去年の4月、ベンゾジアゼピンの離脱症状に苦しむD子さんのケースを紹介した。(「離脱症状との終わらない闘い」として2回に分けて) 

http://ameblo.jp/momo-kako/entry-10874997893.html

http://ameblo.jp/momo-kako/entry-10874999415.html




 このブログ掲載後もD子さんとはメールでやり取りを続け、さらに私の知る離脱経験者を紹介し、その方からのアドバイスなども送り続けた。

 それと並行して、アメリカのベンゾ離脱をサポートする団体とも連絡をとり、D子さんを紹介。幸いD子さんは英語が堪能だったので、団体のカウンセラーとメールのやり取りが可能となり、さまざまアドバイスを受けていたようだった。

 しかし、離脱症状は一向に改善の兆しを見せず、減薬もうまく進まず、やきもきしていた去年の6月、D子さんから「復活へむけて」というメールが私に届いた。

「かこ様

この間、なんとかベンゾから抜け出すために、

綱渡りのぎりぎりのすさまじい状態が続いており、

しばらくは経過報告ができないと思いますが、

のちに良い知らせをお聞かせできればと思います。」




このメールを最後にD子さんからの連絡はぱたりと途絶えたのだった。



ブログのコメント欄にも「この方(D子さんのこと)は今どうしていらっしゃるのでしょう?」というコメントが入ったりした。私も気になり、D子さんにメールを2度ほど送ってみたが、返信はなく、本当にどうしているのか、薬をやめることはできたのか、元気になったのか、それとも……など、ときどき思い出しては考えていた。




そして、最後のメールから1年3ヵ月後のこの9月上旬のこと。

携帯にかかってきた電話に出ると、それはなんと、D子さんからの電話だったのである。

(ブログ上では「D子さん」と女性のような表現を使ったが、D子さん、実は男性である)。

 ひと声聞いて、はきはきとした物言いから、私はD(子)さんがもう完全に離脱できたのだとすぐにわかった。

 最後のメールにあった言葉――「のちに良い知らせをお聞かせできればと思います」――それを実行してくれたのだ。

 うれしくて私は思わず電話口に向かって大きな声を出していた。

「本当にDさんですか? すごく生き生きした声をしています!」

「私もいろいろありましたが、かこさんだけには今の結果を伝えなければと思い、電話しました」




 Dさんは、その後のことについて、いろいろ話してくれた。アメリカの支援団体とは連絡をとり続けていたそうだ。そこでアドバイスされる食事や薬の管理について、厳格に守り、また、そこが推奨するサプリメントも輸入したりと、とにかくできることは何でもやったという。

「私の場合、もう自殺しか道はないような状態だったので、これ以上悪い結果になることはないという開き直りでやりました。しかし、あれはもう根性とか、そういうレベルを超えた、何と表現すればいいのか、もう二度と、絶対経験したくない、そういうレベルの体験です」

 団体からアドバイスされることを慎重に守って、自分の体を意識しつつ、体と相談しながら、自然治癒へとゆっくり向かわせていく……。自分の体を使って実験をしていくような、そんな感じだったとDさんは言う。


 眠れないという主訴のためありとあらゆるベンゾをとっかえひっかえ処方され(ときにメジャーまで処方され)、結局どの薬にもすぐに耐性がついて、効く薬がもうほとんどないような状態だった。

 それでも多剤だった薬を何とか一つに絞っていき(これがあれば何とか耐えることができるという薬)、それを徐々に減らしていった。

 薬をやめるまでに半年以上の時間が必要だったと言う。もちろん、その間も、その後も離脱症状は続き、食べ物と、サプリメントを支えに、崩れた体(受容体)のバランスが元に戻るのをじっと待つ――それは自然治癒しかない。Dさんの場合、4ヵ月くらいで自身の体の変化をちょっと感じることができたそうだ。


「離脱は計画的に、システマティックにやらなければと思います。そういう自己管理は絶対に必要です。それと、自分の体のちょっとした変化に気づくとか、体と相談するとか、自分の体がいまどういう状態にあるのかとか、そういうことをチェックしていく意思の力も必要です。日本には、アメリカのように細かい単位で薬を管理してくれる薬剤師がいませんから、すべて自分でやらなければなりません。細かい欠片の、ちょっとした量を間違えると、それだけでもう離脱症状が出るわけですから、それは慎重になりますよ。また、私はそれ以前、サプリもありとあらゆるものを試していますが、団体のサプリはまあましな方かなと感じました。それでも、やっぱりお金がかかります。バカにならない金額です。だから、私のやった方法がベストだと思わないし、勧めることもできないと思っています。でも、私のように、あそこまでベンゾの離脱で行き詰っていても、まったく道がないわけじゃない、不可能じゃない、そのことだけは伝えたいんです」

 まったく眠れない、ときどき「発狂状態」となって大声を出すこともあった。近所の人に通報されるのが怖かった……そんなDさんも、現在では薬はゼロになり、外出もできるようになった。ときどきまだ、締め付けるような頭痛がすることがあるが、それもかなり軽くなってきている。


5年ほど前、ちょっとしたことで受診した内科で出されたデパスから始まったベンゾとの闘いである。耐性、離脱症状との5年間の闘い。

「その間、薬にまつわるさまざまな問題にも気づきました。離脱にとっていいもの悪いもの、そういう観点から、栄養学も学びました。添加物、化学物質についてもいろいろ調べました。私ももう40近い年齢ですが、地獄を見たので、本当、人生観が変わりましたよ。もう、やりたいことをやる、そんな気持ちです」

 この5年間で仕事を失っていたDさんだが、現在、大きな夢を抱いている。今の家を売り払って、田舎に行って有機農業をやりたい。

「添加物まみれの生活から脱却したい。人生を根本的に見直したい。今は新規就農者を支援するような動きもありますから、夢に向けて、いろいろ動き出しているところです」

 去年の4月から1年半近く経過した現在、まったく別人のように生まれ変わったDさん。

 ともかくDさんの夢が実現するようにと祈らずにはいられない。と同時に、見事、ベンゾ地獄から脱出したDさんの姿は、きっと多くの人に希望を与えるに違いない。

「大丈夫、道はある。離脱は不可能ではない」




 ※なお、アメリカのベンゾの離脱支援団体については、一応HPを紹介しますが、自分の責任においてコンタクトをとるなり、参考にするなりしてください。Dさんも言っているように、誰にでも勧められるものではありませんし、私も勧めているわけではありません。英語(かなり専門用語も出てくる)でメールのやり取りをする必要もあります。また、それなりの資金も必要です。

 http://www.pointofreturn.com/  (point of return

 代表の女性がベンゾ離脱経験者です。