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  • 16 Nov
    • 再置換のタイミングが遅れると・・・

      固定ではありませんが、私の機械の1世代前の手術を受けたある女性は、働いていたことが理由で、10年しか人工の機械がもちませんでした。既に痛みが出ていましたが、人工の手術を施術した病院に相談しても、筋肉を鍛えなさいと言われるばかりだったそうです。そこで、私が利用しているセンターのプールで水中歩行をして過ごしていました。すると、このセンターに1回/月医師による無料の医事相談が受けられることを知り、早速相談したそうです。その医師は「俺だったら、直ぐにでも再置換をするね。」といわれたので、直ぐに入院し、医事相談した医師により、再置換を受けることができました。そして、最初に入れていた機械よりも一回り大きな機械を入れたそうです。私は再置換を受けた女性に聴きました。「どうやって、機械を骨から外したのですか?」「スポッと外れたそうです。」「あ~、既に緩んでいるから簡単に外れたのですね。」ということで私の疑問はようやく解決しました。長々書いてしまいましたが、再置換の時に全置換を受けると、・最初に入れた機械よりも1周り大きな機械しか入れられないこと・機械と骨との間の接着が強い場所では、骨までついでに外れてしまう可能性があり、機械と一緒に外れてしまった骨の部分には、別の人の骨を移植するしかなく、大変な手術になってしまいます。安静期間も長くなるでしょう。その間に、筋肉は細くなってしまいます。そのリスクがあるため、私が29歳の時には、人工の手術ではなく、固定術を受けたのです。人工の手術を施術するには、若すぎる。という理由からです。今の再置換は部分置換なので、機械を骨から外す必要はなく、ライナー(軟骨に該当)を交換するだけで済みますが、再置換のタイミングが遅れると、この女性のように、全置換になり、更に最初に入れた機械よりも一回り大きな機械になってしまいます。私のような体の小さな人は、骨が細いため。そう大きな機械は入れられません。毎年の定期検診で緩んでいるといわれた時は、迷うことなく再置換を受けようと思っています。少し前(15年程度)では、こんなことが起きていたのですね。この女性の体験を聞いて驚きました。

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  • 12 Nov
    • 再置換をすれば、全て良くなるの?

      私が46歳の時に固定から人工股関節全置換術を受けた後、患者の会の県支部から、体験発表をして欲しい旨の要請があり、私は快く引き受けました。その後、全国にある各地の支部を通じて、私の体験の情報が流されました。すると、同じ症例の人から交流したい旨の希望がありました。固定術を受けた人は少ないため、なかなか同じ症例の人に出会えません。私も同じ症例の人との交流は初めてなので、とっても期待していました。既に、人工股関節全置換術を受けた人、人工股関節全置換術を施術してくれる病院を探して、ドクターショッピングを繰り返している人などとの交流が始まりました。既に人工股関節全置換術を受けた人は、なかなか筋肉が太らず、松葉杖が外せない悩みを抱えていました。ドクタ―ショッピングを繰り返している人は、私が手術を受けた病院で診察した結果、固定術の術式が原因で筋肉の損傷の可能性があると指摘され、「手術をしても良くならない」との判断から、手術を断られてしましました。その報告を受けた後、「私は諦めない。」というメールを最後に、彼女と私との交流は途絶えてしまいました。数年か経過しました。私はその後彼女がどうしたのか心配でした。ある日、ひょんなことから、彼女との交流が再開されました。その後の経過を良く聞いてみると、遠くの病院まで行って、人工の手術を受けたけれど、術中に筋肉の損傷が分かり、慌てて縫合し、無事人工股関節全置術が終わったそうです。しかし、なかなか筋肉が太らないため、あちこちが痛くなり、辛い毎日だそうです。2人とも共通しているのは、人工股関節の手術をやり直せば、今の悩みが消えてスッキリ全て解決、と考えているように私には思えました。既に、人工の手術を受けていた女性は、私が手術を受けた病院で診察を受けましたが、再置換の手術は受けられませんでした。私の主治医は彼女に対して、とても気の毒だと思っている様子だったと彼女から聞きました。私はPTの先生と話せる機会があった時に、質問してみました。それで、筋肉の線維化の問題を知ったのです。もしかしたら、この女性は、筋肉が線維化しているかもしれません。しかし、実際線維化しているかどうかは、人工の手術をした医師以外に誰にも確定診断は下せないのです。このように筋肉になにかしかの問題を抱えているとしたら、機械を交換するだけで、全てが解決するとは私には思えません。せめて、再置換は機械と骨との間が緩んでからにすべきと私は考えます。県の支部長を経験した女性から聞いた話では、人工の再置換を受ければ、今の悩みがスッキリ解消すると考える人が少なくないそうです。固定術の経験していない人でも、同じなのですね。

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  • 11 Nov
    • 固定から人工の手術

      以前も書きましたが、もう1度書きます。私は、今から13年前に右人工股関節全置換術を受けました。私の手術は特殊で、固定術からの人工の手術であったために、複数の医師から手術を反対され、転院してようやく手術が受けられました。反対された理由は、1.若すぎる(当時45歳でした。実際に手術を受けたのは1年後の46歳です。)2.こんなに紙のようにペラペラの筋肉なのだから、手術を受けても思ったほどには楽にならない。3.可動域が広くならない。まとめるとこんな理由でした。それでも、辛い状態から抜け出したい一心で、「髪のようにペラペラの筋肉は、私の努力で克服して見せる。」という根拠のない自信で満ちていました。では、現在の主治医は、どのような理由で手術を賛成してくれたのでしょうか?2年前ですが、質問してみました。1.固定期間が17年と短かったこと2.筋肉は廃用性萎縮の状態でしたが、わずかに太さが観察できたことそして、術後執刀医は、私のベッドに近づき、「実際に手術の時に目視で確認したら、筋肉はあったから・・・。」といいました。私は筋肉があるとかないとか、そういう次元だったんだ。と改めて、この手術の大変さに気づきました。注)実際に手術を執刀した医師は、主治医ではありません。主治医は私が手術を受けた時は30歳そこそこの年齢で、手術の時は、執刀医が別にいらっしゃいました。執刀医は、大学の講師という肩書を持っていました。さて、5年後に左人工股関節全置換術を受けた時に担当だったPTの先生はとっても勉強熱心で、私の理解力に驚き、とてもよく説明してくださいました。私は気を良くして、固定術から人工の手術の問題点について質問しました。1.筋肉が廃用性萎縮の状態にある2.廃用性萎縮ならば、まだ筋肉を鍛えれば回復するけれど、筋肉が線維化していた場合は、筋肉の回復の見込みはない。それでも、他の筋肉が代償してくれるので、全く歩けないということではない。3.固定の手術の時に筋肉が損傷してしまった可能性がある場合、人工の股関節を置換しても、グラグラな状態になってしまう。私の症例は、1.だったようで、股関節が動いていた人よりは時間がかかりましたが、なんとか杖なしで歩けるようになり、その後歩容もきれいになりました。さて、筋肉の線維化は、どんな時に起こるのでしょうか?と質問してみましたが、「固定術の症例が少ないことで、筋肉の線維化について研究した報告がないため、わからない。」ということでした。執刀医は、きっと手術をして実際に筋肉を見て見るまでは不安だったのだと思います。そして、実際に目視で確認して、「筋肉はある。確かにある。これで鍛えれば、歩けるようになる。」と考え、ホッとしたのだと思います。私はPTの先生に言いました。「では、執刀医が『筋肉はあったから』という言葉は、とっても大切なメッセージだったのですね?」「そうです。その通りです。」2年前ですが、筋肉の損傷について主治医に質問してみました。「どうやって筋肉の損傷があるのか?確認するのですか?」「確定診断はできません。実際に(手術で)あけてみないとわかりませんが、筋肉の損傷の可能性について慎重に観察してくれる医師に診察してもらうことが大事です。症例数が多いとうだけの病院で手術は受けない方がよいでしょう。」ということでした。つまり、医師たちも本当に筋肉が損傷しているかに関しては、確証がないままに不安を抱えて手術を行うか、固定の術式により、損傷の可能性が否定できない時は、手術自体をしないという決断をするのだと思いました。主治医は続けました。「グラグラになっても良いどうしても手術を受けたいと患者が希望すれば、手術を行います。患者自身の覚悟の問題です。」ということでした。例えば、膝もすでに末期で、人工膝関節全置換術を受けるには、股関節が動かないと困るので、まずは股関節の固定を解除してから、膝人工関節置換術を受けるような場合だと思います。このように様々な問題を抱えた特殊な症例なので、固定術から人工の手術を受ける時は、慎重に病院を選んで欲しいと切に願っています。私はたまたま、手術がうまくいっただけで、大変ラッキーだったと思っています。

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  • 08 Nov
    • 固定の角度

      私が線維筋痛症に苦しむようになったのは、29歳で右股関節固定術を受けてからです。では、なぜ?私の固定の角度は、外転位5度と決まったのでしょう?私のことですから、当然入院中になぜ?と質問してきましたが、医師たちは言葉を濁して答えてくれませんでした。私もこれ以上筆問してはいけない雰囲気を感じたので、しつこくは質問しないままに退院しました。しかし、疑問はずっと残っていました。医師たちだって、私を苦しめるために5度の角度をつけたとは思えなかったからです。むしろ良かれと思ってした手術が裏目に出てしまい、しまったと思っているのかも知れません。それで私の質問に答えなかったのだろうと私は想像しています。疑問がなかなか解けないままに、53歳になっていました。当時失業することを前提で会社を休んで、リハビリのために水泳を始めていました。そのプールである女性と出会いました。初めて固定術を受けた人との出会いでした。仮にその方をAさんと呼びます。Aさんは、13歳の時に結核性関節炎のため、左股関節の固定術を受けていた女性です。左足が極端に短く、太ももも細い方でした。Aさんが、プールサイドで立っていたその姿勢を見て、ハッとしました。長い足(右)で立ち、左足はぶらぶらさせていたからです。私は医師たちの言葉を思い出しました。「もみじさんは、右股関節を固定していて、これ以上変形はすすまないので、立つ時は右に体重をかけて左足をかばってください。そうすれば、赤ちゃんをおんぶしたり、抱っこしたりもできますよ。」という説明でした。私は医師の指導を守り、家事などで長時間立つ時は、意識して必ず右足に体重をかけるようにしていまいした。しかし、右足に体重をかけっぱなしでは、腰が痛くなってしまいます。そこで、左足に体重をかけて、腰の痛みが楽になった頃に、再び右足に体重をかけていました。つまり、右足に体重をかけたり、左足に体重をかけたりと、もじもじとしながら長時間立っていました。それでも右足で立っている時間が長かったのでしょう。右足の骨密度は高く、左足の骨密度は低くなってしまいました。固定術を執刀した医師は、きっと右に体重をかけやすいようにと考えて、あえて右足を長くするために、外転位5度の角度をつけたのかもしれないと考えました。しかし、その配慮は裏目に出て、股関節が動かない右足が長いため、とっても歩き難い体になってしまいました。この固定の角度が歩き難いことを指摘した医師がいました。私が右股関節人工の手術の可能性を探るために、ドクターショッピングをしていた時に出会った医師は、「これでは歩き難いでしょう。今の固定の角度は0度です。」といっていました。ようやく私の疑問は解けました。線維筋痛症の発症時期は29歳の4月。発症のきっかけか原因かはわかりませんが、股関節固定術を受けたことで、とっても歩き難い体になったことがストレスとなった。固定の角度、外転位5度の理由は、右足に体重をかけやすいようにするため。今まで出会った人の中では、固定側が長い人は、私以外にいない。後に、股関節固定術を受けた人数人と出会い、その内2人が固定のやり直しをしていることを知りました。「なんだ固定の角度を変えられるのならば、私も手術を受ければ良かった」と思いました。しかし、既に人工股関節全置換術を受けた後だったので、時既に遅しです。なぜ、過去のことをあれこれ考えるのだ。と思う方もいるでしょう。過去のことを考えるよりも、将来のことを考えた方が、より建設的ではないか・・・と。その通りですが、私は事実はどうであれ、上記のことを考えるだけで、心が平和になれるのならば、それで良いと思っています。ただただ現状を受け入れ、納得したいだけなのです。

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  • 31 Oct
    • 線維筋痛症の原因は?

      いつから病気が2つになったのか?という私の疑問は、先日書いたブログのとおり、29歳の4月で納得しました。事実が何であれ、私が納得するれば好いのです。それから、病気が2つという表現は、あくまで私の場合は、変形性股関節症と線維筋痛症という2つの病気を抱えている、という意味でして、決して1つ2つと数えられる病気の数ではありません。私の言葉足らずで、誤解を招いてしまいました。ここにお詫びをいたします。さて、私の線維筋痛症の主治医は、私が子供の頃に受けた父からの暴力がストレスとなっている。と説明しましたが、股関節固定術を受けていた、などはまだ知らないので、徐々に説明して行こうと思っています。私が考える線維筋痛症の原因は、やはり変形性股関節症により、右股関節固定術を受けたことだと思っています。その根拠としては、1.固定術を受けた後に発症している。2.身体表現性障害と診断した心身医療科の医師たち(複数)が、変形性股関節症が原因といっている。この2つです。しかし、固定術を受けた人が皆、線維筋痛症を発症させてはいないので、私特有の原因があるのだと思います。それは、1.両側自骨手術を受けたなど、深刻な変形が両側に起きている人は私だけ。2.右股関節の固定の角度が、外に5度角度をつけられていたため、もともと長い右足が見かけ上更に長くなってしまったこと。1.に関しては、固定術を受けた後、右股関節の痛みからは解放されましたが、その分左股関節の鈍い痛みに悩まされるようになりました。ある医師が言うには、「この鈍い痛みは、関節唇が関節の中に入ってしまったため。」と説明しましたが、当時はまだまだ関節鏡の検査が受けられない時期だったため、あくまでも想像の域を脱しません。24時間2~3ヵ月にわたって鈍い痛みを我慢しているのは、結構ストレスがとなるものです。2~3ヵ月すると、自然に痛みは軽くなりました。この理由を医師は、「何かのはずみで関節唇が股関節の外に出たため。」と説明しています。左股関節の関節唇がそうとうぼろぼろだっのかな?と思います。2.については、股関節が動かない側の右股関節が動かないため、大変歩き難かったことです。長い右足で地球を蹴飛ばさない限り、右足を前に振り出せないのです。そこで道路は杖がないと歩けませんでした。真っ平らなところでは、左足をつま先立ちして杖なしで歩いていました。それで今でも左足の親指の根元が痛みます。杖なしで道路を歩く時、息が上がってしまい、とっても疲れました。それで100m程度しか歩けませんでした。補高靴を試してみましたが、左股関節が痛くなってしまったため、あきらめました。ということで、私の線維筋痛症の原因は、私の変形性股関節症が原因だったと思っています。誰が何と言おうと、私がそう考えているのですから、それで好いのです。

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  • 29 Oct
    • いつから線維筋痛症なのか?

      6年前に身体表現性障害と診断された時から、そして今年、線維筋痛症と診断されて、私はいったいいつから病気が2つになってしまったのだろうと考えてきました。エピソードとして強烈な思い出は、29歳の4月でした。朝起きようとしましたが、体が重くて起きられません。そのまま数日会社を休み続けましたが、なかなか倦怠感はよくなりませんでした。当時就労してた会社の規則では、土日を挟んだ7日間連続で休むと診断書を提出しなければなりません。そこで、その手続きがめんどくさいので、無理やり会社に行き、連続7日間休みを回避させました。いつまで我慢すれば、体調は良くなるのだろうと気弱になったこともありました。この時をきっかけにして、肩痛に悩まされるようになりました。車の運転中交差点で左右を確認できない程に、首から肩甲骨に到るまで痛みました。今も同じです。29歳の4月というのは、前年の7月に右股関節固定術を受け、翌年の1月職場復帰した時期でした。きっと股関節が動かないことが疲労に繋がったのだろう。十分な休養と、手術により衰えた筋肉が回復すれば、この倦怠感はよくなるだろうと当時は楽観的に考えていました。しかし、数年が経過しても倦怠感はよくなりません。頑張れ!!頑張れ!!と自分の体にムチ打ち、無理やりベッドから転げ落ちるようにして会社に行きました。こんなに頑張っていると病気になってしまうかもしれない。大丈夫だろうか?と思ったこともありました。この時既に病気が2つになっていたのですね。当時は、若年性認知症の父の入院費や母と二人暮らしの生活費の負担から、仕事を辞められる状況ではありませんでした。精神病院で悪たれている父が憎くなりました。また会社に行こうとして玄関を出たところで、定年退職された方がのんびり歩いているのが見えた時も憎しみを感じていました。なんで、一定年齢に達した人は健康であっても一律に老齢年金が受給でき、障害者の私は働かなければならないのだろうと思ってしまったからです。今年の10月25日に線維筋痛症の外来で、「頻尿は、線維筋痛症が原因」といわれ、ハッとしました。そういえば、30代から頻尿に悩まされていたからです。29歳の4月が線維筋痛症の発症で間違いないと確信しました。股関節固定術を受けた方数人と交流がありますが、皆不自由ではありますが、お元気です。なんで私だけ、こんなに辛いのだろうとつい比較をしていました。そうか!!病気が2つなのは私だけなんだ!!頻尿をキーワードにして、長年の疑問が解けました。

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  • 28 Oct
    • 線維筋痛症受診6回目

      2~3週間前から頻尿に悩んでいました。近所のクリニックで、膀胱炎の薬をもらってきましたが、良くなりません。そこで、線維筋痛症のクリニックの受診を待ちかねていました。いよいよ、10月25日の予約日が来ました。「先生、頻尿で苦しんでいます。夜間にもおトイレに1回毎晩起きます。その尿を見て見ると透明なので、濃縮されていないのではないかと思います。」「近所のクリニックに行った時は、尿の検査をしましたか?」「いえ、検査はしていません。薬だけ出してもらいました。」「では、検査をしましょう。検査後、また診察室に来てください。」再び診察室に呼ばれました。「検査結果は、陰性です。膀胱炎ではないようです。きっと、線維筋痛症のため、膀胱が緊張して尿が貯められず、出てしまうのではないかと思います。」「そうですか。」「トリプタノール(三環形抗うつ剤)を飲んでみますか?」「いやあ~、口喝が辛いです。」「抗コリン作用で口喝になりますが、その分尿量も減りますよ。夜だけ1日1錠を1日おきに飲んでください。この量では口喝はないと思います。直ぐには効果はないと思いますが・・・。」「はい、わかりました。」「では、次の診察は3週間後にしましょう。」ということで、クリニックから帰ってきました。その夜、早速飲んでみました。夜のおトイレは無くなりましたが、昼間、常に尿意を感じていなければならないことは変わりません。口喝はないようです。助かりました。友人から、線維筋痛症の新聞の切り抜きが届きました。その新聞には、線維筋痛症の症状に、過活動膀胱と書かれていました。思い起こせば、30代から何度か、頻尿に悩まされてきましたが、検査の結果は膀胱炎ではないといわれてきました。数年前は、泌尿器科の診察を受けました。過活動膀胱を疑ったからです。事前に尿量を測って、そのメモも持って行きました。その時は、「この尿量を貯められるのだから、過活動膀胱ではない。過活動膀胱ならば、夜数回トイレに起きるけれど、あなたの場合は1回なので、これも過活動膀胱ではないといえます。」といわれ、薬を処方してもらえませんでした。30代の時も、数年前もいつの間にか、症状は治まっていました。過活動膀胱とまでは言えないけれど、膀胱が緊張しているのは、間違いないようです。頻尿に悩まされてきたのは、30代の頃からなので、やはり線維筋痛症は、30代の時には発症していたのだと思いました。30代の頃は倦怠感を訴えて、心療内科を受診していましたが、当時は線維筋痛症という病気は一般的ではなく、更に武器(薬)もなかったので、治療効果が得られず、ただただ苦しんできただけでした。こうして、線維筋痛症と診断され、適切な薬を処方してもらえることを幸せだと思います。

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  • 25 Oct
    • プロフェッショナル 仕事の流儀 歩ける幸せを、もう一度 を見て

      昨日、録画しておいた番組を見て、少し違和感を感じました。番組で紹介された医師に特筆すべきスキルがあるとは思えなかったからです。人工膝関節の開発に関わったからでしょうか?手術の手技は、普通だと思いました。番組で取り上げていた、MIS(最小侵襲手術)についても以前から話題になっていた手術で、最近は学会での報告も少なくなったと聞いています。こちらのサイトに記載されているように、全ての患者に適応できる術式ではありません。サイトには、こんなことが書かれていました。ただしこの方法はどの例にもできるわけではなく、かえって従来通り大きめに皮膚切開し、従来通りの方法で手術した方がよい例も少なくありません。通常の手術法がよいか小さい皮膚切開の手術がよいかは専門医にご相談ください。この番組を見て、この医師による手術を希望する患者がわんさと来て、この医師は大変なことになるな~と思って見ていました。確かに、MISは難しい手術である一方、患者にとっては、術後の回復が早く、リハビリテーションが速やかにすすみ、入院期間が短縮されると言われています。そうなので、この術式を施術してもらえた患者には、メリットが大きいとは思いますが・・・。番組中、骨折された患者が元気に歩いている姿で、エンディングテーマ曲が流れましたが、再手術のデメリットについての説明がありませんでした。1回目の手術後のこの患者の体調は、よほど良かったのでしょうか?それとも2回目の再手術の時は、輸血をしたのでしょうか?わかりませんでした。私の入院中にも隣の病室の人が骨折したことがありました。その時は、最初の手術により貧血の状態なので、再手術は避けて、入院期間は長くなるけれど骨折した足は免荷歩行で当分はリハビリして、骨折した部位が回復するのを待ってリハビリし、無事退院しました。この患者さんは、股関節の患者さんで、単純な比較はできないとは思ますが・・・。両側同時手術は、同じです。骨折後は、リハビリの時だけ歩いて、病室では車椅子で過ごし、特に固定などはしていませんでした。骨折の場所によっても固定をするかしないかの判断が分かれるとは思いましたが・・・。番組中で紹介されていた患者さんの骨折場所は、固定が必要な場所だったのでしょうか?それで、固定を避けて、再手術をえらんだのでしょうか?私には分かりませんでした。番組中、人工関節置換術を移植と表現してるのも気になりました。番組に登場した医師による監修がなかったのでしょうか?この場合は、移植ではなく、置換だと思います。なぜならば、人工関節は無機質な物体であって、生きている訳ではないからです。移植という言葉は、臓器移植のような生きているものに使われる言葉だと思いました。こんな違和感だらけの番組を、私たちからの受信料で作っているなんて、なんだかな~と思いました。NHKよ、「もっとしっかりして欲しい」というのが、私の率直な感想です。

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  • 20 Oct
    • ダウン症のない世界? を見て・・・

      タイトルの番組を録画しておいて、最近見ました。イギリスの女優で、脚本家の女性は、ダウン症の子供の母でもあります。その女性が体当たりで取材している様子を撮影した、ドキュメンタリー番組です。出生前診断を研究している人へのインタビューが一番印象に残りました。研究者は、出生前診断は両親からのニーズがある。といっていました。その他様々なことを言っていましたが、正直言って私の心には響きませんでしたので、忘れてしまいました。ただ、1つ印象に残った言葉は、「では、あなたが亡くなった後も(ダウン症の)お子さんは生きて行かなければならないのですよ。どうするつもりですか?」という研究者の問いに対してインタビュアーの女性は言葉を失ってしまいました。これが研究者の本音だな。と思いました。両親が健在な時は社会の重荷にならないダウン症の子供たちも、やがては両親を失うことで社会保障の対象になる。このダウン症の子供たちへの社会保障費用をできるだけ抑えたい。こんな本音があるのではないでしょうか。インタビュアーの女性は、研究者からのこの問いかけ前は、「ダウン症の子でも的確な教育があれば、文字の読み書きだってできる。」とか「なによりかわいい」とか「特別な才能を有している子どももいる。一律に排除するのは、問題だと思う。」こんな意味のことを言っていました。私はこのことも少し気になりました。ダウン症の子供たちでも、障害には差があると思うからです。障害が重く、病気ばかりしている子供は、では排除されても良いのでしょうか?読み書きができない子供はどうなるの?私は、障害の重軽で差を持たせてはいけないと思う。「何もできなくても良い。障害の有無に関わらず子供は皆生まれる権利があり、ありのままの子供を社会は受け入れるべき。」と言って欲しかったです。出生前診断を受け、妊娠中絶手術を選択した女性へのインタビューも印象に残りました。妊娠中絶を受ける前に、ダウン症の子供のことを調べ、むしろポジティブな情報に接し、頑張っている子供のことを知ったことで、中絶を選んだ。と言っていました。その理由は、自分の子供にはこんなに頑張らせたくないと思ったから・・・。だそうです。そうですよね。障害を抱えた人は皆、障害の特性を問わず、頑張らなければならないことは共通なのだと思います。そのことに、社会はあまりにも無知です。私だって変形性股関節症という障害を克服しようと頑張って来た結果、線維筋痛症という2つ目の病気を発症させてしまいました。もう、これ以上頑張りたくありません。障害者が頑張らなくても良い社会(だからといって怠けても良いとは思っていませんが・・・)が来ることを私は願っています。でも、やっぱり頑張っちゃうんだろうな。私・・・。だって、頑張らないと不自由なんだもの・・・。

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  • 17 Oct
    • デザインベイビーの可能性

      10月15日に書いたブログで紹介した外国の番組のなかで、人間は将来どうなっているのだろうか?と想像しているシーンがありました。もしかしたら、女性は巨乳になり、男性は2mを超えた身長になっているのだろうか?などといっていました。そこで、私は考えました。人間の欲望はきりがありません。今は出生前診断がせいぜいですが、遺伝子操作の技術が進むと、IQが高く、運動能力にも優れ、もちろん健康で、マッチョな人間ばかりになった社会でも、少しばかり劣った部分を取り上げて差別される社会は無くならず、もしかしたら女性差別もなくならず、一部の人々に富が集中し、ワーキングプアもなくならないのではないだろうか。人間がより均質になったとしたら、白人ばかりになるのだろうか?それとも民族の多様性は失われないのだろうか?更に、健康な体で生まれたとしても、ケガや病気などで障害を負った人々は差別され、貧困に悩まされるのだろうか?それとも、障害者が少なくなったために、労働人口が増えることで社会に余裕が生まれ、障害者や高齢者に優しい社会がやって来るのだろうか?私が生きている間に、どんな社会がやってくるのだろう。少なくとも、人間の欲望は無くならず、倫理上の問題を議論する余裕がないままに、科学技術の開発はどんどん進むのではないか?との危惧を感じています。

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  • 15 Oct
    • 寛容を強いる?

      昨日録画したテレビを見ていて、気になる言葉が飛び込んできました。外国の番組です。それは、脳性マヒという障害を抱えたある男性が「僕は生きていていいのですか?」というテーマで、健常者と一緒に舞台を作る過程を追った番組の最後のナレーションでした。この言葉だけが、私の耳に飛び込んできて、前後は忘れてしまいましたが・・・。「障害者と共存することは、健常者にとっては寛容を強いることになるのか~。」と少し驚きました。この番組のあるシーンで、男性が就労の全段階としてインターンの面接を受けていました。その時、「もう少し声を小さくしてもらえませんか?」と男性はいわれていました。言語障害がある男性はきっと、はっきりわかりやすく話そうと一生懸命なだけであって、彼の努力の結果声がつい大きくなってしまった、と私は解釈しましたが、面接官はそうは受け止めていなかったのでしょう。男性は、話すだけでも疲れるのではなっか?と私は思いました。ここでも、いえば改善するだろうと、障害者に一方的に努力を強いていて、健常者からは寛容(配慮)は見られませんでした。残念です。面接の結果は、不採用でした。別の日本の番組では、吃音の人たちの就職活動を追っていました。その時も、「電話応対や打ち合わせの時のコミュニケーションが難しい。」といわれ、不採用が続いていました。「吃音程度でも受け入れない日本社会では、脳性マヒで言語障害がある人の就職は、難しだろう。」と私はこの番組を見ていてそう思いました。もっと、障害者がしている努力、その人の障害の特性について知る努力を健常者がするだけで、「寛容を強いる」という想いは消えると私は考えるのですが、それは少し楽観的な考えでしょうか?

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  • 14 Oct
    • WEV連動企画”チエノバ” #8月31日の夜に。 反響編 を見て

      タイトルの番組を見ました。私が10月12日に書いたブログと同じことが、荻上チキさんによって語られていました。それは、「『死にたい。』と母親にいったところビンタされた。」という投稿に対する、コメントでした。「一緒に考えてあげて欲しい」そんな趣旨のコメントでした(正確でなくてごめんなさい)。「私と同じ意見の人がいたんだ。」と思ったら、なんだかうれしくなってしまいました。どこの親も、こんなふうに簡単に決めつけたり、問題解決を子供に丸投げするのだな~と思いました。荻上チキさんも、学生時代にいじめられていたそうです。その時は家に帰ってゲームをすることが唯一の楽しみで、それが結果的には居場所になっていた。ということでした。ご両親も、チキさんがゲームをすることを止めさせなかったそうです。何度もチキさんはおっしゃっていました。「学校以外の居場所を作ってあげて欲しい。」と・・・。荻上チキさんの弱者に対する優しいまなざしは、こんな経験からきているのでしょうか?私の母ならば、プンプン怒ってもう大変でしょうね。私の場合は、高校生の頃には家庭は安心していられる居場所ではなかったです。もしかしたら、本当の親ではないかもしれないと、否そうであって欲しい。本当の親は別のところにいるはずだ。と思ったこともありました。しかし、大人になって戸籍謄本を見たら、本当の親でした。その時、がっかりしたことを覚えています。私の母は、会社を休む私に「家を出て行け!!」とか「お母さんは、もみじの世話をするために生きているのではない!!」とか「そんなに会社を休んでいたら、信用を無くす。今からでも遅くないから、起きて会社に行け!!」などといいました。そういえば、風邪で高熱を出しているというのに、連続で休んでいる私に同じことを言いました。私はめんどくさくなって、会社に行こうとしたけれど、途中で気分が悪くなって、帰って来てしまったことがありました。「会社に行けない程辛いのかな?」とは考えないで、感情に任せて、後先考えないで私を叱る。「30歳を超えたいい年の子供に向かってよくそんなこといえたな~」と私は思う。そしてその後自分が言ったことさえ忘れてしまう。いっそ、本当に家を出てしまったら良かったのかな。しかし、当時はアパートを探したり、引っ越すほどの元気はなかったです。しかし、家庭は私にとって居場所ではなかった。更に、私が家を出て行ってしまったら、私はアパート代、生活費の他に父の入院費を支払う余裕はありません。そんなに高給取りではないからです。その後親名義の不動産が、父の入院費になって消えてしまうことは悲しい、と思いました。そしてやがては、両親は生活保護受給者になってしまう。そんなこと私にはできなかったです。最近、ねちねちと過去のことを母に責めていたら、「いったかもしれないな~」だそうです。どこの親も同じで簡単に叱るのですね。そしてその解決策も同じで、周囲の人は一緒に考えてあげることなのですね。母の暴言が止んだのは、52歳で会社を解雇され、身体表現性障害と診断され、医師から「頑張り過ぎる傾向がある。」といわれたと母に告げた時からです。今は、家を建て替えて、1階と2階で別々に過ごしていて、話をするのは食事の時だけなので、ようやく私にも居場所ができました。今は快適です。

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      テーマ:
  • 12 Oct
    • 叱ることは、問題解決を丸投げすること

      小学年生の時、1週間程度ですが、不登校をしたことがありました。直ぐに両親に知られてしまい、父から激しい暴力を受けました。殴られたり、足首を持って逆さ釣りにされたり・・・。この父の行為を私は暴力だと思っていますが、母と同世代の女性は、折檻だといいます。しかし折檻とは、「悪いことをしたから、叱る目的で暴力をふるうこと。」だと私は考えています。学校に行かないのは、「いじめを受けていたから」であり、「学校に行かないのではなく、いじめにより行きたくても行けない状況があった。」ことを知ろうともしないで、「ただ叱れば、子供は学校に行くだろう。」と考えた末の暴力だと私は考えています。「私は悪いことはなにもしていません。」今もそう考えていますそれは「いじめが理由で学校に行けない状況を改善する親の義務を怠ったことに他ならなく、学校に行けない状況をただ子供に我慢すること」を強いていると思います。私は父の暴力が怖くて、仕方なく学校に通いましたが、母と同年齢の女性たちは、「父による折檻のおかげで学校に行けた。良かったね。」と考えていました。私は、このことは50年の昔のことですが、今も「父による暴力は許せない。」と考えています。何が「良かっただ。」と憤慨しているのです。当時は経済成長著しい時期で、住民がどんどん増えたため、別の小学校が新設され、5年生に進級した時は、その新しい学校に移ることがわかっていたので、もう少しの辛抱だと考えながら、いじめに耐えていました。就労していた時も、今から思えば、線維筋痛症という病気のために、会社をたびたび休んでいたことに対して、上司からは叱られたことが何度もありました。上司や同僚からは私の人間性を否定され、「怠けている。」とか「不摂生な生活をしているに違ない。土日はどうやって過ごしているの?」」とか「人に配慮を求めるばかりで、自分では努力をしない。」とか「職場に迷惑をかけているのに、権利ばかり主張する。」とか「私生活を優先させている。」などといわれました。その度に、反論していました。「不摂生な生活はしていない。ひたすら、ストイックな生活を送っている。」などと・・・。何を叱っても、反論ばかりする私に対して、上司はイライラを募らせていました。しかし私は上司のこのイライラをどうすることもできませんでした。反省して、態度を改めることができなかったのですから・・・。そして、50代になってしまった上司の考えを変えることができなかったのです。親もしかり、上司もしかりですか、ある問題が理由での行為であるので、その問題を解決する方法を一緒に考えて欲しかったです。そうすれば、親はいじめの事実に気がついたでしょう。修飾してからは、私は私なりに努力をしていましたが、当時は線維筋痛症という病気(敵)が一般的ではなく、幸運にも診断されたとしても、治療のための薬(つまりは武器)がないことに、気がついたでしょう。安易な人間性否定は、本来すべきことを怠ることに他ならないと、今も考えています。

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  • 09 Oct
    • 親の介護は皆避けて通れない

      私の父が若年性認知症で精神病院に入院したのは、父が47歳、私が22歳でした。当時は学生でしたが、やがて就職すると即父を私の扶養に入れ、若干24歳で扶養家族を抱えることになりました。友人たちは、自分のことだけ考えてることに、私だって稚拙な人間ですから、うらやましいと思わない日はありませんでした。しかし、友人たちに私の状況を話すことはしませんでした。なぜならば、友人たちが経験していないことを話しても、良いアイデアが出てくるとは思えなかったからです。やがて友人たちは結婚し子育てに忙しくなり、戸建ての家を構えるようになってゆきました。友人たちが成長し、私の経験に近づていることを当時は実感していました。しかし、父のことは私は相変わらずいいませんでした。時は過ぎ、友人たちの子育ても一段落すると、友人たちの親たちがどんどん要介護状態になってゆきました。友人だけではなく、知人、従妹に到るまで、同世代の私の周囲の多くの人は、今親の介護に直面しています。私は思いました。若干22歳で親の介護、24歳で親を扶養するという状況を私は、「自分はなんて不幸なんだろう。」と思っていましたが、最近は、親の介護は皆避けて通れないのだな。と思うようになりました。父が65歳の時に亡くなり、今は元気な母に支えられて、2つの病気を抱えた闘病に集中できる毎日を、私は幸せ!だと考えるようになりました。この点に気づけたことを私は「幸せ!」だと思っています。

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  • 07 Oct
    • 愚痴をいうこと

      幸せ!と思える瞬間の第24段です。最近、数年前に喧嘩してしまった高校時代に出会った過去の友人のことを考えています。最近、あっと思ったことは。愚痴を言う人って、何でも否定するものなのかな?と思いました。例えば、過去の友人は、私が選んだレストランは必ず否定します。その否定の理由が私には理解できませんでした。それで、いつも過去の友人が指定するレストランでランチしていました。文句を言われるよりは、彼女が良いと思うことに従っていれば、平和に過ごせますからね。姑も、テーブルの高さまで文句を言っていましたね。あれにはまいりました。何気なく入った食事処のテーブルの高さが気に入らなくても、1時間前後の時間を我慢すれば良いこと。それをいちいち文句を言わなくても好いと思うからです。これも、姑が用意する環境に従っていれば、幸せに過ごせそうです。過去の友人の口癖は、「もう、やんなっちゃう。」です。「やんなっちゃうという暇があったら、そのやんなっちゃうことを、工夫してやんなっちゃう状態から抜け出す方法を考えれば良いのにな~。」と思います。「もみじちゃんは好いな、私なんかさ~あ・・・。」と会うなりいきなり、こう切り出した友人もいました。良く聞いてみたら、私と同じ状況でした。「私も同じだよ。」といったら、一緒にいた別の友人が「え~!!」と驚きました。そして私を「うらやましい」といった友人も沈黙してしまいました。「なにも知らないで決めつけて、私をうらやましがっていたのだな~。」と思いました。そんなこんなを考えていたら、、私は幸せだな~と思いました。ブログでは愚痴いっぱいですが、あまり人には愚痴はいいません。そうしてこのように、「幸せ!!」と思えることを、1つ2つと数えることができるからです。今、私は2つの病気を抱えています。変形性股関節症と線維筋痛症です。でも私は負けません。変形性股関節症は8回手術を受け、今は両側人工股関節になりましたが、お陰様で私の股関節は絶好調です。線維筋痛症も、最近市内のクリニックで治療が始まりました。30年余苦しんだこの痛みも、治療により徐々に楽になるでしょう。市内のクリニックなので、診察にあまり時間を取られないのもラッキーです。線維筋痛症の病気を診察してくれる医師はあまり多くないと聞いていますが、私の場合大学病院に勤務していたスキルのある医師に出あうことができ、短時間で診察してもらえることを「幸せ!!」だと思います。父が47歳で若年性認知症になったことは、あまり周囲には言いませんでした。いったところで、この状況が変わることはないからです。なにも言わないから、私のことをうらやましがる人が出てくるのかな~と思ったりします。そういえば、このブログのコメントに、「私は幸せに見えるから、うらやましがられるのよ。」といわれたことがありましたね。愚痴っぽい人って、その性格だけでも不幸なのかも知れません。

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  • 06 Oct
    • 私ってしつこい性格なのかな~

      もう、0時を超えて日が替わってしまったので、一昨日になりますが、ブログを書きました。ブログを書いた直後に、録画しておいたテレビ番組を見ていたら、「信長って、ねちっこい性格で、数年前(か十数年前か忘れてしまいましたが・・・)の出来事を覚えていて、『だからお前は首だ!!』」といった。」という内容でした。その番組を見ていて、反省しました。なぜならば、「数年前(もしくは十数年前)どころか、30年以上も前のことをはっきり覚えていて、おまけにそのことを恨みがましく、ブログにまで書いてしまうのだものな~」と思ったからです。しかし、痛みを伴う理不尽な経験って、なかなか忘れられないものなのです。少なくとも私にとっては・・・。「それだけ、痛かったんだな。」と考えてください。高校生の時母に「足が痛いから洗濯はしたくない。」といったところ、台を用意して、「ここにたらいを置いて、洗いは洗濯機で、すすぎは手洗いしなさい。」といわれたことも、はっきり覚えています。唖然としてしまいました。もうやけくそになって、「やればいいんでしょ。やれば・・・。でも、台を使ったところで痛いものは痛いのだけれど・・・。」と憤慨しながら、お風呂場ですすぎをしました。今まで、何度この、「やればいいんでしょ!!やれば!!」と思ったことか・・・。人の痛みって、それほど理解されないものなのですね。叔母(母の妹)から「痛い時は、痛いって、ちゃんと言わないとだめよ。」と叱られたことがありましたが、「痛い」といっても「なあにそれくらい」といわれて、聞き入れてくれる母ではないことを良~く知っているので、「何が何でもやらないぞ!!」と実力行使に出たこともありましたが、それでも「やれ!!」と命令されたこともありましたね。母からの理不尽な要求が止まったのは、7年前会社を解雇されてからです。ようやくわかったようです。「遅いよ!!遅すぎる!!」と今でも思っています。

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  • 04 Oct
    • 障害者への合理的配慮不提供

      外出先で、私が立って片づけをしている目の前で、上司が座って外出先の人と世間話をした件は、何度かブログに書いていますが、なかなか共感が得られないような気がしていたので、今日はその詳細を書きたいと思います。私の股関節がまだ動いていた20代後半の頃です。上司と共に、都内の大学病院に行き、実験をすることを繰り返していたある日のこと、会社から大学病院に行った時点で私の股関節は傷み始め、実験が終わった時には、股関節の痛みはMAXに達していました。この外出、私は大嫌いでした。「やれやれ、やっと終わった。さて、さっさと片づけて会社に早く戻戻って休もう。」と思った瞬間ある思いが、頭に浮かびました。「もしかしたら、○×さん。、座っちゃうんじゃないの?」と思った直後に、私が考えた通りに、上司はすとんと座って、大学病院の臨床検査技師さんと世間話を始めました。「やっぱり・・・」と思ったので、怒ったりはしませんでしたが、静かに、「会社に帰る時間が遅くなるので、片付け手伝ってください。」といいました。「仕方ないな。」と言いたげに苦笑いを浮かべて立ち上がった上司。その前で驚いた顔をした臨床検査技師さんの顔を、今でもはっきり覚えています。「世間話がしたかったんだ。大学病院の検査技師さんって暇なのかな。」と思いました。論文に乗せるためのデータ取りのために来ていたのですが、その論文には、大学病院の教授と、この臨床検査技師さん、会社側は、課長と上司の名前だけ載り、私の名前は載りません。しかし、論文に掲載されるデータの全ては私が作ったデータであることに、不満を抱えていたので、この事実は更に私に衝撃を与えました。女性蔑視と障害者に対する合理的配慮不提供で、今ならば法律に抵触してしまいますが、当時は障害者差別解消法がなかったため、私は特に抗議することはできず、私を変わり者扱いして、この件は終わりました。上司は「膝が痛む」といつも騒いでいたので、もしかしたらこの時も膝が痛かったのかもしれません。しかし、自分の痛みは感じても、人の痛みまでは予想できない上司でした。私が障害者であることは、十分承知しているはずなのですが・・・。別のある日、上司は外出しようとして、階段から落ちてケガをしてしまったことがありました。その時も大騒ぎをしていました。私は股関節固定術を既に受けていた数年後のある日のこと、別の人がケガをして松葉杖を突いて会社に来ていました。廊下でばったり会ったので、挨拶した後に、この人から話しかけられたことがあります。「そういえば、もみじさんってトイレどうしているの?」「1つだけ洋式トイレがあるのですよ。」「そうか・・・。こんなことになって初めて人のことが心配になるものなんだね。」といってました。優しい人だと思いました。そういえば、上司からはこんなこと聞かれたことがないことに、その時気がつきました。私が上司と同じ学歴で、総合職ならば、片付けを手伝ってくれたのでしょうか?それとも私が女性だからと、片付けを任せてしまったのでしょうか?今となっては、闇の中で分かりません。

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  • 03 Oct
    • 男性も大変

      平日のある日ことです。障害者施設のアーチェリー場で、次のような会話がポツンと聞こえてきました。「女は好いな~」「そうだね」私はすかさず、「良くないよ。障害者の私が立って、片付けをしている側で、上司が座って世間話をしていたんだよ。」すると、男性同士の会話は止まり、沈黙してしまいました。女性が家庭に入ることを求めれている一方、男性は働くことを求められ、肩身の狭い想いを抱えているのかもしれません。私の父も、働かなければならないという気持ちを強く抱えている一方で、自分の体が思うように動かない苛立ちが、家族への暴力に繋がったのかもしれません。父の場合は、自分の我儘で家族を振り回したあげくの果てなので、同情の余地を私は感じませんが、「世の男性たちも大変なのだな~。」と思った瞬間でした。

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  • 02 Oct
    • 仕事を失った喪失感

      仕事を辞めて(正式には解雇です)7年が経ちました。今まで、私が仕事とを失った喪失感を抱えていることに気付き、共感してくれた人は、1人もいません。それよりも、「これからは、旦那さんに甘えて過ごしなさい。」といわれることが多いです。仕事をしていた時期には、「もみじちゃんっていつまでは働くの?」といわれ絶句したことがありました。私は体力と気力があり、私を受け入れてくれる職場がある限り働きたいと今も考えています。それは、経済的側面も当然然ありますが、父から「扶養家族は黙れ!!」といわれた口惜しさが主な理由です。そのために夫とは対等な関係を築きたいのです。幸いに、夫はとてもやさしい人で、父のように暴力は振るいませんし、仕事を失った今でも対等な関係を築けていると私は考えています。自分の夫のことを「主人」と呼ぶ人が少なくありませんが、私は決して夫のことを「主人」とは呼びません。なぜならば、私は副人ではないからです。独立した大人の女性であり、尊厳を傷付けられることは、耐え難い苦しみなのです。ある人に、「私は『主人』という言葉は使わない。」といったところ、「なんで~?、主たる生計維持者なのだから、主人で好いのよ。」といわれたことがありました。この言葉の裏には、「私は働かなくても生きて行ける幸せ者よ。」という上から目線を感じます。そして、私のように働いている女性を蔑視しているのだと思います。「考え過ぎよ~」といわれることがありますが、私はそう感じるのですから、仕方ありません。そういえば、私は手芸が好きで、家事は中学生の頃からしていますが、「もみじちゃんて、勉強ばかりなのだと思っていたけれど、見直しちゃった。」いわれ、憤慨したことがありました。そうそう、「もみじちゃんって、なんでもできるんだね~」といわれたこともありました。それらの言葉には、上から目線を感じます。まるで、「大学を卒業している人は、女性としては失格者に違いない。」という決めつけがあり、「家事と仕事(勉強)を両方できる人なんている訳ない。」といわれているように感じます。生きて行く上で大事な家事ができないなんて、あり得ないことなのに・・・。母も共働きでした。そして母が「貧乏人」と蔑視されているのを、子供ながら気づいていました。「義務教育しか受けていないからバカにされるのだ。私は絶対に大学に行って、バカにされないような仕事をしたい。」と思ったのは、中学生の時でした。その後私は薬剤師になりました。しかし、例え教師であろうと、医師や弁護士のような簡単になれない立派な資格を持って、生き生きと働いていようと、バカにする人はいるのだ。と最近、気づきました。専業主婦という自分の生き方を否定されたくないから、別の生き方をしている人を否定するのかもしれません。そんなふうに思うことがあります。私は専業主婦を否定しません。人の生き方は人それぞれ違っていても構わないし、専業主婦で幸せだと感じていれば、それはそれで幸せなのでしょう。「どうぞご勝手に・・・。私は私の生き方を貫きたいだけなの。否定しないでね。」と思ってます。私は職場では、女性差別、障害者差別を受けて、苦しんできました。その上仕事を辞めた今でも、私の生き方を否定されるなんて、日本という国は、「なんて女性が生き難い社会なのだろう。」とつくづく思います。

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  • 01 Oct
    • 叔母と会話

      先日、叔母(母の妹)と電話で話しました。「もしもし」「もみじちゃん?」「うん」「元気?」「元気じゃないよ。」「元気なんでしょ」(なんで、元気じゃないって言っているのに、念を押すように『元気なんでしょ。』っていうのかな~。元気じゃなきゃ嫌なのかな)と思いました。「元気じゃないよ。線維筋痛症と診断されちゃった。会社を辞めたのは、そのせい。あのレディー・ガガさんと同じ病気だよ。」「ええ~!!そうなの?テレビで見たけど、『こんな病気があるのか~』と思っていたら、こんな身近な人が同じ病気だなんて、びっくりしちゃった。あたしもね。手をケガしたことをきっかけに、それから手が痛くてね。○×(叔母と同居の私の従妹)や婿さんに『痛い』っていっても、『あっそう』っていうだけなんだよ。」「そうなんだ。でも文句言われたりはしないんでしょ。あたしなんか、何度お母さんと喧嘩したことか・・・『お母さんは、もみじの世話をするために生きているんじゃない!!』とか『そんなにしょっちゅう(会社)を休んでいたら信用を失う。今からでも遅くないから着替えて、会社に行け!!』とか『家を出て行け!!』とかね。あたしが家を出て行ったら、お父さんの入院費誰が払うんだろうね。後先、何も考えていないで、感情でいっちゃうんだから、やんなっちゃう。」その後は、叔母があっちが痛いの、こっちが調子悪いの。と話が爆裂したので、これは長話になるな。と思ったので、母に電話を代わりました。母にその後叔母との会話の内容を聞いたところ、「帯状疱疹らしい。」とのことでした。レディー・ガガさんは、私よりも病状が重いらしいですね。しかし、レディー・ガガさんには申し訳ないですが、こうして有名人が罹患しテレビで線維筋痛症のことを報道されることで、病気の認知が広まることは、私にとっては幸いなことです。レディー・ガガさん、お大事にしてね。ああ、そうだ、叔母も体を大事にしてね。

      11
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プロフィール

もみじ

自己紹介:
両側変形性股関節症と診断されて40年あまり。長いな~ぁ。

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