娘ほどに年の離れた友人が「気づかせてくれてありがとう」と言ってくれた。

電話で、お互いのグチを言い合い、聞き合いしてきたaiちゃん。


あまりに心の中に入ってこられるのが少し苦しくて、

それを伝えようとしたけれど、わたしの力不足で彼女を怒らせた。


会う予定もあったけど、また言葉がいき違うだろうなと思ったので、

ランチは延期していた。


何度か電話があったけど、あえて話さないことにして静かにしていた。


夕べ、しばらくぶりの電話に寝ていたわたしは誰かもわからずでるとaiちゃん。


「人からなにか言われることがとてもイヤだったけど、今回は違った」

「言ってもらえてよかった」

「気づかせてくれてありがとう」

「ボールを投げたら、ちゃんと返してくれるので、楽しくて投げ過ぎちゃった」

「myunkさんは、わたしに必要な友人とわかった」

わたしのほうこそ、aiちゃんに教えてもらったよ。

間違ったな、と思ったらそのことをきちんと相手に伝える。

大切だとわかったら、あきらめないでつなごうとする。


素直に生きることのありがたさ。

こちらのほうこそ気づかせてもらいました。







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久しぶりに。

Y子さんとお茶した。

Y子さんは、とってもやさしくて真面目な女性。

素敵な個性をもっていて、真剣に生きている。

真面目すぎて少し苦しそうなところが、

なんだか同じ年のころの自分と似ているなあと思ってた。


でも、久しぶりに会ったY子さんは、ちょっと変わったなあと思った。

外からの刺激に即応しないで、いったん受け止めているような感じ。

大人っぽくなりましたね、Y子さん。


たまにはゆるゆるになって、心から笑える時間を過ごそう。

ひとつひとつ楽しむ方法を増やしていくことが、

オンナの生きる道だよ。

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ただ黙って話を聴いてもらうこと。

ただ黙って手を握ってもらうこと。

ただ黙って抱きしめてもらうこと。


理屈なんていらないときがある。

それは・・・母親の抱擁をとてもとても必要とする年頃の、

子どもに限ったことではないんだよね。

大人にだってそんなときがある。

女にだって男にだってそんなときがある。

いえいえ、人は一生そんなときがあるのかもしれない。

おじいちゃんやおばあちゃんだって、

手を握ってお話してほしいと思っているかもしれない。


理屈なんていらないときに、話しを聴いてあげることしかできないけどって

言ってくれる人がいるのは、とってもしあわせなこと。

話を聴いてもらえるって、とっても贅沢なこと。

これからは、聴いてあげられる人になりたいと思うよ。


ありがと。


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支えあう仲間

数年前より参加しているボランティアの代表Hさんご夫婦は働き盛りの50代半ば。お仕事もばりばりされているが、地域の奉仕活動に精力的に参加されている。健康に暮らすためのさまざまな勉強会を開催したり、気功の講習会を開いたりなどと本当に忙しく動いている方たちだ。


Hさんご夫婦の仲間でKさんという芸術家の女性がいる。すでにご主人を亡くされ、お子さんは無くひとり暮らしの50代のKさん。彼女にガンがみつかったのはつい先日のことだ。わたしも何度か見かけたことがあるKさんは、夜はサロンをやっていて子どもっぽいところがかわいいちょっとユニークな女性だ。


そんな彼女には今回、病が見つかり入院するにあたって、相談したり世話をしてくれるような身内が誰もいなかった。関東にお姉さんがいるけれど遠い、ご両親も他界している。亡きご主人の親戚たちとは元々支えあうような関係ではないようだ。


そんな中、Hさんご夫婦が入院の世話から始まり今後のことについての相談などにずいぶんと力を貸していた。保険や貯蓄なども充分でなかったKさんのために、なんと『Kさん基金』まで立ち上げたのだ。もちろんKさんのために基金が発足できたのはKさんの人徳によるところが大きい。それにしても、病気をしたとき、老後のためにといった準備の充分でなかったKさんに向けて一切の苦言を呈することもなく、黙々と自分たちでできることをやってあげようとするHさんたち。尊敬します。


どうして保険の準備もないの!?と器が大きくないわたしなどは思うところだが、おふたりは今さら言ってもしかたないことは言わない。それよりも今彼女に対してできることはなにかと探り、すぐに実行する。そんな人生の先輩たちからまたまた大事なことを学んだ。


Hさんのご主人が言ったことが心に残った。『我々は今自分ができることを惜しみなくやればいいんですよ、いくらでも人のためにできることはあるんだから。見返りは期待しないでさ。それは相手が決めることなんだから。できるときには精一杯のことをやって、自分ができなくなったときには、そのときには、人からやってもらえることに、遠慮をしないで甘えればいいんです』

元気

自分が元気なひとと、周りを元気にするひととの相違について、を斉藤茂太さんの本で読んだ。なるほど。元気一杯はそもそも素敵なんだけど、周囲を気負してしまう元気もあれば、周囲に元気のオーラをふりまく、あるいは包みこむ元気もある。


今朝、学校に用事があり、お電話をしたら、対応してくれたのは音楽の先生。大好きな先生。言葉がはっきりしていて、雰囲気は男性っぽい。この先生はご自分が元気なだけじゃなくて『元気を分けてくれるひと』だ。朝からエネルギーいただきました。お仕事に行く前に心の栄養ドリンク。thank you~!

おもしろがる

以前に、知り合いのセラピストさんが語っていたことを今、思い出しました。


曰く『相手を理解しようと思うことはないんじゃないかな。理解できなくてもその人をおもしろいとか楽しいと感じられたらそれで充分。人が人を、とくに女と男がお互いを理解するなんてきっと無理なことでしょう』・・・おおよそこんな感じのことをおっしゃった。彼女はたいへんな思索家で、ご自分のたくさんの経験から至った、いわば経験論をもっていらっしゃる、ように見える人だ。


このとき彼女は、パートナーシップについての捉え方として、恋愛関係、婚姻関係の間柄についての思いを語ってくれたように記憶している。


わたしはときどきこの言葉を思い出してすごく楽チンになる。


家族でも他人でも、『おもしろい』『楽しい』と感じ合うことが一番いい。考え方が異なるときには、互いに意見を押し付けたり、正そうとしたりしてしまうこともままあることだけれど。大人同士のコミュニケーションとしては、自分はこう感じるのだけれど、いかがなものだろうか・・・??という自己表明としてのゆるやかな表現方法を体得したいものだなと思う。


いい年になった今、いろんな関係の渦の中で、相手を理解しようとするよりも、先にまず関係を楽しむこと、おもしろがってみようという視点を持ちたい。






ヒロインの桜子ちゃんは音楽家を目指して精一杯生きている。たくましくてかわいい女の子。


後ろを振り向かず、前を見て歩んでいけばいいんです。そうして自分のするべきことを一生懸命にがんばっていれば、いつかまた交わるときがあるかもしれません。


今朝の朝の連続TVドラマ小説『純情きらり』で、劇団ひとりが演じる直道先生が桜子ちゃんと泣く泣く別れることになったときの回想シーンだと思いますが、そのときに言ったセリフです。


ただひたすら今の自分に与えられた人生のお仕事をお互いに一生懸命にやっていこう。そう誓い合って別れる関係・・・。深いですね。


劇団ひとりくんの真面目な先生役がたまらなくキュートです。品行方正で正統派ハンサムの幼馴染のタツヒコさんもしっかりと桜子ちゃんを見守り続ける。同じアパートに住む貧乏画家の冬吾はと言えば、厳しくもやさしく大きなふところで、ときおり桜子ちゃんを包み込む。


自分のするべきことを一生懸命にがんばっていれば、いつかまた交わるときがあるかもしれません。


直道先生が桜子ちゃんと別れるときに語った言葉、これは男と女の縁のことだけじゃないと思う。共に前を見て進んでいればまためぐり合うかもしれない、そんな人と人との縁の本質を語っているように思う。





うれしい日

凹んでましたら、朝読んだあたたかいコメントに泣けてしまいました。


そのうち、友人から携帯にメールがありました。


また今度休みのあうときぷらっと散歩しようと。


午後になり、子どものクラスのあるお母さんからのFAXが流れてきました。


お元気ですか?で始まる何気ない内容でしたが、沁みました。


先日の集まりで見かけなかったので気になりFAXしましたって。


気にかけてくれてうれしかったとさっそくメールで返信しました。


夜になったら、ゴスペルのお誘い→レッスンの連絡がありました。


5~6年ぶりの参加です。7月に大きな会場で歌います。


ずっと離れていたのにまた誘っていただいてうれしかった。


いろんな人から元気をもらって今日はうれしい一日でした。


明日はわたしも元気をあげる人になろう。

人と関わること

我が子がクラスで時々暴言を受けたりすると、親としては悲しい。でもわたしは相手の子どもの気持ちもわかる。しかたないなと思う側面がある。わざとではないといっても、感情のやりとりや情感を伝え合うというコミュニケーション力が乏しい我が子と一緒にいるときの違和感がよくわかるから。



たしかにそのクラスメイト君の気持ちはわかるよ。でもね。彼はわざとじゃなくて、みんなの成長にどうしてもついていけない部分があるんだよ。だからそこをちょっとだけわかってほしいんだ。なにかあったときはこのくらいのスタンスでゆっくり対応していくしかない。子どもたちにこれ以上のことを求めるのは無理というもの。そんな一方で、不器用な彼をなにかと助けてくれる子どももいることは、ただシンプルにありがたくてうれしい。子どももいろいろ。



いつもいつもベターな方向に自分の気持ちを向けて暮らしていきたいと思う。奇麗事ではなくて、そうやって自分の気持ちを盛り立て続けていかないと、たとえ我が子であっても付き合うのをやめたい、あるいは休みたいという気持ちに負けそうになる瞬間があるから。プチっと息切れがしそうになるときがあるのです。



そして、それは・・・子育てに限ったことではないでしょう。どんなお仕事でも同じかもしれない。特に親や老人を介護をしている人や人間を相手にしたお仕事~教育者や医療関係者の方たちの多くが抱えている気持ちではないでしょうか。それに、人は物事への感じ方、違和感の抱き方、捉え方、キャパシティがそれぞれ違うから。楽そうにしていても実はつらさを抱えているという人も少なくないと思う。



だからこそ、自分を素敵にするための努力が必要なのかな。自分のできる範囲で、おしゃれや習い事ややりたいことをやって、なるべく気持ちを満たしていること。そうやって気持ちいい~気分をいつも自分なりに充たしてやること。そう意識していることで、人より少し難しいところがある我が子のあるがままを受け止めて受け入れる。その上で決してあきらめずに根気良く導いていくということをなんとか続けていきたいと思うのです。



彼は小さなわたしの小さな許容範囲をわずかでも引き伸ばしてくれる存在??だとしたら、ホント!にくたらしいヤツだけどプンプンthank youプンプン





昨日、スクールカウンセラーが電話をくださった。

カ「息子さんから新しいクラスについてなにか聞きましたか?」



腹減った~しか言わないんです・・・とは言えないので。

私「いいえ、まだなにも聞いていないです」



カ「今度の担任の先生ですが、息子さんにとって良い先生だと思いますよ」



話は聞いていないが、新しい担任の先生の書かれた学級通信はすでに読んでいた。とても直接的で、心打たれる文章だったので、

私「はい、子どもからはなにも聞いてないですが、学級通信は読みました。

その印象ではとても良い感じのする先生だなと思いました」



カ「それはよかった。次回のカウンセリングのときに都合があえば、先生とも

お話してみてください」とのことでした。



なにしろ面倒なえっ子どもなのでほんとうに学校にはお世話になってきた。そして公立の中学校で、ここまで配慮してくれることにわたしは心から感謝している。正直なところ、学校というところはそこそこやってくれるところだと、そもそもあまり期待をしていなかったので(ごめんなさい)、より一層感謝の気持ちが高まるのかもしれない。



先生たちには、心から感謝をしている。それぞれの教師が自分の分野で子どもたちに刺激を与えてくれる。この対応はなんなの???と疑問を覚えるような対応をされたことはない。イヤ、ないというか、配慮に欠ける対応があっても、それをこちらが申し上げていくことを受けて、また配慮を返してくれる。



つまり関係構築を継続してくれるし、積み重ねをする関係を作ってこられたのだ。それはとても素晴らしいことだと思う。教育機関なのだから、仕事なのだから当たり前のことなのかもしれない。けれど、教師のあの日々の激務の中で、そうしたことを継続するのは、やはり相当の努力の要ることで、ありがたいことだなと思う。



おかげさまで、いろんなことがわかった。まだまだ分かり足りないかもしれないが、わたしとしては積み重ねて歩んできたという感がある。



おかげさまで、たくさん教えていただいた。まだまだこれから。そしていつかはわたしも、いただいたものを少しでもだれかに返していけるようになりたいと思っている。



ネコにゃーブタネコ 

積み重ねることって大切ですね。