2010年02月08日 21時17分59秒

小沢昭一的、戦争

テーマ:桃の昭和語り
「昭和の歴史」の残りを、
古本屋に買いに行ったら、

売れてしまっていたんで、代わりに求めてきた、
朝日歴史写真ライブラリー

「戦争と庶民」の④
「進駐軍と浮浪児」を、ずっと眺めていました。

1995年発行と、前の本より新しいし、
何より豊富な写真が、説得力があるのね。

改めて、写真の力をつくづく感じますね~

思ってたより、あっけらかんと焼けてしまった、
東京や大阪の街並み。

それなのに庶民は、戦争から解き放たれて、
したたかな生命力と、エネルギーで、

一年後の写真では、チンチン電車も走り、
上野、有楽町、新橋、品川、新宿と、
露天商や、どこから沸いたのかと思う物資。

桃林の桃源郷

靴磨きにモク拾いと、浮浪児達も生きる為に、
市場の周囲に群れている。

写真の合間に当時に育った、作家や芸人等の、
体験エッセイも書かれているのね。

私の好きな小沢昭一は、
「メメシイ私」って、
一文を寄せてるんだけどね、

「お国の為に死ぬ事こそ本望」
と軍国主義で育て上げられ、

親も先生も新聞もラジオも映画も、
世の中みんながそういう考えの中で、

”お先きっ走り”の小沢少年は、
町内の出征兵士の見送りには真っ先にでかけ、

母親の大事な指輪も、お国の為に供出すべきと、
説得するような、
積極的な軍国少年だったらしいの。

陸軍より海軍のほうが、かっこういいと、
担任が海軍出身だったこともあり、

クラスの級長は艦長、副級長は甲板仕官と呼んで、
「海軍」という映画や「勝利の日まで」の上原謙に、
美の極致を見るのでした。

中学になると、イタリア駐在武官だった、
陸軍中尉が、教練の教官としてやってきて、

この人は歌舞伎や、寄席などの愛好家で、
教練の時間を、演芸会にして、
芸能の才ある者を、励ましたりもしたのね。

生徒達は彼に心酔して「若桜会」
という会まで作ったの。

集まりの最後には、
軍神の作った短歌を全員で朗読したんだって、

”君がため、何か惜しまん若桜、
散って甲斐ある命なりせば”

戦争末期、海軍兵学校は入学年齢を、
一年引き下げたんで、

勇躍小沢少年は、
予科制の試験を受けて無事合格。

天にも昇らん喜びで、入隊したのね。
時に昭和20年3月の事でしたねん。

桃林の桃源郷
↑左端が小沢少年、隣は同級生のフランキー堺

ところがその日から、
陰鬱な思いに沈んでしまうのよね。

あんなに勇んで入隊したのに、
恥ずかしながら、激烈なホームシックに罹り、

家に帰りたい!もう帰れない!
エライ事になった!と、

もう君がためも、上原謙もすっとんで、
ただ、我が家恋しいだけの、
メメシイ生徒になったと記していますねん。

生活は急変しすぎて、
都会の真ん中で育ち、毎晩のように、

文楽だ金馬だと寄席通いしていた少年は、
軍律厳しい軍隊生活に、

もう東京には帰れないんだ、
父母にも、もう会えないんだという不安に、
死の予感・・・

「死ぬ事本望」「七生報国」と、
覚悟は、とうにできてる筈なのに、
卑怯未練にも、逃亡を夢想したりして慄く。

なんともメメシイのです、はい。と書いてるの。

ところが半年も経たずに敗戦!
そりゃ悔しい、残念とも思ったが、

シメタ!これで家に帰れると、
そのときの喜びは、
生涯ベストワンの喜びだったそうなの。

東京に戻れば、一望の焦土で、
家は跡形も無くスッカラカンの丸裸。

けれど、中学に復学して、
いちはやく、葦で囲った上野鈴本が、
焼け野原の瓦礫の中で、寄席を開き、

その吹きさらしの中で、
久しぶりの落語を聞いて、

平和の中で、自由に生きる事の有難さに、
思わず涙したんだよね。

”人間生きてりゃこその、この娑婆、この世界、
戦争は、人間が生きることを否定してしまう、

何がどうなっても、戦争だけは金輪際ゴメンだと、
憑物が落ちた様に得心しました。

私は保守的な人間で、あのときの実感は、
終世変わらないでしょう。
変えたくもありません。

強固にメメシク、非戦を貫ければと思います、
オオシクだと、「同胞のために」とか、
「国際貢献のために」とかで

戦わなくてはなりませんから、
はい、メメシイのです”

そう締めくくっています。

小沢昭一らしい文の中にも、
非戦への想いが、溢れていて、

私も、強固にメメシク非戦を貫きたいと、
共感したのでありまする・・

ペタしてね

コメント

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1 ■湾岸戦争やイラク戦争で万単位のイラク兵が

虫けらのように殺されていましたが、硫黄島やニューギニアで死んだ親族達を連想します。
戦後生まれである私は(ほとんどの人がそうでしょうが)、ルソンやインパールの戦記などを読むことでしか、前線の兵士の悲惨な状況を思い浮かべることができません。

2 ■★おさむしさん^^

海外だけでく、近い日本を考えても、
多くの日本人の記憶に、
戦争は残っているのでしょうね・・・

「きけ、わだつみの声」等を読むと、
涙なくしては読めません・・・
忘れてはいけない事もあるのです。

改めて、非戦の想いを噛み締めますよね。

3 ■なんと

小沢一郎的戦争かと思って読み始めてしまいました

疲れに酒は禁物ですか?


小沢昭一の 誰よりも真面目なあの言い方で

俺は死にはするが殺されはしない!

簡潔な言葉の矛先は 自分と政府に向かっているのだと思います
自分は作られていた自分を信じていたと言う悔しさも感じます

そういう所が昭一的心なのだ~
とおもうのです


4 ■拝読です

九段会館で行われる軍歌の夕べなどに何度も行ったし、軍かは好んでうたうじじいです。
このごろの平和主義や反戦の
人々の叫びや活字を見るとき、
よくこのご記事のようなことをおもいます。
ホンとかいな、うそっぽすぎるなあと。

5 ■こんにちわ~♪

全く、長い記事ですんまへん;

★angoさん^^
あはっつ、似て非なる方ですよね~
お酒はほどほどなら、百薬の長でよね。

小沢昭一的ココロ、楽しみに聞いていましたよ^^

★ktnpoさん^^
軍歌は、
あんまりそれまで、聞いたこと無かったけど、
意外と良くってユーチューブで聞きました~♪

ラバウル小唄とか、軍隊小唄も、
いいんですよね。

何故か、おっかさんはご飯の後、
あ~美味かったと目になみだぁ~と、
軍歌の、一節を歌うのでした(笑)

6 ■『不遇の人生を閉じた天才:沢村栄治(元巨人軍) その3 最終章』

 こんにちは・・お疲れーしょん様です。(T_T) どうもです。・・さて、ひき続き、最終回:沢村栄治偉人伝まさに池田大作創価学会名誉会長が執筆開始した小説『人間革命』の書き出し「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、 悲惨なものはない」を思わせられる醜い戦争で戦死された人は多いが、今現在でも戦争は世界で起きてしまっているのです。毎度のユニーク:おもしろ画像写真では無いのですが、「昭和10年:大日本東京野球倶楽部結成当時」「日本のスター選手:沢村投手の足上げ投法」「静岡:草薙球場の沢村栄治投手の足上げ投法の銅像」写真画像を貼りました。<m(__)m>・・どうぞ!遊びに寄って見てやって下さい。・・1言コメントと応援もよろしく頼む次第です。


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