個人の日常なんぞ事もない日々がほとんどで。時々腰が抜けるような魂消えることもあるんだけど。概ね市井の人の一生などそんなもの。何もなく日が昇り、夕暮れに一息ついて夜に無事の一日をありがたいと思う。

 最近はとみに、何事もない一日のありがたさを思う。狂喜興奮して走り回る事も無く、身を捩って悲しむこともない。平凡で穏やかな一日をね。

 世間は3・11以後ドラマティックが止らないようで、この急激さはなんだろうと不安に思う。あれよあれよと言う間に、SF世界か未来悲惨映画のように思いも寄らないことが、まるで表層雪崩のように進んで行くようで。貧困と戦争と博打って・・

 それでもまだ、幸いにも戦乱下でも難民でもなく、個々の人の暮らしは成り立っているんだろうし、日々の愉しみあるわけよね。

 ある方が私の江戸物や昭和の話を読んでくださって。戦時だって悲惨でもどん底でも絶望ばかりでもなく、時代物も殺人や捕り物や人斬り話だけじゃない。人の暮らしがあったんだし、そこがいいねって言ってくだすった。

 カルティユ・ブレッソンの写真のように、日常の一コマをすくい上げるような。その何気ないなかにも多くのドラマや物語が透けて見える。ようだといいんだけどねぇ。

 ほとんど起承転結も章の切り替えも考えないし、構成も配慮しないで気儘に書いているけど。町の人の悲喜交々は誰にでも一つ位経験があったりで、身近に愉しんでもらえばいいなぁと思う。

 今の政権になってから怒涛の法案成立だが、中味を見れば一目瞭然、庶民の生活の為になるようなものは一つもないからねぇ。

 鶴見臨界バスがストライキ打ってるけど。なんと36年ぶりのストライキとか。かっては国鉄のストも多くあって確かに不便はあるだろうけど。そういう情況を作った経営者側はどうなんだと思うよね。過疎地も含めて、最低限の路線整備を民間に丸投げしてきた国の方針はどうなんだろう。

 高齢者の自動車事故もそうだけど、路線バスの廃止や過疎地を離れられない高齢者世帯とか、そこから派生して、自動車産業のタブーまで問題は深いとネットで話したんだけど。

 過去の交通問題でも度々メーカーの不備や欠陥が事故原因になっても、常に末端のドライバーだけに責任は被せられてきたから。花形輸出産業は厚い壁で守られている。左折巻き込み事故、シャフトが高速で落ちた事故、中古の重機をアジア輸出する車のブレーキ欠陥事故、みな運転者だけが罰を受けているしね。

 13年以後、介護殺人や心中が全国で179件とか、毎月10人以上だものね。先進国トップの若年層の自殺もそうなんだけど、年間3万人の自殺者も実態は15万というデータもあって凄いよねぇ。

 一軒穏やかに見える世間の、じわじわとした締め付けの閉塞感と危機感は、なかなか気づかれないが。

 韓国もそうだし、スー族の聖地と水を守る闘いで退役軍人200人が支援して、ノースダコタ州のパイプライン建設反対運動がついにルート変更決定。オバマの最後のグッジョブとか。デモもストライキも決して無駄ではないんだよね。

 ほんとうは、暮らしを大切に思う心と、世の中がなんとか穏やかである為に、声を上げたり闘う事も根は同じなのよね。全国一斉ゼネスト起きても不便は我慢するなぁ。まぁ、今の日本では無理なんだろうなぁ・・の午後。