20161月に『一過性精神障害、減・断薬を終えて13』として登場していただいた大田雅恵(仮名)さんから、その後についてのメールをいただきましたので、紹介します。

 

 昨年の1月に公開した体験談では、緊急の入院、そして退院後の太田さんご自身による減断薬の話でした。断薬はご主人や主治医にも内緒とのことでしたが、3回にわたるブログの記事は、回復の兆しを感じさせるものでした。

しかし、実はそのあと、太田さんはとある思い込みやストレスが原因で、再び激しい陽性症状が再発。二度目の入院となってしまったのでした。

私はそのことを、ご主人からのメールで知らされました。それまでご主人とメール交換をしたことはありませんが、大田さんのメールアドレスから送られてきた「妻は入院しました」という文章に、私は断薬を急ぎすぎたのかと残念でなりませんでした。

再入院は昨年20163月下旬から4月中旬のことです。

退院後の一度大田さんにお会いし、現在は私の茶話会にも出席され、体調は維持されているようです。

以下、大田さんのメールを紹介します。

 

断薬後の再入院

「今回、こうして再びメールしますのは、自分の一連の経験が、もしもどなたかの参考になるならこんな喜ばしいことはない、という思いと、『2度同じ過ちをした自分への戒め』の意味からです。

 

  1. 陽性症状再発と入退院

『かこさんブログ』に私の経験を記載いただいた2016.1月頃、私は、気力体力の充実を感じ始め、バイトやボランティア活動など無理ない範囲で回復し始めていたのでした。

3月、主人の実家への数日間単身帰省をめぐり、私と主人は対立してしまいました。仕事のストレスでしょうか、疲れ切っているように見えた主人を心配していた私は、何度も『嫌な夢』を見たので、『一緒に帰省したい』と提案しましたが、主人は、『絶対一人で行く』と全く受け付けず、頑なになるばかりでした。

3/23水曜日、主人単身帰省の朝。

前日までに、散々『葛藤』した私は、『人はいつか死ぬもので、それが早いか遅いか、それだけのことだ』と覚悟を決め、主人より先に、アルバイト先(車で10分)に向け、家を出ました。

車で約5分、私は激しい尿意を感じ始めました。約7分後、私は、不満を大声上げて力の限り叫びました。と、途端に『体全体が焼ける感覚』=2013年夏の終わりの記憶(抗精神病薬の副作用で、太極拳などと共に忘却の彼方へと去っていた……と思い込んでいた、体を火で焼かれるかのような強烈な感覚)が、あの時見た『幻覚』=火あぶりの刑に処されたある歴史上人物からの視界と共に、瞬時に蘇ったのでした。

体全体が炎に包まれてしまったかのような激しい陽性症状に、とても車の運転どころではなくなった私は、深い深い低い低い呼吸を繰り返しながら、どうにか辿り着いたバイト先の2階の客室に自らこもりました。

そして、私のことを心配し、落ち着かせようとしてくれた男性職員2人を激しく振り払い、暴れ、その熱さにのたうち回っていました。

フロント女性職員さんの連絡で、バイト先に来てくれた、まだ帰省していなかった、『生きた』主人の姿を自分の目でみて、私は安堵しました。

安堵したその時から、体全体を焼き尽くす激しい炎の感覚が、徐々に収まっていきました。

 

主人が運転する車で、主治医のいる病院の駐車場に着いた時には、あの炎は、拳ほどの『火の玉』となって、鳩尾付近にとどまっていました。

そして、主治医がいる診察室に入った時には、下腹に収まりだしていました。

しかしなから、主人に促され告白した内容=『自己判断で断薬し、1年以上経っていること』と『高熱=38.6度あった』ことを理由に入院となってしまったのです。

 

1度目の入院時と異なる、全て記憶のある中での隔離室――紙オムツ、拘束帯が手、脚、肩、胸に装着され、ベッドに拘束→点滴、となりました。

すぐに、気を失うように強制的睡眠に入り、私は『夢』=36億年の地球の歴史、人類誕生と輪廻転生など(1度目の発病時にみた幻覚内容より遡った時代の内容)をみました。以前、愛読していた『生命科学者柳澤桂子さん』の本の影響かもしれません。

 

隔離室……

時々、朦朧としながらも意識が戻ると、

『体全体が拘束されていること』

『体全体に再び抗精神病薬が投与されていること』

『体全体であの苦しみを再経験しなおさねばならないこと』

に、絶望しそうになりました。

しかし、既に、泣き叫びたくても、その気力さえ失っていたこと、素直に受け入れるのが最善の方法であることを考えると、今ある絶望に浸るより、服薬への対応策について頭を使おうとする方が、遥かに自分の将来に役立つ建設的思考であると思い直しました。

 

数日後、拘束が解かれました。

しかし、冷たい床に直に敷かれた布団、自分では流せない水洗トイレ、朝のひととき、太陽を感じられる小さな長方形の窓と四角い置き時計、ドアノブの無い重たい扉。

まるで独房のような隔離室に移動になったその時から、さっそく私は、服薬に対する自分の体全体の反応観察と対応策を実行し始めました。

体はすでにあらゆる部位が固まりだしていたので、起きている間ずっと、ヨガ、骨ストレッチ、太極拳(型を忘れてしまったので冒頭部分のみ)気功、自分でマッサージ、などなど、思い出せることで、体をほぐす効果がありそうなことを延々やり続けました。

独房(隔離室)での何日目かに…、嬉しい出来事が起きました。1度目の離脱症状で忘れ去っていた…『太極拳』の続きが蘇ってきたのでした。再びの抗精神病薬の副作用で、脳の機能喪失を覚悟していた私にとり、この出来事は『奇跡だ!』と、大いなる希望の光のように感じられたのでした。

 

入院中も体調管理に努める

数日後、日中開放となり、開放病棟でウォーキングが出来るようになりました。

開放病棟に移った後、副作用対策と一日も早く退院するためにやったこと。

① 水をたくさん飲み、薬の解毒と便秘解消を助ける。

  1. 食事は、よくかみ、味わって、消化を助ける。

  2. 持ち込み許可を得たココナッツオイルをたくさん摂取し、脳の機能低下を防ぐ。

  3. 上記の体操+ウォーキングで体をほぐす。

  4. 大好きな音楽で心の安定を図る。

  5. 入院中は拒絶出来ない服薬を必要悪として受け入れつつ、主治医には副作用を伝え、出来るかぎりで減薬を進める。

  6. 生活態度においても受け入れる姿勢を心がけ、主治医、看護師、入院患者達と適当な関係を保つ=深入りしすぎず孤立せず。

  7. 自分のことを出来るかぎりで客観視する(マインドフルネス)。

などを心がけました。

こうして、2016.3/23入院→4/21退院となりました。

 

退院後の生活 減断薬→離脱症状出現

2016.3/23入院時の処方は以下の通りです。

~点滴薬剤~

ソルラクト500ml×1袋(水分、ミネラル補給)

ビーフリード500ml×3キット(ブドウ糖、アミノ酸等)

リントン注5mg0.5%1ml 2A(ハロペリドール・抗精神病薬)

ガスター注射用20mg 2ml 1A(胃薬)

~投薬~

エビリファイ18mg12mg (抗精神病薬)

ロラゼパム0.5mg 3錠 (ベンゾ系抗不安薬)

ベンザリン錠10mg (ベンゾ系睡眠薬)

フルニトラゼパム錠2mg (ベンゾ系睡眠薬)

リスペリドン内服薬2ml (抗精神病薬)

 

入院時血液検査内の極端な異常値

CK307(女45-163) 〈2013.9月入院時にはCK666

 

4/21退院時処方は以下の通りです。

エビリファイ12mg

ベンザリン錠2mg

11回夜服薬

 

入院中、主治医に副作用を訴え、減薬されてきましたが、方法がかなり雑(一挙断薬、いきなり半分に減薬)であると感じたので、自己流での減・断薬で自分の体調を客観的に分析観察し、前回より時間をかけ慎重に取り組むことにしました。