毎年4月の始めにフィギュアスケートの競技シーズンが終わると、選手たちはそれぞれのオフシーズンを迎える。この期間中にアイスショーやイベント、そして重要な新しいプログラムの公表などがある。
そのようなものを全て総合して、次のシーズンの行方を予想するのはファンにとって、すごく楽しい作業だと思います。
この記事では(当然、全く独断的な)私の予想として、2015‐2016年シーズンにおいて羽生結弦選手は何をテーマとするのだろうか?という点について書かせていただきます。
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独断的、と言っても、一応自分なりに根拠はあるんです。
1)羽生選手が選んだ今年のフリー・プログラム「SEIMEI」
2)新しいEXナンバー「天と地のレクイエム」
3)ショート・プログラムが昨年のもののリピートであること
4)24時間テレビで羽生選手が見せた表情
これらが私の頭の中で色々と絡んで、つい数日前にようやく、少しまとまりました。
7月の記事「Roots to Grow and Wings to Fly」 。この時点で私は羽生選手の新しいフリーのプログラムとEXナンバーについて、彼の(震災体験に立ち向かうにあたっての)強い心構えと、祖国日本に対するルーツの再認識を見た、と書きました。
それは今でも変わらないのですが、8月のトロントでの公開練習でショートプログラムが昨シーズンのショパンのリピートだと判明した後から少しずつ、考えが移行しました。
当初、日本の羽生ファンの友人から「SPとFSがどちらも『静』のイメージだけど…」と心配げなメールが来た時は私も同感でした。和のイメージのフリーなら、ショートでいきなりロック調、カートさんの「ドヤーズ」とまでは行かなくてもアップテンポなものが似合うかな、と思っていたのです。
でもまあ、とんでもなく「負けず嫌い」であると自らも認めている羽生選手ですから、
せっかくジェフリー・バトルに作ってもらった美しいプログラムを、(構成の面でも表現の面でも)未完成のまま終わらせるのは我慢できなかったのだろう、
ということでこのリピート選択には納得できました。
しかし2015-2016年のショートプログラムを何にするのか、はすでに3月の世界選手権の前から決めていたと本人が言っていることから、あえて「SEIMEI」をフリーに持ってきたのにはそれなりの覚悟というか、思惑があったのかな、と思えてきました。
それにしても不思議。
これまで少なくともフリーでは洋物の映画のサウンドトラック、ミュージカル、あるいはクラシックだとしてもドラマチックでテンポの速い音楽を使って来ているのに、ゆったりとしたリズムの「SEIMEI」ではかなりの飛躍になる。
それだけではなく、演技の面でも、ここ数年の羽生選手の真骨頂は
新・旧ロミジュリ、ノートルダム、ファントムなどの悲恋物語につきものの「切なさ」、「情熱」、「怪しい魔力」、「苦悩」
といった緩急の激しい感情の表現。
かつて、カートさんも(2013年ボンパール杯の解説中に)
He is a mercurial skater, and wears his heart on his see-through sleeve.
(「アップダウンの激しいスケーター、いつも自分の感情を余すところなく表現する」)
と羽生選手のことを言ってるくらいです。(実際はもっとダジャレの込められた面白いコメントなんです。詳しいことは元記事でどうぞ)
しかし「SEIMEI」で羽生選手が表現したいと言っているのは日本独特の「美しさ」、「繊細さ」、「強さ」といった抽象的な概念。
うーむ、彼は今シーズン、そういった意味でも自分に宿題を課しているんだろうか。
などとちょっと思考が混乱しているところに「24時間テレビ」が放送されました。
福島の仮設住宅を訪問する羽生選手。昨年のロケとはかなり雰囲気が違うな、と見ていて思いました。彼の表情がずいぶんと穏やかで、抵抗することなく、全てを受け入れている感じ。しかしそれよりも印象的だったのは福島の方々を招いて、羽生選手が東大和市のリンクで披露した演技でした。
「レクイエム」では一段と鮮明に彼の「叫び」を聞いた。そして「花になれ」では彼の心からの「微笑み」に和まされた。
昨年の「旧ロミジュリ」の演技を見た時とは全く異なった、素晴らしく爽やかな気持ちで見終えることができました。
すぐにでもこの感想はブログで書きたかったのですが、あえてちょっと時間を置いて、消化することにしました。
そしてつい数日前、ハタと思いついたのです。
そうか、今シーズンのテーマは
「第二・大リーグボール養成ギブス」
だって思えば良いのか!
いえ、ふざけてるんじゃないんです。
2012‐2013年のグランプリファイナル後、CBCのポッドキャストでこれまたカートさんが言ったことなんですが、「ノートルダム」は羽生選手にとって溢れ出るほどのエネルギーをコントロールできるようにするプログラムだと思う、と。
で、当時、羽生ファン(まあ私を筆頭にごく一部、ですが)の間では「ノートルダム=大リーグボール養成ギブスプログラム」って騒いだんですよ。
話を元に戻しますと、今シーズン、試合用のプログラムではまず
ショパンのバラードを使ったショート、「SEIMEI」を使ったフリーで
羽生選手はこれまで以上に、他のどの選手よりも技術の面では難易度の高い、
(必ずしも感情ではなく、音楽的な)表現の面でも洗練された滑りを完成させることに挑戦する。
それには彼の得意とする情熱的な感情表現は少し抑える必要がある。
昨年のように演技後、大会後に「悔しい」を連発しないためにも。
その代わり、と言っては何ですが、EXでは存分に感情とドラマを爆発させ、これまでどおりの羽生劇場を繰り広げる。
(もちろん、今後、海外の大会でも「レクイエム」を演じるかどうかは分りませんが、今年のアイスショーで採用した「VERTIGO」や「Hello I love you}など、どのナンバーをとってもファンを興奮のるつぼに陥らせられるでしょう。)
という具合に、
ソチ五輪からひとシーズン経て、
平昌五輪まで準備期間に使えるのは後2シーズン
となったところで
羽生選手は改めてストイックにギブスを着けるのだ!
という結論に至ったわけです。
でも本来ならばこれは昨シーズン、着けるべきものだったのかも。
だって羽生選手は2014年年の夏、世界記録を保持していると言うのにショートの構成の難易度をさらに上げ、フリーでも昔から演じたいと思っていた最高に劇的な「ファントム」を引っさげて、そのまま次のシーズンに突撃してしまった。
オリンピックの巨大な魔物を平らげてしまったのに、十分な消化期間をもうけずにフルスピードでまた走り出すようなもの。
「星の王子様」の冒頭に出て来る、象を飲み込んだ大蛇じゃないけど、こんだけ大きな物をお腹に入れると消化には時間がかかるのです
そしてその結果、皆が知っている通りの怒涛のシーズンとなったわけですが…
そうなるとショパンのSPを再演することにもう一つの意味があるのでは、と思えて来ました。
昨年、バトルはスポーツナビのインタビューに応え、ショパンのバラードを用いたプログラムを五輪チャンピオンとなった羽生選手のために創ったことについて、次のような事を言っています。
五輪で優勝した後なら、どのアスリートでもあらゆるところから引っ張りだこになる。あの人もこの人も『ぜひパフォーマンスしてください!』と群がってく る。この曲の冒頭は、まさにそういった騒がしい周囲との対比を示していると思う。僕はそのコントラストを出したかったんだ。今、彼がそういったちやほやさ れる環境の中でも、リンクに立って何の心配もせず自分のことだけに集中している状態を。それがこのプログラムのアイデアなんだ。
羽生選手は改めて、バトルからのメッセージを受け取ったのかも知れません。
目を閉じて
心を静かにして
音楽が鳴り始めても
まだ動いてはいけない
完全に全てが整った時
君はようやく翼を伸ばして飛び立てる
心を静かにして
音楽が鳴り始めても
まだ動いてはいけない
完全に全てが整った時
君はようやく翼を伸ばして飛び立てる