被災された方にお見舞いを申し上げます。


これから書くことは、震源地から遠く離れ

いつもと変わらぬ日常を送ることができる人間が書きました。

地震当日に書いているので、ちょっと興奮もしています。

地震当日は、ネットも混むし、

こんな個人的なことを書くのは控えたいと思いますから

アップするのは数日後になると思いますが、

「なにを寝ぼけたことを」

と思われる表現があるかもしれません。ご容赦ください。


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地震があった時間、私は友人と会うために新宿にいました。

地下鉄から地上に出るためにエスカレーターに乗っていたのですが

ちょっと揺れました。


「なんか・・揺れてません?」

前方にいる方となんとなくお話ししていたら

え????

と思うほど、エスカレーターが揺れて、二人で必死になって

ベルトにつかまっていました。

前後、左右に波打つエスカレーターって初めて。

エスカレーターって、地震でも止まらないのね。驚いた。


たまたま、そばをあるていた見知らぬ子どもに

『危ないから、上を見ながら歩きなよ』とつい叫んだのは

その子たちの年頃が、うちの息子と同じくらいだったからです。


地上に出たら、町中が揺れていました。

おじさんが

『あのお寺さんの木がグワングワンって揺れたんだよ。すごかったよ』


私は見知らぬ人とも平気でしゃべれるので(人見知りなんですけどね)

情報収集をして、待ち合わせ場所へ。

先についていた友人たちは、お店から出ていました。


揺れる足元を気にしながら、私が考えていたことは

子どものこととこれからのこと。


広島の子が、幼稚園の時からしっかりとした平和教育を受けるように

山梨の子は、小さいときからしっかりとした地震教育を受けます。

富士山の噴火や東海地震が来るぞ!来るぞ!と言われている場所で育ったので

地震に関しては敏感な土地柄です。

(静岡もそのようです)


しっかりとした地震教育を受けているので

揺れに対しての恐怖はあまりないんです。

実際、山梨は地震の多い場所なので、震度5までの経験はあります。

だから、揺れても落ち着いていられますが、

そのわたしがちょっとドキッとしたのだからすごい揺れなんだと思いました。


すぐに動くのは危ないと判断したので

待ち合わせのお店に戻り、ワンセグで今なにが起こっているかを知るにつけ

「原発、大丈夫?」と思った。口には出さないけど思った。


電話は通じないと思ったので、電話はしなかった。

子どもは学校なので、先生にお任せしようと思った。

今、できることは家に帰ること。


明治通りをズンズン歩く。

人がどこからかドンドンできてきます。

見慣れた看板が、根元からボキリと折れていたり

壁がはがれた雑居ビルや、建築途中の高層マンションの上には、ニョッキリと伸びたクレーン。

いたるところが危ない。


明治通りから甲州街道へ入ったら

曲がり角で曲がれないほどの人人人。

首都高をチラチラ見ながら歩く私。


3時間近くかかりましたが、家に着いたら

先に帰っていた夫が子どもを迎えに行ってくれていました。

でも、高校生は帰ってきません。

「生きてるぜグッド!

というメールが来たきり音信不通。

生きているならよし!

こういう気持ちが大切なんだと思います。

落ち着くってこういうこと。


結局、日付が変わっても帰ってきません。

でも、大丈夫。私が育てた子だから大丈夫。

妙な自信を持っている自分がいます。

本当は心配だけど、私が育てた子だから大丈夫。


その言葉だけを頼りに子どもを待つことにしました。