自分の会社でもそろそろ旅行の手配ができますよー、ということをアピールしたほうがいいよなー、と思いつつ、なんとなく出遅れている今日この頃。

ってか、もう6月、目の前です。

モンゴル国内のフライトスケジュールも一応、夏からの分、出揃ったみたいなので、少しずつ、情報をまとめて、旅のお手伝いに対応していくようにしようかな。

夏の一時帰国!と思っていたのが、諸々の事情で、どうも9月になっちゃいそうだし。

てなわけで、最近は、モンゴル現地オペレーターが行っている日本語観光ガイドを目指すモンゴル人向けのガイド講座の非常勤講師の仕事がポツポツです。

自分も日本センターの観光日本語ガイドの実践講座の講師の延長上で修了生の実習の手伝いとかもやることになってるんですけれどね。

旅行者とガイドのたまごを結びつけて、実践していくっていうのも、自分が一緒にいければ面白いかなって思ったり。

ようやくアイディア出てくるようになってきました。

気持ちが乗らないと、仕事、仕事といいながらも、なんとなく憂鬱、億劫で会社の経営にも身が入らないのです。

旅ってつくづく、メンタルな行動なんだなって思いました。

国内のあっちこっちに行きたいっていう人や、SNSの掲示板などでモンゴルの辺境地に行きたいっていう人も多いんだなぁと思いつつ、なんか、初歩の初歩みたいなことでの問い合わせがあることに、日本の旅行会社に先に相談すればいいのに・・・と思ったり。

又聞き情報や、数年前はこうでした、とかモンゴル人の友人を頼れば、、、みたいなことで情報が飛び交っているのを眺めていると、ほんと、モンゴルの旅行情報ってモンゴル国内、モンゴル旅行業界ではあふれていても、意外と日本には浸透しとらんのだなぁ、と。

正確でない情報で、手探りしながら四苦八苦しつつ、旅をするっていうのも面白いって思うんですけどね。
予定を決めずにわらしべ長者っていうか、知り合いの知り合いの知り合いの、、、って口コミや行き当たりバッタリで人の厚意のバトンリレーで旅を続けるとか、モンゴルだったら言葉ができなくても結構、アリかも?なんて、旅行会社経営してる癖に、スリリングで不確定要素だらけの旅の面白さがモンゴルの本質かもねー、なんて思ってたりします。

そして、タダでインターネットの掲示板などで得られる情報っていうのは、やっぱり確実性というか、信頼性や実現性にかけるものも多いし、「あなたはそれで大丈夫だったかもしれんけど」とか「自分の人脈ネットが一番ってホントにいえる?」とか意地悪なこと、ちょっと感じてしまうこともあるのです。

モンゴルの法律ってアナだらけのようで、意外ときっちりというか、締め付けすぎじゃね?って思うところもあったりね。
自分はこれでやれました、っていっても、実は違法行為だったり、たまたま運がよくて無事だっただけじゃん、ってこともあるから、難しいですよね、ネットでながれてる情報って。

何がいいたいのか、わからなくなってきたのですが、、、ま、モンゴルの旅行における現地オペレーターの役割ってなんだろうな、ってことで考え込んじゃってるってことなのです。

旅行業をやってるわけでもないけれど、ある意味、モンゴルらしい旅行ってことなら、むしろ、モンゴル通いなれてるっていういわゆる「モンゴル大好き」とか2-3年とか5-6回くらいモンゴル通ってました、くらいの人の「モンゴル事情に詳しい」人の情報程度で出来ちゃうってことなのか?とか。

じゃ、プロで旅行業やってる意味ないじゃーん、とか。

そして、モンゴルの観光業自体がすごく大げさになってて、コスト高になりがちであることも否めず、それは、情報とか手配のテクニックや確実性にきちんと価値を見出してお金を出す欧米系のお客さん相手なら、リーズナブルだけど、「安さ」とか「だってアジアでしょ!」という日本市場向けには、なかなか食い込みづらい「プライドの高さ」とか「コスト計算」がモンゴル現地オペレーターにはあるってところもね。

ゲストハウスの手配も貧乏旅行のツボを心得た裏技蓄積ってところもあるしねー。

観光情報、観光ガイドで、ちゃんと価値を見出してもらえるやり方を、きちんと確立しないと、押し付けがましいパックツアーとか、マニュアルで対応できちゃう旅行だけがモンゴル旅行ってなるか、あるいは、手探りのアドベンチャーや、素人の日本語ができるだけっていうモンゴル人でも案内できちゃうチョロイ小遣い稼ぎにとどまり、ちっとも欧米市場並のガイドのレベルアップをはかることもできないなぁ。。。

今年は結構、勉強熱心で、実践派の教え子が多かったせいか、そういう「学び」や「気づき」を本気で求めることも旅には必要ではないか、とか考えちゃったり。

レベルと思想が連動しづらいところもありますが、日本語ガイドのポテンシャルは、今の日本向けのモンゴル旅行よりもずっと高く、深いところにあるって、今年はちょっと感じました。

感じるって大事だし、好奇心をおっかける、追求するって大事なこと。
旅ってなんだろうって、ただ案内すればいい、知ってることを日本語で説明するだけでいいなんて、マニュアルを覚えるのではなく、もっともっと、本来のモンゴル人の原点、みたいな感覚を研ぎ澄ましながら、観光業に携わる人が増えてもいい時期になってきてるっていうこと。

いろんな旅行会社で講師をやりながら、それぞれの旅行会社の心意気に刺激を受けつつ、自分もがんばらねば、って気になれたのは、今週の収穫です。
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日曜日の「ノーカーデー」の中止、「母子の日」のイベント中止など、ウランバートルっ子にとってはがっかりなニュースが続きましたが、どうも、インフルエンザに加え、一度はやりだすと、爆発的な大流行になりがちな「手足口病」が発症しちゃってることが原因のようです。

「ノーカーデー」はメインストリートのエンフタイワン通りが歩行者天国状態になり、約1-10万人近くの人通りが見込まれるため、やはり人ごみで感染力の強い、「手足口病」のウィルスが蔓延すると困る、というのが保健省の判断だったようです。

手足口病自体の致死率はそれほど高くないし、日本の幼稚園や保育園でも割とポピュラーな伝染病。

あまり神経質になる必要はないとは思いますが、手洗い、ウガイと消毒殺菌能力のあるウェットティッシュなどを持ち歩く必要はあるのかもしれないなぁ。

マスクもあるといいかもしれませんね。

ともかく、いまだ寒いけれど、天気予報によると明日の日中は20℃超になるそうです。
予想最低気温は+2℃だから、暖かくなります、とはいえないけれど。

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お世辞言える? ブログネタ:お世辞言える? 参加中
お世辞っていうと、なんか社交辞令ってイメージがあります。

私は子供の頃から「お世辞が上手だねぇ」と言われてきましたが、正直、心にも無いお世辞って言ったことはない。
嘘をついたことはない、といったら、それこそ嘘になるけれど、心にもないお世辞は言ったこと無いです。

人には何かしら良いところが、必ずあるものだし、視点をちょっとずらすだけで、私にとっては、とても好ましいものが必ず見つかるのです。

この視点をずらすってところがポイントで、他人が気づかない価値観をぽこんと簡単な、あるいは人の耳に心地よい言葉で表現するっていうのは、自分では、なかなか便利な才能である、とひそかに思っています。

おもねったり、へつらったりってホント、苦手なのです。
地位が高いとか有名とか、金持ちとか、成功者とか、世の中にはたくさんの他人にうらやましがられる人もいれば、なんだかどん底でひねてる人っていうのもたくさんいます。

そういういろんな人たち皆にいい顔なんかしてられません。

特に庶民派のわたくしが、成功者の皆様の成功している部分に対して褒め称えたりしたところで、羨望や妬みと誤解されたり、嫌味と捉えられたりしないとも限らない。
というのも、実は、お金持ちとか地位が高いとか成功している等々、世間の人々がお世辞を言いたくなるような人の、お世辞の対象になるような部分って、私、全然興味がないというか、むしろ、けっ、とか、プッとか思っちゃうへそ曲がりだからです。

お世辞は言うのも言われるのも大嫌い。
社交的にならねば、とか誰とでも仲良くならねば、っていう気持ちが、いやらしい形でにじみ出るのが「お世辞」の下品さだと思うのです。

だから、数年前、弟嫁が我が家に挨拶にきた初対面の時に、同い年の癖に「私なんかと違って、“お姉さま"は学歴も高くて、お仕事も活躍なさってて・・・」みたいなお世辞を始めたとき、速攻、「この人とは生き方が全然違うなぁ。あわないから、付き合わないようにするのが賢明だ」と思いました。

結婚前で、同い年の行かず後家の負け犬に会うというのは、大変気が重かったことであろう。


再就職で執念のスッチーになり、30直前で結婚。。。
この30手前で何が何でも結婚、とがっついていたところもムカついていたのでした。
勝ち組に滑り込みセーフできた女が心の中で勝ち誇りつつ、負け犬を見下すときの心理を見た気がした。
ばぁか・・・。

気難しい小姑なわけですね。ワタクシ。

まったくもって、お世辞上手な空飛ぶホステスであった、何事にもそつない、社交的な弟嫁がわが一族にするりと入ったことで、お世辞べたで世渡り下手な、負け犬の私ははじき出され、流れ流れてモンゴルに住み着いている、といっても実は過言ではなかったりする。

別に弟家族との付き合いが嫌で、モンゴルで起業したってわけではないけれど、ともかく、家族と疎遠になってしまった直接の原因が、弟嫁の「お世辞」の下卑たオーラに吐き気を催し、私の中のネジのどこかが飛んじゃったことにあることは間違いないのです。

今となってみれば、彼女のそういう態度も、「さもありなん」という気もするんだろうけれど、私、学歴なんかがほしくて大学院に進学したわけじゃないし、仕事もキャリアを積みたいっていうよりは、好きなこと、興味のあることをおっかけているうちに、進学したり、仕事に繋がったりしたので、そこを、「勝ち組」の誇らしさを押し隠し、あえて、自分を卑下し、初対面の私を褒めて、へつらおうとした、、、社交術としては間違ってなかったのだろうけれど、私もとんがってたからね。。。ごめんね。
悪いとは思わないけれど、私たち、ほんと、相性最悪なのよ。あなたのオーラ、大嫌いなのよ。
自分がこれほどまでに「お世辞」に拒否反応を示すとは思ってなかったんだけど、心の中、透けて見えて、ほんと気持ち悪かったです。

世の中には、お世辞でもなんでも褒めておけっていう人もいるんだろうし、だからこそ、日本人はちょっと褒めると「お世辞いっちゃって」とか言うんだろうなって思います。

でも、本心から言っている言葉とお世辞の区別ぐらい、ちゃんと感じとってほしいものです。

私は、心にも思わないことを褒めるほど、他人を馬鹿にしたいやらしい行為はないって思うし、それが社交術なら、私は世渡り下手のまんまで結構、そういう厭らしさを心にへばりつけたまま出世したいとか、いい仕事をゲットしたい、とか儲けたいって思わないもん。

だから、私が何かを褒め称えているときは、素直に喜んでいただけると嬉しいです。
だって、ほんとに好きで、すごいなーって時にしか、褒め言葉なんて、使えないから。

私ももうちょっと素直に寛大になれば、お世辞もかるく受け流せるようになるのかな?

多分、弟嫁と会うときは、弟か両親の葬式以外はないと思うから、ま、どっちでもいいんだけど。

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