4月29日(土・祝)東京・恵比寿でワークショップを開催します。
13時30分~17時 ボイトレワークショップ(詳細は後日お知らせします)
セミナー後、懇親会(ネパール料理レストラン)
翌日30(日)、過去のセミナー受講生の方限定で遠足をします。
興味のある方は、予定を開けておいてください。

  • 30 Mar
    • 「委ねる」と「現実逃避」が私の中でごちゃ混ぜになってしまう時があるのですが

      水井さん、こんばんは^^ お伺いしたいことがあるのですが、「委ねる」と「現実逃避」が私の中でごちゃ混ぜになってしまう時があるのですが、違いを詳しく教えて下さいませんか? よろしくお願い致します!     委ねるというのは、顕在意識でああしよう、こうしようと考えるのではなくて、もっと深い領域(潜在意識や無意識と呼ばれている領域)の力を使うということです。   ミルトン・エリクソンは無意識と呼んでいたのですが、僕は、もっと普遍的な意識の場があると想定しているので、大いなるものとか神なるものと呼んでいます。   それはスピリチュアル的な概念になるので、そういう用語に抵抗がある人は、無意識の力に委ねるということでいいと思います。     委ねるか委ねないかというのは、個人の行為の問題ですよね。   そして、僕のいう委ねるというのは、自分の内なる力や、大いなる存在に委ねるという意味です。   特定の集団や教祖や、よくわからない宇宙人に委ねるのではありません。     それから、現実と幻想についてですが、これは行為ではなくて、場の問題ですよね。   僕のいう現実というのは、この社会のことです。   僕たちが生きて、仕事をして、生活をしている人間社会のことです。     それに対して、幻想というのは、社会一般的な価値観から大きく逸脱した認識論のことです。   たとえば、パラレルワールドとか、覚醒の境地とか、そういったスピリチュアルの独特な世界観のことです。     僕は、そういったスピリチュアルの世界観が間違いであると言っているわけではないんです。   パラレルワールドは、量子論で仮定されている世界観だし、覚醒の境地も、そういうものはあると思っています。   ただ、多くの人は、その世界観に逃避することで、日常の問題から目を背けようとするんです。   地に足がついていない状態で、そういうスピリチュアルの世界観の中に没入するのです。     これは、ある種の癒やしなのだと思います。   あるいは、別の言い方をすれば、スピリチュアルの世界に依存しているということでしょう。   僕は、それが依存だとわかっていて、敢えて依存するなら、意味があると思います。   でも、アルコールやギャンブルとは違って、スピリチュアルの場合は、自分が依存しているという自覚なしに、依存するという意味において、それは洗脳されているのと同じ状態だと言いたいわけです。   自覚していないから、自分でコントロールできません。   その場合、いろんなリスクが生じるということです。     そういうリスキーな現実逃避ではなく、もっと地に足のついた道を歩んでほしいというのが僕の主張です。   でも、現実逃避したくなるほど、自分の日常生活が惨めであるなら、それはそれでしかたがないと思います。   ただ、いずれは、その惨めさに直面しなければならない時が来ます。   その時に初めて、地に足をつけて、スピリチュアルの思想をしっかりと実践することができるようになるのでしょう。   その時には、もはやスピリチュアルとか、スピリチュアルでないとか、そういうことには興味がなくなっているかもしれませんが。     日常の中で、しっかりと自分を高めていき、その道において、大いなるものに自分を委ねていくということです。   どこかのスピリチュアル思想に自分を委ねて、洗脳されてしまうという意味ではないので、その微妙な違いを理解してほしいです。

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    • 一人一人のブレイクスルーが、全体にも影響を及ぼし とうとう目に見えるところまできているのだろうな

      まるで、シンクロするように、別の人のブレイクスルーに 緘する記事が、昨日更新されていました。 「「見えない力」稀勢の里の意識のジャンプアップ」 http://blog.goo.ne.jp/hanamiduki87/e/bf45d57f212e842aba0084535f3e1237 私が、人類は地球に調和する生き方をしなくては、このまま ではどうにもならなくなる、と強く感じ、意識を向け出した のが、1995年の阪神大震災のときからでした。 それまでは、漫然となんとかおかしいと思ってはいましたが どうしたらいいのか、分からなかったので、もやもやと感じて いただけでした。 震災をきっかけに、私の中で何かが目覚め、2年半後に スペインへ来て、スペインでの生活を安定させるため 目の前のことに集中していた時期が長く、再度また意識を 向け始めたのが、2009年の夏ごろからでした。 その頃に比べたら、本当に、いろいろな変化が見えてくる ようになってきています。 一人一人のブレイクスルーが、全体にも影響を及ぼし とうとう目に見えるところまできているのだろうな、と 思うのです。 バタフライ・エフェクトが臨界点に達して、100匹目の 猿現象が起こりつつあるのかもしれません。 インターネットの情報の伝播の方法はまさに神経シナプス。 人類全体の意識のブレイクスルーも、そろそろかもしれません。       意識といっても、いろんな要素があるので、一概には言えないと思いますが、その人のトータルな意識の指標のようなものはあるかもしれませんね。   もちろん僕は、ホーキンズ博士の著書は日本語訳も全て読み、洋書も持っています。   一つの方法論としては、とても役に立つアプローチだと思っています。     覚悟を決めた瞬間に、意識が大きく飛躍することもあります。   それは、腹の底から決心する、ということによって、顕在意識と潜在意識の壁が一時的に壊れるからなのでしょう。   自分の意識が一つになる、ということによって、潜在的な力を総動員することができるようになるのかもしれません。   逆に言えば、そういう状況に追い詰められなければ、僕たちは、なかなか覚悟を決めることができないものです。     そう考えれば、今のように混乱した社会は、ある種の末期状態ですから、そこからひとりひとりが覚悟を決めて、生き方を大きく転換するチャンスにもなっているはずです。   今までの生き方では、この地球は終わってしまうという危機感を感じている人も多いですよね。   でもだからこそ、その危機の向こうに、大いなる希望があるわけです。     こういう時代に生まれてきたというのは、何か意味があるのだろうと思っています。   変革の時代ですから、僕たち自身が、深く決意して、生き方を変えて行かなければならないですね。

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    • 若き日のサティヤ・サイババ~『あなただけが私の救い主です』を読む32 太陽と月

        ある日、私達みんなでチトラヴァティ川に向かって歩いていると、スワミが突然姿を消された。 私達が彼を探していると、手を叩く音を聞いた。 見上げるとスワミが「僕は丘のてっぺんにいるよ。」と呼んでいるのだった。 夕方の六時だった。 太陽の光線は和らぎ、日は西に沈もうとしていた。 空はまるで黒い毛布に包まれたかのように、黒い雲で満たされていた。 スワミは言った。 「みんな僕を見なさい。太陽を見せよう。」   「すでに沈んでしまった太陽を、どうやって戻ってこさせることができるのだろうか?」と、考えていたそのとき、私達はスワミの頭の後ろで新たに昇ってくる光を見た。 空全体が青い雲で満たされていた。 新たに昇ってきた光は赤に変わった。 そしてさらにどんどん赤さを増し、燃え盛る炎のようになり、皆がたっぷり汗をかくほどの灼熱を放った。 その光は真昼の焼け付く太陽のように強烈に熱かった。   あまりの熱さに耐えかね、私達はスワミに大声で懇願した。 「スワミ! 熱すぎます」 ゆっくりと熱さは収まった。 「ああ、神様!」 私達は声をあげ、腰を落ち着けた。   そのときスワミの声が丘の頂から私達のところまで降りてきたところで聞こえ、「月を見せてあげよう。」と言った。 私達はスワミの頭の後ろに蜂蜜色の月の光が半円形に広がりつつあるのを見た。 それらの光線は白くなった。 なおもどんどん白くなった。 これで決まりだ。 私達は寒さに震えはじめた。 体は硬直し、歯はガチガチ鳴りだした。 「スワミ! 寒い! すごく寒いです、スワミ!」 私達が彼に懇願すると、寒さはゆっくりと収まった。     これは、サイババが見せた幻覚なのかもしれません。   サイババは、幻覚を見せ、感覚をコントロールするような力を持っていたのでしょう。   若いころのサイババは、こういうことを遊びのように見せていたようです。     (出典:『アニャーター・シャラナム・ナスティ あなただけが私の救い主です』ヴィジャヤクマーリ女史著 平岡一記訳) アニャーター・シャラナム・ナスティ -あなただけが私の救い主です

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    • ブッダのサトリ・メカニズム ~『悟りの4つのステージ』から学ぶ悟りの構造38 食欲と性欲

        欲に分類される煩悩は、「欲しい・手に入れたい」という気持ちです。 「自分の方向に取り込みたくなる心の汚れ」だと理解すれば分かりやすいでしょう。 たとえば盗みが悪行為だということは明白です。 その盗ませる心の動きは、「欲しい」という煩悩なのです。   欲は生きるために必要な活力とも見なされるためか、固有の言葉よりは「○○欲」と呼ばれることが多いようです。 食欲と性欲が、本能とも言われる二大欲です。 「自分の身を保持して子孫を残すことが生命の目的なのだ」という考えです。 そんなことを言われたら、「欲が少しはないと生きていけない。欲は生きるためにある程度は許されるのだ」ということになってしまいます。   仏教でも、食事は身体を保持するために必要不可欠ですから出家にも認められています。 二大本能の食欲の方です。 当たり前ですよね。 食べなければ死んでしまいますから。 しかしなぜ死なないように努力するのか、なぜ食事が認められるのかといえば、仏教では、あくまでも欲ではないように計算されています。 食べ物(そして飲み物)を、ある程度補給しないと身体が持ちません。 身体がダメになると修行できずに死んでしまいます。 それではせっかく出家して悟りを目指している目的が達せられません。 だから食事はOKなのです。 ただし「食欲」とは違うのです。 「空腹」や「渇き」という身体から出る信号をきちんと受け止めて、それでも「身体を保持するには一日一食、朝だけで充分でしょう。その他の時間は修行に励みなさい」と厳しいのです。 ましてや「あれが食べたい。これが飲みたい」などと心がつくる好み・欲はご法度です。 欲とは別の、身体を壊さないために身体が出すSOS信号。 これは仏教では病気の状態なのです。 そのまま放っておくと身体が壊れて死に至る状態なので、「病気」と分類するのです。 その病気を治すために、治療として食事をするのです。 というわけで、食事も飲むことも、仏教では、きちんとおこなうように、ただし欲を出さずにおこなうようにと、出家にも認められているのです。 出家でも、「あの味が食べたい」などと好みを考えると、欲になります。 もう一つの本能・性欲は、出家には禁止です。 悟りを開いて生存を終わらせるための修行です。 子孫をつくるなんて、苦しみをつくるだけなのです。 何のメリットもありません。 出家には、二大本能という基本的な欲さえ起こさせないように、お釈迦さまが戒律をつくっておられるのです。   もちろん在家には、性欲も食欲と共に認められています。 在家では、欲はそこまで厳密に禁止しなくてもよいのです。 生きる活力として使ってよいのです。 子孫を繁栄させて人間界に生まれる生命を増やしてあげることも大事です。 ただし、悪業や違法にならないように気をつけないといけません。 食欲なら「美食で財産を潰さないように気をつけて」、性欲なら「不倫などで家庭を不和にしたり人を不幸にしないように気をつけて」などと説かれています。 社会的な欲も、出家には関係ありません。 在家信者だけ気をつけて、名誉欲や出世欲など、やる気のきっかけにはしても、それに飲み込まれないように上手に欲を管理しないといけません。     欲と言っても、肉体を維持するための食事や、出家者ではない人の妻帯は許されています。   ただ、本来のブッダの教えは、午前中の一日一食だけだったりと、それなりにストイックなものです。   ストイックに修行をするのというのが、ブッダの教えなのであって、覚醒すれば何でもOKみたいな現代スピリチュアルの教えとは違うのだと思います。     (出典:『悟りの4つのステージ 預流果、一来果、不還果、阿羅漢果』藤本晃著 サンガ刊)   悟りの4つのステージ posted with amazlet at 17.02.18 藤本晃 サンガ 売り上げランキング: 81,190 Amazon.co.jpで詳細を見る

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    • ガヤトリーマントラの超科学94 女性は男性よりも優秀で卓越しているものを与えられているので

        とある人々は、ガヤトリマントラに男性形の言葉が使われていると言いますが、そうであるならばなぜ「ガヤトリ・マタ(ガヤトリの母)」と言うことができるでしょうか? 神聖なパワーは、形がなくすべてにあまねくあるものであり、特定の性別に限定されないということを理解すべきです。 火、空気などといった言葉には男性形も女性形も両方使われます。 有名なサンスクリット語の神への祈りの連詩は 「神よ、あなたは母である、あなたは父である」 と詠っています。 太陽という意味のサヴィタは男性形かもしれませんが、そのパワーであるサヴィトリは女性形です。 古代の文献には、神が男性か女性か論争しないように象徴的に書かれています。 同じようにガヤトリが、口がひとつで腕が2本、もしくは口が5つで10本の腕がある個人の存在であるという幻想に惑わされないでください。 女性は男性よりも優秀で卓越しているものを与えられているので、ガヤトリは母親の姿を取っているのです。     インドでは、男女差別のようなものがあるのかもしれませんが、ガヤトリーマントラが女神のマントラであるというのは、それだけ女性が霊的に高い存在であるとも言えるのでしょう。   それはすべてを育み、愛する母なるエネルギーの象徴でもあるのだと思います。     (出典:「宇宙一切を動かす音霊のしくみ ガヤトリのスーパーサイエンス」シュリラム・シャルマ・アーチャリア著 ヒカルランド刊) ガヤトリーマントラの音源はこちら   宇宙一切をうごかす《音霊》のしくみ ガヤトリのスーパーサイエンス posted with amazlet at 16.10.22 シュリラム・シャルマ・アーチャリア ヒカルランド (2016-10-17) 売り上げランキング: 7,215 Amazon.co.jpで詳細を見る

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  • 29 Mar
    • 日本のスピリチュアルは、実力なしにプライドを満足させるためだったり

      日本の精神世界全般には全く興味のない、普通に、社会の中で生活してらっしゃる、普通の方達の方が、正直、感覚や話が合うことが多いです。 羽生選手のファンだ(スケートへの取り組み方を聞いていると、まだ若いのに…!と尊敬するそうです)と言っている方のほうが気があいますし、宅急便の配達のお兄さんやコンビニの店員さんの、笑顔の挨拶に出会った方がよほどうれしいですし。 日本のスピリチュアルは、実力なしにプライドを満足させるためだったり、速攻で幸せになってわかったような気分になるために、利用する人が多いのでしょうね。 何を見ても聞いても読んでも「その程度の体験や理解しかできてないのに、ゴールに至った気分でいるのか。そして教えるのか」と呆れることに、正直、疲れました。 今の日本の環境だと、社会の中の方が、よほど生きやすい気がします。 カルマ・ヨーガいいですよね。 してると癒されます。 (山での修行の人生もいいだろうな、とは思うんですが、今生はそういう環境が与えられなかったので、趣味くらいにしています。笑)     社会は厳しいですから。   僕が小学校で仕事をしていた頃も、社会というのは本当に厳しいなと思いました。   少しでも気が緩んでいると、怒られますからね。     そういう厳しい世界で実力を養い、しっかりを仕事をしていく人たちは、精神的に強いと思います。   本来は、そこで勝負をしていかなければならないんですよね。     でも、そこではうまく行かなかった人たちが、それでも自尊心を満たすために入っていく世界があるなら、それは自分をごまかすことができる世界しかないじゃないですか。   評価が曖昧で、思い込みや自己欺瞞ができる世界って、スピリチュアルの世界くらいしかないですよね。   伝統宗教の世界は、それなりに厳しい世界だし、心理学の世界も、実力が必要とされますから。     もちろん、スピリチュアルの世界でも、本当に実力のある人達はいると思いますよ。   でも、そういう人たちは、何か別の専門分野の技能を持っていたりするものです。   それは、芸術分野かもしれないし、人脈形成かもしれないし、プレゼンの能力かもしれないし。   そういう技能を持っているなら、実力を養っていく上での厳しさも知っているはずです。   だから、安易に自己欺瞞には陥らないと思います。     スピリチュアルを逃避の手段にするのではなくて、自分のあるがままの人生をきちんと見て、その上で、人生を豊かにするための手段にすればいいと思うのです。   でも、自分の人生を見るということが難しいからこそ、スピリチュアルを逃避の手段にしてしまうのでしょう。   結局、そういう部分にこそ、スピリチュアル業界のニーズがあるのかもしれません。   これは、構造的な問題なのかもしれませんから、新しい時代になって、スピリチュアル業界といったものが、自然に廃れていくのを待つしかないのかもしれません。   でも僕たちは、スピリチュアルの世界に逃げない、ということをしっかりと実践していく必要があります。

    • 個人的には、幸せだと感じる内容や対象が、人によって違うだけではないかと思いますが…。

      こんばんは。 個人的には、幸せだと感じる内容や対象が、人によって違うだけではないかと思いますが…。   自分の探求とその結果に対しては、私は幸せですが、同じものを、今、皆が皆、幸せだとは感じない確信があります。   たとえばスピだと(なんでスピで見かけるんですかね…)、お金、贅沢(衣食住や娯楽の)、有名になってファンをつくってちやほやしてもらう立場、浅い(ように私には見える)おともだちごっこ、魔境やグラマーの自称境地、ゆるふわの甘く優(易)しい受容と愛情交換(感)ごっこなんかは、わたしには幸せじゃないです(何の罰ゲームなんだろうという苦痛です)から、これが真理なら、『そんなものはわたしを幸せにしない』と私も言いますね。 だから、逆もあるだろうと思います。 好みがありますよね。 好みと言っていいのかわかりませんが。 自分の感想に嘘をつくのはキツいですね。 それが幸せだと思いこもうとしても、無理なものは無理ですから…。     経験して、捨てるというのが基本なので、過去世で経験したんだと思いますよ。   欲望というのは、飽きる必要がありますから。     修行者の問題は、本当は欲望があるのに、それを抑圧してしまう場合です。   その場合、来世で、その欲望に溺れるような人生になることがあります。   たとえば、金銭欲を過度に抑圧した場合、来世で、金儲けに走るとか。   そういうことがよくあるので、修行者は、欲望の抑圧に気をつけないといけないんですよね。     修行者が抑圧をして、その欲望が後で吹き出した場合には、強く非難されますよね。   修行者は長年抑圧していて、ついに抑圧が外れただけなのに。   そういう場合、人生が狂ってしまう場合が多いので、気をつけなければなりません。   修行者は、抑圧しないように、適度に欲望に折り合いをつけて、生きていかなければならないのです。     ダイエットにリバウンドがあるように、欲望の抑圧にはリバウンドがあります。   そういう意味では、スピリチュアルの世界で欲望を追求する人たちも、もしかしたら、そういうプロセスの中にあるのかもしれません。

    • 委ねなきゃと思えば、思うほど、心が硬くなる感じがします。

      記事にしてくださって、ありがとうございます。 >そもそも、委ねようとしていること自体が、委ねることの邪魔になる場合もあるし。 そうですね。委ねなきゃと思えば、思うほど、心が硬くなる感じがします。 神様に祈りつつ、欲が出て委ねられない自分を否定せずに行こうと思います。 成長に関しては、しているのかしていないのか分かりませんが、無理して成長したつもりになっても仕方ないので、毎日を重ねるしかありません。 ありがとうございました。     委ねるというのは、他力ということなんですが、他力になろうとするのは自力ですから、矛盾が生じますよね。   もちろん、他力になろうとしないのも自力だし、結局、顕在意識のやることは、どこまでいっても自力ということです。   だから、自力が働かないような状態に持っていくのが、宗教的な修行のひとつの目的です。     ゴスペルなども、何時間も歌い続けて、自力が働かないような状態に導いていくと思います。   歌をうたう礼拝というのは、そういうやり方で、委ねるという感覚を身につけさせるんですね。   ですから、ある意味では、自力をとことんまで実践して、陽極まって陰になるように持っていけばいいのかもしれません。     僕も、歌の練習をしていた頃は、毎日何時間も歌い続けていました。   4時間くらい歌っていると、体に力が入らなくなって、委ねる歌い方になります。   そういう練習をすれば、自然に、委ねる感覚がつかめるのだと思います。

    • 若き日のサティヤ・サイババ~『あなただけが私の救い主です』を読む31 巨大な蛇

        あるとき、こういったことの中でも一番の出来事があった。 チトラヴァティ川の岸で私たちが休んでいると、話の途中でスワミが言われた。 「ごらん、ナーガ・サイ(蛇)が来る!」 彼が指した人物がいるのかと思って見渡したが、誰もいなかった。 するとスワミが指を差して言われた。 「あっちの方を見なさい」   私たちは向かってくる巨大な蛇を見た。 蛇と聞いただけで普通の人なら怖がってしまうだろう。 しかもこの場合は普通の蛇ではなかったのだ。 それはまさにヴィシュヌ神がその上で横たわって休む、蛇の王、アディ・セシュにそっくりだったのだ。   その蛇はとても巨大だった。 私たちはその蛇の尾を少しも見ることができなかった。 大蛇が体をすべらせ前に進み、まるで踊っているかのように体をくねらせるその姿は魅力的に見えた。 そして蛇が少し進み出ると、その頭が突然、主サイの印象的な美しい顔つきに変化したのだ。 持ち上げられたフードの内側にスワミの御顔をはっきりと見ることが出来た。   こんな奇跡は今まで聞いたことがなかった。 それはスワミが、自分はどこにでも、どんなものの中にも存在していると宣言しているかのようだった。 しかしながら、蛇は蛇である。 私達は蛇がそばに近付き始めると、恐ろしさに身震いし始めた。 「やめて下さい、スワミ。やめてください。どこかに行くように言って下さい。」 私達はサイ・ラーマの方を見て彼に懇願した。   「お気の毒に。」 スワミは蛇を優しく見るとおっしやった。 「さあ、お行き、ナーガ・サイ。」 そして大蛇はすぐに姿を消した。 この忘れられない夜のことは私達のこころに深く刻み込まれた。 ナーガ・サイはその黒光りする胴体に、まばゆくきらめく黄金の斑点を持っていた。 それは私達の視覚を喜ばせる光景だった。 私達の目にとってはまったくのごちそうだった。     インドでは、コブラはシヴァ神の化身なので、大蛇も神聖な存在なのでしょう。   日本で言うところの龍神のような存在なのかもしれません。   霊的な大蛇が姿を表したのかもしれませんし、サイババがそのような幻覚を見せたのかもしれませんが、いずれにせよこのような現象を起こせる力を、若いサイババは持っていたのだと思います。     (出典:『アニャーター・シャラナム・ナスティ あなただけが私の救い主です』ヴィジャヤクマーリ女史著 平岡一記訳) アニャーター・シャラナム・ナスティ -あなただけが私の救い主です

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    • ブッダのサトリ・メカニズム ~『悟りの4つのステージ』から学ぶ悟りの構造37 欲、怒り、無知

        三結とは、三つの煩悩のことです。 煩悩は大きく分ければ欲(貪)、怒り(瞋)、無知(痴)の三種類になります。 それを嫉妬、妬み、ケチなどと細かく名前を挙げていけば、貪瞋痴の三種類を細分して千五百種類にもなると言われます。   そんな数多ある煩悩を、また別のカテゴリーで分類することもできます。 自分の心がそこに愛着してくっついてしまって離れない「結」という視点から、煩悩を十種類に分類することもできます。 「十結」です。 三結は十結の中の三つ、十分の三ですから、三結が滅するだけで、かなりの煩悩がなくなったことになりますよ。 それでも、たった三つの煩悩が滅しただけで預流果に悟るなんて、そんなうまい話があるのでしょうか。 その三つの煩悩ってそんなに極悪なのでしょうか。 煩悩のしくみを先に知っておくと、ある種類の煩悩をたった三つ滅しただけで預流果に悟れる構造も分かると思います。 煩悩は、分類すれば言葉になるものだけでも千五百種類くらいあるそうです(インドの言葉ですから、日本語ではそれほど厳密に分類されておらず、言葉ももっと少ないかもしれません)。 しかしまとめれば、煩悩はたったの三種類です。 欲のグループと怒りのグループと無知のグループです。     欲と怒りと無知の三つの煩悩が薄れたら、悟りの一段階に達するようです。   こういう視点から、悟りへの道を説いていたのがブッダなのでしょう。   欲望を滅していくというスタンダードな方法論を説いていたわけです。     (出典:『悟りの4つのステージ 預流果、一来果、不還果、阿羅漢果』藤本晃著 サンガ刊)   悟りの4つのステージ posted with amazlet at 17.02.18 藤本晃 サンガ 売り上げランキング: 81,190 Amazon.co.jpで詳細を見る

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    • ガヤトリーマントラの超科学93 ガヤトリマントラは、それ自体で完璧なものです。

        ガヤトリマントラは、それ自体で完璧なものです。 他のマントラのように3回か5回、「オーム」と唱える必要はありません。 どの宗教も優れた真言や祭礼が存在します。 イスラム教では「6つのカルマ」であり、キリスト教では「洗礼」であり、ジャイナ教では「ナモンカール」であり、チベット仏教では「オムマニパドゥメフン」です。 同じように古代から続くヒンドゥ教の基となったインドの宗教「バハーティヤ・ダルマ」にも主となるマントラがあり、それがガヤトリマントラです。 所属する階級によってそれぞれ、ガヤトリマントラが違うというのは、ばかげています。 高い階級や低い階級といった差別が、真の神、スピリチュアリティ、知識がひとつであるこの霊的な地球に入り込んで汚染するのを防ぐべきです。 差別意識に囚われてはいけません。 とある人々は、ガヤトリマントラは秘密のマントラだから耳元でこっそり囁くべきだと言います。 これはタントラのマントラには当てはまりますが、ガヤトリマントラは違います。 ヴェーダのマントラは音楽に乗せて大きく詠唱するという規定があります。 こっそり囁くのは何か陰謀を企てる時であり、ガヤトリマントラにそういった秘密はありません。     ガヤトリーマントラは、イントネーションや発声を自己流で変えないかぎり、自由に詠唱してもいいようですね。   音楽にアレンジしてイントネーションを変えてしまった場合は、本来の力を失うのではないかと思います。   マントラは、特定のイントネーションによって、ある種の波動状態を作るものですから。     (出典:「宇宙一切を動かす音霊のしくみ ガヤトリのスーパーサイエンス」シュリラム・シャルマ・アーチャリア著 ヒカルランド刊) ガヤトリーマントラの音源はこちら   宇宙一切をうごかす《音霊》のしくみ ガヤトリのスーパーサイエンス posted with amazlet at 16.10.22 シュリラム・シャルマ・アーチャリア ヒカルランド (2016-10-17) 売り上げランキング: 7,215 Amazon.co.jpで詳細を見る

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  • 28 Mar
    • 吹っ切れることと超努力

      >結局、委ねざるをえないような状況に追い込まれないと、そうならないのだと思います。 まさに、そうなんですよね! 私もそう思っていました。 知り合いのブログの記事「証人喚問・籠池氏の変化」に 先日書いたコメントと関連しているような気がするので、 そのままコピペします。 http://blog.goo.ne.jp/hanamiduki87/e/fa239c787eb6ccf5f13ee43ce76616d2 突然のジャンプって (ひろみ) 2017-03-26 04:09:50 その人が、絶体絶命だと感じたとき、 目の前に二つの道しかなくて、どちらを 選ぶか、そういう感じなのかなーと 思うんです。 人間はもともと無条件の愛を携えて 生まれてくるけれど、親や周囲の大人の 影響で、どんどん忘れ去ってしまうと いうのが、大多数の今の人類の状況で、 絶体絶命の危機に陥ったとき、その時に 命を守る決断ができるか、できないか、 体の細胞の声、魂の声に耳を傾けることが できるか、できないかそういうこと なんじゃないかと。 フォースの領域にいる人でも、体の細胞や魂に 従う最後のチャンスがあるのでしょう。 大多数の人は、死んだあとに最後の審判を 受けますが、意識のアセンションというのは 肉体を持った状態での究極の選択で生まれた 時に持っていた飯田先生がおっしゃる「人間を 超える愛」の状態に戻ることなのかな、という 気がするのです。 臨死体験もそうですよね。 飯田先生の「愛の論理」の一部を転載した ものを先日から書きたいと思っていた記事を やっと投稿できました。 「子どもからの愛」 http://blogs.yahoo.co.jp/shihihaida/15518738.html もちろん、追い込まれなくても自然にできる人もいますし、 追い込まれてもなお、自分の思考でなんとか対応しようと、 悪あがきをする人もいます。 やるべきことをやったら、あとは「運を天に任せる」って そういうことなのかな・・・と。     吹っ切れると、意識の状態が変わるということは、あると思います。   そういう意識の状態を、ある種の指標で数値化するというのは、面白い試みですね。     まあ、国有地の問題は、以前から、いろんな利権があったのでしょう。   裏でやってきた悪いことが、表に出てくるような時代になってきたのかもしれません。     追いつめられると、委ねざるをえなくなるというのは、自意識が働かなくなるからです。   顕在意識の努力が通用しなくなった時に、今まで眠っていた力が目覚めます。   宗教の世界で行われてきた厳しい修行は、そういった顕在意識の努力が働かなくなるところまで追い詰めるという手法が多いですね。   ロシアの神秘家グルジェフは、そのようにして眠っている能力を目覚めさせる手法を「超努力」と呼んでいました。   努力を超えた努力をした時に、もはや努力が通用しなくなって、そこでブレークスルーが起こるのです。     スポーツ選手や芸術家は、日常的に超努力をしていると思います。   自分の限界を超えることによって、無意識の力、あるいは大いなる存在の力と繋がることができるわけです。     そういう意味では、人生の試練といったものも、ある種のブレイクスルーを経験するためのチャンスになるのかもしれません。   それを乗り越えた先に、大いなる能力の目覚めが生じるのだと思います。

    • ハタ~クンダリーニヨガに類推する各派の訓練法は何の為に存在するのか?がわからなくなってきました。

      >スピなど全く興味がなくても、新しい地球を作っていくような人たちはたくさんいる 最近になり、ハタ~クンダリーニヨガに類推する各派の訓練法は何の為に存在するのか?がわからなくなってきました。 何の為に存在するのでしょうか? また、無機質な日常を淡々とこなす事を前提に生きてはいるが、霊的向上にフォーカスはしていない人達はどうなっていくと考えられますか?     ハタ・ヨーガ(特定のポーズをするヨガ)は、ヨーガの大いなる体系の中では、初歩の段階のステップです。   これは、本当はチャクラを刺激するための技法ですが、その叡智もほとんど失われています。   ハタ・ヨーガだけで解脱のような境地に至るのは難しいとは思いますが、できなくはないでしょう。   ですから、一つの方法論としては、肉体のトレーニングが好きな人の場合、有効だと思います。     クンダリニー・ヨーガも、同様にナーディの浄化やチャクラの覚醒を、直接的にしようとするものです。   ただ、これは危険が伴うので、自己流ではしないほうがいいと思います。     僕は、それらの基本的な修行法も大切だと思っています。   でも、やはり社会の中で僕たちが生きているということを前提にして、そこで実践しやすい方法を選んだほうがいいのではないかと思っています。   僕たちは、山で修業をする僧侶や、インドのヨーギたちとは違うのですから。   そういう意味で、行為によるヨーガ(カルマ・ヨーガ)を僕は重視しているということです。     それから、霊的な向上というのは、スピリチュアルの概念でしかなくて、人間性を高めるとか、人生経験を深めるとか、そういう言い方でもいいと思います。   そういう捉え方であるなら、多くの人が、そういう生き方をしているはずです。     自分を高めるとか、そんなことには何の興味もなく、ただ食べるためにだけ仕事をして、惰性で生きているような人の場合は、まだ魂の経験が少ないというだけです。   そういう人たちは、そういう人生を繰り返していく中で、次第に、自分を磨くということに目覚めていくようになりますから。

    • 苦しみを乗り越えるということは、包み込めるようになったということなのでしょうか。

      取り上げていただいてありがとうございます。 自然にそうしていた、という行為、たまにありました。 それってやけにスピート感があって、そうしていたと思います。 苦しみを乗り越えるということは、包み込めるようになったということなのでしょうか。 内包しながらすべてを許すというのは素晴らしいですね。 クリアーにクールにそうなりたいです。     苦しみのない境地というのは、苦しみから逃げている限り、絶対に辿りつけない境地です。   なぜなら、苦しみをネガティブに捉えている限り、苦しみに対する恐怖心が消えないからです。   そこに恐怖心があるのに(それが潜在的な恐怖心だったとしても)、どうして苦しみのない境地にたどり着けるのでしょうか。   恐怖心が根本的に解消されていないかぎり、絶対的な安らぎの境地には辿りつけないでしょう。   だから、苦しみを避けるというニュアンスで、苦しみのない境地を説くのは、おかしな話ですよね。     そういうおかしな話が、スピリチュアル業界には沢山あります。   もし本当に、この世界には苦しみが存在しないなら、苦しみに対する受容があるはずではないでしょうか。   要するに、苦しみがあっても、その苦しみさえ、一つの恩寵なのだという理解です。   それが本当に腹の底からわかれば、苦しみに対する恐怖は消えて、苦しみを見ても、それを慈悲として捉えることができるでしょう。   そういう意味において、苦しみは存在しないということなら、僕も実感としてわかるのです。     でも、スピリチュアル業界で言っているような苦しみの存在しない世界というのは、喜びに対立する概念としての苦しみが前提になっていますから、それは苦しみの受容の先にある苦しみのない世界ではないはずです。   苦しみがあっても、それが本質的には苦しみではない、という深い理解ではないのです。   苦しみそのものを避けたいという逃避の意識がそこに入っているから、それが現実逃避でしかないと僕は言いたいのです。   そんな現実逃避をしていても、苦しみに対する恐怖心は消えないので、問題は全然解決しないのです。   苦しみに直面して、それを乗り越え、受容し、突き抜けた先にある境地こそが、真の意味で苦しみのない境地なのですから。     新しい地球の文化というのは、そういうことをわかっている人たちが作っていきます。   ですから、そこに苦しみが存在しなくても、苦しみに対する深い理解があって、苦しみのことがわかるのです。   苦しみをネガティブに捉えたり、避けようとはしていないのです。   喜びも苦しみも、大いなる宇宙の恩寵であるということを深く理解しているのです。  

    • 若き日のサティヤ・サイババ~『あなただけが私の救い主です』を読む30 ビブーティの物質化

        指輪やお守り、ロケットについてはその数は数え切れないほどある。 スワミは母に砂から作り出したヴィナーヤカ(ガネーシャ)の像を下さった。 それが粘土でできているのか石でできているのか、私達には分からなかった。 それは黒過ぎず、わずかに赤みがかかっていた。 不思議なことの一つは、像の鼻が完全な長さではなかったことだった。 スワミになぜそのような像を母に与えて下さったのか尋ねたところ、「毎週日曜日にミルクでその像にアビシェーカム(水を注ぐ礼拝)をしなさい。鼻は通常の長さにまで伸びていくでしょう」とおっしゃった。 スワミに言われた通りにしたところ、像の鼻は日に日に伸びていった。   私達には彼の贈り物の価値を、単純には推し量ることはできない。 ある特殊な偶像が、何の金属でできているのか科学者達にもわからないことが時々あった。 あるときには、ある帰依者がスワミに与えられた指輪を酸や他の化学溶剤に浸したことがあったが、その指輪はまったく損傷を受けずにいたのだ。 まさに神御自身であられる、スワミによって物質化された品々の神秘を解きあかすことのできる英雄は、どこかにいるのだろうか。   スワミのことを批判する人々は「これは超自然的なシッディーの力の類の現れであり、こういった物を作り出せる人は他にも沢山いる。」と言う。 しかしそのようなオカルティスト達の力は長くは続かない。 彼等の作った物は、わずか数時間かせいぜい数ヶ月もつにすぎない。 しかし、私達のスワミによって作り出された品々は、彼から与えられて六十年、七十年経っても損なわれず、帰依者達から崇拝され続けているのだ。   時々、スワミの作ったビブーティーは乾いた粉状ではなく、ごわごわの固い塊で出てくることがあった。 時としてそれは玉状になっていたのだった。 それを配るために砕いている間、スワミの指は赤くなった。 きっとそれは硬かったのだろう。 色は時には灰色、時には白、また白と黒が混ざっているときもあった。 またそれ以外にも、さまざまな色のものがあった。 それはあたかもヤグナ(宗教的な崇拝の一部として執り行われる供犠)の儀式の際に、神聖な火が灯される穴から集めてこられたかのようだった。 彼のつくり出した物の味や香りもまた様々だった。 樟脳、アンブレッド(葵科の灌木、ジャコウトロロアオイ)、白檀、バラの香水などの強い芳香がするときもあった。 「サイ・ストア」からの品々は不思議で、すばらしく、そして人々の物質的、精神的性向を抑制しつづけることができた。 彼のいたずらは人間の理解を超えているのだ。     ガネーシャの鼻が伸びていくというのは、不思議な現象ですね。   サイババの神聖灰(ビブーティ)が写真から出てきたという話は、世界中にたくさんあって、僕の知り合いの方の写真からも、ビブーティが出てきたそうです。   また、サイババ批判でよくあるのですが、ビブーティが小さな塊になっていて、それを指で砕く場面が撮影されているから、ビブーティはトリックであると言う人がいます。   でも、この著書を読めば、元々ビブーティは、小さな塊として物質化していたのだということがわかります。   この辺が、安易にサイババがトリックを使っていると決めつけられない部分でもあります。   そもそも、世界中の帰依者の家にあるサイババの写真から、ビブーティが吹き出すという現象は、トリックでは絶対に説明できないことですし。   もちろん、一部には、そういうトリックを写真に施して金儲けをするようなインド人もいるのかもしれませんが。   安易に決めつけるのではなく、きちんと調査したり、様々な文献を調べなければなりません。   この著書も、その中のひとつとして捉えていただければと思います。     (出典:『アニャーター・シャラナム・ナスティ あなただけが私の救い主です』ヴィジャヤクマーリ女史著 平岡一記訳) アニャーター・シャラナム・ナスティ -あなただけが私の救い主です

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    • ブッダのサトリ・メカニズム ~『悟りの4つのステージ』から学ぶ悟りの構造36 第一の沙門

        四沙門果の第一は、預流果です。 預流果に悟った人を預流者と呼びます。 預流果に悟るために修行している人を、(預流果をありありと体験するために行道する人)=預流道(向)者と呼びます。 預流とは、「流れ」に「悟入」することです。 流れとは、悟りに達する流れです。 流れを「得る」のでは、なんだか部分的に悟りの一部を自分が取り込んだようです。 そうではなく、自分が全身で流れに「飛び込」んで、大いなる悟りの流れに流されていくのです。 大河なので流されるままです。 抜け出せません。 悟りの流れなので抜け出したい気持ちも起きませんが。 流されるままに、いつかは悟りの大海原に出るのです。 そういう感覚をなんとか表現したのが、預流果なのです。 名づけたのは、お釈迦さまです。   預流者とは、どのような聖者なのでしょうか。 先に引用した「四人の沙門」から、預流者の定義をもう一度見てみましょう。 比丘たちよ、何が第一の沙門でしょうか。 比丘たちよ、ここに比丘がいて、三結が滅して預流者になっています。 真理から堕ちません。 正覚に達することが決定しています。 比丘たちよ、これか第一の沙門です。   まず、滅した煩悩が示されます。 「三結が滅」しています。 それから、預流果の特徴の主なものが説かれています。 「真理から堕ちません」。 そして「正覚に達することが決定しています」。 その意味を順に調べましょう。 預流者の特徴を詳説している『宝経』(「スッタニパータ」に収録)を随時参照します。   引用のパーリ語の部分は省略させていただいています。   第一の段階の預流果は、悟りの流れに入るということのようです。   一旦入ると、決してそこから抜け出すことはできないそうです。   ですから、いつかは必ず悟りと解脱に至るようです。   三結が滅しているのが、預流果の段階だそうです。   滅すると言っても、ここにも細かい段階はあると思いますが、それに巻き込まれて支配されるような段階は卒業したということなのでしょう。   次回から、三結について見ていきたいと思います。     (出典:『悟りの4つのステージ 預流果、一来果、不還果、阿羅漢果』藤本晃著 サンガ刊)   悟りの4つのステージ posted with amazlet at 17.02.18 藤本晃 サンガ 売り上げランキング: 81,190 Amazon.co.jpで詳細を見る

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    • ガヤトリーマントラの超科学92 意志の力を使ったガヤトリの実習は、すべての人に安全で有益です。

        霊的な科学の神秘へは、真にふさわしい生徒を熟練したマスターが導くのが伝統です。 経験上、それは先生と生徒両方にとってどれだけ危険かを知っています。 私自身、苦い経験をし、死にそうになったことがあります。 これはガヤトリの霊的な力を得て、肉体を支配下に置くことができた者にのみ開かれる道で、今日でも修行は可能です。   こういった科学で結果を出し、証明できた人間を見ることは昨今ほとんどないのは事実です。 この2000年で知識はゆっくりと消えつつあり、精力的な探求をしたにもかかわらず、この道に精通している人を見つけることはできませんでした。 いくつかの科学的発明によって、タントラは古代に存在していた実用性を失いましたが、今日のタントラ行者にとっては、この科学の知識を復活させ、世界に知らしめることは今でも義務となっています。   この霊的な科学を熟知している人々は、古代でできたように自然界に存在する原子の力が霊的な力によって支配できなくなったからといって、怠けて座っていてはいけません。 タントラの知識の範囲は、今日では特定の人に善か悪の影響をもたらすだけになってしまいました。 この物質を変容させる科学、どんな物質でも変化をもたらし、物質化したり、非物質化したり、原子の組み合わせを変えて、エネルギーに変化させたりした過程は現代では消えてしまいました。 霊的存在を目覚めさせ、支配下に置いた「ヴィクラマディティヤ」のような修行者を現代では見つけることができません。   この科学の知識の初歩的段階のものなら、かろうじて存在しています。 タントラの名前で民衆をバカにする偽物のタントラ行者は、きのこが生えてくるようにたくさんいることは明白です。 そういった人は、だまされやすい人々を餌食にして自分の力の誇示に使い、墓穴を掘っています。 どういったケースであれ、彼らは古代のタントラの科学の名前に泥を塗ったことによって罰を受けるに値します。 タントラの文献にはいくつかのマントラがありますが、ガヤトリマントラにも同じ効用があります。 この本に書かれている、意志の力を使ったガヤトリの実習は、タントラを基本とした修行が非常に危険であるのに比べて、すべての人に安全で有益です。 一般大衆の単なる興味のレベルに、タントラの修行の秘密に光を当てることは正しくありません。   このようなタントラや密教の科学というのは、本来は、非常に高度な宇宙科学だったようですが、今では、低俗な魔術のようなレベルになっているようです。   そのようなものには、関わらないようにしなければなりません。   しかし、ガヤトリーマントラを唱えることによって、超能力が目覚め、そのようなタントラの力が目覚めてくることはあります。   その場合は、危険性は少ないので、悪用しないかぎりにおいては、タントラの力を高めていくこともまた役に立つのかもしれません。     (出典:「宇宙一切を動かす音霊のしくみ ガヤトリのスーパーサイエンス」シュリラム・シャルマ・アーチャリア著 ヒカルランド刊) ガヤトリーマントラの音源はこちら   宇宙一切をうごかす《音霊》のしくみ ガヤトリのスーパーサイエンス posted with amazlet at 16.10.22 シュリラム・シャルマ・アーチャリア ヒカルランド (2016-10-17) 売り上げランキング: 7,215 Amazon.co.jpで詳細を見る

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  • 27 Mar
    • プレゼントありがとうございます。

      生徒さんから、お誕生日のプレゼントをいただきました。   高品質の天然パウダーのサプリです。   季節の変わり目で体調を崩しやすいので、早速飲みたいと思います。   いつもありがとうございます。     もう3月も終わりますね。   昨日は、田舎の土地に行って、石ころを掃除しました。   畑にしようと思っているのですが、石だらけなんです。     こんな状態で、畑にまで開墾することができるんでしょうか…   この土地は、固定資産税の請求も来ないほど二束三文の土地で、まったく価値が無い土地です。   でも、せめて畑にでもすれば、食糧危機になった時に助かるかなと。     最近、アーシングと言って、裸足で土の上に立つことで、体の余分な電気をアースする方法が流行しているそうです。   体に余分な電気が溜まって、それが病気の原因になるという説もあります。   そこで僕も、裸足になってアースしてみました。     確かに、体の電気や邪気が、足の裏から抜けていく感じがしました。   普段は、裸足で土の上を歩くことはないですから、こういう機会は貴重ですね。     毎日、執筆作業や研究をしていると、体を動かすことがないので、体にも心にも良くないんですよね。   特に、精神的には、運動というのは大きな影響があります。   運動をすると、BDNFというタンパク質が増加して、うつ病を劇的に改善したりするそうです。   ある研究では、抗うつ剤よりも効果があると言われています。   ですから、運動をすることは、心身の健康にとって、ものすごく重要なんですね。   そういう意味でも、できるだけ運動を日常生活に取り入れていきたいと思っています。

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    • 神様に全て委ねることができる人間になれるようお祈りしますが、なかなか感情と行動が伴いません。

      >Shinさん 私には子供はいませんが、甥や姪が そうなるといいなと思います。 聖書を読んでいると、人間は何度も何度も 神様を裏切ってきました。 聖書に書かれていることが全て本当のことだとは思いませんが、聖書のあちこちのページに私がいます。 神様に全て委ねることができる人間になれるようお祈りしますが、なかなか感情と行動が伴いません。 精神が進化するのは、本当にゆっくりとしたスピードであることを実感しています。 ゆっくりでも進化していれば良いのですが、そうでないかもしれません(泣)     委ねるというのは、簡単なことではないですよね。   そもそも、委ねようとしていること自体が、委ねることの邪魔になる場合もあるし。   ですから、結局、委ねざるをえないような状況に追い込まれないと、そうならないのだと思います。     それは、人生が、自分をそのように導くということですよね。   自分の力ではどうにもならない状況に追いつめられた時に初めて、委ねることしかできなくなりますから。   その時には、委ねようと思わなくても、委ねることしかできないんですから。     ですから、素直に人生から学ぼうとしている人は、どんどん成長していくと思います。   成長に時間がかかるといっても、僕が否定しているのは、セミナーやセッションを受けたら急に覚醒したとか、そんな催眠状態のことを言っているのであって、人生から謙虚に学ぶ人は、スムーズに成長していくと思います。   特に、霊的な成長は、指数関数的な成長になるので、最後の方はスピードが早くなるようです。   もちろん、地球に転生するようなレベルの魂には、そんなに高度なレベルの人はあまりいないとは思いますけど。     でも、少しずつでも成長できたらいいですよね。   謙虚に学んでいれば、自分が成長していないと思っていても、意外に成長しているものだと思いますよ。

    • 幸せになりたいという思いと真理を求める思いがごっちゃに なっている人がスピ系には多いと思います。

      幸せになりたいという思いと真理を求める思いがごっちゃに なっている人がスピ系には多いと思います。(自分も含めて)二つの思いは自分の中にあってもいいけど、分けて考えた方がいいなと思います。真理を求めても救われるという事はないのではないかと思うのです。(大きい意味では救われると思いますが。)きっと水井さんはそういう事が言いたいのかなと勝手に妄想してます(笑) 水井さんはどう思われますか?     僕は、幸せを求めていますよ。   真理が幸せをもたらさなくても、自分は真理を求めていると本当に、自分に嘘偽りなく宣言できるかと問われれば、そんな自信は僕にはありません。   僕は単に、幸せを求めているだけなのかもしれませんから。     ただ、僕が安易なスピリチュアリズムを否定するのは、それが真の幸せには繋がらないと思うからです。   それは一時的な現実逃避であり、ドーパミンへの依存であり、自己欺瞞でしかないと思うからです。   数年経てば、結局、自分の問題は何も解決していなかったということに直面するということがわかるからです。   僕は、そういう経験を20代の頃に何度もしていますから、それがわかるというだけのことです。     そういう意味では、みんなそこを通らなければならないのかもしれません。   そこを通過するのに、数年で通過する人もいるでしょうけど、10年も20年も、あるいは一生掛かる人もいるでしょう。   それはそれでいいのかもしれません。     ただ、そこを通過してきた僕でしかできないアドバイスがあるから、敢えて書いているだけです。   そんなアドバイスなど必要ない、皆が意味があってそういう経験をしているのだから、と僕は本当に思ったら、もうブログなんかやめますから。   人に何かを啓蒙する意味が、根源から消えてしまいますから。     実際、そうやって何も語らなくなった人々は、沢山いると思いますよ。   僕は、語りたいと思うので、そういうレベルには至っていないということなのでしょう。  

ドレッシング工房
元サンマルク本部総料理長だった父が、大変な苦労を重ねながら地道に作り上げた珠玉の手作り無添加ドレッシング
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トリニティWebで連載しています。
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『風の通り道』久石譲 ピアノ歴6年の時の演奏

『A列車で行こう』 ピアノ歴8年の時の演奏

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※当ブログについて
・当ブログでは、脳科学・認知科学・自己啓発・スピリチュアリティなどをできるだけ科学的に探求しています。東洋思想の研究をしてきたことから、経典や聖者をテーマとした記事もありますが、宗教的な活動をしたり、宗教団体と関わるようなことは一切しておりません。あくまでも学術的・科学的に思想を探求・実践することを目的としています。
・水井への名誉毀損等は刑事告訴と訴訟をします。そのような事象を見聞きした方はご連絡をください。
・メールやメッセージでの個人的な人生相談はご遠慮ください。

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プロフィール

Shin

性別:
男性
誕生日:
1975年3月12日16時頃
血液型:
AB型
お住まいの地域:
岡山県
自己紹介:
水井伸輔(みずいしんすけ) ボイストレーナー・ボーカリスト。 早稲田大学第二文学部思想宗教系専修...

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