルで重なったときや、好きな人が同時に二人・・・なんてのっぴきならない状況に陥ったときも、瞑想しながら、自分がほんとは何を望んでいるのか、を自分の心の声を聞いているうちに、欲しい!と思ったものをゲットできる自分が想像できるようになりました。

それが正解か失敗かはわかりませんが、自分がとことん突き詰め、自分の幸せとして想像することで「なるべくしてなった」出来事を受け止めることは、それがたとえ辛い悲劇や葛藤、重圧や屈辱、最悪の事態だったとしても、自分が選んだものとして受け入れ、それをステップとして踏みしめるというのが自分の人生です。

不義理とか理不尽とか我儘とか傲慢とか、「人としてどうよ」ということが全くなかったとはいえません。自分の心のままに生きることで、摩擦も起きる。それもまた仕方ない。それもまた、背負うべき宿命なのだから受け入れるしかないもんね。

また周囲の人、一緒に仕事をしたり、生活したりする人たちの協力や譲歩、サポートがあっての、「Going my way」な人生ですから、これもまた感謝の気持ちを忘れてはいけませんね。

モンゴル人の生き方や人生観と似ているところもあると思います。まぁ、人生の半分余りを捧げてきたのですから、それもまた成り行きだ。

モンゴルの庶民派・貧困層の人たちと私とで、考え方や自己主張は対して変わらないとは思うのですが、なぜ、私はあんまり金銭的に困らないですむのに、彼らはいつもあっぷあっぷしているのか?不思議でした。

働かない、というか定職につくことに必死になれない、というところも共通項で、どっちかというと怠け者な類でありながら、それなりに仕事したいなあ、と思えば、欲しい仕事が舞い込んでくる私は何が違うのか?

それは、20歳代にガツガツと「働きマン」的な勤労と努力を惜しまずに「必死だな」というなりふりかまわぬ日々をすごしていたからかもしれないなぁ。

まだまだ日本でも不況とか新卒・既卒就職難は続いているようですね。
私も、バブルがはじけちゃった後の、氷河期!となったところで「そろそろ就職でも考えるか」と暢気なことになっちゃったのですが、就職活動もやっぱり「想像力」だと思うんですね。その会社をいいな、って思って、「自分がそこで働いている姿」が想像できるかどうか?相性や能力ももちろん大事だけれど、何よりも、「本当の自分が、この空間(会社・職場)にいるべきなのか?」を考えて、「Yes!」がすぐに出てくるなら大丈夫。

ちょっとでも、面接試験とか筆記試験とかいろんな場面でライバルたちをみて「負けそう」とか「あの人は私より優秀だ」とか他人と比べたりしたときは、その場でうまくいっても将来的にうまくいかなくなっちゃうことが多いです。

引き寄せの法則とかってよく言われますけれど、そういう関連の本、実は全然読んでません。
「新月の願い事」もお客さんに教えてもらって、かじったくらいです。

理論を理解しなくても、やり方なんか習わなくても、「こうなんだ」と自分が信じる心なんて、誰もが持ってるはずなんだけどなあ。ノウハウ本とか、セミナーとかで「なるほど、なるほど」とか「そうか!」と同意、賛同することで覚醒する人たちもいるのでしょうが、「なるほど」だったり「そうか」だったりという風に、すんなり自分が受け入れられるものって、自分の心の中にすでにあるものなんだと思うんですね。天邪鬼だから。
自分オリジナルが一番強いって思っています。

だから、ツアー企画とかでパクる人がいたり、フレーズ無断使用の同業者がいても、腹も立たない。
そういうパクリ屋さんと争うのが私の望みでないことを自分でわかっているからです。

自分が豊かだとは思わないんですね、最近。モンゴルにいると、というかガナー君のような飢餓感だらけのモンゴル人が近くにいると、自分がすごくさもしく、心の貧しい人のような気がしてくる。

なので、しばらくはというか、このままずーっとでもいいかもー?と思うくらいに今、セルフコンシャスを楽しんでいます。

自分本来の豊かさ、恵まれている幸福を素直に自分が得るべきもの、と受け入れることこそが、私自身がすべきこと。

自分の豊かさは誰かと比較して感じるものではないし、誰かに奪われるものでもない。

この感覚や想像力を不動のものにできれば、自然と引き寄せ力は強化できると思います。

無理して、肯定的な言葉だけを使う、とか、ネガティブな想像をしない、なんて心がけなくてもいい。
ただ、自分はこうありたいっていうことだけに集中できる時間を作れるように心がけてください。

それが習慣的でなくてもいいと思うんです。
一生に一度、ほんの一瞬でもいい。

「This is my place」って、「ここだ!!!」ってインスピレーションがわく場所を探してみてください。

自然の中でたった一人になれるっていうのが一番いいみたいです。

人工物ってやっぱり、それを作った人たちや売った人たち、触った人たちの思念というか「何か」がついているから、人工物に囲まれての瞑想だと、どこかに閉塞感やコンプレックスを感じちゃうんですね、私は。

草原とか森の中で独りぼっちになってみるって素敵です。

私は、沖縄の安室島(あむろじま)という無人島に19歳のとき、サバイバル合宿でいきましたが、その時に48時間、仲間の誰とも、人間とは一切会わない、というルールで独りぼっちになったことがあります。

その時に、私は、自分を初めてつかむことができました。

大学院のときに、モンゴル最北端の針葉樹林帯でフィールドワークをしていたときにも、私の馬が逃げちゃって、独りぼっちで森の中に取り残されたことがありました。その時の恐怖や不安に襲われパニックになりそうになったりしたこともありました。大地のエネルギーや愛の大きさが雷に打たれたみたいに、すごい勢いで自分の中に入ってきた瞬間、私は自分の生きるこの世界には、絶対的な、超自然の存在があり、常に守られている、生かされているということを感じて、孤独が不安をもたらすのではない、ということに気づきました。

人間が完全に独りぼっちになるって意外と難しいのです。
独りになったときこそ、家族や友人、これまで出会った人や景色、出来事などを思い出すのです。
私は、私と共にいるのです。過去の人生での出会いは、ずーっと一生、自分の中に生きていて、一瞬たりとも離れることなく一緒に歩んでいるのです。

想像することによって、私はどんなものや人、出来事も自分のものとして実感することができます。

自分が孤独ではない、っていうことを、他人との付き合いや過去にもらったプレゼントやギフトなどをよりどころにするのではなく、自分自身の人生によって感じることができるのです。これってすごく簡単で誰にでもできることだと思います。

モンゴルには、いくつものパワースポットや開運スポットがあるのですが、誰もがたどり着けるわけではない、といわれています。

「受け入れるべきではない」とその土地、あるいはその人自身が感じているときは、何かのハプニングがあったり、別件ができて旅行自体をとりやめることになったり、無意識的に、その場所から遠ざかってしまうものなのです。

だから、モンゴルでパワースポットにたどり着けた、っていうだけで十分「運がよい」人に慣れてるんですね。

人との出会いも同様で、「会いたいな」という意識があれば、巡り合えるもんです。
それがどんなにVIPでも有名人でも、遠く離れたところにいる人でも、全く共通点がないって人でも、「会いたい」って思い、「一緒に会って、おしゃべりしてる」とか想像していると、ちゃんとそうなるんです。遅かれ早かれ、というか、想像が簡単にできるようになればなるほど、その出会いを自分がほんとに望んでいるって自覚できるほど、実現の可能性は高くなってくる、、、のかなぁ?

ここのところ、出会いや仕事で、偶然が重なったような気もしましたが、結局は100%自分の想像や望みが実現しているだけなんだ、ってところに、「引き寄せ力」の強さを感じる今日この頃です。

ほんとにようやく、「働くぞ」という気持ちになれてよかったー・・・というのが正直なところです。

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