冒険とか挑戦なんて構えなくても、人の一生には不意打ちもあれば、壁が目の前に塞がるような時があるもんだよね。

 舐めるんじゃねえぜ立ち向かう~♪ってオーケンの唄じゃないが、立ち向かったり、へこへこ逃げたり、素知らぬふりでやり過ごす時もある。艱難辛苦とまで言わなくても、誠実に生きようとしても、挫けることは多い世の中でもあるからね。

 ここ数日、早起きして朝食を摂って散歩にも行っている。ふつーのことですが。起きたとたん身体中が痛んだり、目がぼんやりだったりすると、そこで挫ける時もあるから。最後まであがいて、多少でも動ける身体を維持しようという健気さで。一つの旅立ちへの準備って気もする。

 散歩がてら大きな100均へ行って、プランターと土を買って、ミニトマトの苗を植えようって企む。そのトマトが食べられる時まで、猫が生きている間は、ってささやかな目論見や愉しみが、時にはちっぽけな元気になるものよね。

 何度もの引越しで、ほとんど失くしてしまった写真も整理して、こういうのって本の整理と同じで、懐かしく見入ってしまってはかどらないのよ。息子の幼い頃の写真など眺めると、別れた連れ合いが全部燃やしてしまったんで赤ん坊の時の写真は無いのが残念だけど、当時の事が蘇ってしみじみしてしまう。

 ネットで海外の人達と話していて、成田や羽田から都心に入ると、洗濯物や布団が建物にずらり並んでスラムみたいだって話になった。

 団地だけでなく、高級そうな外観のマンションでもそうだからね。超豪華マンションなどは、洗濯室に乾燥機付きとかもあるだろうけど。日本人は特に布団とか洗濯物を日に干さねばって気持があるようだ。イタリアやスペインの港町やモロッコの下町など、路地に渡したロープに青空の下洗濯物が翻っているのは、生活感が溢れていて風情もあるんだけどね。

 日本のマンションの狭さや、ベランダの貧相は都会だけではないんだろうし。持ち家でも、庭もなければ日当たりも無いって家も多いだろう。たぶんそれは、人口と居住面積だけの問題ではなくて、生活する暮らすという事に対する考え方が大きいんじゃないかと思うのだが。

 とにかく建てちゃえば売れるし儲かるって、土建屋と不動産業界の利益優先でやってきたから。箱物主義で欠陥マンションやら建売の地盤傾斜やら問題が噴出。一家を構える家持ちが、男の甲斐性みたいな考えもそれに拍車をかけてきたんだろうね。あ、家持ちの方や分譲マンションの方をクサしているのではありませぬので悪しからずね。

 マンションGメンって、家屋調査系の方のツイートなどみても、ある時期から後のマンションの配線とか配水管とかは、かなり乱暴な手抜きがあるらしい。問題はそういう箱物に、生涯35年ローンで縛られるって生活だよね。

 うちの賃貸マンションも上の階の排水音が、ごぼごぼキッチンのシンクでするし壁の配水管を通る水音も夜中でもする。まぁスペインも街中は、煉瓦と漆喰壁を隣の建物と共有している集合住宅が殆どだから、隣の建物のおっさんのくしゃみも聴こえるんだけどね。大きな弊害がなければお互いさまだよね。

 このお互いさま的な寛容心って、長い間日本人の美徳とされていたんだけど、絆とか公共性とか最近は怪しい政治的意図に使われているようで気色が悪い。

 ゾウの花子さんは自分と同じ年で、ついに永眠なさったようだけど。戦中、上野動物園の飼育員をしていた方とを知っていて、どれ程殺処分された動物達を痛ましく思い、それでも黒豹をこっそり食べたとかすさまじい話を聞いた。

 戦後、平和の交流として日本にやってきた花子さんの一生を想うと。老婦人がテレビで、幼い頃花子さんを見にいった想い出を語って泣いたのは、自分の人生に重ねあわせてのことだろう。虎もゾウも絶滅の危機だと聞いたが、傲慢で身勝手な人間も、いつかその時を迎えるのだろうね。

 朝から、ささいなことでへこんだり、ちっぽけなことで漲ってきたぜぃーと元気になったり、人の一日も一生も、行ったり来たりよねぇ。と朝の珈琲を飲みつつ一服。