寝ないでいい体、食べないでいい体、どっちがいい? ブログネタ:寝ないでいい体、食べないでいい体、どっちがいい? 参加中
寝ないでいい体ならば、きっと映像制作業界のアシスタントディレクターが、1年やそこらで業界を辞めちゃうっていうこともなくなるであろう、と思います。自分がADであった頃、何よりも辛かったのは、寝られなかったこと、でした。 
寝不足のまま、上司に叱られたり、膨大な多岐にわたる仕事、作業を同時進行で処理しなければいけないという状態は、ストレスそのもので、体力と気力の限界をあっという間に超えて、もはや、ナチュラルハイというか脳内麻薬炸裂で無我夢中というか「正気の沙汰じゃない」っていう状態で働くしかなかった恐怖の労働環境。
あのときの労働実態を厚生省とかに訴えてたらどうなってたのかな?

寝不足でなかったら耐えられたであろう、上司の罵詈雑言やカメラマンのネチネチしたイジメの数々。
耐えられなかったわけではないけれど、あえて耐える必要もなかろう、と判断するにいたったのは、クオリティ・オブ・ライフを意識し、あるいは過労死、という言葉が、自分の続発する内臓機能不全の果てに脳裏によぎるようになったから、、、かなぁ。

辞めなくてもよかったかも、とは思わなかったし、いつ辞めるかっていう辞め時を見計らうにあたり、契約期間が終わったところで、おさらばだぜ、と思ったのはギャラの問題とかだけでなく、会社の体制、映像制作、取材や編集に対する断固とした表現の自由、言論の自由を死守することなく、まるでとかげの尻尾みたいにスタッフを切り捨てる組織なんだってわかったからだけどね。寝不足が辛かった、というのは1年目だけで、まぁ、そういうどん底があったからこそ、その後、どれほどのピンチがあったとしても、「あの会社での地獄の時代を思い返せば、今のこんな苦境、屁でもないぜ」と思えるようになっているわけで、その点では感謝せねばなるまい。

ま、そんなこんなで、私は3日間徹夜しても、その後の30時間睡眠確保ができるなら平気、という体になりました。命削ってでもやりたい仕事って、たまーにならあるのよ、っていうか、そういう命懸けなしゃかりき仕事がやりたくなるっていうか、自分の肉体と知力と気力と頭脳の限界にチャレンジしたくなるんですね。

特に夏は。

だから、夏は寝ないでいい体になれれば、ありがたいです。
夏は日照時間がやたらと長いモンゴルですから、働こうと思えば、かなり長時間働けます。

もともと、脂肪というたくわえがたんまりあるので、食べなくてもいいけど、美味しいものを食べる時間は大事にしたいので、睡眠時間を削りたいですもん。

逆に、冬は冬眠するがごとく惰眠をむさぼりたいです。食べなくてもいいから、ぐーたら、ぐーたら、すやすや、ぴーぴーと布団のぬくもりに包まって1日を過ごしたい。
家族があきれるくらい、休暇の最初の2-3日は、私、ごろごろと、ほんとによく眠ります。
自分でも、きっと前世はクマだったに違いないって思っちゃうくらい、よく眠れるのです。
クマって、リスとかヤマネみたいに体温を極度に下げて、完全に眠ってしまうのではなく、冬眠といっても、うつらうつらと寝ているんだそうです。巣穴の中で冬眠しながら、出産して子育てまでしちゃうんだから、すごいです。
だから、冬はクマみたいに巣穴にこもって、うつらうつらとしていられる体になりたいのです。
体力が衰えてでも、眠って、たっぷり夢を見ていたい。。。

都合よすぎるかもしれないけれど、夏の明るい時間は、やっぱりアクティブに活動していたい。せっかく明るいのに寝てるのもったいない!冬は寒くて暗くて、うつうつしがちだから、ぬくぬく布団の中で眠り続けていたいです。

結構、最近、そういう生活なんですけどね。

7月からは、かなり、しゃかりきコロンブスな生活が始まります。
短い夏のかきいれ時、今までの充電期間のフル充電を使いきるまで、がんばるぞ!っと

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友達が1カ月居候させてくれと言ってきたら家賃とる? ブログネタ:友達が1カ月居候させてくれと言ってきたら家賃とる? 参加中
友達が1ヶ月居候させてくれって言ってきたら、家賃とる?というブログネタですが、、、突如として、田舎から出てきたモンゴル人とか、なんかひょんなことでできた知り合いが転がり込んでくる、というのが我が家です。モンゴルではよくあること、、、なんだろうか?

モンゴル在住の日本人は随分増えてきておりますが、いかがですか・・・?

私、一応、独り暮らし(+ハンサムなシェパードの男の子)なんですけれど、純粋に独りっきりで暮らせてることって、あんまり・・・ない。

アメブロ始めてからの過去日記でもそうだけど、誰かしら、同居人がいたりする。

以前、お世話になった(といっても、その人の親戚の親戚がドライバーだった、くらいのかなり遠い人もいる)人の娘とか息子とかや、田舎で偶然、ゲルで出会って言葉を二言三言交わした、くらいの遊牧民が、突如、「今、ウランバートルなのー」と電話してくるのですよ。

そして、「しばらく、泊めてねー」といわれ、、、それからが、長い!
最長期間は、2年弱。家賃取れず。。。

言い出せず。。。

でも、ま、いっか、なんて。。。なし崩し。

旅行者さんのゲストハウス的でイケメン薬剤師と同居生活1ヶ月余り、なーんも色っぽい話はないまま、エロトークに話炸裂ってなこともありました。

卒論研究調査旅行できた坊やも、ウランバートルではうちに泊まってました。

女の子も男の子も、おじいちゃんもおばあちゃんも同年代も子供みたいな人も、結構、我が家に転がり込んできます。

小さい頃から、他人とまでは言わないけれど、子供としてはちょっとした「およそ」に預けられて、親兄弟以外の人と暮らすということがわりと日常茶飯事だった私にとっては、居候がいる状態ってそれほどストレスになりません。

独り暮らしの自由気ままさもいいけれど、他人との共同生活っていうのも楽しいもんです。
適当に距離をおくっていう距離間というか空間制御の技があれば、にぎやかだし、なんとなく規則正しくっていうか、朗らかに暮らせます。

それに、モンゴルって突然、赤の他人がやってきて、いきなり「泊めてくれ」っていっても、断るってことはないような気がする。少なくとも私は、遊牧民の生活をフィールドワークするときに、突撃隊のように訪れて、居候交渉しても、特にお金をとるともとらないとも、なんの条件も提示されないままに、いついちゃってたこと、たくさんあります。

まぁ、自分+家族4人分くらいの自分が滞在予定日数分の小麦粉や米とか地方ではなかなか手に入らないけれど便利なサラダオイルとか白砂糖とかピクルスやハム、サラミソーセージとか桃缶(これは個人的に大好きなのだ)などをどっさり持ち込んでいるわけですが。

でも、それにしたって、我が家は2LDKですが、遊牧民宅というのは、ゲルでつまりはワンルームなんだから、赤の他人が普段の生活に入り込んでくるって相当なことじゃない?って思ったりもします。
学生の時は、「そんなもんかなぁ」なんてちゃっかり思ってたけれど、今、旅行業を営んで、ホームステイプログラムなどを組もうとしたときには、やっぱりいろいろ、気を使っちゃうわけですね。

現金でっていうのが一番明朗会計だとは思うんだけど、フィールドワークのような場合に、まぁ、これは調査する側の言い訳というか言い分でしかないんだけれど、なかなか「プライスレス」なものに「値段」をつけることによって、それが「相場」というか「前例」になっちゃうことで、その後のフィールドワーカーに影響が出ちゃうといやだなぁ、とかいろんなことを考えちゃうんですね。

でも、モンゴルでは「タダより高いものはない」・・・ってか、お金ではない「お返し」がいろいろあるわけですね。

例えば、フィールドワーク中のほんの一瞬の、一杯のスーテイツァイを飲んだばっかりに、その家の遊牧民の子供が上京してきたときの入学手続きの手伝いでまるまる1週間を費やすハメになる、とか、下宿屋のおばちゃんにならねばならない、とか、大学との学費滞納に対する処分への恩情交渉の矢面に立つとか、、、そういうこともあるのです。

まったくもって、モンゴルの人間関係というのは、あっさりしているくせに、妙に、濃厚です。

1泊いくら、で宿泊費、滞在費を払ってのホームステイだっていっても、それだけで終わらないで、ほんとの家族同様に扱ってもらえると同時に、こちらもまた、相手を自分の「家族」として、何かの折に面倒をみることが当然、と期待されてしまう、わけです。

つまりは、自分の器が試されるんだなぁ、って。まさに、モンゴルは人生道場なのです。

でも、いろんなことで転がり込んできた人たちは、また突如として、ご本人の事情で、風のように去っていく。それもまた、とてもあっさりとしていて、面白いです。

喧嘩別れに近い状態になってたはずなのに、何年か経ってしまうと、ケロリと忘れたかのように、またひょっこりやってきたり、転がり込んでくるのです。面白いなぁ、モンゴル人って。

大学の卒業式に着ていく衣装代にカンパしてあげたり、学費の用立てをしてあげたりすることもあったり、上京してきて、久しぶりの昔馴染みとお酒飲んでて、突如、肝静脈破裂だかなんだかでの緊急手術になった人の手術代を用立てることになったりもする。

居候っていうだけでなく、なんだか色々と、ほんとにいろんな人の重要な場面に、自分が若かりし頃に結ばれたご縁がむっくりとよみがえり、なんだか、人生の厚みをつけてくれるのです。

そんなこんななわけで、自分の友達が1ヶ月居候させてくれって言ってきたら、家賃なんかいらんから、ま、仲良く、いい塩梅で折り合っていきましょうってウェルカムなのです。

大きな、最近、いっちょまえにやきもちを焼くワンコがいたり、いろいろな遊牧民などが出入りしていたりすることもありまして、まぁ、ガラクタいっぱいの我が家ではございますが、物置と化している二段ベッドが2つもあるし、トイレもふたつあるから、共同生活自体はそれほど問題ありませぬ。

定収入ゲットっていう意味では、下宿人をおいて家賃とるっていうのも「手」かな、って思うこともあります。

モンゴルでは、居候的な間借りをすることを「ハジョーウルー Хажуу өрөө хөлслөх」って言います。
大学の新学期が始まる頃になると、アパートの入口にぺたぺたといろんな条件を出した、間借り人募集とか、間借りさせてくださいという依頼広告が張り出されます。

新築アパートがまた次々と入居できるようになってきている、とはいえ、大体が高級アパートで庶民には手が出せない物件。
それにウランバートル市では、まだまだ6割近くの人がゲル地区と呼ばれる、上下水道はまだ完備されてないところに住んでいるのです。

まったくの赤の他人同士が、「ハジョーウルー」で同居する、ということのトラブルは、モンゴル人同士でもいろいろあるみたいです。中には、「異性交遊が前提?」と憶測されるような条件広告もあります。「22歳女性。容姿端麗。168cm、体重53kg。25歳ー35歳くらいの経済的余裕のある男性で、同居させてくれる人を探しています。」みたいな。

不動産売買とか賃貸住宅や賃貸店舗、求人広告にまじってある、「同居人募集」のコーナーや「出会い系」コーナーはモンゴルでも文言がなかなか簡潔にして面白く、想像を膨らませてくれます。

大体、モンゴルで日本人がモンゴル人家庭にホームステイ的な居候をすることになった場合、ウランバートルだと相場は、大体200ドル-300ドルぐらいみたいです。一応、一部屋あけてくれて、朝食とか夕食とかは一緒にとるっていう感じ。たまーに家族旅行やゾスランと呼ばれる夏の別荘なんかに連れて行ってもらったりと、モンゴル人っぽい暮らしを体験したい人にはお勧め、かな。

遊牧民宅にホームステイ、あるいは、車の故障や行程の状況次第で遊牧民の家に泊めてもらうことになった場合などは、大体、1人あたり、5-10ドル(8,000-15,000トゥグルグ)くらいを目安にお礼をすれば、お互い気持ちよくすごせる相場だと思います。

これは、私が関わらせていただいているコミュニティベースのエコツーリズム推進プロジェクトで、ドイツ政府のGTZ、アメリカのUSAID、国連のUNDPなどのそれぞれのゲルステイプログラムで、地元の人たちが「納得できて、旅行者にとってもリーズナブルであろう」という協議を何度かして、5年ほどモニター調査をして出した金額です。

乗馬をさせてもらったり、ゲルを旅行者用に貸切にしてもらったりした場合は、15ドル(20,000tg)から30ドルくらい出せば、遊牧民にとっても、とっても励みになるし、また彼らの経済的自立や伝統的な遊牧生活を維持するための基盤作りに役立てることができます。

最近は、モンゴルもインフレが結構進んでいて、ガソリンの相場変動やら、世界情勢に対しての便乗値上げやらで、誰もが現金を必要としています。お金だけではかりきれない、いろんなものがモンゴルにはあり、逆に、お金を払わないっていう選択、判断によって、その後に背負う責任とか義務とかプライスレスで無限大に広がる負担もあるっていうこともあります。

日本人的な経済観念やお金の運用、やりとりだけでおさまりきらないモンゴル人の処世術。
拝金主義なんだか、「世の中、金だけじゃない」っていう美徳のような概念が生きてるんだか、未だによくわかりません。

出せるものがあるのに出さないっていうのは、「けちんぼ」として、モンゴルでは嫌われます。

日本人的感覚からいうと、「どんだけずうずうしいんだ」とか「赤の他人に平気でお金を無心できるのかわからん」っていうところたくさんありますが、「あるところからもらう」というのは、モンゴル人にとっては当たり前のことであり、大金で返せるアテがなければないほどに、なるべく関係性が浅いところから、ガッツリ「借りて」、ずるずると返済を言い訳しながら、引き延ばしつつ、フェードアウトというやり方をとっている気がします。それもまた処世術なんだろうなぁ。

要はどんだけ相手を信用してますか、ってことなんだけど、自分が後々、例えば、半年後とか1年後くらいに、「この金が返ってこなかったら、自分は後でかなり苦労する可能性がある」と予感した時は、どれほど懇願されようが、どれほど親しくなって、どれほど「いい人」だったり「苦労人」で「応援してあげたい」と思ったとしても、お金はきっぱりと貸さないっていうのもまた、処世術だと思います。

ひとたび、その人を信用してお金を用立ててあげたなら、そのお金がたとえ、半永久的に返ってこなかったとしても、返済をせかしたりしないこと。それが波風立てないコツ、、、みたいですよ。

だから、「今しばらく、落ち着き先が決まるまで、おいてくださいませ」って誰かが転がり込んできて、家賃どころか食費も生活費もぜーんぜん支払うそぶりを見せず、勝手に冷蔵庫をカラにしてたり、日本から持ってきた「TSUBAKI」シャンプーをなみなみと使って水で薄めてたりっていう暴挙に出てたとしても、寛容に受け入れてあげるか、二度とその人およびその周辺の人脈が断ち切れてもかまわぬ、という覚悟できっぱりと拒否、あるいは、マイルール適用を宣言するかしないといけません。

知り合いって、モンゴルではほんと、重いです。

気軽に、友達、とか、「アハ」だの「エグチ」だのって「家族同然」の人ができたって喜んでいられるのは旅行者のうちで、長期滞在者として腰をすえてモンゴルと付き合うことになったときは、ほんと、覚悟を決めて、あらゆるものを飲み込めるように自分という人間の器をでかく、膨らませていかねばなりません。

まぁ、ほんと、他人の人生を背負わねばならぬのか、くらい暗澹な気持ちになりそうになったこともあったのですが、モンゴル人って自己中心的で、あらゆることに対して自己肯定、自分大好き、ポジティブシンキングな人たちだから、相手のそういう部分もまた、あっさり受け入れて、あっさりとした解決策をとってくれちゃう場合もあるから、ほんと不思議な人たちです。

1ヶ月の居候、、、自分はまぁ、OKだけど、例えば、自分が1ヶ月、家賃払わずに居候することになったら、、、って考えてみました。
血の繋がった両親が暮らす実家に、一時帰国で身を寄せるだけでも、結構、肩身が狭い思いをするのだから、友達だったら、やっぱり、何かしらの家事労働的貢献とか、米・しょうゆ・味噌的な消耗品負担なりをせねばなるまいって思います。友達同士で、家賃の話って、結構、言い出しづらいとは思うけれど、逆に、幾らってお互い、先に取り決められれば一番気楽だなって思っちゃいます。

日本人的発想かもしれないけれど、家賃をとるかとらないかっていう家主側の気持ちよりも、居候する側から考えたら、できるだけリーズナブルに、普通の家賃相場の7割ぐらいの額を提示してもらえれば、一番、気持ちスッキリ、安心して共同生活できる気がします。

賃貸物件に転がり込むなら、半々の家賃と水道光熱費および食材費折半とかね。

共同生活は、なんだかんだいって、合宿みたいで、私は好きです。
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遠距離恋愛と同棲、どっちに憧れる? ブログネタ:遠距離恋愛と同棲、どっちに憧れる? 参加中
あんまり遠距離過ぎると、いくら言葉で、「好き」だの「愛してる」だの言ってても、だんだん、それがただのレトリックで、言葉上での恋愛になってきちゃう。言葉では、「相手のことを信じてる」って言ってても、だんだん、その人が、「いなくても大丈夫な自分」っていうのが、むしろ「相手、いないほうが気楽」っていう自分に変わっていって、次第に、近場で「居心地のいい相手」が見つかっちゃったり。
とはいえ、居心地がいいっていうだけで、恋人の代わりになんかならないんだけどね。

心で通じてるっていったところで、やっぱり、ちょくちょく気軽に会える距離感にいる相手のほうが、だんだん気楽で「あ・うん」の呼吸で気持ちが共有できるようになってきちゃったりするんだなぁ。

でも、遠くにいるほうが、自分のアラが目立たないし、たまーに逢うっていう、束の間の逢瀬だったら、自分のいいところ全開で、悪いところやわがままな部分は封じ込めて、相手の気持ちがハッピーになれることだけしてあげたい、みたいな「いい子」でいられるかも。

同棲って最初のうちは、「好きな人と一緒にいられる幸せ」とか「尽くす生きがい」みたいな、「新婚気分」を楽しめるのかもしれないけれど、じきに、「なんで、あたしばっかり家事やってるのかなぁ?」とか生活コストの負担配分とか、いろんなことでもめそう。気詰まりだったりもするだろうし。

基本的に、独りでいることが苦痛にならないタイプなので、同棲っていう形で、相手がくっついてくると、整理整頓が苦手だったり、超手抜き家事の日常の私は、行き詰ってくるのです。せっかく一緒に暮らしているのに、相手と一緒にいる時間を大切にできなくなったり、仕事優先で相手をないがしろにしてしまうのも、厭だって思うけど、そんなこといってると、おまんまの食い上げだしね。

相手を思いやり、温かい、ほんわかとした愛情を常に降り注げる距離感、が望ましいです。

週末婚とか、通い婚、みたいなの、いいなあ。

平安時代みたいに、「待つ身」は辛いかもしれないけれど、あんまりしばられない男女関係が、適度な緊張感と盛り上がった恋愛感情をキープできる良好な関係かも?

あまり、男女交際を形にとらわれてこだわりたいと思ってないので、そのとき、その場で、お互いが一番居心地よく思える距離感で暮らしていけたら理想です。

たまにだったら、好きな人のパンツぐらいは洗濯してもいい気がするが、毎日だとやっぱ、めんどくさい。
といっても、洗濯モノがたまっていくのも不快だしなぁ。

遠距離恋愛の方が盛り上がれる相手、というのは、往々にして、言葉をたくみに操れる人、である気がします。相手の気持ちを汲み取って、相手が欲しい言葉でコミュニケーションが取れる人。

同棲に向いているのは、独り暮らしもちゃんとできて、自分のことは自分でして、家事を女に押し付けたりせず、できることは自分もする、っていう人かな。お金のけじめとか、どこかで他人同士の共同生活の境界線を不愉快にならずにお互いが暗黙の了解で、気持ちよく引ける人かな。(イメージ)

自分は、、、というと、やっぱ、独り暮らしが向いている気がする。

もうパラサイトなんていってる場合じゃない濡れ落ち葉の領域に入りつつあるので、あんまり根っこがない関係をぐしゃぐしゃ、いい加減に築くのは不適当な気もしています。

かといって、結婚焦る気にもなれないし。

私みたいなタイプ、モンゴルでは、かなりの変わり者とみなされます。とほほ、です。
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