ひとが育つこと

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おとといのこと。3人の男子からの一方的な嫌がらせだった。教室の後ろの棚に上がり壁の装飾作業をしていた息子のことをRくんたちが下から棒で叩きはじめたという。面白半分の嫌がらせ。やむなく棚から降りた息子は誤って、床にあった展示用の模造紙を踏んでしまった。それを今度は、お前~何てことするんだ謝れ!と寄ってたかって息子を責め立てた。(そういうオメ~らこそ何してんだ!あんっ??)そこに面白がってMくん(この子はヤなやつ!)が登場し、イジメに加勢する。思い余ってRくんの顔を殴った息子。先生の説明と本人の説明はすっかり合致した。息子はこういうときには嘘はつかない。


息子はその日、帰宅しても何も言わなかった。別件で学校に電話をしたわたしに先生が「あの・・・もうひとつお話があります」と言う。お話?と言われれば、揉め事だな~。すぐに「けんかかなにかですか?だれかが大きなケガをしましたか?」と聞くと「いえ、だれもケガはしてません」との答え。ケガがなければとりあえずはいい。とりあえずはね。先生は、Rくんはじめ、5人ほどの男子にガツンと言ってくれたそうだ。でもね・・・。問題はその後の親の対応なんです。先生が指導してくれてもね、親がアホだと足りないのですよ。今回はどうかなあ???と思った。


「Rくんの顔は大丈夫ですか?」「いえいえそれは心配ないです。今回はRには・・・ほんとうにわたしも怒りました」。大学卒業したての女先生ですもの。上面だけを見ておわらせることなく、的確な判断をしてくれたこと。それだけで感謝です。こどもたち同士は、嫌がらせをはじめたこと、顔を殴ったことをそれぞれ謝り合って終了したので、親同士は先生からの説明で済ませるという先生の采配。この日、中心になって息子をいじめたRくんの家庭にも先生から電話をしてくれた。


実年齢より幼稚な言動が多い息子。この程度のイザコザはこれまでも何度も繰り返してきた。でも中学生になってからはやはり様子が違う。それは周りのみんなは年相応に大人になっていくから。その後また先生と電話で話した。Rくんのお母さんは経緯を理解し、反省させると言ってくださったそうだ。とりあえずは安心。うちの子が全部悪いって言うんですか!?的な、お母さんじゃなかったから。


そして後から息子から聞いたことを先生に伝えた。「そういえば、Yくんが、そんなことやめろ!と嫌がらせに割って入ってくれたそうです」と言うと。先生は「そうなんです。Yくんは理科の実験のときもNくん(息子)の面倒をみてくれてます。授業中に先生からの連絡事項が伝わらないときとか、Nくんに伝えたりしてくれます」と。Yくんのこと知らなかった。嫌がらせをしてくる子どもばかりじゃない。味方をしてくれる子もちゃんといたんだね。息子ちゃんはそういうことわかるかな??人は攻撃もするけど、反対に好意を寄せたり、配慮し合ったりして、絡み合っているんだよ。Yくんは部活でも一緒の子だ。ドンくさくてバスケも下手くそな息子にイラつくことも多いだろうに。それでもかばってくれるYくん、ありがとうね。ちなみにYくんの母はいつもバリバリのひょう柄ヘビ柄!ファッションのあの方だよね^^


今朝、息子の幼稚園時代の同級生(小学校は違う)で、中学でまた同じクラスのSちゃんの母、S子と会って学校祭に行く前にしばしおしゃべりをした。S子によると「Yくんのお母さんはサバサバした男みたいな性格!ウダウダ言う奴は叩き切られる!」とのこと。なるほどお母さんを見れば子どもがわかる。筋が通ったタイプだもんね。



続。



S子から今朝もらったクッキー。おいしそう。

でもでもお腹のお肉の原料になりそう・・・。

1枚だけならね。







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学校祭

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息子が幼稚園のときの同級生のお母さんで、ずっとお付き合いしているS子。ギャグセンスが抜群のおとぼけでいつも笑わせて励ましてくれる人。


彼女と二人で変装して、息子たちに見つからないように中学校に潜入してまいります。ふふ。

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それぞれの試行錯誤

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こんなにもあなたを思っているのにと思ってきた。これだけの配慮をしているのになぜ??と思ってきた。その思考回路はもうSTOPしましょう。


見返りを求めてきたつもりはないけど、働きかけへの反応が欲しかった。思考錯誤への変化とか手ごたえとかを感じたかったんだよね。


でも君には君の試行錯誤があったんだよね。君のもって生まれた資質の中でそれは一生懸命試行錯誤してきたんだよね。遅ればせながらそこに気がつき、そこに視点を置いてみようと思うよ。生まれたときからユニークだった君へ。母の仕切りなおしですね。



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そうだったのか

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部分的に物事をとらえるので、全体的に物事を判断するのが苦手。自分なりの確固としたスタンスとルールがあり、そこを守り続ける。それは人から見ると徹底したマイペースなので、どうしても周囲から突付かれる。突付かれると、ときに衝動的な反応を見せる。ADHDやLDのこどもたちのこと、よくわからなかったけど。何度かカウンセリングに通ううちに少しづつ見えてきた。


感情面での発達の遅れ。感情面にステップがないようにみえることもある。悲しい、悔しい、嬉しいがストレートに表に出る。周囲を慮るという概念が乏しい。空気が読めないというやつですね。


普通のこどものようにはいかないかもしれない。でも彼には彼なりの人生のまとまり方があるのだ、そういう期待感。A先生のカウンセリングは、わたしの栄養剤みたいなもの。



女医さん

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昨日歯医者さんに行った。いつもお世話になっているきれいで明るい女医さん。1年に1~2回しか行かないのに、この方と会うと一気に核心に触れるような話題になる。賢くて勘のいい女性なのだ。検診のときの産婦人科でも女医さんにかかっている。こちらは癒し系、子供に語りかけるように問診してくれる。ホントは乳がん検診も女医さんがいいんだけど、まだいい先生にめぐり合えていない。


月一回伺うホスピスにも美しい女医さんがいる。お昼休みにピアノを弾いているきれいな女医さん。厳しい仕事と私生活を両立させている女性たち。きっと見えない努力をいっぱいしてるんですね。


わたしも勉強しよ。

おいしく食べられる

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それだけでも、きっとすごいしあわせなことなんだ。健康しか知らないと、なかなか健康に感謝するチャンスがないんだけど。


疲れやすいから、よく休む。身内にがん患者がいたので、自分にも可能性があることを思う。健康維持は簡単なことじゃないことを知る。


北海道の秋、おいしいものがいっぱい。夏によく働いたカラダをいたわろう。



きな粉+ゴマ+ハチミツ+牛乳=パワードリンク

といつもの朝のワンプレート


障がいを持っていると一言で言うのはむずかしい。人によってさまざまいろいろ。今日お茶した友人は下肢が不自由なピアノの先生です。レアチーズケーキをいただきながら、しばしおしゃべりしました。自分がその身になってみなければわからないことってたくさんあるんじゃないかということ。


わからないことには、じっと耳を傾けるだけでいいんだよね。自分にはその痛みはわからないけど、耳を傾けて見守ることだけはできる。


わたしには彼女の痛みはわからない、ということを認識する。そこの部分はそこの地点でとどまって付き合う、見守ること。この友人はそんなことをときどき思い知らせてくれる。



レアチーズケーキ210円。六花亭 の。珈琲はサービスなんですよ。

フレッシュブルーベリーがたくさんのっていてさわやかな甘さ。おいしいです。

猿とびサスケさん

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ホスピスに入院している癌患者さんだと言うのに、はじめて会ったとき、そのおじさんはぴょんぴょん飛び跳ねるように歩いていた。猿飛びサスケだ!とすぐさまニックネームを命名させていただいた。わたしたちが訪問するといつも、お部屋から出ていて入り口にたたずんでいたり、ホールのイスに座って待っていてくれる。


アロマテラピーの中でも足浴がお気に入りで、エッセンシャルオイルを入れた足浴バスに、足を入れてうっとりと目を閉じているおじさん。何を思っているんだろうかな?


自分の番が終わってお部屋に戻っていたサスケおじさんはわたしたちが帰る頃、お部屋から出て来て、ずっと手を振ってくれていた。手術で喉を切開しているので声が出ないおじさんは、何度も手を振って見送ってくれた。



病院へ向かう途中、白鳥大橋。いいお天気でした。

争うのやめなよね

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戦争やめたら。いい加減にしたらいいのにね。


愛せなければ通過せよ。


ニーチェの言葉です。どうしても気に入らなくても、すべて自分の思い通りになんてできない。仲良くすることができないならば、愛することができないならば、せめてそっとそこを通過しよう。そういう意味だと思う。


嫌うことはない。自分が気に入らないからと言って苦言を言い続けることはない。(非常識とか迷惑な行為に対しては除きます)。わたしは、この言葉はあらゆる人間関係から国際関係にまで通じるように思う。


そばにいなくても

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いつもそばにいるわけじゃなくても、支え合える人。だれかにとってそういう人になりたい、そういう人がいるといいと思う。遠くにいたら、カゼで寝込んだりしたときにすぐに看病してあげられないし、地震が来たときに守ってもらったり、そういうことはなにもできないけれど。あの人だったらこんなふうに言うだろうなとか、こうしたらいいと言ってくれるに違いないとか、そういった確信を与えてくれる、与えて上げられる。そういうつながりっていうのは、知らないうちに支えになってくれるものだと思う。


それは人によっては、亡くなった肉親や知人であり、あまり会えなくても必ずときどき思い出す古い友人であり、遠くにいる好きな人であり。


友だちは、本当に大事な人は、たくさんじゃなくていい。必ずしも近くにいなくてもいい。