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  • 30 Aug
    • 配偶者控除見直しへ

      PCを開けてみたら、タイトルのような記事が目に飛び込んできました。 与党の中には、慎重論もあるそうですが・・・。 私が働いていた時は、 「なんで健康でお金持ちの専業主婦のために、私が税金や年金を負担しなけらばならないのか?」 と不満でした。 特に1つ目の会社の社宅が通勤時間徒歩10分と近所にあったため、総合職男性の優雅な生活振りが垣間見えて、うらやましかったです。 社宅暮らしの総合職男性は、通勤時間徒歩10分で、清潔な家に帰ると手作りの食事が待っている。衣類もきちんと洗濯されている。 一方私は通勤時間1時間以上で、母には家事をしないと叱られており、認知症の父の入院費の負担が重かったです。父は当然家事ができません。入院しているのですから当たり前ですが、家事ができない父には、家族手当が支給されず、家事をしてくれる健康な専業主婦には配偶者手当が支給されているのも、不公平だと思っていました。 清潔な家に住みたいけれど、私自身が家事ができないので、見ないようにして我慢していました。母が遅番の時の1人の食事は味気なく、クリスマスの日に冷蔵庫を開けると、ラップに包まれたスーパーで買ったローストチキンを見た時の悲しさは、言葉に表すことができません。 後に、父の家族手当は支給されるようになりましたが・・・。 ついに、議論が始まるのですね。 ついでに、130万円の壁も何とかしていただき、第3号の年金制度の見直しもして欲しいです。 もっとも、仕事をしていない今私は、3号の制度を利用しているので、負担が増えるのはちょっと困りますが・・・。 しかし、病気や障害が原因で独身の女性と比べて、結婚できている私は恵まれた方だと思うので、多少の負担は仕方がないと思っています。 ついでに、 「年金や健康保険の制度の見直しはないのか?」 と調べてみました。この制度の見直し抜きでは、片手落ちだと思うからです。 見つかりました。 厚労省のサイトです。 平成28年10月から厚生年金保険・健康保険の加入対象が広がります!(社会保険の適用拡大) だそうです。 新たに加入することになる対象者 をご覧ください。 私はパートでわずかな収入がありますが、どうも対象外のようです。 こうなれば、20時間/週働ける体作りにより一層精進したいと思いました。

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  • 27 Aug
    • 障害は他人事②

      今日は、障害年金の話題を離れて、過去の体験をお話ししたいと思います。 障害は他人事で思い出した体験です。 1つ目の会社に就労している時、定年退職後は、老人ホームの施設長になるという方に興味を抱き、その男性の送別会に飛び入り参加したときのことです。 その男性から、 「失礼ですが、そのお体はどうされたのですか?」 と聞かれました。障害について正面きって質問されたのはこれが初めてでした。 「股関節脱臼が原因で、子供の頃から何度も治療や手術を繰り返してきました。」 と答えると、この男性からは、 「それでは、ご両親は大変だったでしょう。」 という答えが返って来て、驚いてしまいました。 治療の費用負担以外父は何してくれませんでしたが、確かに母は幼い私を背負い、雨の日も雪の日も風の日も、1日おきに通院し、リハビリを受けました。絶対に治る。治して見せる。と心の中で呟いていたそうです。 12歳、13歳にかけての3回の入退院や4度の手術では、術後39度台の熱がある時は、病院に泊まり込んで私の看病をし、熱が下がると家にも戻りましたが、定期券を買って毎日通って来てくれました。 家事と、片道2時間の移動と私の看病は大変だったと思います。退院後も、車を使った学校への送り迎えと夕方はリハビリのための通院、夕食後は、母によるPTの先生の見よう見まねの自主リハビリで、当時を思い出すと母も一生懸命だったと思います。 中学2年生になると、私は杖を手放して、自転車で通学するようになり、母の負担は軽くなって行きました。 中学3年の秋ごろより母は働き始め、その頃から私は母の代わりに夕飯を作るようになりました。 食事作りは足が痛くて嫌でしたが、母は決して許してはくれませんでした。 高校生になると、通院も1人で行くようになり、私の病気は母にとっては過去のものになってゆきました。 29歳で固定術を受けることを決めた私ですが、母からは思わぬ反対にあいました。 「手術はまだ早い。」 というのです。 「痛いのは私であって、母ではない。それに、母から手術を反対されても、手術を受けられる程度の費用を負担することが私にはできる。」 と考え、母の反対を押し切って、手術を受けました。 しかし、術後職場復帰したものの体調が悪化し続け、会社を休むことが増えて行きました。 そんな時、会社を休んで寝ている私の枕元に母が立ち、 「そんなに会社を休んでばかりいると、信用を無くす。今からでも遅くないから、会社に行きなさい!!」 と母はいいましたが、私はその言葉を無視することしかできませんでした。 そんな母の無理解に苦しんでいた時に、この男性から聞かされたこの言葉に、 「自分が障害者になることは考えられないが、家族が障害者になる可能性については、想像できたのかな?」 と私は思いました。 驚いている私に、慌ててこの男性は 「もちろん、ご本人が一番大変ですが・・・。」 と取ってつけたような言葉を返してきたので、私は深く頷きました。 障害は先天性のもので、健康な体で生まれてきた自分は、死ぬまで障害とは無関係と考えているのでしょうか? あの時から、何度も思い出す、貴重な体験でした。

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  • 24 Aug
    • 障害は他人事

      今日、昨日紹介しました 哲学者カントの著書「永遠平和のために」 を解説した100分で名著の最終回を見ました。 このバ番組では、悪魔がホールケーキを切り分けることを例に上げて解説されていました。 悪魔は、少しでも大きなケーキを自分がもらいたいと考えています。そこで、ケーキを切り分けた人が最後のケーキを取る。というルールにすると、ケーキを切り分ける役割の悪魔は、均等に切り分けようと苦心します。 これが、公平なルールなのだそうです。利己心の塊のような悪魔であっても、ルールに従う方が平和で暮らせると説いたカントの説です。 それの番組を見ながら、また私の障害年金の裁判を思い出していました。 障害年金の額改定の審査の決定書において、このような記述がありました。 「(身体表現性障害は)精神疾患であると認められることから、改定請求時診断書に記載された障害の状態は、当該傷病(両変形性股関節症)と別の傷病によるものであると認められる。」 私はこの記載について、論理が破綻していると裁判で主張しましたが、判決では、この点について、全く触れていません。 悪魔たちがケーキを切り分けるという行為は、ケーキを分ける当事者間で行われることですが、障害年金の審査に関しては、健康なお役人や、この裁判においても健康な裁判官が審査、審理、判決を行うものであり、障害を抱えた当事者ではありません。 そこに、公平性が担保できず、障害者が到底納得できない判決となったと私は考えます。 つまり、他人事なのです。 この太字の部分を障害者が読んだらどんな気持ちになるか? 想像が全く及んでいません。 お役人や裁判官たちは、自分が障害者になる可能性があることが全く念頭にないのです。 しかし、どんな健康な人であってもケガが原因で、障害を抱えてしまうこともあるでしょう。思わぬ病気で苦しむこともあるでしう。そうなってから、過去の自分の仕事を振り返って、後悔してももう遅いのです。 私が仕事をしていた時、会社に行こうと思って家を出たら、老齢年金を受け取っている健康な人が、家庭菜園で楽しんでいる姿が目に入り、憎しみのような感情がわいてきたことがあります。 障害者である私は腰や股関節の痛み、倦怠感を我慢して仕事をしているというのに、暇と体力をを持て余している人がいることについて、うらやましくなってしまったのです。 日本という国は、どうしてこうも高齢者に甘く、障害者に厳しいのでしょうか? 高齢者が多くいて、その人たちの投票率が高いことから、政治家は選挙に当選したいので、どうしても高齢者の要望に沿った政策を実行しがちである。 と良く言われていますが、 「政治家やお役人もやがては高齢者になりますが、障害者にはならないという考えも、一方ではあるのではないか。」 と考えたりします。 障害者はマイノリティーなので、無視しても構わないと考えているのでしょうか? 考えてみたら、お役には共済年金、政治家も別の年金制度で守られていて、私たち庶民より優遇されています。 それも、他人事となる要因ではないかと思います。 悪魔がケーキを分け合った時のように、障害年金認定基準の作成には、障害当事者も参加できるような制度とすることはできないのでしょうか。 限りある年金の原資を、どう公平に分けるのか? について、是非その話し合いに参加してみたいと、私は思いました。

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  • 23 Aug
    • 国家総動員法って?

      「永遠平和のために」 というカントの著書を読み解く、100で名著という番組の3回目に、国家総動員法という言葉が出てきました。 この法律の存在は知っていまいたが、内容までは知らないままに58年を過ごしてきたことに、気づかされました。 改めて、「国家総動員法」を勉強しようとしましたが、やっぱり難しいです。 ウィキペディアより この番組で知ったのですが、国家総動員法は、立法と行政が一体となってしまった法律だそうです。 それで、人が武器や弾薬のような消耗品扱いされ、若き命が多く散ってしまったのですね。 カントは、 「立法と行政は分離していなければならない。」 と「永遠平和のために」という著書で語っているそうです。 それを知った時、私はまたまた私が経験した、障害年金額改定を求めた民事裁判を思い出しました。 この裁判は、「国民年金・厚生年金保険 障害認定基準」に基づいて議論が進められましたが、この認定基準は、法規範性を有していない、ということを被告である国の代理人も認めていました。 ということは、厚労省が立法府の手続きを経ずに作られた基準だということになります。 それで、 「データやエビデンスのない基準が、規定されてるのだな。」 と思いました。 例えば、 「神経症圏にあっては、その症状が長期に持続し、一見重篤なものであっても、原則として認定の対象とならない」 とか 「単なる疼痛も原則として、障害認定の対象外である」 などです。 私は、疼痛に関してはこの論文(「慢性疼痛と「障害」認定をめぐる課題――障害者総合支援法のこれからに向けて」)を引用して反論しましたが、判決でも全く触れていませんでした。 認定基準は、どうやって障害年金の対象者を狭く規定するかに関して苦心した基準であり、そのよそのような厚労省の感情がプンプンと匂う基準だと私は考えます。 私はこの裁判を経験して、到底超えることのできない高いハードルを感じ、日本政府や司法に失望しました。 これでは、日本国は、国民の 「健康で文化的な生活を送る権利」 や 「幸福追及の権利」 が満たしているとは思えません。 判決では、原告は頑張り過ぎる傾向があることを指摘し、障害年金の額改定を却下しましたが、それでは 「もっと頑張れ」 と裁判所がいっているように私には思えました。 日本年金機構や小厚労省の審査では納得できなかった結論に対してある程度の納得が得られると信じて裁判に臨みましたが、未だに納得できないでいます。

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  • 22 Aug
    • 国は、国民の生命・財産を守ってはくれない。

      夏になると戦争関連のドキュメンタリー番組やドラマ・映画などが多く放送されます。 58年も生きていると、戦争被害に関する証言などは、少し食傷気味ですが、それでも「71年目の真実」などといった副題に興味そそられて、ついついテレビを見てしまいます。 毎年戦争関連のテレビ報道を見て思うことは、タイトルのとおり、 「国は、国民の生命・財産を守ってはくれない。」 ということです。 それは、障害年金の制度しかり サリドマイド・薬害エイズ問題しかり 森永ヒ素ミルク中毒事件しかり 水俣病を代表とする各種の公害問題しかり 国や加害企業は責任をなかなか認めようとしません。 様々な研究者や被害当事者・家族などの地道な訴えに渋々重い腰を国や加害企業が上げているのが実情です。 もしかしたら、マスコミが取り上げない問題で、国民が生命・財産を侵害されている人がいらっしゃるかもしれません。 そんな、制度の谷間に落ちてしまった人たちにも、私たちの目が届くことを願っています。 戦争に関しては、被害者の証言は多いのですが、加害者の立場での証言が少ないと感じています。 それは、既に戦犯として処刑されてしまった人がいることもあるでしょうが、加害者の立場となってしまった人にも贖罪の気持ちがあって、なかなか語りたがらないという実情もあるのかもしれないと、最近は思うようになりました。 何故、あの無謀な戦争に突入してしまったのか? 様々な研究がなされていると思いますが、私ごとき者には計り知れない重い事実があるのかもしれません。 ただ単に、膨大な権力を持ち、それを使いたくなるのが人間であり、一旦初めてしまったことについて抑止力が働かないのが、日本国というものなのかもしれません。 何度考えても、戦争関連の報道に接しても、私には分からないことだらけです。 最近、カントという哲学者は、 「人は放っておいたら戦争をしてしまう、邪悪な存在だ。」 と語っていることを知りました。 私が付け加えるとしタたら、 「人は放っておいたら、差別をしてしまう。イジメをしてしまう、邪悪な存在だ。」 ということをつくづく思います。 だからこそ、国がきちんと法律で、イジメや差別を規制して行く必要があると、私は考えます。

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  • 21 Aug
    • 母と子 あの日から~森永ヒ素ミルク事件60年~ 感想

      番組中、被害に遭った当事者やその母親たちが、 「お金が欲しいのではない。健康を返してほしい。」 という叫びに心打たれました。 私の障害年金額改定の裁判でも、 「原告は頑張り過ぎる傾向がある。」 という私の主治医の主張に対して、 「自ら進んで頑張ったのではなく、家族を含む周囲の人の無理解や、父の入院費の負担、法律の未整備が原因であり、更に女性差別、障害者差別等の複合的な差別があったことが原因である。もし、原告が頑張らなかったら、生活保護受給者となっていたことだろう。そうなれば、障害年金よりも国の負担はますます増えたことになる。」 と主張しましたが、判決ではこの点についても全く触れていません。 むしろ、私が申し立てた「頑張り過ぎる傾向」を引用し、 また、原告は頑張り過ぎる性格であると指摘されており、職場で孤立し、障害者としての配慮を受けられず、家族からもつらさを理解されないまま、無理して働かざるを得ない状況にあったのであり、両変形性股関節症に罹患しなければ、身体表現性障害に罹患しなかった旨を主張し、これに沿う家庭や職場での状況についての家族や元同僚の陳述書がある。 (中略) 原告の主張をしんしゃくしても、両変形性股関節症があることにより生じた環境が、身体的に原因不明の疼痛の一要因となった可能性があるというのにとどまり、およそ他の要因により身体表現性障害を発症した可能性を否定することはできないというほかないのであって、両変形性股関節症と身体表現性障害との間に相当因果関係があると認めることはできない。 とされました。 私もお金が欲しいのではありません。障害者が安心して働き、差別されず、人としての尊厳が保障された生活が送りたいだけなのです。 今年の4月1日に障害者雇用促進法が改正され、職場での合理的配慮の提供が義務つけられ、合理的配慮の不提供緒は差別であると規定されました。 私にとっては、遅すぎる法律の改正です。 また、少子化のこの日本おいては、 「障害者だからといって親の扶養を免除されることはない。」 という残酷な事実についても、判決はもっと換言して欲しかったと考えています。

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  • 20 Aug
    • 母と子 あの日から~森永ヒ素ミルク事件60年~

      タイトルの番組を録画しておいたものを見ました。 私が生まれる前の事件なので、この事件の全貌を知らないまま今まで過ごしてきたことに気づかされました。 この事件は、森永が粉ミルクを製造する過程で添加した原料を食品用から工業用の規格品に替え、この工業品規格の添加剤にヒ素が不純物として混入されていたことが原因だということを、初めて知りました。 医薬品の原料受け入れ試験では、必ずといっていいほどにヒ素と重金属の試験が医薬品の承認書で規定されていますが、その理由はこの事件が発端ではないかと思いました。 事件発生当初、国や企業は、ヒ素中毒による後遺症について認めず、 「もとからあった障害であって、ヒ素が原因ではない。」 と主張していました。 私は、 「そんなこと森永の粉ミルクを飲んだ子供と飲まなかった子供の障害の発生率を統計学的見地から比較したら、直ぐに結論ができことなのに・・・。」 と思いました。 この統計学的見地からの調査を疫学調査をいうのだそうです。 実際、この疫学調査が大学教授によって実施されたのは、14年あまり経った後で、この調査結果より、ようやく国と企業が後遺症を認め、国、森永乳業、被害者団体が昭和48年に「恒久救済」に合意した。 ということでした。 「なんだかどこかで聞いたようなことだわ。」 と私は思いました。それは、私の障害年金額改定の民事裁判でのことです。 障害認定の対象とならない根拠は、 「神経症圏の傷病は、自ら引き返せるような状態であること」と指摘し、 「自ら引き返えせるような状態を障害給付の対象とすることは、、自らそれを治す努力を喪失させる。」 と指摘している。 コチラのブログでもう少し詳しく解説しています。 私はこの記載について、臨床統計データというエビデンスがあるのですか?あるのならば提出してください。 と裁判の準備書面で反論しましたが、 「障害給付の制度論をのべたものであり、統計データの性出が求めれらる事項ではない。」」 というのが、被告(国)の答えでした。 判決では、この点については全く触れておらず、結局統計データがあるのか、ないのかさえわかりませんでした。 無いのだと私は思いました。 国や森永の主張と全く同じです。 しかし、1市民でしかない私が疫学調査を実施できるはずもなく、もし頑張って実施してとしてもその結論には説得力がありません。やはり大学教授などの社会的地位にある人による調査の実施が必要です。 自分の無力を感じました。 もちろん障害年金の原資が不足していて、多くの人を障害年金の対象としてしまったら、年金制度が破綻してしまいます。 それは私にも良く分かっています。 だからといって、説得力やエビデンスのない規定がまかり通り、障害者が納得できないままに、現実を受け入れざるを得ない現状は、間違っていると思います。 「私と同じ経験をしている人が大勢いるのだな。」 と思った番組でした。

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  • 04 Aug
    • リオパラの壮行会に行ってきました。

      今日、リオパッリンピックに出場する県の選手の壮行会が、いつも利用しているセンターで実施されたので、行ってきて、今帰ったばかりです。 主催は、利用しているセンターと県障害者スポーツ協会の合同でした。 県からは10人の選手が出場されるそうですが、その内4人の選手が壮行会に来てくれました。 車椅子バスケットの選手2名と車椅子テニスの選手1名とアーチェリーの選手1名です。 皆さん、同じセンターを利用されていることを初めて知りました。意外にパラリンピックって、私な身近な存在だったのですね。 アーチェリーの選手は、私も同じ射場を利用しているため、お名前を存じ上げていました。彼女は私の憧れの存在です。 彼女(40代)から、私は年下に思われていて、それがチョー自慢です。でもちゃんと白状しましたよ。50代後半だって・・・。 今までは、パラリンピックなんて、恵まれた障害者のためのものだと思っていました。私の嫉妬もあったのだと思いますが、私は生活の糧を得るために汲々としているばかりで、スポーツとは無縁だったからです。 私がスポーツをするようになったのも、失業がきっかけなので、スポーツか家事か仕事かの3者択一を迫られているのが私の現状です。 どうして、パラリンピックに出場できるまでに練習できるのでしょうか? 仕事をしながらの練習なのでしょうか? 特にテニスの選手は、年の1/3が海外遠征で試合で得るポイントでランキングが決まるそうです。仕事もされているそうですが、職場の配慮もすごいですよね。 うらやましいです。 今回、壮行会にいってきて、選手の名前やお顔を覚えてきたので、9月に始まるパラリンピックをいつもより熱心に応援しようと思います。 特にアーチェリーの試合は、絶対に見て、 「ナイスショット!!」ってテレビの前で叫ぼうと思います。

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  • 02 Aug
    • 「ソニータ~アフガニスタン難民 少女ラッパーは叫ぶ~」

      タイトルのドキュメンタリー番組を、録画して置いて今見ました。 どうも、ドキュメンタリー番組を見ると怒りがわいてきて、ブログを書きたくなります。 ブログを書くネタはたくさんあるのですが、体調が悪い時は書けません。 私のブログ更新がない時は、体調が悪いのだなと思ってください。 番組は、イラン在住のアフガニスタン難民の少女の話です。 兄の結婚費用(相手の女性に渡す結納金)のために、妹を結婚させ結納金を得ようとしている現実を、ラップにして発表することで世の中を替えられないかと奮闘するお話しです。 私とこの少女の違いは、私には当時は仕事があり、生活力があったために父から 「結婚させない。」 といわれ、 少女は、生活力がないために35歳の既に別の女性と結婚している男性と結婚させられそうになることです。 私は父や夫の言いなりになりたくない一心で薬剤師になることにしましたが、薬学部在学中父からは、 「髪結いの亭主とだけは結婚するな。」 といわれたことがありましたが、父が髪結いの父になってしまいました。 この現実をどう思っているのか本音を聞いてみたいですが、きっと 「厳しいことを言うな。アッハッハ。」 ということでしょうね。 私が浪人中の父の口癖は、 「俺に1年間の時間があったら、東大に入る。」 でした。 入院中私は、 「時間がたっぷりあるのだから、東大に入ったら。」 といったところ、 「厳しいことを言うな。アッハッハ。」 でしたので・・・。 父につける薬はありません!!

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  • 01 Aug
    • 父の放火は防げなかったのか?

      父が47歳、私が22歳の時に父は隣家に放火し、その火が自宅に燃え家り我が家は全焼してしまいました。 この事件を未然に防げなかったのか? について、ずっと考え続けています。 最近、障害者施設において、入所している障害者の多くが殺傷される事件が起きたことがきっかけで、措置入院という言葉を知りました。 付属池田小事件の元死刑囚も措置入院し、退院後から2年で事件を起こしていることを、恥ずかしながら最近知りました。 「ケガはしなかったのですか?」 という質問を私は受けたことがありましたが、私がもし父の暴力が原因でケガをしたならば、私の性格上、親戚の家に逃げ出すか、1人暮らしを両親に願いでるか、父が通院する病院に行って、入院の可能性について相談したと思います。 しかし、ケガはしなかったため、 「父に殺される。」 という恐怖におびえながら、我慢し続けました。 我を通して、家を出たら大学を卒業できなくなる。それは損。」 と考えたからです。 自宅が燃えているのを見ながら、私は 「この地獄のような生活が終わる。」 とホッとしました。母は 「家が燃えてしまった。」 と泣いていましたが・・・。 家族中で、私が一番父の暴力や犯罪に対して憎んでいます。 「それはなぜか?」 考え続けています。 結論は出ていませんが、今考えているのは、私が一番失うものが大きかったのではないか、ということです。 母は、大人同士対等な関係を築いていて、武力を振るわれることは私より多く、喧嘩も絶えませんでしたが、 「私(母)がいなければ、父は生きて行けない。」 と父の足元を見る余裕がありました。 父と一緒に築いた土地と家と貯金があり、なによりわたしという娘がいるので、安心して私に看取られ、古式ゆかしい葬式をしてもらい、お墓の管理や仏壇に手を合わせることをしてくれる。という信頼があります。 辛かった日々は、母にとっては既に過去なのです。 一方私は幼さゆえに、バカにされたり、茶化されたり、体罰を受けたりしていました。そして、やがて成長し言葉で父を負かすようになると 「扶養家族は黙れ!!」 といって私を沈黙させました。 父の病気は、健康ならばオブラートで包まれている本性が、発病してオブラートが融けてしまったことで丸出しになったかのようでした。家族は自分の分身であり、自分の欲望を満たしてくれる道具だと思っていることに、私の心は深く傷つきました。 仕事を終えた父が大いびきをかいて寝ているのを見て、 「私はこれから実習レポートをかくために、徹夜なのだけど!!」 と腹が立ったものでです。 家事の事件直後、私は 「あの時は辛かったね。」 と笑って話せる時が来ると信じていましたが、35年余が経過した今も、父を許せず、笑うことはできません。 体に受けた傷よりも、心の傷の方が深くて深刻なのだと思います。 私はその後、深い男性不審に落ち入り、恋愛さえ臆病になりました。 そんな私がなぜ結婚しているのかと問われると、障害が原因で1人で生きて行く自信が無くなってしまったからです。 もし、私が健康ならば、きっとシングルマザーを目指したと思います。それほどに、私は人を特に男性を信じてません。 夫と結婚した時も、1度でも手をあげられた時は即離婚しようと負っていましたが、幸いにも今まで1度も手をあげられたこともなく、仕事を失った今も、「扶養家族」とののしられることもありません。 本当に幸せだと思います。 ただ1つだけ不足しているのは、結婚が遅かったことと、障害者だったことでストレスを抱えていたため、子供がいないことです。更に、育った地域を離れたことで幼馴染を失い、根なし草になったような不安感もあります。 障害者の娘のすねをかじり、目の前にいる女性が娘であることもわからず、 「もみじは結婚させなない!!」 と夫と一緒に結婚のあいさつのために父に面会に行った時に、父が言った言葉は、父の本音だと思います。私が父の入院費を負担していることをなぜか良く知っていて、私が結婚したら、自分は入院費を払えなくなることを心配しているのです。 父の病気は、アルツハイマー型の典型的な認知症でなはないような気がしてなりません。 放火という犯罪を犯す前に入院できていたら、私は多くのものを失う必要がなかったのに・・・。 と考え、それができなかったことが残念でたまりません。

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  • 30 Jul
    • 私は家族を殺した

      タイトルの番組を見て、とても他人事ではないと思いました。 私も父を殺したいと思ったことがあったからです。 それは、ブログに何度も書いていますが、私が22歳、父が47歳の時、父は隣家に放火し、その火が我が家に燃え移った事件がありましたが、その前の1年間です。 「なぜ父を殺すことを思い留まったのか?」 について考えてきましたが・・・ 1つには、父との圧倒的な体力差に到底父を殺すことはできないと思ったからです。 そしてもう1つの理由は、 「こんな人のために犯罪を犯し、自分の一生を棒に振ることは損だ。」 と思いました。 番組を見て、 「もし私が男性だったら、一線を越してしまったかもしれない。」 と考え、怖くなりました。 「この人さえいなくなれば、楽になれる。」 そう番組で語っている人がいましたが、私も同じことを考えました。 最近も植松聖容疑者が、障害者施設で大量殺人を起こした容疑で逮捕されました。 その報道で措置入院という言葉を知りました。 私の父も事件(4月)の前年の8月から精神病院に通院していました。 通院時に私が付き添っていて医師に 「『父に殺される夢を見た。怖くてたまらない。』と訴えていれば、措置入院が可能になり事件を未然に防げたかもしれない。」 と考えています。 最近母に聞いたところ、通院は父の弟と父親(私の祖父)が付き添ったそうです。当時は精肉店を経営していたので、母と父が同時に家を離れることができなかったことが1番の理由です。 父の日常生活を知らない人が付き添っても、現状を正確に医師に知らせることはできません。 しかし、当時私は大学生で22歳。父に付き添うには幼過ぎると母は考えたのでしょうか? それとも、 「そこまでの必用性はない。」 と考えたのでしょうか? 既に、母は今80歳を超えてしまったので、当時の記憶が曖昧で判然としないところが多いのです。 火災の後深夜でしたが、近くの家に警察に呼ばれていったところ、そこに父がいて、ワーワー騒いでいました。 「話にならない。」 といって、父のいる部屋から警察官が出て来たことをはっきり覚えています。 私は 「なんだ、生きていたのか。そうだよね。そんなに簡単に死なないよね。」 とがっかりし、父の様子を見て 「私の人生はこれで終わったな。」 と思いました。 結果として、その後就職もできたし、結婚もしましたので、そこまで思い詰める必要はなかったのですが・・・。 認知症による暴力、暴言は家族だけでは到底対処できない問題です。 もっともっと、日本社会全体で考え、議論していただきたいと切に願うばかりです。 最後に、 「父はなぜ逮捕されなかったのか?」 と母に聞いたところ、 「精神病院に入院してしまい、主治医が警察の取り調べを拒否したから。」 と聞かされています。 「一時的に入院してしまえば、警察から逃れられると考え、素直に入院することを父は承知したのだろう。」 と母はいいます。

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  • 28 Jul
    • つい、自分を責めてしまう。

      今年の5月から、何となく体がだるいな。と思っていました。 6月下旬に発疹が出たので、去年の経験から薬疹だと直ぐに考え、思い当たる薬を止めたところ発疹は引いて行きました。 しかし、倦怠感はなかなか治まりません。 母からは、 「水泳止めたの?」 と聞かれ、 「どうしてそういつも、人の人格を否定することばかり言うの!!」 と怒りました。 本当は、 「あなたのそういう考え方が、股関節脱臼の治療を遅らせ、私の障害が重くなった。」 といいたかったのですが、既に80歳を超えた人にいっても、なにも変わらないので、あきらめています。 このように、家族を含む周囲の人は見えない障害当事者に対して、 「サボっている」 とか 「なんでもっと頑張れなのか?」 などと人格を否定することを言いますが、見えない障害当事者だって、自分を責めているのです。 「なんでもっと頑張れなかったのか。」 と・・・。 毎日、お昼頃起きると直ぐにお昼寝してしまい、なんにもできないまま日がどんどん過ぎて行くことに、自分自身も焦りを感じ、筋肉が落ちてしまうことを心配してます。 結局、5月の全スポ予選会や6月の関東大会当日泳いだだけで、練習は全くできませんでした。 ようやく、この週末にゴーヤの佃煮を作り、昨日はジェノベーゼソースを作れるようになりました。 このまま順調に元気になれると好いのだけれど・・・。

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  • 23 Jul
    • 座椅子の使いごごち

      オットマン付きの意志が壊れてしまったので、すこし豪華な座椅子に替え、立ち上がりや座る動作を少し不便にして、リハビリしようと考えました。 座椅子が我が家にやって来て、約2週間が経ちました。 そこで座椅子の使いごごちを報告します。 1.少スペース化 オットマンがなくなったため、スペースが空いので、カニ歩きの必要な個所が無くなりました。 2.筋トレ 立ち上がりや座る動作を不便にして、日常の筋トレ効果をねらったのですが、思ったより楽に立ち上がれました。たぶん、座椅子の少しの厚み(約15cm程度)が、立ち上がりを助けているのだと思います。 座るのは結構大変で、ドスンと転がり落ちる感じです。もう少し中腰の姿勢を制御できたら良いのですが・・・。 座面が低い位置にあるので、ごみを捨てる時、薬やお茶を飲むとき、リモコンを取る動作等で、起き上がる必要があり、腹筋を使っているのが分かります。この想定外の効果がうれしいです。 3.ストレッチ ひじ掛けが無くなったので、胡坐をかくストレッチがやりやすくなりました。テレビを見ながら胡坐をかいています。腰が痛くなったら、寝転んで伸展制限緒ストレッチに姿勢を替えます。 私は17年間右股関節が固定されていたので、股関節が真直ぐではありません。主治医は 「屈曲は+10度から+90度の範囲で動いている。」 といいます。 そのため、仰向けでは寝られません。腰の痛みで目が覚めると、仰向けで寝ていたことが何度もありました。股関節が真直ぐではないので、仰向けで寝ると背中が反った状態になります。1日も早く、仰向けで寝られるようになりたいです。 以上3つの利点がありました。 想定外の利点が多くあり、買い換えて良かったと思っています。

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  • 08 Jul
    • より不便に・・・

      オットマン付きの椅子が壊れてしまったので、写真のような椅子(ちょっとだけ立派な座椅子)を買いました。 最近、床からの立ち上がりが少し楽になって来たので、リハビリを兼ねてイスよりも立ち上がりが不便な座椅子にしました。 これを、日常リハビリというのだそうです。 人工股関節全置換術を初めて受けた時、入院中に同じ病棟の患者さんたちからは、 「寝室は1階に移しなさい。」 といわれていましたが、2階のままで過ごしました。 退院から1ヶ月間は、仕事でどうしても出社しなければならない日以外は、一日中家にいましたが、階段の上り下りだけでもリハビリになりました。 退院直後は家でも杖を使いましたが、1週間でつたえ歩きができるようになり、階段に杖を置いて、階段の上り下りだけ杖を使うようになりました。 もちろん、会社では杖を突いていましたよ。 退院2ヶ月目には、夫が食材を買ってきてくれると、簡単な食事が作れるようになり、3ヵ月目には車で買い物に行けるようになりました。 仕事や家での活動がリハビリになったのだと思います。 これからも、あまり便利にし過ぎないように心がけようと思います。

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  • 02 Jul
    • 不寛容社会(2)

      私のブログが炎上したもう1つの理由は、 「公開審理の場で日常杖を突いていないのに、杖を突くような演技をすることは、杖を突いている人の気持ちを理解していない!!」 というものでした。 当時の私は本来杖を突かなけらばならないほどに、左右に揺れていましたが、あわてものの私は、杖をうっかり置き忘れ、探し回ることを何度も繰り返している内に、杖を突くことがめんどくさくなったことと、四十肩(肩周囲炎)を起こしたため、杖を突けなくなってしまったことの2つの理由からです。 当時の歩行の動画があるので紹介します。2011年10月撮影です。 この赤いセーターの女性が私です。偶然夫が撮影したビデオに写っていました。 去年の動画も紹介します。2015年11月撮影です。 この4年間の間に、だいぶ左右に揺れなくなりましたが。まだまだ健常者とは言えません。 さて、私のような固定術から人工股関節全置換術を受けた特殊は症例ではないのに、杖が外せないのはどうしてなのでしょうか? 1.杖を外せるのに、怖くて杖をあえて外そうとしない。 2.リハビリをサボっている 3.筋肉がなかなか強くならない特殊な事情がある この3つが考えられますが、私がブログを炎上させている人の事情を考える義理はありませんし、またそんな時間も私にはありません。 少なくとも言えるのは、人をうらやましいと思うことだけはしないでほしいだけです。 人をうらやましいと思う人は、うらやましいと思われる人の人知れない努力を否定していることになると思います。 私も、固定術のグラグラな筋肉から、ここまで歩けるようになるまでに、相当の努力をしてきました。その努力を否定しないでいただきたいと思います。 手術直後は、自分の意志ではピクリとも足を動かすことができなかったのですから・・・。 手術から2つ目の動画まで、11年です。かなり時間がかかり、相当な努力もし、そしてまだまだ私は満足していません。 これからもリハビリに精進します。

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  • 28 Jun
    • 不寛容社会

      6月11日にタイトルをテーマとする討論番組のさわりだけを見ました。 見ながら、 「そういえば、障害年金請求に関するブログが炎上したのだったけ・・・。あの時は本当に怖かったけれど、ペタをしてくれた人も多くいらっしゃって、私に消極的ではあったけれど共感してくれる人も少なくないのだった。」 とほんやり考えていました。 その後、水泳の関東大会の疲れのため、番組を全部に見ないで寝てしまったので、この番組に対するコメントは避けます。 あの時の炎上の理由は、 「私が公開審理の場で日常では」杖を突かないのに、杖を突いて、障害が重いような演技をしたことは、けしからん!!。」 というものでした。 当時は、演技をしたことを素直に謝罪したのですが、本音を言うと、あれほどの強い言葉でいわれなければならない程悪いことをしたという認識はありませんでした。 むしろ、演技しなければならない程に私は追い詰められていたのであって、その理由は日本年金機構の窓口の人や、審査する人に祖語があったからです。 そこで当時は上手に説明できませんでしたが、ことを最近ようやく理解し、整理することができたので、解説しようと思います。 本来、認定日による請求では、医師の診断書が2通必要でした。 1通は認定日の日付(私の場合は人工股関節全置換術を受けた時) 2通目は、障害年金請求の3ヵ月前から請求日までの間の日付の診断書です。 しかし、日本年金機構の窓口の人も、審査する人も認定日の診断書を要求せず、障害年金請求日の診断書のみ受理したのです。そこに、日本年金機構が側に祖語があります。 それは、障害年金不支給の理由を探すことに躍起になっていて、不支給の根拠が見つかった時点で、審査を終了させてしまい、提出すべき書類に不備があることを確認することをしない傾向があるのだと思います。 これは制度の運用の改善が必要な事態です。 私は固定術からの人工股関節全置換術だったので、特殊な症例でした。その後障害年金を請求できることを知ったのは、認定日から4.5年後だったので、認定日のあのよれよれの状態を審査するための書類が何もないことに納得することができず、2級の認定をねらって演技することにしたのですが、いくら杖を突いていても、重傷を演じても自力で公共交通機関を使って霞が関に行った事実を、公開審理の場で披露してしまっているので、2級の認定は難しいだろうと思っていました。 従って演技は、私の精一杯の抵抗でした。 しかし、認定日の日付の診断書があれば、結果は違ったかもしれません。 その後、回復してきているので、2級から3級に額改定されるのならば、納得できます。 公開審理場での演技は、私だけが悪いのではなく、日本年金機構や厚労省側にも問題があったことを指摘し、電子書籍を改定しました。 購入サイトはコチラです。

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  • 22 Jun
    • 昔の方が優しかった?

      6月19日に、見えない障害バッチを販売しているこちらのサイトの編集部の方が主催する座談会に出席しました。 その時、タイトルのような発言をした人がいましたが、私は賛同できませんでした。 私の母の例をご紹介します。 母は、少なくとも江戸時代には既に母の実家がある場所に住んでいる小作農の長女として生まれ育ち、やがて親戚が薦めるお見合いをして結婚したのが、私の父です。 結婚後は、父の実家で暮らしました。父の実家も江戸時代から続く小作農家です。 私が生まれてすぐに、父は家を出る決心をしました。 私と母は、その理由は父の体調にあり、農家を続ける自信が無くなったからだと思っていますが、親戚はそうは考えませんでした。 やがて時は過ぎ、私が生まれた時10歳だった叔父が、父の実家を継いで結婚することになりました。 祖母にとっては、2人目の嫁と暮らすことになります。 その親戚たちは祖母に換言したそうです。 「あの働き者の母が嫁として勤まらなかったのだから、それは祖母に主に原因があるに違いない。その口の悪さを慎むように・・・。」 というような内容だったそうです。 つまり、母は田舎のコミュニティーに守られ、信頼されて生きてきました。 そんな母がいわゆる街暮らしをすることになった訳ですが、母の昔の習慣が簡単に抜けることはなく、近所の人に家族(特に私の夫)の悪口を世間話でいいます。 私は何度も、 「家族の悪口は言ってはいけない。ほめるほどで丁度良い。」 といってきましたが、母は 「ほめるなんて、はしたない。良いんだよ。あの人はそんな人じゃあないから・・・。」 といって私の助言を聞き入れません。 母は、 「家族の自慢をすることは、はしたないことであり、むしろ悪口を言うくらいが謙虚で丁度良い。」 と考えているようでした。 ご近所の人にとっては、女だけで暮らし、しかも家は注文建築の家に住んでいることが不思議でたまらなかったらしいです。 父が隣家に放火し、今は精神病院に入院していることを一切話していないので、私と母との女だけの暮らしが理解できなかったのでしょう。 やがて、私は36歳で結婚するのですが、その後、夫が挨拶もできない不愛想な人で、感じが悪い人であること(それは事実ですけれど・・・)や、私が何度も転職を繰り返している。きっとプー太郎に違いなどと、あることないこと尾ひれを付けて話して回っている人がいることに、母は気が付きました。 すっかり意気消沈してしまった母は、ご近所との交流(いわゆる井戸端会議)を一切しなくなりました。 きっと、あのまま父の実家で暮らしていたら、私が赤ちゃんの頃に泣いてばかりいたことや、やがて股関節脱臼の治療のためにギブスに入ったこと、小学生の時から入退院を繰り返し、何度も手術を受け、母の運転する車で学校に通ったことなどを知っているご近所ならば、私の人間性を否定する近所の人はいないと思います。 しかし、今住んでいる家はそんな私の治療がすっかり終わった後の、24歳の時から暮らしているので、私が杖を突いているので障害者らしい。ということは知っていても、私の病気や障害について何も知らない人たちの中での暮らしは、私が本当の意味で見えない障害当事者なのだということになります。 つまり、昔が優しかったのではなく、コミュニティーのある場所での暮らしか、私たち家族のことをなにも知らない人たちのなかでの暮らしの違いなのだと思います。 父は隣家を放火するという犯罪を犯しているので、父の実家の周囲では父の評判はがた落ちですが、父を全面的に見方をしてくれる父の親友がいることや、父の病気が若年性認知症であることなどが知れ渡ることにより、父の評判も回復していった可能性はあります。 少なくとも私はそう信じたいです。

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  • 21 Jun
    • お気の毒だわ~お若いんですもの

      6月19日に、見えない障害バッチを販売しているこちらのサイトの編集部の方が主催する座談会に出席しました。 座談会のテーマは、「困ってるズと仕事」だったのですが、話が多岐にわたってしまい、まとまりのない座談会になってしまったのではないかと反省しています。 「その時、私が患者の会には最近距離を置くことにした。」 と発言したところ、共感していただきました。 29歳の時入院していましたが、その時隣のベッドの80歳の女性の口癖が、タイトルの言葉です。 私は大人になってからの入院が初めてだったこともあり、高齢者は皆このような考えを持っているのだろうと勘違いしていましたが、実際患者の会に参加してみると、 「若いから回復が早くてうらやましい。」 といわれることが多く、年金暮らしの高齢者と違って、無収入であることが不安であったり、若くて発症している人の方が、病気が重いことなどが理解されないことが多いために、私は患者の会には距離を置くことにしました。 この80歳の女性が特別に想像力が豊かな人だったのですね。それで、看護師さんや医師などの医療スタッフの方々や同室の患者さんたちに人気があったのだと、今は思います。 私もこの女性が大好きで、 「私Tさんが好きよ!」 というと 「私ももみじさんが好きよ!」 といってくださいました。そんな楽しい入院生活を送ることができ、今はこの女性に感謝しています。 患者の会では、 「若い人と年金生活者では、悩みが違うのだから、別々に話し合いをしたらどうか。」 とか、 「結婚できない人、子供にもぐまれない人などがいるのだから、『子供が・・。孫が・・・。等の話題は避けるように』。と代表の方から指提案してもらえないか。」 等と提案しましたが、受け入れてはいただけませんでした。 高齢者が仲間外れにされた、若い人だけで楽しそうに話している等と僻んでしまう危険があるらしいです。 最後には、 「痛い。痛い。」 と切々と訴える人の話を聞いていて、自分が本当に辛かった時のことを思いだして、気分が悪くなってしまったことがきっかけで、司会役を下ろさせていただき、最近はリハビリ講習会のみ参加し、話し合いには参加しないことにしました。 病気は違っても、高齢者と若い人ではなかなか共感しあえないことが共通な悩んであることを知ることができた、貴重な体験で、大変勉強になった2時間でした。 こんな貴重な体験をさせていただいた、編集部の皆さんに感謝します。 大変お世話になり、ありがとうございました。

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  • 13 Jun
    • 関東大会出場

      6月11日は、水泳の関東大会でした。場所は、横浜国際プールです。 移動は悩んだ末に、車にしました。久しぶりの首都高なので少し不安でしたが、渋滞がなく順調に2時間で着いてしまったため、皆が集合するまで1時間待ってしまいました。 結果は、自己ベストが 25m クロール:24秒06 50m クロール:57秒65 にたいし、 今回の結果は、 25m クロール:23秒62(大会記録) 50m クロール:57秒58(大会記録) 25mのみ自己ベスト更新です。 50mは、ターンに失敗してしまいました。あの失敗がなければ、55秒を切っている可能性があったと、聴かされました。50mも、もう少しで、自己ベスト更新でした。おしい!! でも、私としては課題が発見できて、満足です。 どんな失敗かというと、真直ぐにターンできず、1~2秒程度水中でもがいていました。ターンのタイミングは良かったので、残念です。タイで夫が撮影した動画があるでお見せします。全く同じ失敗です。この動画は、更にターンのタイミングが遅れて、壁にお尻が激突してしまいました。 ついでに、習いたてのバタフライもお見せします。 今回は、飛び込みスタートしました。スタート台にのぼるのが怖いので、介助をお願いしたのですが、その介助の方から、直前にアドバイスをいただきました。 一番遅くスタート台にのぼり、自分のペースでスタートすること。 早々とスター台にのぼってしまって待つのは、損なのだそうです。 更に、50mの時は、スタート時は3ストロークで1回の呼吸ですが、ターン後の後半バテルので、その時は、2ストロークで1回の呼吸に替えなさい。得意な方(私の場合右)で呼吸すること。後半は乳酸が貯まるので、それを消費させるために、いっぱい息を吸い込むことが大事。それには、主中で息を多く吐くことも意識しなさい。 というものでした。 介助していただいた方は、3年前の全スポ東京大会で県のコーチとしてお世話になった方です。 これをもっと早くに教えてもらいたかったです。 5月の反省から、疲れを貯めないように直前の体調管理がうまく言ったことと、直前のアドバイスのお蔭で、50mは後半バテナイで済みました。 今後は、スタートとターンの練習を入念に行いたいと思いました。 これで、しばらくのんびりできます。少しホッとしました。 明日から筋トレと水泳の練習頑張ります(今日はプールはお休み)。

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  • 10 Jun
    • 男性脳と女性脳の違い

      6月7日のNHKのクローズアップ現代は、妻が夫に切れるわけがテーマでした。 この場組中で、次のようなことを紹介しました。 脳科学者の中野信子さんの解説によると、不快な想いをすると男性は短期記憶である海馬が活性化し、女性は長期記憶をつかさどる前頭前野が活性化するのだそうです。 そのため、男性は妻から何度注意されても忘れてしまい、同じことを繰り返し、妻が切れてしまうそうです。 では、 「LGBTの方はどちらの脳なのでしょうか?」 とずっと考えてきました。 私は、はっきりとした男性脳や女性脳など無いのだと思います。 私はたまたま女性の体に生まれ、男性を夫にしているのですが、幸いなことに兄弟がいないため、 「女の子でしょ。もっと女の子らしくしなさい。」 とか 「女の子は勉強しなくて良いから、早く結婚して孫の顔を見せて欲しい。」 など、女の子らしさを強要されずに育ちました。 そのせいでしょうか? 「状況を分析し、解決策を考え、実行する傾向があり、それで私は男性脳に近いのかな?」 と思いました。 リケジョだからでしょうか? 例えば、同性が好きな人でも、男性としてあるいは女性として躾を受けていたら、どうなってしまうのでしょうか? 男性と女性の中間も多くいらっしゃるのかもしれないと私は思うのです。 おそらく、先天的な体の違いだけではなく、育てられ方などまだ解明されていない多くの要因が関係しているのでしょう。 ただ、理不尽だと思うことは、私は身体障害者なので、労働生産性は明らかに低いですが、LGBTの方たちは労働生産性には全く問題がなく、ただ単に周囲の人の感情の問題だけだと思うので、少なくとも就労の場での差別はなくなって欲しいし、その差別の解消は、身体障害者の配慮よりお金がかからないのだかから、解決はもっと容易なのだと思います。 少なくとも、男性脳と女性脳の違いなどは、公共放送では解説して欲しくありません。 せめて、 「男性はこんな傾向の人が多く、女性はこちらの傾向の多い。しかし、一概に体の性別だけで説明できるわけではない。」 と付け加えて欲しかったと思います。 特に、脳科学者として活躍されている著名な方の発言は、社会に多大な影響を与えるのだということを自覚した発言を心掛けて欲しいものです。

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プロフィール

もみじ

自己紹介:
両側変形性股関節症と診断されて40年あまり。長いな~ぁ。

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