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2017-12-16 10:01:41

AVE MARIA!

テーマ:ブログ

AVE MARIA! 

 

AVEはラテン語で、挨拶の時に使う言葉だそうです。意味は、元気でいるということらしく、「あべ」では無く、アーヴェー!と少し長く伸ばし、明るく、こんにちは!元気?とかそういう感じだそうです。

 

SALVE MARIA!というのもあります。このSalveも、「さるべ」ではなくて、サールヴェー!と少し長く伸ばして、健康であれとか、万歳とか、幸あれとかという意味もこめて、基本的には、こんにちは!っていうことだそうです。

 

つまり挨拶の言葉で、しかも、挨拶する相手の幸福を願い

 

まあ こんちわーマリアっていう感じだそうです。

 

だから、呪文とかではありませんし、お祈りの言葉ですが、お題目っていうことでもないし、何か真言ということでもありません。

 

マリア母さん こんちわーっていうくらいの気楽なものです。むしろそう気楽に思い接してくれた方が

神さまも、マリア母さんも、喜びます。

 

神妙になりすぎるのは、ちょっとしんどいです。

また、きばりすぎるのも、いけません。

 

祈りは、日常会話と変わらないものです。

 

神さまや、マリア様に語りかけるのが祈りです。

 

他にも、黙想などがありますが、これは瞑想ではありません。

 

黙想は、イエズスの受難のシーンを思いめぐらしたり、その時のマリア母さんの気持ちを推し量ったり、

または、聖書の中で、イエズスが言ったことばの一つだけを取って、その意味を深く理解しようと、例えばご聖体のイエズスの前で、イエズスあなたはどういう意味でこの言葉をしゃべってのか教えてと、子供が親や上の兄さんに質問するように、やり取りしながら、

具体的に、イメージして、イエズスやマリアとコミュニケーションするのが、黙想です。

 

目をつぶって無になるということではありません。

 

自分という存在がここにありますから、自分と神さまとの対話が、祈りの根本です。

 

自分の言葉で気さくに語りかけ、むしろ誰にも言えない秘密のことだとか、思い悩んでいることや、心配なこと、不安なこと、気にかけていることなど、ネガティブな、陰険なことでも、自分の心にある、全てを、少しずつしゃべってみるのが祈りです。

 

何か自分の願望を突きたてたりするのでは無くで、普段の自分をイエズスやマリアだけにはさらけ出すというのが祈りです。

 

自分の善い部分も悪い部分も、全部、イエズスやマリアやヨゼフにはしゃべって、一つずつ、自分を見つめて、どうしていくのが最善なことかを相談します。

 

いろんなアイディアが出てきます。

 

それについても、一つ一つ、イエズスやマリア母さんやヨゼフ父さんと、話をして、決めて、実行に移します。

 

失敗もあれば、間違いもあります。完全なことは出来ません。

 

イエズスは全部知っていますから、安心して自分の最善を尽くすようにします。

 

いつもイエズスはゆるしてくれますし、励ましてもくれます。本当に優しい兄のようで父のようで、親友のようで、最高に素晴らしい存在です。

 

何度転んでも、何回も支え起こしてくれて、いつも一緒に歩んでくれます。

 

 

ヨゼフ父さんも、マリア母さんもいつも一緒です。

 

 

イエズスが生まれて一年位してから、三人の博士たちが、ベツレヘムに訪れましたが、ヘロデ大王は、自分の地位を奪われると思い、ベツレヘムの幼子を殺してしまいました。その直前の夜中に、大天使ガブリエルが、ヨゼフ父さんにエジプトに逃れるようにと神さまからの言葉をもってきてくれました。ヨゼフ父さんは、全ての準備を整えて、赤ちゃんイエズスとマリア母さんをロバにのせて、エジプトに旅立ちます。

 

エジプトで難民の生活をイエズスが12歳ころまで送ったそうです。殺されそうになったイエズスを守ろうとヨゼフ父さんも、マリア母さんも懸命でした。

 

ヨゼフ父さんと、マリア母さんは、ぼくらに対しても、イエズスよりももっと大切に大事に世話してくれています。

 

目には見えませんし、耳に聞こえませんし、何にも五感では感じませんが、実際、それぞれ一人一人を、ヨゼフ父さんとマリア母さんは、面倒をみてくれています。

 

ですから、気軽に、気楽に、マリア母さん おはよーとか、ヨゼフ父さん、ありがとうとか、日常使っている言葉で、話かけるととても彼らは喜んでくれます。

 

 

お金や物も大切ではありますが、もっと大切なものは、霊魂の喜びだと思います。 霊的な喜びです。

 

オカルト的なスピリチュアルな次元の話では無くて、

 

実際の生活の中での霊的喜びということです。霊的な糧とも言いますが、肉体を維持していくには、食物や住む場所や最低限のお金など物質が必要になりますが、人間は霊と肉でできています、ですから、霊的な糧も必要です。

 

末期がんの方の終末医療とか、ターミナルケアとかでは、スピリチュアルケアと言われます。

それは心霊療法とかそういうオカルトでは無い、まったく、その人の人生の終末、ターミナル、最後のステージで、

いかによりよく生きるかということを、最後の瞬間まで、いかにその人、ユニークな存在である、「この人」が

よりよい最後を迎えられるようにサポートするものです。

 

命を延命させることでは無く、その命をいかによりよく終えるか、地上での生命を終わるときの準備と実際に生きている中身に

その人に寄り添い、また、その人自身が、自分自身を十分に受け止めて、最後をよく迎え、終えることを目指すものです。

死を受け入れることは、恐怖や怒り、悲しみ、苦痛、人生の意味や自分自身の存在意義や存在そのものについての思い、人生への未練や執着や喪失感や別れることの辛さなど、これらは全て霊的なことです。

 

肉体的な治療にかんしては、それ以上は医学的には手の施しようが無いというときに、脳の働きや感情や認知などよりも奥深い

次元のものです。

 

末期がんを抱えている人でも、毎日喜びと感謝に満ちている人もいます。一方で、なんで自分だけこんなひどい仕打ちを受けなければならないんだと思い詰めている人もいます。

 

これは単純に脳の働きの感情などの問題では無いし、認知行動的な次元だけのテーマでもありません。

 

人生そのものに関する、その人の、受け止め方や、何に喜びを感じるか、何に対して喜ぶか、というテーマになります。

 

肉体は病んでいても、霊魂はいたく健康な人もいます。

一方、肉体は健康でも、霊魂はひどく病気な人もいます。

さらに、肉体も病気で、霊魂も病気な人もいます。

 

いいずれにしても、イエズスやマリア母さんや、ヨゼフ父さんは、

一人一人、その人にあった方法で、十二分に善いことをしてくれています。

 

それは、本当に素晴らしいことであり、ありがたいなーと思えることです。

 

全ての人に、父と子と聖霊の三つで一つの三位一体の神さまからの素晴らし恵みと祝福が

ありますように。あめん。

 

せば!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2017-12-15 09:54:57

平安 安心と安全と心地よさ

テーマ:ブログ

父と子と聖霊の三つで一つの三位一体の神さまから来るものは、全て善いものです。

ですから、恐怖や不安や急きたてるような焦りや焦燥感などネガティブなものはありません。

安心と安全と平安と心地よさがあります。

神さまの偉大さに圧倒されて畏敬の念をもって畏れることはありますが、決して恐怖で、何か暴力を振るわれるのではないか、何か怖いことをされるのではないかとか、不安や疑心暗鬼や猜疑心や恐怖や緊張やイライラや沈み込む罪悪感や自己憐憫などは一切ありません。

 

三位一体の神さまは、慈愛そのものですから、全ての人に、愛と平安と心地よさと喜びをもたらしてくれます。

一時の快感や快楽の喜びとは、全く違うものです。

 

善い優しい神さまからの平安や喜びは、しみじみとしたもので、刺激的でも無ければ、享楽的なものでも、刹那的な喜びでもありません。

永遠に続く不動なもので、安寧と安楽があり、非常に深く落ち着いた安心と安全が確保されている何の心配も不安も無いしっとりた喜びが清水のように湧き出て来るそういう心地良さです。

 

また、センセーショナルなものでもありません。何か自然現象や、人間の言動に左右されて変化したり、影響を受けるものでもありません。

 

ずーっと永遠に、安寧があるそういうものです。

 

父と子と聖霊の三位一体の神さまからの贈り物は、愛と平安と落ち着いた態度に導いてくれます。また、煩いや心配事があっても、全てうまく行きますという絶対的な確信と安心と安全感が神さまから得られます。心を乱す必要は何もありません。将来の不安や心配もいりません。

 

今日一日を優しい善い神さまと一緒に生きること、歩むことで、将来への恐怖や不安や心配などは無くなります。

 

そしていつも善いことを望むことが良いです。それはマリア母さんとヨゼフ父さんと一緒に神さまの望むことを思いめぐらすことです。

神さまは、善そのものですから、人間に対してもいつも常に善いことを望み、そうしてくれています。

 

神さまは、悪いことは決してしません。

 

そこに、神さまの善に信頼することが大切です。

 

 

世の中は戦乱や不正が消えることはありません、キリスト教徒やイスラム教徒や仏教徒や神道や無宗教や、信者であっても、どんなに偉い地位にある人でも、間違いや、罪を犯し、悪を実行してしまいます。

 

キリスト教徒だからとか、仏教徒だからとか、実際人間の行っている悪は、宗教は関係ないです。

その個人が悪を望むか善を望むかです。個人が何を望んで生きていて、実際どう生きているかです。

 

世の中の悪は、宗教とは関係ないものです。ただ神や仏に責任を擦り付けているだけです。

 

一神教だから寛容さに欠けるとか、多神教だから寛容だとか、社会の事件や混乱や問題はそういう宗教の問題では

実際関係ないです。

 

キリスト教徒でもイスラム教徒でも仏教徒でも神道でも、殺人したり、暴力を振るったり、悪をしています。

 

本当に善い存在なら、人殺しを命じたりはしません。テロ行為は、明らかに間違ったものです。また、どんな理由があっても殺人は罪です。

 

しかし、人を殺すといっても、正当防衛の結果、相手と格闘して、その結果として相手が死んだ場合は罪にはなりません。

 

相手が明らかに殺意をもって自分を殺そうとして行動をしている場合は、抵抗して、相手を殺してしまうことは、罪にはなりません。

むしろ、自分の命を守る義務があります、ですから、殺意を抱き、殺してくる相手に抵抗し相手をやっつけることは悪いことではありません。

 

人間は、それぞれ、神さまから、身も心も霊魂ももらっています。ですから、とても貴重で大切なものです。

人間は、神さまからもらった貴重な肉体を、大切に管理し、善いことに使う必然性があるのです。

その神さまからもらった体、大切なものを、自分の思惑や、また他者の私欲のために、乱用し、濫用し、不適切に使い、傷つけることは、神さまをとても悲しませることになります。それは罪ですし、悪です。

たとえば、自分の体なんだから自由にしていいんだ、だから安楽死もいいというのは、自分に神さまから与えられたの能力をアビューズ(行き過ぎた行為、濫用)することです。

 

もし相手が無用に自分を傷つけることをしてきた場合は、正当防衛で、相手に正しく抵抗して、自己防衛をするのは、むしろ自分の義務と責任です。

 

これは、国家間でも同じです。

 

相手国が自国を占領し、または滅ぼそうという意図を明確にもっていて、攻撃をしてくる準備や実際攻撃を仕掛けてきたら、自国の領土と財産を守るために、正当防衛をするのが当たり前です。むしろ国民としては当然の義務です。

 

神さまは、善い方です。人間を害したり、悪に陥れたりすることは決してありません。存在そのものが全き善だからです。

 

私利私欲を満たそうとするのは人間の方で、何かに理由をつけては自分の罪と悪の行いを正当化してしまいます。また何かの勢にしたがります。でも実際思い、言葉にして、行動に移すのは、その人ですから、自分の言動には責任があります。

 

その結果、自らの言動で相手に何らかの損害や不利益を被らせた場合は、償いが必要です。埋め合わせをしなければなりません。

 

例えば、神さまがこうしろと言った、仏さまがこうしろと命令してきた、又は、悪魔が、悪霊がこうしろと言ったから、やったということであっても、実際、行いをするのは、その個人ですから、言動の責任が発生します。

 

人間には、良心がありますから、倫理的道徳的なことをよく吟味し、善悪を判断する能力は、幼い子供でも十分あります。

 

社会の混乱や、自分の心の混乱をしている時こそ、人は、一人一人全く違った存在ですから、世間がこうだとか、社会がこうだとか、みんながしているからとか、そういう周囲の価値や価値観に頼るのではなく、落ち着いて、孤独になって、自分の言動や思考を、自分の良心によく照らしてみることがより大切だと思います。

 

良心というのは、全き善の神さまの声でもあります。

 

三位一体の神さまは、いたるところにいます。神さまは遍在しています。ですから、本来的に、一人一人の内奥にも三位一体の神は存在しています。

 

神さまは、それぞれの人を、内からも外からも、気にかけ、心を配り、大切に、大事に、あわれみ、愛して、瞬間瞬間、恩寵で満たしてくれています。そして、その人の罪や悪をゆるしてくれています。一人一人の人間を愛しているがゆえに、罪を悪をゆるしています。むしろイエズス・キリストがその罪と悪の償いと贖いをしたのです。そして、その愛、あわれみ、ゆるしそのものの神さまの全き善は永遠に続くことです。

 

それを望むか望まないかは、個々人が選ぶことです。神さまは決して強制的に信じ込ませるようなことはしません。自分は、全き善で、全智全能、力そのもの愛そのものだと知らせますが、強制的に、その個人を服従させるようなことは決してしません。

 

それぞれを真に愛していますから、最高に最大限その人の自由を尊重し、主体性と自己決定を最大限促し、その個人の意思を誰よりも尊重してします。それは、愛しているからです。神さまの支配というのは、強制的で苦痛に満ちたものでは無いということです。

 

むしろ愛しているといいながら、自由を奪い、強制的になんでもかんでもがんじがらめにするのは人間の方です。

 

三位一体の優しく善い神さまと人間の違いは歴然としています。

 

 

世界中の一人一人に、父と子と聖霊の優しく善い三位一体の神さまからの沢山の祝福と恵み、恩寵が、全ての恵みの仲介者であり贖罪の協力者であるマリア母さんを通して、あふれんばかりに、あめあられと注がれますように。あめん。

 

 

せば!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2017-12-13 08:23:57

私の最も小さい子

テーマ:ブログ

 

1531年12月9日〜12月12日はメキシコのガダルーペの聖母マリアの日でした。インディオのホアン・ディエゴ兄ちゃんに空色に星が散りばめれたマントを着たマリア母さんが来てくれました。

 
沢山の奇跡がありました。スーパーナチュラルなことが沢山ありました。重病人の瞬時の癒しや回復を、冬なのにバラの花が咲きみだれ、当時はイタリアにしか無かったバラの花が咲いていたり、善い神さまからの働きかけだとう証拠がいくつもありました。
 
教会はよく調べてこの聖母の訪問が確かだと公に認めました。
 
マリア母さんは、素晴らしく善い方です。
どんな人にとっても母なのです。母親なのです。
また、どの時代に生きている人にも母なのです。
 
人間側の都合に全く関係無く、全ての人にとっての母なのです。
 
ですから、人種や国籍や性別や年齢や宗教などその人の属性には全く関係無く、
全ての人を誰よりも
 
愛する母です。
 
マリア母さんは、本当にお母さんです。
 
みんなそれぞれを超愛しています。
選り好みやえこひきや選別や差別や軽蔑や侮蔑など決してしません。
 
どんな状態にあっても一人一人が大切で大事な我が子なのです。
 
そのような素晴らしく善い最高の宝物を人類の為に用意してくれたのが
父と子と聖霊の三つで一つの三位一体の神さまなのです。
 
親からの愛に飢え渇いている人には、マリアとヨゼフが最高の両親となります。
 
二人とも一人一人を
非常に非常に愛しています。序列はありません。
信頼しています。希望しています。決して見捨てません。
 
どんなことがあっても、
どんな状態でも、
いま死に瀕していても、
病気や怪我や傷害でくるしんでいても、
悪さをしまくりでも、
薬物を使用してラリっていても、
セックス依存やオナニー依存に陥っていても、
スマホやゲーム依存に陥っていても、
引きこもりや、自殺未遂を繰り返していても、
希死念慮はバリバリあっても、
怒り依存、暴力依存であっても、
万引きや嘘をつきまくりでも、
非行の数々をしまくりでも、
とにかくどんなに悲惨で惨めな状態でも、
マリアとヨゼフは決して見捨てません。
 
むしろ苦しみ悲しみ悲嘆に暮れ絶望感に苛まされ、
人間的には最悪だという時こそマリアとヨゼフは一番近くにいて
最も善いことをしてくれます。
 
大切な我が子を悲しませるようなことはしません。
いつも善い喜びをもってきて差し出してくれます。
 
深いどん底、暗闇の真っただ中にいても一条の光のように、
マリアとヨゼフは愛と信頼と希望をくれます。
 
マリア母さんとヨゼフ父さんに
産まれたばかりの赤ちゃんイエズスのように泣いたら
すぐにマリア母さんはお乳をくれます。
ヨゼフ父さんとはよしよしと言って優しく力強くその腕にに抱いて
ニコニコしてくれます。
 
とくに薬物依存などの「依存症」や「アディクション」からの回復には、
マリア母さんとヨゼフ父さんに頼るのが最も有効です。
 
自分の経験から、人間的手段や方法では、限界があります。
 
なぜなら、何に「喜び」を感じるかは、その人その人の
嗜好性の問題だからです。
 
薬物による脳内の神経伝達物資や神経系の障害や支障や不調和があることは
確かなようです。
 
しかし、その状態を保ちながら、その個人が何を求め、
かつ、何に喜びを見出すのかというのは
全くの個人的な嗜好と体験の問題です。
 
これは、強制的に治療行為をしても、あまり意味がありません。
 
当事者が、自己覚知すること以外は、回復の方法がありません。
 
周囲の人は家族であれ、どんな高名な医師やカウンセラーや神父などでも
その人の内面、全くの奥を変えることができるのは、
その人がそれを望んだ時であり、善く変えてくれるのは、神さま以外ありません。
 
大切なことは、本人が一体何を望むかです。
そしてどうしたいかです。
 
思っていても、行動に移さない限り、意味はありません。
 
その行いというのは、祈ることも、一つの行いです。
全く些細な最も小さなことです。
 
マリアやヨゼフと語り合うことは、行いの一つです。
行動に移すというのは、取り立てて難しいことではありません。
単純で簡単です。
脳に重度の障害がある方以外は、誰でもできます。
いつでも、どこでもできます。
 
自分以外の、善い存在に頼ることは、非常に重要です。
自分一人では、どうしようもなくなります。
その限界をよくよく認める必要があり、
かつ、善い善い存在に自分自身を委ねる必要がどうしてもあります。
 
依存症からの回復には、これは必須条件です。
 
 
自分からの良き勧めは、
毎日毎日、今日一日今日一日とマリアとヨゼフの二人と語り合い、
親子の絆を育んでみることです。
 
安定した信頼関係を築く事が「依存症」からの回復の要です。
 
心の平安、安心は、個人的な内的な体験です。
 
マリアとヨゼフに信頼してみることを勧めます。
マリアとヨゼフはいつもどこでも一緒にいてくれます
けっして誰も見捨てません。
 
いつも誰よりも超愛しています。
世界中の誰よりも超愛してくれています。
超愛されている存在です。
 
優しく善い三位一体の神さまの祝福が沢山皆さんにありますように。あめん。
オ~ラ~!
 
せば!
 
 
 
 
 
 
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