追記・訂正:
文中に ** で記した箇所が二つありますのでご覧ください。
パート1とパート2はスミスさんの記事の読解にあてましたが、ここからのメインは私の今シーズンを見終えての総括、みたいなものになります。
その前に、パート2の最後の部分にちょっと付け加えます。(書きあげてみたら、えらく長くなっていましたが)
ブライアンが羽生選手の不調に気付かなかった、演技の出来に驚いた、と言ったことについて。
私はブライアンが言ったことを直接聞いたわけではないし、前後の会話がどういった文脈だったのかは分かりません。
ただ、
たとえ羽生選手が何も言わなくとも、もっと察知してあげてほしかった。そして何か彼の緊張をほぐす言葉をかけてほしかった。
というファンの反応について、私の考えはパート2に書いたとおりです。
ブライアンは4シーズン、羽生選手のコーチとして彼の傍らで数多くの大会の場面を経験して、どういった時に、彼が何を求めているのか、を模索して来た。
そして羽生選手が言うことを尊重すること、彼の周りの「スペース」を守ること、をルールとして導き出した。
羽生選手は競技前、人を寄せ付けないほどの殺気が漂っている。それをナーバスになっていると見るのか、ただ集中している、と見るのか。
ワールドだけに、いつもよりもその度合いが強かったのか、練習中のアクシデントによる影響があったのか。
それも全て込み、でブライアンは羽生選手に試合運びを任せる、というスタンスを取るようにしているように私には見えます。自分が勝手に憶測して、羽生選手の試合運びを邪魔しても歓迎されない、と考えているのかも知れません。
ここで、中国杯で羽生選手があの事故に遭い、それでも競技を続行する、と言った時のことが思いだされます。
あの時、多くのファンが「ブライアンは周りの雑音よりも、羽生選手の気持ちを優先させてくれた。」と喜んでいました。
本来なら、彼は羽生選手を止めたいと思ったかも知れない。後でさんざん、非難されるだろうと考えたかも知れない。あの非常事態で、選手は冷静に判断が出来ないかも知れないから、コーチがその代わりになって考えるべきではないか、と。
そこを、ブライアンはあえて羽生選手の思うとおりに従った。
結果論としては、あのおかげで羽生選手はGPFに出場し、フリーで素晴らしいパフォーマンスを見せた。だから良かった。ブライアン、ありがとう。そういう解釈に収まりました。
だから今回も同じです。
ただ結果が優勝ではなかったから、どうして羽生選手がナーバスになっているのを、いつも通りのパターンを破ってでも彼に声をかけなかったのか。メンタルのフォローをしてくれなかったのか、と言いたくなるのでしょう。
でも、
You can't have it both ways.
(選べるのはどちらか一つで、両方欲しいと言ってもダメ)
ということです。
ブライアンと羽生選手の間では、試合の運びに関しては選手に任せるといった(それこそ)「暗黙の了解」が定まっているのだと私は思います。
これがブライアンの言っている
「選手は自分の選択に全ての責任を持つべき」
ということにもつながっているのだと思います。
この他には
ブライアンが自分のコーチとしての功績で一番誇りに思うのは、ハビエルを世界王者に育て上げたことだとか、ハビエルのボストンワールドでのフリーがこれまでのフィギュア史上で最高の演技だと思うとか、そういった発言をしていることを残念がるコメントもいただきました。
これも言葉だけを取り上げると、憤慨したくなるかも知れません。
じゃあ、ユヅのコーチであることに対してはどう思ってるの?彼のNHK杯やGPFでの世界最高記録の演技はどういう位置づけなの?
最初の点については、ある意味、羽生選手自身の功績への配慮があると思います。
確かにブライアンは羽生選手をソチオリンピック優勝へと導いた。だけどあのシーズンでさえ、羽生選手はすでに自分の考えを主張し、練習の仕方やプログラム構成の変更を申し入れたりしている。続くその後の2シーズンではいかに自己練習に長けているか、を見せつけて来た。ローメンテナンス、自分で自分の管理をできるスケーター、ブライアンの手を四六時中、借りなくても立派に戦える選手と成長したのです。
一方ハビエルは手のかかる教え子であり、ブライアンやデイビッドやトレイシーがつきっきりで叱咤激励して来た、ほっとけないタイプ。それをヨーロッパ四連覇、世界選手権二連覇へと育て上げたのですから、「コーチ」冥利に尽きるでしょう。
逆に羽生選手をここまでにしたのはぼくの大きな功績、と言ったら語弊があるとブライアンはわきまえているのではないでしょうか。
現にハビエルはいつも「全てはブライアンのおかげ」と言い、羽生選手にはそういった発言はあまり見られない。
これは単に事実を反映しているのだ、さらっと考えるとそうなる、と私は思います。
**追記: ↑ ここの記述は元々、あえてフォントの大小のサイズを変えているのですが、それでも足らなかったかも知れません。
私は、羽生選手がブライアンあるいはクリケットへの感謝の気持ちを言葉や態度で全く示していない、と言ったのではありません。
(彼がキスクラで毎回、ブライアンへの敬意を動作で示しているのは当然、見ていますので)
それよりも、ハビエルが「自分が今ここにあるのは全て、ブライアンのおかげ」と言っている点を強調したかったのです。
羽生選手が自分の思い通りにさせてくれるブライアンに感謝している、と言っているのは最新号の『フィギュアスケート Life』のインタビューにも載っています。
感謝の気持ちを持っているかどうか、示しているかどうかではなく、感謝しているポイントが違う、ということを言いたかったわけです。
ご了承ください。
**
なお、ハビエルのワールドでのFSが「史上最高のフリー演技」というブライアンの評価については色々な見方ができると思います。
**追記2:
この点に関する元の記述はコメントでご紹介いただいた一つの記事を根拠にしています。
トロント・サンの記事には確かにブライアンのコメントは "the best free program they’ve seen in the history of figure skating"が対象となっています。
ところがまた他のソースを参照してみるとボストン・グローブ紙にはブライアンが“the best I’ve ever seen” at Worlds とコメントしたと載っています。
要はこれらのコメントが個別に言われたことなのか、共同会見で言われたものなのか、はっきりしないわけですね。なのでブライアンが何を基準としているのかが不確かであり、記者によって勝手に解釈されたとも考えられます。
一つのソースだけに頼って分析した私が浅はかでした。なので以下の記述は削除すべきかも知れませんが、ご参考までに置いておきます。
**
これもまた、直接ブライアンに「え、ユヅの最高記録の演技についてはどうなの?」などと聞いてみれば良いのかも知れませんが、全ては文脈、その場の雰囲気、何を基準にしているのか、などが考慮されるべきだと思います。
ファンの心理としては、ブライアンはあの状況の中で「史上最高の」と言うのではなく、もっと巧みに「史上最高の演技の一つ」と言えば良かったのでしょうか。
でももしかしたら、
フィギュア・シーズンの頂点であるワールド大会という場面で、
SPでは12点もの大差でリードされていたにも関わらず
逆転が可能になった状況下で
一世一代の演技をやり遂げたこと
記録や得点ももちろん、大事ですが、これらすべてが重なったことが基準となったのではないか、
と私はこれまたさらっと受け止めます。
まあこれも全て私の考えであり、皆さん全員にはとうてい納得していただけないだろうと承知はしています。
で、ここからは私の観戦シーズン終了にあたっての総括みたいなものになります。
私は過去5シーズンほど、羽生選手をメインで応援してきましたが、その中で自分の応援のしかた、ファンとしての立ち位置、スポーツ観戦に対する姿勢、が変化して来ているのを興味深く思っています。
羽生選手に特化して言えば、あまりにも多くの情報が出回っていて、自分ではかなりソースを絞っても(母や友達などからも)どんどん入って来てしまう状況に惑わされて混乱する時があります。
そういう時、やはり「初心に返る」のが大事かな、と思うようになりました。
前にも記事にしましたが(「時々初心に返るのもいい:「よかった、会えて」)、私は羽生選手を通して本当に色んな楽しい、貴重な経験をさせてもらっています。
たくさんの方々とブログ上で交流したり、一緒にシーズンを追う楽しみを知りました。カナダでのスケート大会のボランティアをするようになって、ジャーナリストやカメラマンの方々のお仕事の舞台裏も見せてもらいました。
そして何よりも選手の一人一人の喜びと苦悩と努力と情熱に触れ、スポーツがなぜこれほど人々の心を打つのか、を再認識することの連続に幸せを感じています。
某スポーツニュースで例のアクシデントについて、「いつもはあんなに温和な羽生選手が、あれほどの怒りを見せたのは。。。」などと驚いた顔で言うアナウンサーがいたそうですが、「アホか」と言いたくなります。
選手たちは、羽生選手は、試合になるといつでもギリギリの状態で戦っているのに。いつもはあんなに温和な、って。。。彼の中にはいつもマグマのように一発触発の情熱が煮えたぎっているのに。
私から見る羽生選手は、ナイアガラの滝の端から端まで、を綱渡りするような、一分の狂いも自らに許さないような状況に自分を追い込んでいるアスリートです。
他の誰が見てもそこまでする必要はない、と思うほどの切羽詰まりよう。もっと余裕を持って、もっと安全な戦い方をすれば良いのに、と思われるかも知れないけど、彼はそれを自分に許せばたちまち慢心と敗北につながる、と知っているかのようです。彼が究極的に求めている山の頂点は、一見、鋭すぎるような角度から登って行かないととても届かないから。
こんな ↓ ポスターを連想しました:
「今はとても出来ない、と思っていることでも、いつかはウオームアップ程度に感じるようになる」
異次元の演技を普通に出来るようになる、ことを目標にして来た羽生選手、きっとその姿勢が功を奏する時が来るに違いありません。
もちろん、その代償として、失敗もあり得る。全ての試合で勝てるとは限らないから。でも彼は決して自分の決断については言い訳をしないだろうし、全責任を負う覚悟でいる。自分で選んだ道、自分で引き起こした結果。良くても悪くても受け止める。
我々ファンは騒がずに静観するのみ。彼の代弁者になる必要はないし、彼もきっとそれを我々には求めていないでしょう。
2015-2016年のシーズンが終わって、私が一つ成長したかなと思ったのは、目を反らさずに最後まで羽生選手の演技を見届けられるようになったこと。勝利を信じていたから、というのではなく、何があっても見ようと思ったから。彼があれほど真剣に戦っているのに、それくらいしなくては申し訳ないと思ったから。
同じように(読解パート2やこのパート3でも触れましたが)彼が自分なりの戦いのストラテジーを確立させ、そのためのシステムを構築する取り組みを追うのも楽しみの一つです。来シーズン、彼がどのような軌道修正を見せて、どのような成長を遂げるのか、何が起こっても、どんなにハラハラドキドキの展開になっても、しっかりと見せてもらうつもりです。
羽生選手は自分の演技を見て、少しでも勇気を得てもらえたら、何かを感じてもらえたら、とよく言っていますね。
私はおかげさまでたくさんの勇気をもらい、たくさんのことを感じました。それを自分の日常や、人付き合いや、仕事などでも、良い方向に活かすことができたら、羽生選手の努力にほんのちょっぴり、報いられるのかな、と考えています。
皆さんもシーズンを通して、羽生選手からたくさんの喜びや感動を受け取られたでしょうか。そうであることを祈っています。
羽生選手、お疲れ様でした。そしてありがとうございます。
最後に来年に向けてテーマソングを見つけたので貼り付けておきます。(ちょっと気が早いけど。。。)
Apocalyptica - Angry Birds Theme
主人と私の大好きなヘビメタ・チェロ軍団「アポカリプティカ」(フィンランド出身)による
「アングリ―・バード」のテーマです
主人と私の大好きなヘビメタ・チェロ軍団「アポカリプティカ」(フィンランド出身)による
「アングリ―・バード」のテーマです
羽生選手もこのゲーム、好きでしたね。。。