ぼくは アダルトチルドレンなんです。
テーマ:自分のことAC といってアダルトチルドレンという言葉を一度はどこかで聞いたことがあるとおもいます。
ぼくは 完璧な アダルトチルドレン なんです。
そして、病院で働いている人、特にお医者さん、看護師さん、介護士さん、心理の人、ヘルパーさんとか作業療法士さんとか理学療法士さんとか、福祉施設とかの生活指導員の人とか、ケアワーカーさんとか、ソーシャルワーカーとか、人の世話をする仕事にかかわっている人たちの中で、沢山、実は アダルトチルドレンが多いんです。
このアダルトチルドレンって あーやっぱり自分のことだなって
自覚したのは、実は 就職した精神病院での研修のときに アルコール依存症の治療についての講座があって その時の 講師の先生から いろいろ詳しく教えてもらったのです。依存症とか嗜癖とかアディクションのことについて、その時に、その講師の先生は、医療とか福祉の世界で働く人は、ACのひとが多いんですよって。それから、最後に同性愛でもアディクションで同性愛になっている場合もありますよと、自分自身が同性愛ということに違和感がある人は、その可能性が高いですと言われてどきっとしました。
でいろいろ問題をかかえているんだから、福祉のしごとはやばいじゃんって思ったんだけど、先生はそういう自分であるということに気づいていれば大丈夫ですよって、いってくれました。
その時は、目からうろこで、心にながいことあったもやもやが一気に晴れてすごくうれしかったのです。このなんともいえない生きづらさがどうしてあったのかっていうことです。
でも、働いていくうちに、自分の中にあるパターンというのが、負の思考パターンとか行動パターンは
ぬぐえ切れないのです、自分自身だけではどうにもならないのです。
定期的に、自分自身をケアするために、カウンセリングをうけたり、スーパービジョンを受けたりもしていたけれど、自己破滅的な傾向というのは、なかなか抜けきらなかったのです。 人間関係では信頼というのが、ほそくて
いつも、特にプライベートではいつ嫌われてしまうのではないかという不安や心配がつきまとっていました。
漠然とした寂しさもあるし、なにをしても不全感がるのです。楽しんでいてもなにか罪悪感を感じていたり、
とても自分は健全ではないとおもっていました。けど、ACというのは病気ではないので、治療という概念はなくて
回復という概念だったんです。
ほんとにそうです。 実際、福祉の学校の人たちとか、施設の職員とか、先生とかも病院の先生とか看護婦さんとか、ソーシャルワーカーとか 実際 つきあった人はまさにアダルトチルドレンっていう人が沢山いました。
医者がとか看護師さんがとか相談員さんがとか、みな健康的で完全にちかいでしょうなんていうのは幻想です。むしろ、ACの世話好きなタイプの人が多いのです。
アダルトチルドレンっていうのは
もともとは、アルコール依存症者のいる家庭の中で子ども時代をすごして、育ち、大人になった人たちのことをいっていました。
そのあと、機能不全家族の中でそだって、子ども時代をすごしてきて大人になった人のことをいうようになりました。
機能不全家族っていわれてもぴんと来ないですけどね。わけわからん。なにそれってなると思うけど。
それは、親が親としての適切な役割を果たさなかった、果たせなかった、果たせていないくて、それで、子どもは、子どもらしく生きていけない、生活できない、その年齢に即した子どもとして体験することが、できてない。そんな家族のこと。 安心と安全感がほとんど無くて、いつも何かの恐怖や不安や心配があって、いつも緊張にさらされている状態。それで、精神的にも、情緒的に不安定になってしまう。そして、そういう機能不全家族、家庭でそだった人は、同じような家庭を築いてしまう傾向が強いのです。
(実は多かれすくなかれ、日本人はほとんど全てACだといっていいのです。それは日本のしつけの文化にかかわります。)
たとえば、親が子どもに、ものすごく過保護で過干渉で、なんでもしてあげてしまう。子どもが自発的にやってみたいことでも、危険だからだめ、といって行動を制限してしまったり。なんでもおもちゃや、物をあたえて、親の自己満足のために接したり、王子さまとかお姫様として育って、親のお人形さんみたく
なってしまう。自分のしたいことが分からなくなってしまう。または、自分が王様になってしまって親を奴隷の様にあつかってしまう。それが、自分の人生になってしまう。そうでなければ、虐待し、精神的に追い詰めたり、脅したり、怒鳴ったり、殴ったり、けったり何かにつけて子どもを暴力と恐怖でコントロールしようとする。しつけといいながらも、していることは恐怖と暴力で支配しようとしている。だから、いつも子どもは顔色をうかがって、緊張が極度に高くていつも安心がなくて、きりきりしている。そうでなければ、無関心や無視、放任。お腹がすいても、しつけといって放置されているとか。だから、大切にされているっていう実感が湧かなくて、自分のことはどうでもいいって思うようになる。または、親が病気のために十分な育児ができなかったり、親が一方的に子どもに愛情をもとめてしまう、逆に親の愚痴や悩みを聞き、世話をしてあげる役目になって、なんでもしっかりしなきゃって思うことになるし、そう行動するようになる。世話焼きタイプっていうことですね。
アルコール依存症者のいる家庭ってどんな家でしょう。
ぼくの家の場合は何かあると、父はお酒を飲みはじめ、口論や喧嘩が
始まります。その原因は、お金のことや、土地のこととか、祖母と父の関係のこととか、そして、突然、どこか出かけていってしまって、帰ってこなくて、心配になります。泥酔した本人は暴言はいたこともぐでんぐでんによっぱらいってしまったことも覚えていないことがおおいです。くじぐじ昔の嫌なことを、言い始めます。くだおまきます。酔っ払って横暴になってしまいます。
子どもをつれて飲み屋にいきます。親戚や知り合いに電話をしまくります。
母と喧嘩して、何回も離婚の話になります。大声でどなります。
でも、飲まないときは、物静かで、几帳面で、なんでも綺麗にしておかないと
すぐに起こられていました。
両親はそれぞれに悩みや愚痴をいいます。ぼくは、よっぱらった父と話しても
まったく理屈が通らなくて、理解してもらえないことが多かったし、もう無理だとおもい、あまり自分のことは話さなくなりました。
ただ、暴言や怒鳴りあいや扉をものすごい勢いで閉めるバンっていうつんざくような音とかどうしても耳にのこり、いまでもすぐに反応して当時を思い出してしまいます。お酒によっているときに、いろいろ嫌なことをいわれたりして、反抗してもまったく無意味で、ものすごく悔しかったです。で、次の日にはしらふで何もなかったようにしているので、どうにもこうにも話ができなくなるのです。
父も心の中は寂しさや、子ども時代のとてもつらいことが心にあって離れないのが原因だと分かっていました。貧しい生活で大変だった、今はなんとかがんばってここまで来たんだ、だからお前もしっかりしろととにかく、父の愚痴をきいて、母の悲しい顔、不安な表情、祖母の苦しみとか立場とか、自分は何かどうしたらいいかといつも気を配るようにしていました。
なので実際、悲しいしつらいし、甘えるなんてことは内心できていなかったのです。親には心配や迷惑をかけたくないっていうやつです。そして、同性愛の悩みなんかもってのほかっていうやつです。
むしろ父のアルコールの問題をどうにかできないかとかそういうことを考えていました、悲しい恥ずかしい情けないっていう感情や思いがあったけど、それはあまり表にはださにで、どうしたらみんな喜ぶのかなっていうことを考えていました。
それに、自分は右目や左耳が悪いので、悪い子だから神様はそうしたし、しかもその勢で、父も母も祖母も悲しんでいるしみんなに迷惑をかけてしまっているんだっておもってしました。
だからよい子にならなきゃとか思っていたのです。自分はまだまだ努力が足らないとか、困っている人がいたら世話をしてあげようっていつも思っていたし。
そういうことをすることが親を喜ばせることだとも思っていたし、社会に貢献する人になることが、親の望みでもあったのでそうしようと思っていました。
自慢の息子になることが、親を喜ばせることだと思っていました。
それから、人の世話をすることで、自分の存在意義があるという状態です。だから、自分よりも弱い人を見つけて、世話をしてあげたりするというのが実は内心あったのです。そういう傾向がつよいのです。
福祉や医療の世界っていうのは、結構そういう隠れた意図をもって働いている人が多いかもしれないです。あまり意識していないと思うけれど。
それから、信頼できない、したいけどなかなかできないのです。それもACの大きな特徴なんです。
それから父からは、お酒を飲んで、体の具合が悪くなったのは、ぼくが心配をかけるからだって言われてしまうので、なんともやり切れませんでした。健全な自尊心がもてなくなります。なんていうか自分は愛されていない
ただ迷惑をかける存在だってそう自分を認識してしまいます。
結局、自分の内面の苦しみや悲しみや怒りとかは表面的に隠していました。
だから、だれにも打ち明けられなかったし、打ち明けようとしても、あまりきいてくれませんでした。話を親身に聞いてくれる人は実は身近にいなかったのです。
みんな、親に迷惑をかけてとか、もっとしっかりしないさいとか、あなたのお父さんはよい人ですとか、なにが問題あるのですかとか、表面的なことばっかりで、
まあ、本当は、疲れてヘキヘキしていて、高校までは、部活でなんとか自分の居場所を確保していたのです。
それから、18歳になったら親はもう関係ないからなとも言われてきたし、自立、迷惑をかけるな、しっかりしなさい、きっちりしなさい、そういうことがいつも命令としてあって、どれほど苦労してお前をそだてているのかということをしきりに言われました。
内心、そうれはほとんど脅迫に聞こえてくるのです。しっかりしなければゆるされないっていうそういうよい子にもっていく強力な思考パターンを持たせられているのです。失敗したら怒られる、嫌われる、捨てられるという恐怖と不安が何をしていても付きまとうのです。
あなたの自由に生きていいですと言われていたけれど、でも、将来は親の面倒をみてほしいって言われて、よい人でいて欲しいという期待とか、お金をだしてあげたんだから無駄にするなとか、他人に迷惑をかけるなとか
ものすごいプレッシャーでした。やれるところまではやったかなと思います。ただかなり脅迫的な思考パターンになっいました。
あとは完璧になんでもしてしまおうとおもって何もできなくなります。
自分の考えや、意志を表明できなくなります。
NOともなかなかいえなくなって 相手の顔色を伺うのです。
本当の自分をださなくなり、だせなくなり、しまいに自分がだれだか分からなくなる。
ぼくは、そういう人生を生きてきたので 破綻しました。
でも、神ちゃまは、それだからこそ超・愛してくれています。
超・最低最悪だからこそ超・愛してくれているのが神ちゃまなんです。これってものすごいことです。
本当の幸せを、ぼくらにあたえてくれようとしているわけです。永遠の幸福を。
いい会社とかいい職業についたから、親の霊魂をすくえるかとか自分の霊魂をすくえるかといったら、
そんなことはまったくないのです。本当に幸せになんてなれないのです。
親を恨んだり憎んだりはしていないけれど、ここまでしたからいいでしょうって高校にはいった、大学にいった、仕事もすべてそれなりに満足ができるものを獲得してみた。でも、本当の幸せなんかにできないのです。
親を、現世的な事柄で、本当に幸せにすることなんかできないのです。
親からミルクをもらったけれど、ぼくも親にミルクをあたえているようなものでした。親を現世的に喜ばせることは、できるかもしれません。でも、その人間同士だけの関係ではまったく幸せは尽きてしまうのです。
あまりに人間的なので、人の世話をしてきたぶん、自分の世話はかなりおろそかになっていたのは否めません。しかも、心も体も、そうとういじめていたと思います。
神さまにたいして、なかなか信頼できないのは、機能不全家庭で育ってきたとうことも大きな要因があります。
信仰以前の問題ですから、トラウマや情緒の問題でもあるんですけど。
でも、神ちゃまは全知全能なかた、なんでもできるのです。
どんなことでも可能です。奇跡をおこしてくれますから。
親は不完全で、愛に欠けるところが沢山あります。
でも、イエズスも、マリアママもヨゼフパパも 完全にぼくを愛してくれます。
本当の父であり母なんです。
それに、ぼくはいい子じゃなくなっていても、まったく関係ないんです。
親のしらないところでは、沢山の悪事をしてきたのですし、人を信頼できないし、こころはいつも不安と心配で支配されていたのですけど、愛されていないっていう思いもいつもあって、何か自分の存在価値を世話することで見出そうとしていたり、さみしさを紛らわすために、不安を解消するために、パチンコやセックスに身を投じたけれど、それはアディクションになって、まったく自分を傷つけるほうにいってしまいました。
そういう、傷物の自分でも、いや、この超・最低最悪だからこそ超・愛してくれるのが神ちゃまなので本当にほんとうに感謝しているんです。
父には信頼することがなかなかできなかったけれど、今、イエズスが大好きでたまらなくなっているんです。
なぜって、ミシェル・マリー・フランソワを愛してやまないっていってくれるからです。単純すぎるかもしれないけど
本当に、うれしんです。
なにか条件をしめしているわけではなくて、イエズスは本当にどうしようもない自分を、
アダルトチルドレンで、ほんとうに惨めでどうしようもない自分を、信頼することに大いにかけている自分を、信じようとおもっても、なにか疑いの思いがわきでて、不安や心配になる自分を、傷つけまくっている自分を、愛してやまないっていってくれるんですから、
こんなにひどい人生を送ってきた自分でもそういってくれるなんてありがたいって、そしていつも力づよく守ってくれるイエズスがいるっていう安心と安全感が、あるんです。
だから、みんなも アダルトチルドレンって苦しんでいる人たち、
イエズスは ほんとうに 愛してくれているんです。 まったく 超・最低最悪だからこそ超・愛してくれるのが
神ちゃまですから。
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