おいしい おいしい おいしい おいしい


姉はお料理が上手。
今日はとてもおいしいランチをごちそうになってしあわせ。

ごぼうとニンジンのきんぴら、ごぼうと牛スジの煮込み、イワシのマリネ。

こんがり焼いた手羽先。

自家製イチゴジャム。

ナスとほうれんそうとベーコンのパスタ。

どれもこれも全部おいしくて、たっぷりいただきました。

ちゃんと気持ちを込めて作ってもらった、おいしいものを食べると

幸せな気分になりますね。

わたしも、なにはなくとも、お料理の腕だけは磨きたいと思いました。

人をしあわせにできるお料理を作れることはとても素敵な才能です。

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出しても、もらっても。返事が気にならないメール。唯一のオトコ親友とのメールはそんな感じ。堅くてマジメなオトコですから、たいへん難解なことを書いてくれるときもあります。意味わかんな~いということもあり。もちろん返事がきたらうれしい。けれど返信がこなくても傷つかない、というか気にならない。


小さいときの同級生ですから、お互いの小さいときを知っているのは不思議です。会うことはほとんどないけれど、どこかでつながりがあるからそのオトコ親友とはときおり話したくなります。思いついたときにメールを送ることができて、返事が気にならない相手がいることはラッキーですね。

わたしのしあわせのひとつかな。









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見習う

テーマ:

見習うという言葉があるけれど。見て習うこと。

子どもは親を、大人を見て習うんだ。そういえば自分だってそうだったじゃない。


親や先生や周囲の大人のことを、子どもながらに見て習ってきたんだった。


子どもを知りたいなら、自分の中に潜んでいる子ども、昔の自分に訊いたらいいかもしれない。

先日の土曜日のこと。


午前中、ふたりで病院に行く用があったのに行き違いになって、のんびりやの息子にぷんぷん怒っていた母。


そのあと、ケンタッキーでランチの待ち合わせに、今度は母の方が遅れて行き、息子を待たせた。


でも息子は母みたいにぷんぷん怒らなかったな。

「母さん、遅いよ。僕はまるで忠犬ハチ公のように、ケンタッキーおじさんの前で母さんがくるのをじ~っと待っていたんだよ」


息子が母におだやかな口調で言った言葉はそれだけ。文句はなしだった。

やさしいね、怒りんぼの母よりずっと思いやりがあるよね。大好きだ。


いつも気づかせてくれてありがとう。いいことはこっちが見習うからね。


母はそんな君をたくさんしあわせにしたい。





方向転換

テーマ:

つい最近まで当たり前と考えていたことや、当然のようにしてきたことなのに、ひょっとしたことでそれに違和感を感じてしまうことがある。いったい自分は今までなんてことを考えていたのか、まったくなんてことやってたんだろって思うことがある。

あ~恥ずかしい。わたしったら今までなんてことを・・・・みたいな。

でも、それはあまりにちっぽけなことや、あるいは人には言いたくないような大胆なことだったりするので、誰かに聞いてもらって「こういう考えっておかしい??」と確認することもできない。

そういう『気づき』って年齢を重ねるとともに、少なくなっていくかと思ってたけど、そんなことはないんだな。

今まで素通りしてきたことに、ふと立ち止まるようになると、かえってどんどん現れてきた。

ヘンだなと思ったら、その瞬間から方向転換してみる。

またヘンだなと思ったら、またまた方向転換すればいいだけのことだから。




息子の語るある女教師

テーマ:

「R先生の授業のあとはみんなぐったりするんだ。ひどい人なんてげりまでするんだよ」


「へえ~~そうなんだ(うっそ~まさか)」


「肩をぽんとされたら、ぞわわわわ~って感じになるんだ」


「ふ~ん」


「授業中にきゃっきゃっきゃって言ったり、奇声っていうかさ。とにかくこわい先生なんだ。まるで精気を吸い取られるような、こわがらせるようなことばっかりいう、あんな先生は初めて」


息子が国語の先生のことを言っている。


この先生、妙齢でかなりの美人。50代半ばという感じだけど、若い頃はさぞかし美しかっただろうな、と想像に難くない。


「この間なんて、わたしの財産になりたい人はいない?ってみんなに聞くんだよね。結果としてはクラス全員が強引に先生の財産になりたい人にされたんだけどね」


それはなにか教科書の中に出てくる教材の中のエピソードを引用した質問らしい。おそらく人と人との出逢いが財産だ、みたいなテーマなのだ。


息子ちゃん、あなたの説明では、具体的にどんな先生なのかはよくわからないけど、お母さんはあなたの国語の先生が好きだ。子供が家に帰って語りたくなる個性を持った先生だもの。それだけで素敵。それにあの先生、お母さんが見かけたときはいつも笑顔で楽しそう。自分らしさをぷんぷん発揮させている感じがする。これからももっと学校の話を聞かせてね。






ことわざ

テーマ:
五十になれば五十の縁。 

いくつになっても年齢を憂える必要はありません。なぜならいつでもその年齢にふさわしい楽しい事、良い事、良いご縁があるものだからです。というような意味。

今日のわたしに大きな勇気を与えてくれた、ことわざです。


相手にとどく言葉

テーマ:

子供を叱るべきときには、きっちり叱らないとならない。でもいつもいつも叱っていたら、子供だってイヤになるんだよな~って、最近は戦法を変えてみました。


朝、なんとなく学校に行きたくないのでしょう。まだ寝床にいる息子ちゃんは、タオルケットの端っこをつかんで離さない。なんとか起き上がったもののタオルケットの繊維を一本づつつまんで引っ張ったりイジイジ。GW明けの、サボリたい心が芽生えるとき。自分にも遠い昔の記憶がある。


いつもなら「早く起きなさ~い!!」と大きな声でびっくりさせてやるところだが、息子ちゃんのタオルケット引っ張り動作になんとなく哀れを感じたのもあって、その朝はやさしく声をかけてみた。


「お腹痛かったり、頭痛かったりしたら、いつでも早退してきていいよ。お母さんが学校に迎えに言ってあげるからね」


中学生の男子に甘すぎるかもしれないなあと思います。いつものわたしならしないこと。


でもそうしたら、あら不思議。しばらくはぐずぐずしないと動かない息子ちゃんが、いい感じで動き始めました。


いつでも帰ってきていいよ、っていわれると安心したんでしょう。息子ちゃんは、わたしがうるさく言うときよりもずっと素直に受け止めている。厳しくいわれるより効き目があるコトバって、大人にだってありますものね。子供も大人も、関係ないか・・・。


自分の思いだけが充満したコトバを、ただ発散するようにばら撒いていても、相手にはとどかないんですよね。とくに母親は子供に、一方的に投げかけていることが多いかもしれない。


コトバのピンポン、気持ちのピンポンをしよう。






おじさん考

テーマ:

おじさんが好き。おじさんフェチ。


おじさんとオッサンは違う。べつものです。どっちがどうとかいうんではなく、違うたべものみたいなものかな。

わたしが好きだなあと思うおじさんたちは、ちょっとよれてきた自分を知っていて、自分なりに努力をしているのです。そしてそんなおじさんの一番の良さは、責任感をもって行動できるところ。もしもデートのとき、お仕事のときに、ちょっとした失敗をしたとしても(たとえばオナラとかしちゃったりとか、とにかくなんか恥かしいこと・・・)おじさんは、一緒にいる人をちゃんと笑わせる方向に持っていってくれる、その場を気まずくさせない等々自分の犯したミステイクの後フォローができるのです。

そんな甲斐性こそがおじさんの持てる底力なのだな。おじさんの上級者になると、他人のミステイクさえも笑いに転化させたり、目立たなくしてあげることができる。そういうセンスってカッコイイでしょ。惚れるよ^^


おばさんも同じ。気風がいいおばさんになりたいもんです。





異なる複数の考え方を共存させながら、問題の解決策を探っていくこと。お互いにつぶしあわないように認め合うところは認め合い、改めるべきところは改め、折り合うこと。個人生活と社会生活とじゃ規模が違うけど、最近とくに気にしていることのひとつ、むずかしいなあと思うことのひとつです。

そして。この民主主義がなかなか通用しにくい世界は、自分の経験からだけなのでもっと広い世界に出るとどうなのかはわかりませんが・・・。


勇気を出して言うと・・・・

それは、ひょっとしたら~お母さん業界ってなことはないでしょうか???

自分の子供への無償の愛とか母なるものの偉大なる懐の広さとか、母の世界にはそれは素敵なものがいっぱい。ただ、わたしがなんだかなあと思うのは、子供たちの間でなにか問題が起きたときの処理の仕方に垣間見る母たちのシステムのこと。父親たちとはちょっと違うような気がする独特の世界だ。

わたしだって、決してけしてできた親ではないのですが(ぺこりぺこぺこ)、もっと冷静に理論的に対処できないもんかなあと思うことがしばしばあったりする。お互いの異なる考え方を認め合いながらことにのぞめば、いろんなことがもっといい具合に解決できると思う。そして何かが解決できたら、なにも起こらなかったよりむしろ、親同士だって理解を深めたり、もしかしたら仲良くなれるかもしれないのになあと思う。


自分の子供が大事なのはみんな同じ。み~んな自分の子供がいっちばんかわいいのだ。その思いは親共通の思い。だからこそ、お互いに人の気持ちになって子育てしようよ。


母の日に誓う。

自分にダメなところがあるって知ってる。今が不完全でもしかたない。気がついたところからはじめよう。成長を続ける母になろう。