『クレイージ・ライク・アメリカ』(イーサン・ウォッターズ・紀伊國屋書店)という本が最近翻訳出版された(2013年7月)。


      


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 副題は「心の病はいかに輸出されたか」である。日本に輸出されたのは「うつ病」。

しかも現在その市場は「メガマーケット化」していると、小見出しのタイトルにもなっている。

 日本で初めてSSRI(ルボックス)が売り出されたのは1999年である。本によると、ルボックスを売り出した明治製菓(現在のMeiji seikaファルマ)の社長、北里一郎が、『驚異の脳内薬品――鬱に勝つ「超」特効薬』という本を読んだ結果、日本でもこれは売れると決断したからだという。つまり、その当時、SSRIは日本において、売れるかどうか製薬会社としては確証がもてなかったのだ。

 現に、プロザックによってアメリカでSSRI競争のトップにたっていたイーライリリー社は、1990年代初頭に、日本人はこの薬を買わないだろうと考えたことから、日本進出を見送ったという経緯がある。

 SSRI発売以前、日本では「うつ病」は非常に珍しい病気とされていた。うつ病と診断される人はごく少数で、統合失調症(当時はまだ精神分裂病)と同様、「慢性的で破壊的な、仕事をつづけたり、うわべだけでも普通の生活を送ったりすることが困難になるような精神疾患だった」のだ。

 そのような日本に、どうしたらうつ病の治療薬SSRIを浸透させることができるか。明治製菓は一足先に決断を下したが、ルボックスだけにSSRI市場を独占させたくないグラクソ・スミスクライン社(GSK社=パキシルを販売している製薬会社)は、まず日本人のうつ病観を知ること(そして変えること)が先決であると判断した。


2000年の京都会議

そこで、2000年、京都で国際会議を催したのである。この会議には世界中から著名な学者や研究者が集められ、日本の精神医学について、さらに精神疾患観の変遷について、幅広いテーマの発表が行われた。

本書によると、出席者たちは「まるで王族のように」扱われたらしい。京都までの飛行機はファースト・クラスであり、宿泊するホテルも超一流、高級料亭も用意された。

 日本からこの会議に出席したのは、杏林大学の田島治氏である。(他に、慶応大学の大野裕氏も出席している)。

 田島氏は、講演の中で、日本人の自殺について触れた――毎年多くの中年男性が自殺の名所といわれる富士山の樹海に入って首を吊り、また東京の中央線の運行が、サラリーマンが飛び込む人身事故のため遅れることがよくあることなど。

さらに氏は講演の最後を次のような内容で締めくくったという。「今日、日本の精神科医もようやくDSMという診断基準を使うようになった、それによって、正確な診断を下す技術が格段に向上しました」。

 GSK社の狙いは、あらゆる方面からのヒアリングを行い、それに基づいて、日本のメンタルヘルスの定義を作り変えることだったと言っていい。

 そして、それは見事に成功したのである。




内因性うつ病が「心の風邪」へ

 日本ではもともと「うつ病」というと内因性うつ病というとらえ方が精神科医に限らず一般の人にとってもほとんどだった。それをいかに、すでにSSRIの浸透しているアメリカ同様のDepressionとして作り変えるか。

 GSK社はまず「うつ病キャンペーン」なるものを新聞紙上で展開し、またテレビCMでも「つらい状態が1か月続いたら、お医者さんへ。それ以上我慢しないでください」と女優の木村多江を使って、盛んに訴えかけたのである。

 本書より引用する。

「うつ病が意図的に、曖昧で明確に定義されていない、広範な人たちや不快症状に当てはまる可能性のあるものとして、描かれていました。うつ病と気分の落ち込みの違いを見分けるのは、「症状」が続く「1か月」という時間の長さだけのようでした」

 そして、「うつは「心の風邪」」なる流行り言葉が生まれたのである。



 さらに、SSRIは最先端の医学の象徴であるという考えが流布され、「脳内で自然分泌される化学物質のバランスを整えるSSRIの導入によって日本も時代に追いつくのだ」という空気が醸し出された。(ちなみに、日本はアメリカに15年遅れているとみなされていたらしい)。

 そして、製薬会社は自社の薬を援護する研究に助成金をだし、研究者は顧問料をもらうことが多く、製薬会社が後援する専門学会で話すと謝礼を受け取れた。

 利益相反ではないのか……しかし、実際製薬会社から利益を得ていたある研究者はこう述べている。

「製薬会社の相談役を務める研究者の大半は、自分たちは世の役に立っているのだから、顧問料や手当をもらって当然だと考えていると思います」

 世の中の役に立っているという思い……これは製薬会社の人間にも当てはまる自己弁護のようでもある。




科学の嘘――モノアミン仮説

 しかし、ほころびは徐々に表れてきた。まず論文などほとんどはゴーストライターの手になるもので、製薬会社にとって都合の悪い論文は日の目をみないという事実が明らかにされた。特に、GSK社のパキシルはそうした騒動の中心にいたのだ。

 SSRI の効果を証明するかのように盛んに言われ続けている「セロトニン仮説」。

 GSK社の広報サイトでも以下のような説明がなされていた。

「セロトニンと呼ばれる脳内の神経伝達物質は通常、脳細胞間の情報伝達を助ける働きをしています。(中略)しかしながら、セロトニン濃度のバランスが崩れるとその伝達が阻害され、結果的にうつ病を引き起こすのです。(中略)パキシルCR錠は、セロトニン濃度のバランスの維持を助けます」



 さすがにこの記述はGSKの現在のHPには見られないが、同社が運営するサイトの「utsu.jp」には、こうした理論を図案化したものがまだ掲載されている。

   
精神医療の真実  聞かせてください、あなたの体験 

 

 こうした図は、「うつ」と名がつくページのそこかしこでいまだに見かける。当時、NHKなども盛んにこれを使って「うつ病啓発」をしていたものだ。

 

 しかし、現在に至るまで、セロトニンレベルの低下や神経伝達物質の「バランスの崩れ」とうつ病の因果関係が証明されたことは一度もないのである。

 本書によると、この事実はアメリカ精神医学協会が出版した『臨床精神医学』で以下のように記されているという。

「追加検証により、モノアミン仮説は裏付けられていない」

 これに対して、本の著者は次のように書く。

「その実、SSRIは、患者の脳内の化学物質のバランスを回復せず、むしろ広く変化させてしまう。この変化がうつ病患者を助けるケースもあるにせよ、SSRIがセロトニンの自然なバランスを回復するというのは、根拠のない理論である」



SSRI はプラセボ(偽薬)より優れた効果を示すとはいえない、という製薬会社にとって不利な臨床試験は隠されていた。

こうした事実を端的に言ってしまえば、セロトニン仮説は「科学」ではなく、製薬会社がSSRIを売るために考え出した一つの「物語」に過ぎないのだ。

事実はここまで判明しているにもかかわらず、日本のサイトにはいまだにこの理論を正面から唱えているものがある。例えば、持田製薬が出しているレクサプロだ。

HPには以下のような説明がある。

エスシタロプラムは選択的なセロトニン(5-HT)再取り込み阻害作用を示し、脳内での細胞外5-HT濃度を持続的に上昇させることにより、5-HT神経系を賦活化し抗うつ作用を示すと考えられます。」

 しかし、前述のとおり、アメリカでは、「追加検証により、モノアミン仮説は裏付けられていない」としているのだ。この事実を、製薬会社はどう説明するつもりなのだろう。

 

 さらにネットの世界では、どこが運営しているのかわからないような書き方で、あたかも「うつ病」について啓蒙することが社会貢献であるかのような顔をしたHPが多々ある。しかし、それらの実際の運営は製薬会社であることがほとんどであり、監修として精神科医の名前が示されている場合も多い。

 たとえば、最近見つけた、「こころの健康情報局」というページ。ここでは上記の図がもっと念入りに作成され、「うつ病が起きるメカニズム」が説明されている。

 http://www.smilenavigator.jp/utsu/about/science/sci01_01.html

 このHPのバックにいるのは、大塚製薬であり、国際医療福祉大学 医療福祉学部教授の上島国利氏が資料の監修を行っている。

 こうした例は、いまだに枚挙にいとまがない。

 そして、医師も患者も、その理論をいまだに信じている傾向にある。




自殺とSSRI

 そもそも日本にうつ病を広め、SSRIを広めるために使われた手法は、田島氏が指摘した、日本人の自殺の多さという観点である。うつ病は放置しておくと自殺の危険性があるので、SSRIできちんと治療をしましょう――これは「心の風邪」という言い方とは全く逆の理論であるが、そのことを指摘する人は当時一人もいなかった。

 自殺とうつ病――しかし、SSRIそのものに自殺念慮に関する重大な副作用があるのだ。



GSK社は、当初、「パキシルは青年における大うつ病に概して耐性と効果がある」と結論付けていたが、のちにこれは、同社の情報操作であることが判明した。

同社の内部文書によれば、「10代のうつ病に対するパキシルの影響は、「あまり強固」なものではなく、むしろプラセボより薬を飲んだ場合、入院や自殺企図が2倍以上高い傾向にある」というのだ。GSK社はこうした情報をあえて隠ぺいしたのである。

こうしたGSK社の情報操作は非常い悪質であり、それを手助けした研究者はやはり責められるべきであると思う。少なくとも、治療初期の若者への投与に関するリスクが正確に報告されていれば、医師も心構えをすることができたはずであるから。

しかし、そうでない医師も確かに存在する。たとえば、現在のパキシルの添付文書――718歳の大うつ病性障害患者を対象としたプラセボ対照試験において有効性が確認できなかったとの報告、また、自殺に関するリスクが増加するとの報告がある――さえろくに見ていない医師も多数いると思われる。

以下は、最近ある記事についたメントである。


先日弟が自殺をしました。パキシルを飲み始めて二ヶ月もたっていません。薬が10ミリから20ミリになってから、言動が、おかしくなり自殺企図を考えるようになったように思えます。……心療内科の先生は、自殺企図を知っていたのに、保護者にも伝えずパキシルのことも、家族はみんな知らないままでした。……心療内科の先生は、自殺はしないと約束したので保護者には伝えなかったと言ってました。もう悔やんでも遅いですが、パキシルをなくしてほしいと心から思います。」



 弟さんは二十歳になったばかりだという。18歳未満と「二十歳になったばかり」の違いがいったいどこにあるというのか? この医師の中に、パキシルに対する知識や警戒心がもう少しあったら、自殺念慮のある若者への抗うつ薬投与が(しかも治療初期、しかも増量直後)どれほど危険か、そのことがわかっていれば……悔やんでも悔やみきれない。

しかも、こうした医師が何の咎を受けることもなく、一方で自殺をした本人が「うつ病だったから自殺も仕方がない」という世間の受け止め方のなかで、よくあることの一つとして忘れ去られてしまうことに、非常な違和感を覚える。自殺は本当に彼の病気だけの問題なのか?



 少なくともこの本『クレイジー・ライク・アメリカ』を読むと、パキシルという薬がどのような背景を持つ薬であり、さらに、現在のこの日本の「うつ病大国」がどのような経緯によって「つくられて」いったものかが、よくわかる。

 現在日本に蔓延している「うつ病」は製薬会社が作り出したものである。しかし、すでに10年以上の歳月を経て、いまやそれは文化的に共有されている一つの「病」となったのだ。



 京都会議にも出席し、当初GSK社から研究費を受け取っていた田島治氏は、のちにその贖罪のように、抗うつ薬の功罪を説くデイビット・ヒーリーのいくつかの本を翻訳しているが、著者は田島氏に対して、研究費を受け取っていたことについてどう思うかを問うている。

 その回答をここに引用するのは控えるが、私の印象としては、あまりに一般論にすぎる回答のような気がする。一か所だけ紹介すると、「業界のオピニオンリーダーが娼婦に成り下がる」という表現が使われている。ということは、大いなる皮肉を込めて言えば、氏も以前はGSK社の「娼婦」だったという認識があるということだろうか。

















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