ハイジャック事件の話①

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 大変不謹慎なミーハー視点なんで、ご容赦頂きたいんだけど。

 人質事件のことをちょっと調べていたら、知らない事も多くて次々読んでしまった。米国の銀行強盗から日本でも人質がある場合、交渉人っていうのが出てくるんだけど、交渉人ってどういう権限と身分なんだろうとか思ったり。

 記憶にあるのは「よど号ハイジャック事件」とか赤軍の「ダッカハイジャック事件」なんだけど知らない方もいるだろうし、自分の備忘録として書いておくだけなの。ざっと調べただけだから誤謬があるかも知れませんが。

今回もダッカ事件の時、福田赳夫総理大臣が、人の命は地球より重いと述べてハイジャック犯の要求をのんだとかに比較されたりしている。長くなるけど、敬称略で振り返ってみる。

よど号事件とは。
1970年(昭和45年)3月31日。羽田空港発板付空港(現福岡空港)行きの日本航空便がハイジャックされ。共産主義者同盟赤軍派を名乗る犯人グループが朝鮮民主主義人民共和国へ亡命した事件ですね。

 犯人グループは北朝鮮へ亡命することを求めて、同国に向かうよう要求したんだね。よど号は福岡空港と韓国の金浦国際空港での2回の着陸を経た後、4月3日に北朝鮮の美林飛行場に到着。

犯人グループはそのまま亡命した。って言ってしまえば簡単すぎるけど。中味はかなりドラマチックで深刻な問題になったのね。

 運航乗務員を以外の乗員と乗客は、福岡とソウルで順次解放されたものの、運輸政務次官山村新治郎が人質の身代わりに搭乗し、運航乗務員と共に北朝鮮まで同行した後に無事帰国した。

 日本赤軍派っていうのも中味は色々あったんだけど、当時の安保闘争と学生蜂起に乗じて革命を世界革命へと展開しようとしてたらしいんだよね。あるいは国内の学生運動に混在しようとしたんだけど、余りに乖離していたんで本来の学生運動からも異端視されていたと思われる。

 1970年3月15日に赤軍派議長の塩見孝也が逮捕されて。身辺に捜査が及ぶことを恐れた田宮高麿をリーダーとする実行グループは、急遽3月27日実行を決定。

 でも、飛行機に乗り慣れていなかった犯人グループの一部が遅刻したために計画を変更。4日後の3月31日に延期されたんだと。なんかドジな話で、北朝鮮に亡命希望してたのに、朝鮮語も英語もろくに話せなかったとか準備悪すぎだよね。実は北朝鮮への航路図も無く中学生用の地図のコピーしか持っていなかった。ネット無かった時代だからね。

機体はボーイング727-89で当時は機体に愛称をつけていて川の名前とかね、この機体は前には「羽衣号」って呼ばれていて、この後、東亜国内航空に移り「たかちほ号」って名づけられ75年まで使われて後に海外の航空会社に売られた。飛行機にも歴史ありだねぇ。

 3月31日、午前7時33分、羽田空港発の板付空港(現在の福岡空港)行きの日本航空351便が、富士山上空を飛行中に日本刀や拳銃、爆弾など武器と見られる物を持った犯人グループによりハイジャックされ。男性客を窓側に移動させた上で、持ち込んだロープで拘束し、操縦室に侵入して相原航空機関士を拘束、石田機長と江崎副操縦士に平壌に向かうよう指示したのね。後にはこれがプラスチックの偽拳銃や爆弾だったことも判ったんだけど。

 この要求に対し機長は「国内便であり、北朝鮮に直接向かうには燃料が不足している」と犯人グループに説き、給油の名目で午前8時59分に当初の目的地である板付空港に着陸した。実際は予備燃料が搭載されていて、平壌まで無着陸で飛行することが出来たらしいんだけど、機長はウソをついて時間を稼いだ。

 警察は国外逃亡を阻止しょうと自衛隊機で滑走路を塞ぐとか工作をしたんだけど。焦った犯人グループは離陸をせかす。けれど機長の説得で人質の一部を解放することに同意して。女性・子供・病人・高齢者・障害者を含む人質23人が解放されたんだね。

 この石田機長が特攻隊経験者で、かなり冷静な判断をする人だったことが色んな局面で死傷者を出さなかったと思われるんだけど。この方は帰国後に勇敢な機長と持ち上げられ時の人となったが、マスコミによりプライベートなトラブルを週刊誌に書き立てられて、日本航空を退職することになったのよね。2006年8月13日に死去した。

 よど号は朝鮮半島の東側を北上しながら飛行を続けたけど、この前後、突如よど号の右隣に国籍を隠した戦闘機が現れる。韓国空軍章の戦闘機だったらしいんだけど。韓国上空だったんだよね。その後「こちら平壌進入管制」という無線が入る。機体は誘導に従う形で左旋回し、再び北緯38度線を跨いで南下した。

実はこれは韓国当局のもので、機体を北朝鮮に向かわせないたようとっさの行動だったんだねぇ。午後3時16分、同機は平壌国際空港とされる場所に着陸する。

実際には韓国のソウル近郊にある金浦国際空港で、韓国兵は朝鮮人民軍兵士の服装をして、「平壌到着歓迎」のプラカードを掲げるなどの偽装工作をしたの。

でも、メンバーの一人が空港内にノースウエスト航空機などが駐機しているのを発見して偽装に気付くんだよね。なぜ気づいたかは諸説あるようだけど。

犯人グループは機体に近づいてきた男性に「ここはピョンヤン(平壌)か?」と尋ねて。男性は「ピョンヤンだ」と答えたんだけど、犯人がさらに北朝鮮における五カ年計画について質問して、答えに困ってしまったんだね。

それを見た犯人は、(金日成)の“大きな”写真を持ってくるように要求して、北朝鮮と敵対国である韓国でこの写真は用意することもできず、犯人グループにバレてしまったとか。ドラマのようだよね。

 犯人グループはすぐに離陸させるように要求したんだけど、韓国当局は停止したエンジンを再始動するためのスターター(補助始動機)の提供を拒否。よど号は離陸することができなくなって事態は膠着する。犯人グループは強硬な態度を保ったものの、食料等の差し入れには応じたようなの。

そうやって時を稼ぐ間に、31日に日本航空の特別機が山村新治郎運輸政務次官や日本政府関係者や日本航空社員を乗せて羽田空港を飛び立ち4月1日にソウルに到着。

韓国政府の丁来赫(チョン・ネヒョク)国防部長官や白善燁(ペク・ソニョプ)交通部長官、朴璟遠(パク・キョンウォン)内務部長官とともに犯人グループへの交渉に当たることになったのね。

 この後、よど号の副操縦士が犯人グループの隙を見て、機内にいる犯人の数と場所、武器を書いた紙コップをコクピットの窓から落として、犯人の配置が判明して。韓国当局はこの情報を基に特殊部隊による突入を検討したんだけど、乗客の安全を案じた日本政府の強い要望で断念したんだ。隣国とは仲良くしとくもんだと思うんだけどね。

 日本政府は、ソビエト連邦や国際赤十字社を通じて、よど号が人質とともに北朝鮮に向かった際の保護を北朝鮮政府に要請したの。これに対して北朝鮮当局は「人道主義に基づき、もし機体が北朝鮮国内に飛来した場合、乗員及び乗客は直ちに送り返す」と発表して、朝鮮赤十字会も同様の見解を示した。

でも、韓国にとって、前年に起きた大韓航空機YS-11ハイジャック事件の乗員乗客が、この時点で解放されていなかったこともあって、よど号をその二の舞として人質の解放がなされないままに北朝鮮に向わせるのは認められないと考えていたらしい。

 1日午後には運輸大臣橋本登美三郎もソウルに到着。金山政英特命全権大使とともに韓国当局との調整を計る。数日間の交渉後に、山村新治郎運輸政務次官が乗客の身代わりとして人質になることで犯人グループと合意したんだね。こうして解放された人質は日本航空の特別機で福岡空港に帰国できた。

 4月3日の午後、よど号は金浦国際空港を離陸して、北緯38度線を越えて北朝鮮領空に入ったけど。機長はこの時点でもまともな地図を持たされていなくって、平壌国際空港を目指して飛行したものの夕闇が迫ってきたため、機長は戦争中に夜間特攻隊の教官をしていた経験を生かし、肉眼で確認できた小さな滑走路に向かい午後7時21分に着陸した。この滑走路は平壌郊外にある朝鮮戦争当時に使用されていた美林(ミニム)飛行場の跡地だったと言う。

 対応した北朝鮮側は武装解除を求め、犯人グループは武器を置いて機外へ出た。よど号に乗っていた犯人グループ9人、乗員3人、人質の山村の計13人の身柄は北朝鮮当局によって確保される。

よど号が到着した後、北朝鮮側は態度を硬化させ、「乗員や機体の早期返還は保証できない」と表明したのよね。日本政府がなすべきことをせず、自分たちに問題を押し付けたとして非難した。まぁそう言われても仕方がないとも云えるんだけど。

犯人グループと乗員、山村政務次官に対しては公開尋問が行われ、長期間の抑留が想定される厳しい状況になたんだけど。乗員と山村に対しての尋問は形式だけで、朝鮮料理の食事と個室が与えられて映画鑑賞が用意されたらしい。

 4月4日、北朝鮮は再度日本を非難をする一方、「人道主義的観点からとして機体と乗員の返還を行う」と発表した。犯人グループに対しは、犯人グループの亡命を受け入れる姿勢を示した。これを受け、日本政府は北朝鮮に対し謝意を示す談話を出したんだよね。こうして乗務員と山村も無事、機体と日本に戻った。

 なんかね、当時の記憶が曖昧なんだけど多分ニュースなんかでは見ていて、NHKの視聴率も42%を越えたとかなのに、映画の仕事で徹夜ばかりしてたからなのか、改めてすごい事件だったんだなぁと思った。

 赤軍派も「大阪戦争」「東京戦争」「大菩薩事件」と企んでみたけど弾けすぎて学生運動家もついてこない情況から突破的に起した行為で、北朝鮮の政治姿勢への共感というより、最も身近に在る「日本帝国主義」と敵対関係にある国」だったからに過ぎなかった、と考えられてるんだね。

犯人達は、われわれは明日のジョーである」という声明文を残していて。自分たちを矢吹丈になぞらえ、「燃え尽きるまで闘う」と示した。テレビアニメ版『あしたのジョー』第1話の放送は1970年4月1日。まさに事件のただ中だったんだね。

主犯の田宮は乗客との別れの際に別れを主題にした詩吟を謡い、乗客の一人が返歌として『北帰行』を歌ったとか余談は多い。

その後、6月にハイジャック防止法が制定されたけど。憲法39条の遡及処罰禁止規定で犯人グループが帰国した場合、この法律は適用されないらしい。

機体や「航空運賃の財産上の利益」に対する強盗罪や、乗員乗客に対する略取・誘拐罪には問われるけど。その後、犯人グループは合意による無罪帰国を求めているけど、日本国政府は今の所これを認めていないんだよね。このグループの息子の1人は日本に帰国している。

 韓国で解放された乗客は特別機で日本へ帰国したんだけど、乗客の1人であったアメリカ人神父はこの特別機に搭乗せず、そのまま所在不明となっているんだよね。韓国へ入国したらしいが、日本政府にも日本航空にもその行方が知らされなかったために疑念を呼んだ。事件後、このアメリカ人を除く全ての乗客に対し日本航空から「お見舞金」が支払われたようだが。

 事件の当日は福岡で日本内科学会総会が行われる予定で、乗客には医師が多かった。この医師らは、福岡で「病人」との理由で開放された人質の選定に協力した。その中に虎の門病院院長の沖中重雄や聖路加国際病院内科医長の日野原重明もいたようで。

当時、東大の学生であった舛添要一は、郷里の福岡に帰るためこの便の搭乗券を持っていたんだけど、前日の夜に仲間と酒を飲み過ぎて搭乗できず、難を逃れている。

運輸政務次官山村新治郎は、乗客救助の功で内閣総理大臣顕彰を受賞。この件で一躍郷土の英雄となって、「男・山村新治郎」のキャッチフレーズで当選を重ね後に、農林水産大臣や運輸大臣になり。1992年4月12日、自民党訪朝団長として北朝鮮への訪問を翌日に控えた日に。

あうっ、精神疾患を患っていた次女に刺殺されたんだよね。なんかすごい話だ。

乗客の中の1人は1977年の日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件機にも乗り合わせ、2度もハイジャックに遭遇することになったらしい。改めて読んでみると劇的な事件だったんだねぇ。

ダッカハイジャック事件と、ドイツ、エンデベ事件の事も書いておこうかな。いつも長くてすいません。

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