夢中になるわけは、まるで霧の中のよう。電車で徒歩ナビ。 | 酉あえす

酉あえす

乾杯の妖精?、酉あえすの、個人ブログ。
公式愛称「きつぼみ」。
検索ワードは「とりあえずね」。
アノドノレやってます。
[撮リア絵図音系列]

通勤に、スマホの路線案内と徒歩ナビが必須になりました。電池が切れたり、唐突にスマートーフォンが故障とかしちゃったら、出勤できない。
 
日によって仕事場が違うという仕事をすることになった頃。土木の現場作業始めた4年前は、Androidケータイ使い始めたばかりで、ろくに使えていなかったため、前日にパソコンで調べて、地図を紙に出力して、とやっていました。
 
ところで、このところは、電車内で徒歩ナビを起動して、画面を眺めていることがよくあります。最初は、目的地の最寄り駅で下車してから、速やかに歩き出せるようにとしたことです。
駅に着いてから起動させると、目的地の入力やアプリが現在位置を求めている待ち時間がロスになりますし、地図と経路が表示されてから、私が方角や目印を理解するまでにも時を要します。
電車の中から操作して、現在位置と目的地を入力しておけば、電車を降りてから向かうべき方角が分かりますし、電車の進む方向からどの方向がその方角なのか掴みやすくなります。また、電車を降りる前から、どの出口に出ればいいか知ることができるので、ホームに降りたらすぐに案内を見てその出口を目指すことができます。
 
ところが最近は、そういった実用的な理由ではないところで、徒歩ナビを眺めています。目的の駅はまだまだ先、1時間ぐらい電車に乗っているということころからでも、徒歩ナビを起動させてしまうことがあります。電車で1時間とか、徒歩だと9時間後とかの時刻が予告されたりすることもあります。
はるか先の到着予想時刻が、見る見る近くなっていくのを眺めている。
何でだろうね、それを眺めているだけなのに、退屈ではない。むしろ、引き込まれている。
 
パソコンで、ハードディスクのデフラグ(最適化)画面を眺めている方、いないかしら。あれも引き込まれる、似たようなものだと思います。
デフラグの実行命令だけ済ませたら、終わるまでパソコンから離れて他のことをしていればいいのに、わざわざデータ移動の様子を視覚的に表示させて、凝視している。特に面白い要素など見当たらない、何時間も続く、単調な画面を。
なんでだろう。
進捗をチェックしている訳でもない、フリーズしていないか確認したいわけでもない。
大きなファイルを動かす時と細かいファイルをたくさん動かす時は、速度が変わったり、ハードディスクのアクセスランプや音の状態に違いがあったり、そこは予測不能なところはある。だけど、何時間も、何度も、見たくなるかなぁ。
 
徒歩ナビやデフラグを眺めているの、休息とか、何らかのストレス解消とかになっているならいいけれど、その学術的な根拠がないのであれば、時間がもったいないからやめたいわね。
けれど、プチプチ潰しとか、ハンドスピナーとかもブームになっているのだから、単調なものに夢中になる根拠はきっとあるはず。問題は、体や頭に好ましいものなのか、ということ。
 
 
↓ハンドスピナー
はぁ。同じ、スマホ画面を長時間覗き込むなら、ニュースサイトでも見たいものね。昭和のサラリーマンが、ギュウギュウの通勤電車の中でも、必死に新聞を広げて、社会人としての自分のために、時事情報を、貪欲に得ようとしていたように。