ワールド2016年:スミスさんの記事読解(パート2) | 覚え書きあれこれ

覚え書きあれこれ

記憶力が低下する今日この頃、覚え書きみたいなものを綴っておかないと...



遅くなりましたが パート1の続きです。

実は昨晩、この部分は書きあげていたのですがまだまだ付け足したいことがあるので、パート3につなげたいと思います。(まだ執筆中)

この記事ではハビエルに関するスミスさんの記述を取り上げて、その後に私の感想を書きました。


なお、昨日から羽生選手のファンとしての観点からのたくさんのコメントを頂いています。色々と心がザワつく状況(特に日本では)であることは重々、理解しています。

ただ、こういう状況であるからこそ、少し冷静になって考えるのも大切ではないかと思います。

そんなわけでせっかく頂いた皆様からの声をまだ、コメント欄に反映させていない、というところがあります。


時間不足のため、現時点では個別にお返事を書けないのですが、それなのにそのまま、コメント欄に置き去りにするのが申し訳なく、またよけいに皆様の気持ちを乱すのが憚られるのです。(このことは記事の中でも昨夜、書いていたのですが、繰り返しになるのを承知でそのまま残しています。)


パート3が完成して私の考えを明らかにすれば、感想を求められていることへのお返事の代わりになるかも知れません。その上でまたコメントをいただければとても嬉しいです。


もうちょっと、お時間をください。ありがとうございます。

では昨夜、書いたものをまずはアップします。



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ここから記事の焦点はハビちゃんに移り、スミスさんは彼のフリー演技を "the performance of the ages" と絶賛しています。歴史に残る名演技、ということですね。確かにあの状況で、あの演技、誰もが感動するものだったと私も思います。

先日、「クラッチ・パフォーマー」という表現をご紹介しましたが、あの夜はハビエルこそ、まさに絶好のチャンスに実力を発揮できた選手でした。


スミスさんはハビエルが昨シーズン、世界チャンピオンになった後、案外注目度が低かった(under-the-radar=直訳でどこのレーダーにも感知されていなかった)と言っています。

もちろん、自国のスペインでは英雄扱いを受け、スポンサーが付いたり、イベントに引っ張りだこにはなっていましたが、シーズンが始まる頃にはパトリック・チャンの復帰があったり、始まってからは羽生選手の記録更新などで確かにハビエルへの関心が高かった、とは言えません。


ところが、あまり誰も知らなかったけれど、彼には彼なりの苦悩があった。

A month before Boston, he developed a bursa on the heel of his right foot – his landing foot. It’s an annoying, painful, ugly goose egg thing caused by friction.
ボストンワールドの一カ月前ほどから右足、つまりランディング・フットのかかとに炎症を起こした。摩擦によって発生する"bursa"、非常に鬱陶しい、痛みを伴う醜いコブのようなものができたのだ。



Fernandez had taken 24 hours off when it first caused him trouble and when he returned, it was fine.
最初にこれはマズイと思った時点で24時間、休みを取った。次に練習に戻った時には大丈夫だった。


But not forever. It flared up again. Fernandez tried the same treatment, a little Advil and rest, but it didn’t help.
だが長くは続かなかった。また炎症が起こり、フェルナンデスは同じように鎮痛剤(ADVIL)と休養で治そうとしたが良くならなかった。


“When he bends his ankle, it pushes the heel back and it hurts,” Orser said.
「足首を(前方に)曲げると、かかとが後ろにずれるから、痛むわけ」とオーサーは言った。



ボストン入りしてからも痛みは長引きました。


Fernandez took a day off practice on Thursday. But at Friday morning practice, he skated little. He spent his time fiddling with the boot, to no avail, trying all sorts of last-minute things. Fernandez started to panic. Orser said his face began to turn white.
フェルナンデスは木曜の練習を休んだ。にもかかわらず、金曜の午前中の練習でもほとんど滑らなかった。スケート靴をいじってみたが、効果はなし。ギリギリになってできることなど知れているが、全て試してみた。フェルナンデスはパニック状態に陥り始め、オーサーによると「顔色が真っ白になっていた」。



そこでブライアンはちゃんとした医療処置が必要だ、と決断を下したわけですね。そしてパニクるハビエルにずっと付き添って、落ち着くようにと諭した。


So the afternoon of the men’s final, Fernandez spent hours with the event’s medical team, who gave him a pad to place in his boot and treated the problem. “It kind of occupied him and he was getting lots of attention, which he likes,” Orser said with a smile.
そんなわけで男子競技の最終日の午後、フェルナンデスは大会の医療チームと何時間も過ごし、ブーツに入れるパッドをもらうなどして問題解決に努めた。「それで気が紛れたし、皆に構ってもらって、彼はそういうのが好きだから(ご機嫌だった)」とオーサーは微笑んだ。


It all shortened the wait. “You can sit in the hotel room and just awful-ize the situation about where it’s going to hurt,” Orser said. Eventually, Fernandez went back to the hotel, took a nap, had dinner and then it was time to head to the rink. Orser also persuaded him that his best long program runthoughs came on Mondays, after he took the weekend off. He framed it positively.
そのおかげで待ち時間も短くなった。「ホテルで何時間もじっと座って、どこそこが痛むだろうか、などと悪い方へと考えてしまうことがあるからね。」とオーサーは言う。やがてフェルナンデスはホテルに戻って、昼寝をして、夕食を取って、そしてリンクへと向かう時間になった。オーサーは、フェルナンデスに「いつも一番いい通し練習ができるのは、
週末休んだ次の日の月曜日だろ?」とプラス思考で説いた。


この結果、フリーでは素晴らしい演技ができた。痛みを忘れて、ただただ良い演技をすることに集中して、優勝したのでした。


“It was not an easy day,” he said later. “It was not an easy month.” He knew that he had to do the best skate in his life to defeat Hanyu. He told himself that it was the last competition of the season. That helped him through.
「楽な一日じゃなかった。楽な一カ月でもなかった。」と彼は後で言った。ハニュウに勝つには一生に一度の演技をしないといけないと分かっていた。これがシーズン最後の大会だ、と思うことでやり遂げることができた。



Gracious in victory, gracious in defeat, Fernandez gave credit to Orser for his victory. “Brian is the person with us every single day,” he said. “It doesn’t matter if we are in a good mood or a bad mood, or if we do a good practice or a terrible practice – he is the person that is helping you no matter what. They [the coaches] want you to be better every single day.
勝っても負けても爽やかなフェルナンデスは、優勝はオーサーのおかげだと言った。「ブライアンは来る日も来る日も、僕らのそばにいてくれる人。機嫌が良くても悪くても、練習で調子が良くても悪くても、何があっても力になってくれる。コーチ達はみな、毎日、ぼくらが成長できることを願ってくれている」



そしてライバルでリンクメイトの羽生選手については:

“I saw that Yuzuru was training every day to be the world champion and not every time you can do what you’re planning to do. “
「ユヅルが世界チャンピオンになるために毎日、練習していたのは見ていた。でも自分が計画したとおりにいつも全てができる、というわけじゃないからね」



ここからちょっとパトリック・チャンについての記述があり、そしてすでにご紹介したとおり、最後にハビエルの最高の言葉が出て来ます。


Meanwhile back in the green room, where skaters sit after they skate, Fernandez said to a crestfallen Hanyu: “It’s okay Yuzu. You still have lots of time to beat me.”
一方、演技後に選手たちが控えるグリーンルームでは、フェルナンデスがうなだれる羽生にこう言った。「大丈夫だよ、ユヅ、まだまだ時間はあるんだから、また僕に勝ったらいいよ」




と、まあ私にとって印象深かった部分を中心に、抜粋しました。


さて、パート1をアップした後でたくさんの方々からコメントを送って頂きました。

全てを反映できなかったのは、私がお返事をすぐに書ける状態ではなかったので、頂いたコメントをそのままほったらかしにするのがためらわれたから、ということです。すみませんでした。


以下、それらのコメントにもなるべく応える形で、スミスさんの記事を読んだ上での感想を述べたいと思います。


長くなりそうなのでこの記事ではまず、ハビエルに関するスミスさんの記述について:



1)もしも私が羽生選手のファンではなく、ハビエルのファンだったら。

今大会での彼の優勝を受けて、前回の優勝にもまして、「我らがハビエルがやってくれた!どうだ!」と大声で叫びたくなっただろうな、と思いました。


フェルナンデス選手が昨年のワールドで優勝した時、「羽生選手がシーズン中、ずっと怪我に悩まされ、もうちょっとのところで悔しい結果に終わった」という点がなんとなく、ついて回っていたという気がします。つまり、GPFでも見られたように、羽生選手が本来の調子さえ出せたらものすごい点差がついていたはず、という側面がクローズアップされた、ということです。

そしてシーズンが始まったら今度はパトリック・チャンが帰って来るわ、羽生選手が空前絶後の記録を叩きだすわ、地元のバルセロナでは二年連続で大差をつけられて二位になるわ、とこれまたなんとなく、準主役。


でもでも、彼のファンは思ったに違いない。

現・ワールドチャンピオンはハビエルですよ。しかもヨーロッパ選手権、四連覇ですよ。彼が気立てが良いからと言っても、私たちは歯がゆい。もっとみんな、彼にリスペクトがあっても良いじゃない!


だからこそ、二度目の世界チャンピオンの座に輝いた時、それもあの素晴らしい演技を、あのとてつもないプレッシャーの中で見事に披露したのですから、きっと皆さん、喜びが爆発したと言うだけでは足りなかったでしょう。


今度こそ、文句なし。誰にもまぐれとは言わせない。



12点の差を逆転して、ぶっちぎりの優勝。絶好調のシーズンの羽生結弦を、追い上げて来る若手のボーヤンジンや宇野昌磨を、戻って来たかつての王者パトリック・チャンを、全員ねじ伏せて優勝してくれた。どれだけ嬉しかったことでしょう。


このように、立場を替えてみれば、少し大会結果の見方も変わります。



2)私たちの知らなかったハビエルの苦悩



スミスさんの記事以外にもどこかで読んだ覚えがありますが、ハビエル自身、決して楽なシーズンではなかった。練習中、「これで良いんだろうか」と思ったり、世界チャンピオンのタイトルの重圧に悩まされた日もあったそうです。

また、ボストンに来る直前のひと月も実は非常にしんどい目に遭っていた。

我々羽生ファンが羽生選手の日々のニュースを追って、アップされた動画や記事に夢中になっている間、他の選手たちにも同等のドラマが起こっている。私たちがそれを知らないだけ、知ろうとしないだけ。


私はワールドのシミュレーションでハビエルを見ているのだけど、確かに今になって思えば目の下に隈はできていたし、顔色も良くなかった。でも写真を撮ってブログに載せて、面白おかしいキャプションをつけて、彼があの時どれだけ足に痛みを覚えていたのかなんて想像もしなかった。


そんなものなんですね。


ではその流れで:


3)ブライアンと教え子たちの関係について。


この点について、羽生ファンの立場から「熱い」コメントを幾つかいただきました。


これも、少し距離をおいて考えるために、まずは私がハビエルのファンだったら、とします。


ハビエルがクリケットクラブに移籍してきたのは確か、2011年のオフシーズン。それまでモロゾフ氏の門下生だったのが、フローラン・アモディオ選手を中心にした練習環境を離れ、自分のことをより大切にしてくれるコーチを求めて来たのだと聞きます。

右も左も分からない中、単身でトロントにやって来て、ブライアンがアパート探しからインターネットの設定など、一切の面倒を見たと言われていますね?そしてデイビッド・ウィルソンに振り付けをしてもらうようになって、ハビエルの才能が一気に開花し始めたのでした。

ファンもやっと良いコーチ陣に巡り合えたことを喜んだことでしょう。

そこに、翌年、羽生選手の移籍が起こりました。ブライアンはまず、ハビエルに意見を聞いたということですが、ファンの心中は穏やかではなかったかも知れません。

せっかくハビエルをメインで考えてくれる所が見つかったかと思ったら、わずか一年後にはスター性満々の若い天才スケーターがやって来た。ブライアンもデイビッドも彼に夢中になって、ハビエルの扱いがおろそかになったらどうしよう。

現にメディアの注目も半端じゃなかったと憶えています。夏にも冬にも日本から取材が入る、テレビカメラがやって来る、ファンもクリケットクラブに入って来ようとする。

でもそんな中、ハビエルはブライアンたちのアテンションが減るとか、もともとクリケットクラブにいたのは僕なのに、などと言って拗ねるどころか、きっと自分にも良い影響があるから、と羽生選手の移籍を歓迎してきました。暖かく見守り、気の良い兄貴分として羽生ファンにも好評を得ました。

これはブライアンたちにとって、非常にありがたいことだったに違いありませんが、ハビエルのファンにしてみれば複雑な心境だったでしょう。立場が逆だったら、羽生ファンの我々はどう思ったでしょうか。



それから4シーズンが過ぎました。


ハビエルはずっと変わらずクリケットでシーズン中は練習し、トロントを本拠地としています。オフシーズンはスペインで家族と過ごしたり、日本でもショーに出演したりすることもあるようですが、夏の終わりには戻って来て、ブライアンが主催する合宿に毎年、参加します。


一方、羽生選手は日本での活動が年々、忙しくなっています。それもあって、臨機応変にどこでも練習できるよう、彼は独自のシステムを構築せざるを得なかった。コーチとの連絡はメールが多くなり、ブライアンたちも徐々にそのやり方に合わせるようになっていったと最近の記事にもありました。そして日本では、羽生選手を取り巻く新たなサポートチームも出来上がって行っています。


そんな歴史や経緯がある、ということを全く考慮せずに、今大会でブライアンの取った行動について語ることは間違いだと思います。


ブライアンとハビエル、ブライアンと羽生選手、(ここに、コメントに名前の挙がっているデイビッド・ウィルソンと二人の選手の関係も加えて良いでしょう)、それぞれの関係はお互い、承知の上で、何年もの時間を積んで、築き上げられているのだと考えるのが妥当ではないでしょうか。


ハビエルはコーチであるブライアンに全てを委ねている。精神的なことから体のメンテナンスまで、全てを相談し、アドバイスを受けている。

羽生選手はそうではない。彼は生活面では家族に頼り、メンタル面は自分でコントロールをし、体のケアは専属のトレーナーが付いている。。。などなど。


試合の場ではその差がいっそう歴然となります。


過去三回、スケートカナダでこの二人の選手の準備の様子を目の当たりにしましたが、羽生選手は試合当日、オフアイス、オンアイス共に徹底的にルーティンを重要視し、集中力を極限まで高め、周囲を遮断します。


これに比べてハビエルは演技の始まる直前まで、ブライアンと話をして、リラックスしようとします。


それぞれの選手に特有の取り組み方がある。


ブライアンはそれを過去4シーズンを共にして来て、何試合もの間、じっくり観察したり、選手たちの意見を聞いたりしてきた結果、彼らと自分との関わり方、距離の置き方、を適応させてきた。


ハビエルと羽生選手とでは求めるものが違うから、ブライアンから与えられるものが違う。


そう考えられるのではないでしょうか。


それとも、ブライアンの目は節穴で、4年間も一緒にいたのに(そしてファンから見たら不手際は明らかなのに)未だに選手との関わり方が分かっていないのでしょうか。


羽生ファンの想いとしては、このボストンワールドで彼がブライアンからハビエルほどには構ってもらえなかったと言いたくなるかも知れません。でもそれはこちら側が思うことであって、羽生選手があの場でそういった干渉を望んでいたか、提供されても受け付けたかどうか?それは我々には分かりません。


また、ハビエルのファンからすれば、ブライアンとはこれまでどおりの試合でのやり取りを踏襲しているだけ。彼が「一年を通して」クリケットクラブで練習をして、他のスケーターとより密接に関わって、コーチとも触れ合っているのだから、大事にされて当たり前。ましてや怪我をして助けを求めたのであれば、ブライアンが心配して対処するのは当然、と思うでしょう。ハビエルには試合に帯同してくれるトレーナーなど付いていないのですから。


まだこのほかにも羽生選手とハビエルそれぞれについてブライアンが発しているコメント、についても述べることはできますが、上記と同じような考えに沿っての私の感想になります。


やはり長くなってきたのでここでいったんアップします。コメントはパート3まで待っていただけると助かります。


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ということでパート3ではこのパート2の続きと、最後に私の日々、変化する「羽生選手応援持論」について語りたいと思います。


あと少し、お付き合いください。