まずはchangeへの署名、ありがとうございます。

まだまだ数としては伸びしろがあると思っていますが、ともかく、短い期間で、かなりの賛同を得ることができました。

この場を借りて、ご協力に感謝申し上げます。

 

さて、今日は、そうした活動から少し離れて、久しぶりに体験談を公開しようと思います。

きな子さん(30代後半の女性)という方からメールをいただきました。

ネットで情報も発信されている方で、当初は彼女のブログを紹介するということだったのですが、わけあって、私からの紹介になります。

以下、きな子さんからのメールと、ネットで公開されている内容を織り交ぜてお伝えします。(ちなみに赤文字はきな子さんが書いているそのままです)。

 

過呼吸~パキシルを処方される

私は機能不全家族で育ち、父親が夜中にお酒を飲んで暴れては、布団にもぐり怯えながらの生活を送りました。母と姉からは心理的虐待を受けました。姉からは暴力もあった……。

そのせいか、小学生の頃から過呼吸があり、身体はいつも重く、家では普通に生活が出来ない状態でした。

24歳の時に過呼吸が毎日のように起こり、夕飯を食べようとする時、寝ようと横になった時に起こって、それですごく怖くなり、どうしたらいいのかわからなくなって、初めて心療内科というところを受診しました。13年ほど前のことです。

この頃は結婚をしていて、家事に仕事に……毎日まあまあ楽しく過ごしていました――もちろん、悩みはたくさんあって、死にたい気持ちもずっと持っていましたが――辛かったのは、やぱり過呼吸でした。

受診すると、パニック障害と軽いうつ病と診断されました。

初めて処方された薬はパキシルでした。これを飲んだら私は治るんだ! そう思っていました。だから、毎日、真面目に飲みました。
 1ヶ月くらい飲んだときだったと思いますが、副作用で乳汁が出てきました。もうビックリです。もちろん、妊娠はしていません。
 
心療内科の先生に言ったら「珍しいねー、〇万人に1人の確率でなる」(何万人って言ったかは覚えていません)とのことで、パキシルがダメならと、違う薬がでました(かなり前の事で何錠出たのか、何を処方されたのかは覚えていません)。また、毎日、真面目に飲みました。

すると、今度は足がなんだかそわそわして、その場に居られない感じ、じっとしていられない感じがしてきました。
 先生に言うと、「あー、
アカシジアだねー。薬の組み合わせが悪かった。だけど珍しいねー」

それでまた違う薬が処方されました。多分、どんどん増えていったと思います。眠薬も出ていました。子供の頃から便秘だったけど、薬のせいなのか、さらに便秘になり、下剤も出ていました。さらに生理痛もひどくて、先生に鎮痛剤は飲んでもいいか聞くと「大丈夫。なんならだそうか?」と言ってました。

今、思うと私は本当にバカだった

でも、この頃は必死でした。
お医者さんの言う事は正しいし、病院は病気を治してくれる所だと思っていました

今みたいに、精神薬はあまり飲まない方がいいとかの情報も入ってきませんでしたし。

 

薬を飲み続け、体調はさらに悪化

通院しはじめて、どれくらい経ったのか覚えていませんが、仕事を辞めました。その後は完全に家に引きこもり、そして、ほぼ寝たきり状態です。

元々、体は重だるい状態でしたが、さらにしんどくなり、動けませんでした。家事なんてなにもしません。お酒ばっかり飲んでました。

旦那には、本当に苦労をかけてしまいました。私は毒親と毒姉の事でもいろいろあったし、旦那も疲れてしまい、体を壊していたと思います。結婚して5年で離婚しました。

 

離婚して一人暮らしが始まりましたが、離婚する少し前から喉に異物感がありました。飲み込むと喉の異物がヒラヒラするんです。締め付けられている感じもあって、ひどい時はお茶すら飲めませんでした。

しかし、一人暮らしですから、働かないといけなくて、もう倒れそうなんですが必死に働いていました。この頃の症状は喉の異物感のほかに、元々の過呼吸もひどくて、コントミンをかなりの量、処方されていたので手の震えが異常なほどありました。

喉の異物感を主治医に言ったら、耳鼻科へ行くように言われ、耳鼻科で内視鏡検査をしました。しかし、何も異常はないと言われ、それでも先生からは耳鼻科へまた行くようにとしか言われず、すごく不安でした。

ネットでたくさん検索をして、それが「ヒステリー球」というものだと知り、先生にそれを言ってみたのですが、「インターネットに書いてある事は誰が書いているのかもわからないし、嘘かもしれないんですよ! そんな物は信用できません」と言われて終わりました。

本当に不安で、どうしたらいいのか分かりませんでした。

その頃は、もう仕事も、働いては辞め働いては辞めの繰り返し。

ご飯もほとんど食べられず、この頃の体重は35キロ(身長150センチ)。食べられないと先生に言うと、食欲を出すためにドグマチールが追加となりました。

ドグマチールを飲むとお腹が空いて食べられるようになりましたが、またパキシルの時と同じく乳汁が出たのでやめました。また、食べられなくなりました。

ある日、診察中に倒れそうになり血液検査をしました。なんと、栄養失調でした

先生が親の電話番号を聞いてきたので、イヤイヤ教えました。先生が親に説明をしていました。

「生きるか死ぬかの問題ですから」と言ってました。先生から「1ヶ月でもいいからお母さんの所へ帰った方がいい。薬は出すから」。

で、私は1週間だけ実家へ帰りました。実家からはちょっと遠いところに住んでいて、移動はしんどかったけど、何とか帰りました。

この1週間のあいだに母から「先生も生きるか死ぬかって大袈裟な」、「そんな変な薬はやめなさい」、「そんなものは気の持ちようだ」、「あんたと生活したらぶん殴って、その辺、引きずり回してやる」などと言われていました。

親には頼れません。まぁ、うちは毒親で、今までもいろんな事がありましたから、頼ろうなんて全く思っていません。

でも、この頃の私は母の事は嫌いだけど、それでも母に好かれたいってずっと思っていたんです。

 

いっきに断薬

で、薬はやっぱりやめた方がいいと思い、何錠飲んでいたのか覚えてはいませんが、いっきに断薬しました。離脱症状があるなんて知りませんでした。

もう、死ぬのかと思いました。過呼吸、動悸、震え、アカシジア、不眠、吐き気、喉の異物感、目眩、真っ直ぐに歩けない、目が痒いなど他にも症状はあったかもしれません。

でも、そのときは、パニック障害の症状が悪化したんだと思いました。あまりの辛さに断薬は、1ヶ月も続かなかったです。しかし、何となく元の病院には戻りたくなくて、初めて受診した心療内科へ逝って、今の状態を説明しました。

薬を処方してもらいましたが、量は少し減って、飲みたくない薬は飲まなかったりしていました。寝る前にハルシオン0.125 0.25 セロクエル0.25 頓服にソラナックス0.4です。

仕事をしていたので、とりあえず夜が眠れて、発作が出なければいいと考えていました。しかし、ソラナックスにはかなり依存してしまい、1日に何錠も飲んでしまう時期もありました。薬なしでは外に出る事も出来なくなっていました。

薬を飲んだり飲まなかったりしていた時に当時通院していた主治医に、この医者は離脱症状があるとは言いませんでしたが、「こういう薬を飲んだり飲まなかったりしたら死ぬ」と言われたことがありました。

この時、私はもう一生、精神科へ通院して、一生、薬を飲まなくてはいけないのかもしれないって思いました

ちょうどその頃、親のいる地元に戻りました。もちろん、一人暮らしです。親にはほとんど会いませんし、今はもう6年間くらい音信不通です。

 

そこでもまた新たに精神科へ通院しました。仕事は百貨店での販売員。仕事は楽しかったし、よく頑張っていたと思います。しかし、家では寝たきりです。私は、パニックの発作を抑えて、夜は眠れて、とにかく、仕事が出来ればそれでいいと思っていました。この時の処方は

頓服 ソラナックス

毎食後 デプロメール

眠剤 ハルシオン2セロクエル?錠

吐き気止めで ナウゼリンプリンペラン