防長人のブログ

50代後半、「あの時しておけば良かった」を実感しながら「これからさ!」と日々感じていきたいですね。


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 少し前になりますが、平成28221日東京芝公園友愛会館にて北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(通称:救う会)幹事会が開催され、私は「救う会山口」として出席しました。

 内容は、既に発表されていますので「救う会全国協議会サイト」をご覧いただければと思います。

 一個人が内部状況をベラベラと話すものでもありませんので、ここではいたって個人的なことを書きますが、拉致被害者家族連絡会として出席されておられた横田早紀江さんが、会合を終えた後、参会者に向け御礼の言葉を述べられ締めくくられました。


 私も拉致問題に関わるようになって年数も経ちますことから、その間、横田さんご夫妻と御挨拶する機会もありましたが、実は、この日、はじめてご夫妻に挨拶をして名刺交換をさせていただきました。

 なぜ、挨拶を控えていたかと申しますと、横田さんご夫妻は有名人ですが、本来それは自らが望んだことではありません。

 しかし、有名人であるがゆえに、特に小泉訪朝で世間の関心に拉致問題が急浮上したときなどは、拉致問題が「よく分からずとも」ご夫妻と一緒に写った写真を自分のブログに載せたりしていた、地方議員も多く存在しました。

 ここで「よく分からずとも」とする理由は、その後、世間が次第に拉致問題への関心が薄らいでいったとき、同様にその議員たちも関心が無くなっていったものでした。

 有名人へすり寄る軽い人たちがご夫妻の疲労になるのではないかという思いがあり、何となく挨拶しそびれてきた感があります。


 もっとも横田さんたちが有名人であるからこそ、(※拉致問題が広く知られるようになるまでは、罵声を浴びせられるなどの苦労をされています)この問題を世論に訴える力となっているのも事実ですので、一見売名?とも思えるような「軽い」議員たちへの批判もあまりしない方が良いといったところでしょうか。


 そんなこんなと頭で考えているうちに今回はスーッと横田さんご夫妻に足が向き、ご挨拶をさせていただいた訳ですが、山口県には特定失踪者が「公開」されているだけで
11名、つまり実際にはそれ以上おられ、同様にその方々の帰国を待ち望むご家族が存在していることをお話し、全国規模で力を合わせて行ければ、と願った次第です。

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 皆さん、あけましておめでとうございます。

皆さんの玄関には国旗を立てましたか?勿論、我が家は立てました。

日の丸を掲げ、新年を祝いましょう。

 

 さて、受け取った時やはり良いのは手書きの年賀状。しかして私は、ついついインクジェットプリンターで済ませてしまっています。

で・・・今回は、こんな年賀状を作ってみました。 使用写真はこの3点
木彫りチンパンジーは、チェンソーアート世界チャンピョン

林高雄さんが、宇部市ときわ公園で実演披露していたときに展示されていた作品。右上は我が家で推定20歳の老猫。その下が、昨年11月に下関の海岸で撮影した夕陽。

使用ソフトはAdobe Photoshop CS6
まずは夕陽の写真にヒゲとか毛まで切り抜くことができる輪郭調整で切り抜いた猫を乗せます。
次に夕陽写真の下部、雲の部分を輪郭をぼかしてコピーし猫の足元に持って行き、更にコピーした雲部分のパーツを手前前足に乗せ透明度を掛けて雲に足を踏み入れているようにしました。
 木彫りのチンパンジーは輪郭がくっきりしているのでクイック選択ツールで切り抜き、最前面に貼ります。しかしこれでは、如何にも貼っただけですので、背景の夕陽から雲部分をコピーし、チンパンジーが振りかざした腕の上に透明度を掛けて乗せ、拳が雲を突き抜けているイメージにして足と腹部に雲が掛かっているよに乗せました。
年賀状ですので、背景をトーンカーブで明るくしています。

 最後に文字を入れて完成。もっと細かいことをしていますが、大雑把にはこんな感じでの作業でした。
それでは本年も宜しくお願い申し上げます。

                渡邊裕一拝

 

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 このテーマで、アメブロの表現制限に引っ掛かり閲覧できなくなることが何回かありましたので、今回も制限を掛けられる可能性がありますこと、ご了承ください。

 なお、この記事は「台湾研究フォーラム」会長:永山英樹氏が台湾の新聞「自由時報」(中文)を見つけ、日本語に訳し受け取ったもので、間もなく任期が終わる馬英九台湾総統が中韓に倣ってか、捏造された、いわゆる従軍慰安婦問題を持ち出すことへの台湾人の見解を反映したものです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~
自由時報(2015711日)「自由広場」より

『誰が強迫して慰安婦にしたか?』

◎林瑤棋

 昨日の貴紙A三面が掲載した、台湾史の改訂学習指導要領に関する十七項目の争点についての報道を拝読。その中の第十七項目目の、“「慰安婦」との記述の「女性は脅迫されて慰安婦になった」への書き改め”についてだが、私はこの問題に関して少し知るところがあり、それについて申し上げたい。

 
私のおばの夫の顔氏(もし健在なら今年百十二歳)は、もともと沙鹿で飲食店(飲み屋)を経営していたが、太平洋戦争(※大東亜戦争)が始まると台湾は不景気に見舞われ、特に飲食店への影響は深刻だった。そこで一九四三年ごろから、彼は慰安婦の仲介を兼業せざる得えなくなったのだが、実はこの仕事が飲食店などより遥かに儲かった。

 彼は仲介業を営みながら、その状況をよくおばあちゃんに報告していた。当時私はすでに分別が付く年齢で、彼らの会話内容はみな理解できた。
 彼によれば、「みな貧しかったため、私が勧誘すると(もちろん強迫ではない)、大勢の酌婦が収入のはるかに好い慰安婦に応募して来た。また田舎を廻り、貧しい家の娘の募集も行った」という。「仲介業でとても稼いだ」と言っていた。

 
筆者はすでに八十歳の老人だが、私が知り、あるいは見て来たところでは、慰安婦は日本のも中華民国のも似たようなものだった。良心に従って言うが、慰安婦が多かったのは中華民国の方で、私の推定では民国三十九年(※一九五〇年)以降の三、四十年間だけでも、台湾、澎湖、金門、馬祖の慰安婦は、少なくとも数万人はいた。これらの人達の大多数は今も健在である。ただ賠償金ほしさに表に出て来ないだけだ。

 私が民国四十年代(※一九五一~一九六〇年)に軍務に就いた時、金門島のある軍中楽園(※慰安所)で一七歳の女性を見たことがある。彼女は万華の宝斗里で私娼をしていた時、警察に捕えられ軍中楽園へ送られた。彼女は若く新参者だったので、毎日数十人もの強く勇ましい砲兵の相手をさせられ、それに耐えられず毎日しくしく泣いていた。「痛くても休ませてもらえないのだ」と。この手の慰安婦が「強迫」された者でないというなら、「強迫」とは一体何なのか。

 
私は以前、台北市から私達の住む田舎に派遣されて来た蔡という警察官から、こう聞かされたことがある。

「軍中楽園で女が不足する時はたいてい、国防部が警務処(※警察)とともに私娼を捕え、慰安婦として送り込んだ。中華民国の法律によれば、娼妓の許可証がもらえるのは満二十歳からだが、当時の多くの貧しい家庭は一六、七歳で女児を売り、そして年齢の足りない彼女たちは私娼になるほかなかった。私娼を捕えるのは簡単で、寶斗里の環河南路に行きさえすれば捕まえられた。午前中に十数人捕まえるのも問題ではない。業績にもなったし奨金ももらえ、警察官にとっては好い仕事の一つだった」

 
要するに、台湾人女性を強迫し慰安婦にしたというなら、日本より中華民国の方が深刻な状況だった。指導要領の改訂は、この問題では特に慎重であるべきだ。(医師)

 台湾で慰安婦を強制連行を行い、「性奴隷」として虐げたのは国民党勢力、すなわち中国人の軍隊、警察であり、そして今や中国人の政治家たちは、自分たちが実際に行って来た犯罪的行為を隠蔽し、その悪行を日本人のものだと宣伝し、そして行く行くは中韓などと組んで国際社会で日本を糾弾しようというわけだ。

 いずれにせよこのたびの林瑤棋氏による、日本時代の慰安婦募集に関する話は、大変貴重で参考になるものであり、台湾人にも、そして日本人にも広く読まれることを期待したい。

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