January 15, 2006 06:33:53

メトロポリス

テーマ:La Vie de Ami

                 子供が子供の頃。つまり僕が幼い頃。


         夢の一つに、『世界中の人々と友達になりたい』と言う想いがあった。

   それは今思い返せば、昔TVで観た『すばらしい世界旅行 』と言う旅番組の影響だろうか・・・


        それから今現在に至り、僕の夢は様々な文化が交じり合った国際都市。


                移民の街パリで幸い叶える事が出来た!!


       話は変わるが、メキシコの友人がパリに遊びに来たので久々に再開した。


               名前はJerome et alma(ジェーロームとアルマ)

                   


    二人とは、去年の6月に日本へ一時帰国した時、スイスエアーの機内の中で出会った。


 その時の詳細は、2005年6月2日 の記事に書いてありますので、興味ある方は覗いてみてください。


 今回、二人がフランスに来た経緯は、アルマがアフリカの有名なコンテンポラリー・ダンスの舞踏家の元で


       約二週間、スタージュ(研修生)を過ごした帰りに、フランスに寄ったとの事だ。


          ジェーロームの方はミュージシャンで主にギターを得意としている。


  そして最近は、日本に感化されたのかメキシコの日本語学校に通い、日本語の勉強をしている。


        二人共、日本への想いが強く、何時か住んでみたいという夢を持っている。


               


上の画像は日本人風におどけてピースサインを決めている。ジェロームとアルマにカルロス(一番左側)。


         そして、同居人でmon frere de franceのマニュ(右から三番目)


   メキシカンな彼らはいつも笑顔を絶やさず、Latina(ラティナ)特有の陽気さを振りまき


        見ているだけでとても微笑ましい。そんな二人からプレゼントを貰った。

               


         僕が頂いたのは、メキシカンデザインでコットン100%のボーダーシャツ。


あと、前回二人は日本滞在中、僕の友人のH君の家にお世話になったので、彼にはメキシカン風のベルト。


          本当にありがたいことだ。そんな二人も昨日無事にメキシコへ帰国。

              Muchas gracias, Adios amigo Hasta luego !!

        パリに住んでいると、日本にいる以上に様々な国の人々と出会う確率が高い。


                 (ニューヨーク・ロンドンも同じだろうが・・・)


               そして、約3年のパリ滞在で様々な国の人と出会う。

  フランス・ドイツ・メキシコ・セルビア、モンテネグロ・スリランカ・カメルーン・イラン・ベトナム・イスラエル


                            ets ・・・

         幼心に抱いていた夢を実現出来た街。それがパリを愛する理由の一つ。

     そして、世界中のまだ見ぬ友よ、君たちに何時か会えることを僕は心から願いたい!!

                                                           Monde

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December 01, 2005 06:23:45

素晴らしき日々

テーマ:La Vie de Ami

            昨日、僕の働いているパン屋に、或る女性 が訪問した。


  彼女は僕がBlogを始めた頃からの読者。楽しんでくれたようだ。また、いつでも遊びに来て下さい!!

              Blogを通して人と出会うのは、今回で二回目。


           こうしてお互いの存在が確認された。彼女も安心しただろう。


 何しろ存在してるか判らぬ人間と、インターネットを通してコミュニケーションを取っていたのだから・・・


          だが、僕は何故か、初対面って言うような緊張感は不思議と抱かなかった。

         多分、Blogの文章を通してお互い姿無くとも、多少知っていたからだろうか?!

それにしても、Blogが醸し出す僕のイメージとはどんなものだろう?そんな他愛の無い事を聞いてみた。

        すると、『想像どうり』と言う返事を頂いたが、どんなイメージだったのだろう?

               まあ、あまり深く追求するのも野暮だしね(苦笑)

     Blogでコミュニケーションを取る上で、理想は程々の方が良いのかも知れない。

           話は変わるが、日本人コミュニティーは勿論パリにもある。

 在仏日本人の正確な数字は、公表されていないので判らないが、かなりの日本人が滞在しているようだ。

      男女の割合だと『男4割強、約6割が女性。永住者に関しては75%強が女性』

            パリ2区のOPERAなどに行けば必ず日本人とすれ違うだろう。

           しかし、僕はパリ在住の日本人は片手で数えるぐらいしか知らない。

     学校にも行った事ないし、職場は外国人ばかり。そんな環境だからなおさら縁が無い。

       だが、実は正直に書くと、在仏日本人を意識的に避けているのかもしれない。

 それは何故かと言うと、4年前の6月。僕にとって初めてのアメリカ。ニューヨークのテロから1年後。

          その時期、アメリカ在住の友人宅に1ヶ月滞在したからかもしれない。


       ニューヨーク州ブルックリンのベッドフォードと言う街にあるCave というギャラリー。

友人のDちゃん はCaveの住み込画家で、華道家のMちゃんと僕(写真)の3人でグループ展に参加した。

    僕ら3人は日本に居た頃から、原宿の11号室を拠点に、芸術を通して苦楽を共にした仲だ。


何故か、あの頃の事を回想すると 『 Les Aventuriers ( 冒険者たち ) 』 という映画を想い出させる。


                 


               あの頃が懐かしい。そしてニューヨークでの日々は

全ての時間を作品製作に没頭。気の合う仲間と共にいる事。あの時は時間が止まって欲しいと思った。

        しかし、ニューヨークで体験したのは決して良い思い出だけじゃなかった。

          何処の国でもそうだが、日本人コミュニティーが必ずあると思う。

    僕はその時、初めて外国に住む日本人の環境を自分の目で見た。また、体験もした。

        それは日本人特有のドロドロとして、陰湿で、底なしの嫌悪を感じる環境。

                   少なくとも僕にはその様に映った。

      必ずと言っていいほど聞こえてくるのは、どうでもよい悩み事、他人を中傷する言葉。

当時、海外生活をしている人を羨ましく思っていた僕は、コミューンの暗黙なる醜い一面を知ってしまった。

     今でも覚えている。Dちゃんがぽろっと溢したこのコミューンへの遣る瀬無い言葉を・・・

        それ以来、どうも日本人コミュニティーから必然と距離を置く自分がいる。

      少数の付き合いならまだ良いかも知れないが、複数となるととても耐えられない。

 海外で暮らしているって優越感だけで表面には出さずも、内面は苦悩に満ちた人が多いいのは事実だ。


                また、僕もそう思われている一人かもしれない?!

            なんか、こんな事書くと海外生活に憧れている人を幻滅させ

               生意気に思われ、気に障る方もおられるだろうが。

        これは僕が実際に体験した海外生活の負の部分である事を理解して欲しい。


遠くから眺める景色や建物が立派に見えても、近くに寄れば建物の傷みや塵などが目立つようなもんだ。

   このニューヨークでの教訓が今現在、パリで生活している僕に影響を与えているのは確かである。


そして、Dちゃん。素晴らしき日々をありがとう。君にはまだ恩返し出来てないけど何時かお返ししたいよ・・・

 

                                                           Monde

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November 28, 2005 05:37:19

  Japon

テーマ:La Vie de Ami

最近、ルームシェアを共にしているManu ( マニュ 21歳 フランス人 )が日本の文化に興味を持ち出した。


                    不思議なものだ。今頃になって・・・


              以前の彼は、そこまで日本に興味を持っていなかった。


   唯一、興味を持っていたのは、彼の趣味である日本製のTVゲーム( PS2 )などだ(苦笑)

         今まで僕と一緒にパン屋の上に、住み込みで約二年共同生活をしてきたが


  日本語を教えてもすぐ忘れるし。日本食は口に合わないと言うし。所謂、典型的なフランス人だった。


   ( 典型的なフランス人とは、フランス文化が世界で一番優れていると言う文化優越主義者 )


                そんな彼が、何故日本に興味を持ち出したか?


                    答えは実に単純明快だった(笑)


             それは、Japon をフランス語のwebサイトで研究していたのだ。


    ( リンク先のフラッシュ映像を見てもらえれば、何故なのか解ってもらえると思います。)

             

      今回の出来事で、日本に興味を持つフランス人の切欠や心理が理解できた。


 本当に海外から日本を見ると、奇天烈で不思議な国。外国人がこの国に興味を持つのも頷ける話。


             彼らには未知の世界なのだ。そしてマニュにとっても・・・


                                                        Monde

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October 13, 2005 06:19:04

  モザイク

テーマ:La Vie de Ami

 L’ ART BRUT BISTRO(ラートブリュッ・ビストロ)


ココでは様々なドラマツルギーが溢れている。僕の行きつけのBrasserie( 居酒屋 )であり


フランス語の学び舎でもある。( 過去ログBarに灯が燈るころ参照 )


               週末になると、この小さな酒場は人々で溢れかえるのだ。


            今回は2部構成でこの酒場での出来事を書いて行きたいと思います。


 僕は主にスタンドで麦酒を立ち飲みし、隣で飲んでいる人達のフランス語を聞き耳しながら言葉を覚える。


      飲んでいる内に気が合ったら会話する。そして、ココで流れる音楽を楽しみに聴いている。


           

 写真左のメガネの男性はマルコ。僕の友人である。写真右のカウンターの女性はミッツゥ。サンパな娘だ。


      パトロンのミランは旧ユーゴスラビア出身( 現在はセルビア・モンテネグロ )のセルビア人。


        客層は様々だが、アジア人は殆ど見かけない。週末は東欧系の客が目立つかな?!


                 


   上の写真だと真ん中の男性がミランである。ここで少しユーゴスラビアの事を書きたいと思う。


何故パリに住んでいるのにユーゴスラビア?って読者の方は思われるだろうが


       これも数々の移民が住む街。パリと言うモザイクが魅せる破片の一部なのだ。


『7つの隣国、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字により構成される1つの国』


          そして、旧ユーゴスラビアの国民は、悲劇的な歴史を経験している。


 1990年初頭。東ヨーロッパは激動の時代だった。ソビエト解体と共にユーゴスラビアは内乱を起こした。


           主にセルビア人とクロアチア人の武力衝突は記憶に新しいだろう。


       昨日まで友人や隣人だった者同士が、国家の崩壊と共に憎しみ合い、殺戮し合う。


街や村は空爆や白兵戦で破壊された。戦争は瓦礫の残骸や十字架の墓標に憎悪と悲哀を残しただけだ。


       そう言う訳で、旧ユーゴスラビアの人々は戦争難民としてフランスに移民している。


      旧ユーゴスラビアを題材にした映画は結構あるが、取り合えず下の映画をお勧めする。


                        
          
            『パーフェクト・サークル』 『ノーマンズランド』 『アンダーグラウンド』

              映画を通してユーゴスラビアの歴史が垣間見れるだろう。

 ユーゴの有名人はパルチザンの英雄、チトー大統領。映画監督はエミール・クストリッア。後は忘れッァ。

          幸いユーゴスラビアの文化や映画に音楽の事を少しながら知っていたので

                  ミランやマルコに気に入ってもらっている。

             雑学とは何時どんな時に効力を発揮するか分からないものだ・・・

                     そして、ミランは呟くように言った。

   『 オレの国が戦争だった頃、日本人のボランティアは良くしてくれたよ。彼らはホントいい奴だった !! 』


     僕とミランはお互いの国に敬意を表しZivio (ジべリと読む?! 乾杯の事)と杯を交わし合った。


                                                           Monde

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July 06, 2005 08:18:19

『名無しの飲み屋』そして『薔薇刑』

テーマ:La Vie de Ami

 ヴォイッッス!!巴里野郎ことMondeです!!皆さん何の事だか分からないと思うので説明しますと、つまり身内話なのです。本当は「(仮)父母との再会」を書きたかったのですが、どうも東京在住の悪友共との個人的な体験が毎夜悪夢にうなされるので(笑)気持ちをすっきりする為に書きたいと思う次第です!!

僕は京王線の代田橋駅に住む友人で写真家のH君の家に約三週間お世話になっていました。(詳細を書くと彼とは写真の専門学校が同じで、鹿児島から出てきて東京で初めての親友です。)そして日本に着いた初日の夜にH君曰く「良い飲み屋を見つけたので行こう」と言うのです。そう言えば以前のBlog(タイトル:水無月の空)に書いたと思うのですが、メキシコ人のジェロームアルマも一緒でした。僕らは長旅の疲労を堪えながらその飲み屋へ行ったと思います。

その飲み屋は代田橋の駅前にありました。読者の為に説明すると代田橋の東口を出て、小さい商店街と言うか小道が左にあるのでそこを真っ直ぐ行くと、小さなホワイトボードに手書きで「巴里野郎」と書いてあったのです。外見は日本のカウンターがある侘しい小料理屋といった感じでした。親父さんも面白い人で、このお店に僕は来た事ないのに、「お待ちしておりました!!」と言うのです。さすがに僕も不意を衝かれました(笑)店の内装は英字や日本語の新聞紙や猥褻な写真をべたべた貼ってあるだけだし、さらに二階の座敷へ行くと夏だというのにコタツ布団が置いてあるのです。「何なんだ?この飲み屋は??」僕はこの店の凄く怪しいアンダーグランドな匂いが充満していたのでとても気に入りました。それにしてもジェロームアルマも日本に来て最初に来た飲み屋がこんな場所だとは・・・

それから店の親父に「なんで御店の名前が巴里野郎なの?」と聞きました。すると親父曰く「そこのHさんからの提案です。」と。その時、やっと訳が分かりました。つまり僕がフランスから日本へ一時帰国するので、Hの計らいで店の名前を「巴里野郎にしたのだそうです。そして本来、店には名前が無いのだそうです。なかなき粋な事をするではないですか!!その日の酒は長旅の影響もあり、直ぐ良い感じに酔い、そしてジェロームアルマもこの奇妙な飲み屋を気に入ってくれて、気が付いたら夜明け前・・・

そんな感じで僕も日本滞在中はいつの間にか「名無しの飲み屋」の常連になっていました。ある時は名前が「ともだちんこ」またある時は「馬鹿だろう?」それ以外にもココには書けないような名前になっていました(笑)ちなみにこの飲み屋の常連は年齢層も20代から70代まで幅が広く、今思い返せば知らない客同士、しかも訳ありの人が多く集まり、気が付けば一緒に飲んでいるような都会のオアシス的空間だと思うのでした。

 日本を発つ最後の夜。いつもの様にこの飲み屋で飲む事に、ドキュメンタリー作家のTにバイクマンのAそして写真家のHと僕の四人。僕は私用で遅れて行ったのですが、その時はみんなハイテンションですでに泡盛を飲んでいました。僕も遅れながらみんなに追いつくように飲む事に!!すると気が付くと何故か話題は女性の事に「今日はお店に女の子がいないから酒が詰んない」そんな声が飛び交いました。そこでバイクマンのAが「六本木に知り合いが経営しているキャバクラへ行こう」と言う事に。いつの間にか友人達は大人の遊びするようになり。(みんな歳を取ったんだな~)と思いながら、そして近くに住む我が恩人で画家のDちゃんと映画ライターのAちゃん(ちなみに女性)を呼び出し、我らの欲暴走は誰にも止められない!!

その日の午前十時にはフランスへ発つというのに、その時既に午前2時半を回っていたと思う!!そして文章がかなり長くなりそうなので大まかに書こうと思います。そこはダーツバー兼キャバクラであり、あまりキャバクラ経験の無い僕にとって、本来ならこのような場所は苦痛と感じるのに、何故か苦痛には感じなかった。それはその日この場所にいるメンツ(友人達)が、普段は絶対ありえない場所(キャバクラ)に集まっているというのが強いのかも知れない。H君も陽気になり何処で覚えたのか不思議なダンスをするし(笑)DちゃんとAちゃんも次の日は仕事だというのに付き合ってくれるし(彼は本来お酒が飲めない)そう言えばキャバクラの女の子達と何を話したか殆ど覚えていないが、友人達の行動や言動は鮮明に覚えている。

そんな感じで明け方まで我らは飲み明かし、みんなグロッキー状態に陥っていた。そして事態は突然引き金を引いた。H君が嘔吐しだしたので急遽車を止め、吐かせる事に。そんな事を2度ほど繰り返し、ついにH君は力尽き、歩道の淵にあるツツジの花壇に倒れこんだと言うか、イエス・キリスト十字架に貼り付けにされるようにH君ツツジに貼り付にされたのだ。僕らはその時の光景を「薔薇刑」と呼びあった。

          

       (薔薇刑(Ordalie par les Roses)とは三島由紀夫の写真集タイトル 撮影 細江英公)               

                

                我らは『酔いどれ船』に乗り  新大陸を目指し進むのだ

                    

                見つかる日を待ちわびながら 今日も明日も飲むだろう・・・

                                                             monde

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July 04, 2005 09:47:43

ぼっけもん

テーマ:La Vie de Ami

 僕の故郷は日本列島の最南端の鹿児島です。皆さんは鹿児島に対してどの様なイメージを持っているのでしょうか?芋焼酎サツマイモ西郷隆盛男尊女卑おいどん薩摩男児と言う言葉があるぐらいですから、かなり無骨で荒くれ者集団をイメージするのでしょうか(笑)その前に約五年ぶりに実家に帰って思った事は「人間も環境もそう簡単には本質的に変わらない」と言う事でした。何故そう思ったのか?訳は読んでいくうちに解ると思うのですが、取り合えず読んでみてください!!

それは六月の中旬で、梅雨が日本全土を汚染しようとする時期でした。鹿児島空港に午後3時頃に降り立ち、久々の鹿児島の第一印象は自分の故郷ながら「田舎だな~」と思いながら、懐かしさに包まれました。そして空港の外に出ると熱気が押し寄せるように体温を上昇させ、恥ずかしながら立眩みがしました。そして家族には迎えに来なくていいと言ったので、目的地の鹿児島市内まで何とか帰らなければなりません。そこで恒例のヒッチハイクをする事にしました。空港の出口でスタンバイして鹿児島に行く車を待つ事10分、直ぐに車が見つかりました。乗せてくれた運転手の鹿児島弁を聞きながら市内まで行く事に。(詳細を書くとかなり長い文章になるので省きます)そして車は市内に着いて、そのまま市電(ちんちん電車)で目的地のホテルへ行く事に。何故ホテル?と思われるかもしれませんが飛行機代往復¥25500に一泊だけホテルも含まれていたのです。安い!!皆さんも一度鹿児島の土地を踏んでみるのはいかが?

勿体無いので取り合えずホテルまで行き、チェックインしてシャワーを浴び、旅の疲れを一時的に癒しながら、中学校の悪友Yに電話してみました。そうすると直ぐ近くで働いていると言うので会う事に。この男とは昔から悪い事をしてきた仲間で、いわゆる悪友と言う奴です。待ち合わせ場所で、お互い顔を見た瞬間に笑いながら近寄り、僕の第一声は「また太ったな!!」でした。何故かと言うと久しぶりに会ったYは以前会った時よりまた太っていたのです。Yの言い分によると「これは肉体改造だ!!」と言い張ってましたが(笑)そんな彼も結婚して一児の父親に。本当に信じられないがこれが現実なのかと思い知らされました。そして幸せとはこの様な事なのかと感じながら・・・

こんな感じでYと久々に談笑しながら中学校の友人を呼び出しました。結構な人数が集まり急遽に同窓会を開く事に。その中には中学校の時に初めて付き合ったTもいました。今じゃ彼女も嫁いでいましたが!!10人ぐらい集まりましたが、その内6人は結婚して子供のいる家庭もあります。独身は僕+2人だけに歳を重ねるたびに、「田舎では肩身の狭い思いをするんだな」と人事のように思いながら、ここは鹿児島人同士しかも芋焼酎の本場なので、久々に芋焼酎を飲みました。鹿児島人はだいたい中学校ぐらいから「濁酒焼酎の定番白波」を度胸試しの為に飲んだりします。飲んで・吐いて・飲んで・吐いて、の繰り返しで、年頃になると一人前に焼酎を今思えば飲めるようになったのです。懐かしい味が口覆いました。そして方言に酔いしれながら、美味しい焼酎を嗜むことが出来ました。そう言えば日本では焼酎ブームとか聞きましたが、この土地では日常茶判事ですし。しかも焼酎が飲めないと、「ぼんくら」と言われます。標準語だと何でしょう?「ダメ人間」大阪弁は「へたれ」のようなものですか?そして東京都内より安い値段で良質の焼酎が飲めます。例えば「森伊蔵」「村尾」「魔王」など焼酎マニアには堪らないでしょう。

                                      

僕は昔から友人達に「ぼっけもん」と言われて来ました。彼らと時を越えた会話にノスタルジーを感じながら「ぼっけもん」と言われた事に嬉し恥ずかし朝帰りな気分でした(笑)そして友人達を見ても外見・思考には変化があっても、本質的なものは変わっていないと思います。多分友人達もそう感じ取っていると思う。しかし正直な話あの頃のイメージを壊さないように意識して作っているのでは?と言う自己欺瞞も過ぎりましたが。そんな疚しい思いは切り捨てて中学校の時に経験した「あの頃のあるがままの姿」に思えるように・・・

ぼっけもんの意味はココ!!          http://www.tfp.co.jp/fp_sense/085.html

鹿児島弁を知りたいならココ!!        http://www02.so-net.ne.jp/~chuzo/house/dic/dic.html

ここまで書いて気がついたのですが、肝心の「家族との再会」について書くのは文章もえらい長くなるので次回にしようと思います。そんな訳で久々の田舎の友人達との戯れでしたが、お互い生きてゆく道は違えども、また芋焼酎片手に再開できる日々を。BON SANTE!!                     Monde         

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May 14, 2005 08:43:00

アメリカの友人

テーマ:La Vie de Ami

 先週から今週に掛けて友人の友達が3人遊びに来てました。

しかし僕は人を案内するのは苦手なのです。何故かと言うとパリに住んでいても、趣味の範囲でしか行動しないから、とても案内なんて苦手なのだ。それと以前Blogにも書いたようにレストランなど殆ど行かないし。

僕に出来る事は精々パリの土地勘と交通手段に趣味の範囲ぐらいだろう・・・

 

第一エッフェル塔も登ったことが無いし。ノートル・ダム大聖堂に入ったのも、つい最近の事なのだ。

(Jen-PaurⅡが亡くなったとき)しかし3人とも初対面だが共通の友達がいるので、話には困らないと思いながらも不安交じりで承諾したのです。それにしてもパリに住んでると「友人の友人がパリに行くから案内お願い!」と言うパターンが多いのは僕だけだろうか?

 

彼ら彼女らはニューヨーク在住で今回が初めてのフランスだと言う事でした。アメリカ人のDと日本人の奥さんのKさん、そしてHさんの3人で会うことに。ポンピド-センター前に21:00に待ち合わせしたので行ってみると無事に出会う事が出来ました。アメリカ人のDは案の定アメリカンスマイルで微笑みかけてきました。

3人ともアート系の人なので、会話は弾みました。しかしDとの会話は英語しか話せないので辛かったです。普段英語なんて使わないから簡単な言葉も思い出すのにタイムラグがあり、伝わってるのかも曖昧でした。しかしアメリカ人にしてはかなりセンスの好い人で共通の話題も沢山あったので安心しました。そして「何処かセンスの好い飲める場所は無いか?」という話になり、いつも行くBarへ行きました。

 

3人ともBarを気に入ってくれたので僕も緊張から解放され、4人で杯を交わしました。そしてニューヨークパリの違いを話し合いました。二国とも自由がスローガンの国ですがFREEDOMLIBERTEを話し合った結果、Kさん曰く「ニューヨーカーは全てが競争社会で他人を蹴落としてでも成り上がる人が多く、常に気を張って生きているので疲れている人々が多いい」と。なんか日本に似ている感じがするのは僕だけか?

そしてニューヨーカーのD曰く「9・11以降、市民の間にはテロの恐怖がまだ意識の深いところにあり、常に何にでも警戒してしまう」とDは麦酒を飲み干しながら言った。僕はDの発言にはとても興味がありました。

 

そう考えるとパリジャンはどうだろうか?僕が思うにフランスは競争社会というより階級社会なのじゃないかと思い、パリの人々を見てみると他人に警戒なんて無縁で(勿論防犯セキュリテ-は別ですが)、様は興味あるか、無いかで実に解りやすいラテン民族の行動様式だと思いながら、気が付いたら4杯目の葡萄酒をシェフに注文していました。 *これはあくまで僕、個人の意見です。

 

笑顔一つでもアメリカとフランスの価値観の違いが感じられます。アメリカでは初対面の相手に警戒を与えないようにスマイルをするが、フランスでは初対面の人にはきっかけが無いとスマイルしないと思います。もし無闇にスマイルしたら「馬鹿にしてる」とか「何か企んでる」と考えるみたいなのです。

日本とはアメリカとフランスの中間ぐらいの価値観なのかな?と葡萄酒を呷りながら思ったものです。

そして3人と楽しい会話が出来たし。そう言えば冒頭は案内の話でしたが、そんな事は月並みなみだし、別に書かなくてもいいかなと思うので、この辺で文章を切り上げよう・・・

 

そう言う訳で彼らは、今週アメリカに無事に帰国しました。Dも「自分の乗っている飛行機がホワイトハウスに突撃する事無く、無事に着いた。」とmailを送ってきました。(やはりD自身テロの恐怖が依存してるな!)と思いつつ、そんなアメリカの友人達との過ごした数日だったのです。

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