JRの大きな事故でたくさんの方々の命が奪われたことに、心からご冥福をお祈りいたします。

この世界の中では、なによりも命が大事。命を預かるような企業、職業の人はソレを肝に銘じてお仕事してほしい。たいへんなお仕事に就かれていらっしゃる方たちの日々の努力に敬意を表すると同時に、どうかお願いしたい。効率よりも利益よりも命が大切だということ。


「手を握ってほしいと訴えてくる生存者の手を握り返してあげると、この人は生きているんだと強く感じて、なんとしても早く助けてあげたいと思いました」。というレスキュー隊員の方のコメントが胸に迫る。誇り高いお仕事についてくれたみなさん、ありがとう。

黙っていたって、事故や病気で世界中からたくさんの命が失われていく毎日なのだ。戦争なんてやってる場合じゃないよ。もうけることばかり考えているのはかっこ悪いよって。そろそろ次のステップに飛べないのかな、人間たち。それは誰だってお金はほしいけど、大切なことを見失うほどに、際限なく利益を追い求め、際限なくお金持ちになろうとするようになると、その根性はやらしいな。

それにしても、いつ命がなくなるかわからないんだから、今、目の前にある人や出来事を大事にしよう。サドンデスは誰の身にも起こり得るんだな。


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どうしてなんだろう。

テーマ:

反抗期?にしても、大人を大人とも思わない態度はひどすぎないか?今の子供たち。なにかがおかしい。人の気持ちを考えない、マイペース、ワガママ勝手。

うちの子に限って、と全面的に言い切るのはいけないかもしれない。でもわたしには、ココんとこだけは、うちの子に限って!と堂々といえることがある。うちの子は弱いものいじめをしない、理由なく他の子に嫌がらせをしかけたりなんてしない。もちろんうちの子もワガママだったり、勝手だったり、だらしなかったりするけれど、なにより理由もなく意地悪なコトだけは絶対にしないのだ。

うちの子がどうしてそういうことをしないかと言うと、当たり前のことだけど、そういうコトだけは絶対にしてはいけない!と命をかけて教えているから。だらしないことやワガママ勝手もそれはできれば直してほしい。けれど、そんなことよりも、他人を傷つけてはいけないということだけは、最低限、親が責任をもって教えることじゃないのか!って直接言ってやりたい親が身の回りにわんさかいる。

子供のことは親の責任。みんな学校のせいにしすぎ。当たり前のことを教えていない親が多すぎる。ホント呆れる。


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淡々と。

テーマ:

お隣の大きな国の一部の人が日本がキライと、叫んでいる。

うちの近くの国立大学には彼の国からの留学生がたくさんきている。毎年6月に開催される大学祭では留学生たちの屋台のコーナーがあって、わたしはそこで本場の手作り餃子を買って食べるのが楽しみ。今年も楽しみにしてるのよ(皮が厚めでプルンとしていておいしいの!)。

歴史的、教育的、国政的背景がいろいろとあって、複雑な状況なのだろうけど、とにかく暴力的なことはやめて話し合いの努力を。そして話し合いがダメならば、しばらくクールダウンする努力を。それが大人の、人間の知恵だと思う。

ちっぽけなことから始まったケンカだって(夫婦喧嘩とかね)、すかさずお返しをしたら、そこからまた新たないさかいの種が増えて、お返しのお返しのお返しのお返し・・・・などとやっているうちに、始まりは一体なんだったっけ???って原因も見失ってしまったりして。はたまた国と国が、この問題の原因の原因の原因・・・はなに??って探っていったら、国によっては何百年も前までさかのぼったりして。

キライっていうのは仕方がないと思う、人間なんだから。けれどキライだからって傷つけ合っていいってことにはならないし、できれば好きなところを見つけられるといいんだけどね。けれど、そうはいかないというときはせめて、淡々とキラってみるように(それはそれでヤな感じ?)心がけてみたらどうでしょうか。攻撃的な気持ちになってしまうときこそ、冷静さとお友だちになりたいと思う。

でもね。好きなもの(人!)には、すっごい思いっきり、全然冷静じゃなく。大好き!と言いたいな。大人になっても。






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困難という名の山を越える。

テーマ:

ホントは違うのだろうけど、なんてPOPなノリで困難を乗越えてきたんだろう!?と感じさせてくれる人と出会うときがある。ひとつの大山を越えて、それを自分のものにしてきた人は、どこか人として、そこはかとない色っぽさを感じさせてくれる。

湿った感じがなくてさらさらしていて。それは苦労をしてきた人と呼ぶよりも、困難を乗越えてきた人という表現のほうがぴったりくる感じ。

きっと、その人がそこにいたるまでには、険しい壁にぶちあたったり、めいっぱいどろどろした川を渡らなければいけないときもあったのでしょう。人を傷つけたり傷つけられたり。

そんなことをたくさん繰り返しながら、ようやく頂上に到達するとき。ふわっと吹いてきた風が、いつも身にまとわりついていたじっとりした空気を飛ばしてくれる。そしてそれは大山を下山する間中吹いてくれる。その風はきっとひたすらやさしいのです。

だから、きっちりと困難を乗越えてきた人にはさらっとした色気があるんだろうと思う。

そしてそういう色気はなぜかオトコの方が様になる。

オトコっていいなあって、わたしが勝手に思うこと。






 

Nちゃんが見たかったこと。

テーマ:

今日は親友A宅に遊びに行き、いろいろとおしゃべりをした。

親友Aの長女Nちゃん(小学校5年)はいろんな面でかなりユニークで魅力的な少女だ。最近は保健体育で性教育をされたらしく、その日いきなり「お母さんSEXってなに?」(※注 このときはエスイーエックスと発音している)と聞いてきたそうだ。

 

「それでお母さんはソレを何回したの???」との問いに「Nと弟のTと二人子供を生んだんだから2回だよ!!」と答えたというA(ぶ~)。

 

「えっ!じゃあNが生まれた後にも1回したんだね???ずる~い!見たかったのに!!今度やるときはきっと教えてね!見てみたいから!」。

 

爆笑。かわいい、面白すぎる。無邪気なのだ。

「でもいいや!この次の授業でソレがどういうことなのかわかるから!」と、父母の営みの鑑賞会については自らあきらめてくれたらしい。

その後Nちゃんは、その件についてはぴたっと何も訊いてこなくなったとか。きっと本人が宣言していたとおり、次の授業内容で自分なりに納得したのだろう。親に聞くことが恥ずかしいという気持ちになっちゃったのか。

残念。もう少し楽しみたかったな、作意なきお笑いトーク。

ちなみにそのときのNちゃんの担任の先生は25歳男子。「先生は何回したの~?」なんて訊かれちゃってたのかも。

 

 


しがみつかない。

テーマ:

肩のちからを抜いてとか、気持ちにゆとりをもってと思う。でもO型&射手座女のわたしは、なにかがんばろうとするとついついちからが入ってしまう。

こうありたいなどどいうものにしがみつかないで、導かれるようにたどりつけるところ、意識下の直感が示してくれるところにたどりつきたい。なんて思ったりもする。

 

ただ努力を続けていくと、変化することができるかな。変われたらまたべつのちからがでてくるかもしれない。べつのちからが出てきたら、それを踏み台にしてもっと変われるかもしれない。そうすると新しい発見ができるかもしれない、かな・・・・。

大切なことは。

テーマ:

人と関わりながらも、まずは自分の中で何かを育てていくことじゃないかな。誰かと(いろんなパートナーとか仲間とか)分かり合う努力も大切だけど、自分が自分のことをわかることがもっと大切と思うようになったのは、この年(かなりアダルト年齢^^)になってから。

わたしにもうまくいかない関係をなんとか修正したいと、もがいた時間があった。今だっていろんな意味ではもがいているけれど、やはりその思いは以前とは質が違ってきている。

人生のパートナーって。男女、夫婦としての、ときにはまったりできる友人同士としての立場をそれぞれ併せ持つことができればそれは素晴らしいけれど、そんなに理想的なワケにもいかない。

夫婦関係がすでにクローズしているカップルでも、二人で成し遂げていく役割が残っているうちは、その関係を卒業するのはたやすいことではない。その役割とは、たとえば子育てであり、仕事を共にしているケースであり、親の介護をするなどの共同作業であったりする。

誰だって一人では生きていけないから、誰かと寄り添ったり、家族を作ったりしていて、そこにはそれなりの役割でひとりひとりが存在しているはず。男女、夫婦、家族、父母としてのそれぞれの役割。

それらのすべてでつながっていたり、どれかひとつだけでつながっていたり、そこは人によっていろいろ。

日々のことをちゃんとやっていくうちに節目は何度かやってくる。確固たるターニングポイントというのがある。本当に本当に終了した方がいいものならば、そのときに卒業が決められるんじゃないかな。

将来の自分がどうなっているかなんてわからないけど、”今の瞬間”の降り積もりが常に将来を築いていることだけは確かです。

さあ、わたしはこれからどうなっちゃおうかなあ。トイレのお掃除毎日がんばろ^^っと。アロマの勉強も。ピカピカトイレにアロマテラピー。今んとこのわたしのライフワーク(大げさ?)。

あの頃に戻りたい、とは思わなくなった。たとえ、あの頃が今よりずっと若くてきれいで???希望にあふれていたとしても。それでもあの頃には戻らなくていいと思うのは、今の方がずっと楽だと思えるから。

ほんのわずかな時間でぐんと変化することが、大人になってもあると思う。ワケの分からない中年から、ちっとは違いのわかる中年へと変化するときとかね。

しあわせな出来事も悪い出来事もどちらも自分にとって必要なことで、自分の糧にするという意味では同じように価値があるんだな、とか思ったりする。

今は、嫌なことが起きたら、これはなにかに気がつけっていうことですね?って神様にたずねる気持ちになれる。でも、あの頃のあたしならどうかな。嫌なことに遭遇するやいなや「なによ!プンスカッ!」と悪態をついて、すぐさま怒りモードに突入なんてことの方が多かったはずだ。

今日はあいつのワガママが腹に据えかねた。確かに反抗期かも知れないけど、その態度は叱ったり諭したりする気力も失せるほど辛くて情けなくて。顔も見たくなかったから、クールダウンしようと一人で半日街をさまよっていた。親友アリサとメール交換でグチをこぼしながら。

帰ってきてもまだ腹立ちが収まらない。ごめんなさい、と言って玄関で出迎えてくれたけど、それでも許したくなかった。今、コレを書きながらそろそろ許してあげようと思い始めている。

そうだよね、あいつはまだ十年とちょっとしか生きていないんだった。わたしの方が何十年も多く生きてきてるんだよね。

さっきよりも今の自分がいいと感じられるなら、まだ変われる。ヒトは一生ずうっと成長期でいられるんだ、と自分に言い聞かせる。



春の大掃除・・・ってか

テーマ:

お掃除は苦手。整理整頓はもっと苦手。う~ん、だけどお料理はけっこう好き。お料理上手とはいえないかもしれないけど。なんでも既成概念にとらわれないタチなので、実験的に料理を楽しむことは多い。それで突発的にヘタなレストランよりおいしいものを作ってしまうこともあったりする。あくまで突発的にです(笑)。

お掃除、整理整頓が苦手ならとにかくモノを増やさないこと、と家事研究家の人の新聞記事を読んだ。なるほどそうだよね。あなたの部屋の中の状態はあなたの心の中の状態を表している、とアメリカの心理学者が書いていた。精神が乱れていると部屋も乱れているということか・・・。それもなるほどね。

ということで、整理整頓が苦手なわたしのお掃除方法はとにかく必要ないモノを処分すること!これ以外にはやり方を知らないのだ。リサイクルショップに持ち込んだり、友人にお下がりしたりもするけれど、ただ捨てるときにはやはり迷う。誰かからいただいたモノとか、まだ価値があるものとか。処分するか取っておくかの規準をどうするか。以前はいろいろあったけれど、現在のわたしのモノ捨て規準は超シンプル!

そのモノが好きか?好きじゃないか?

規準はそれだけ。高価なものでも好きじゃなければ処分する。そもそも高価なモノなんてあまり持っていないんだけど。好きか嫌いかでモノを処分するとスッキリするよ!と教えてくれたのは、トイレ掃除毎日精神衛生法???を教えてくれた、いつもお世話になっている年長者だ。

誰かの結婚式の引き出物でいただいたウエッジウッドの小さなトレイ(あとでお値段を知ってびっくり、お高いのね)もいつの間にかなくなっていたし、ブランド信仰なんてまったくないわたしなのだ。ブランド品でも名無しのモノでも好きなモノは好きというわたしには、この好き嫌いモノ処分判別方法はぴったり。

どんなに古くても自分にとって大事なモノは無くさないし捨てない。祖母が作ってくれたお人形をおんぶするための古~いねんねことか、器用だった祖父がテグスで手作りしてくれた緻密なペンダントとかリカチャン人形などなど。もう捨てたら、って人に言われてもわたしにはたいせつなモノたちなのよね。

使えなくなってもずっと大切なモノ、会えなくてもずっと好きな人。そういうのってないですか?

学校の先生

テーマ:

今の学校の先生ってたいへんだ。彼らの仕事は子供たちの面倒をみることだけじゃない。ときには子供たちの背後にひかえているその両親の面倒まで見なくてはいけないことだってある。

学校の先生にうつの人が増えているのもわかる気がする。何故って、はっきり言って子供たちを育てている親自身がまだまだ教育を必要としている場合が少なくないように感じるから。先生の名前を呼び捨てにしたり、そこまで頼るのかい!と言いたくなるくらいに先生に過大な要求をしたり、困った親は少なくない。

人に迷惑をかけたり悪いことをしたら頭を下げて謝る。そして同じコトを繰り返さないようにする。自分が不当なことをされて黙っていない。親が教えるのはそこだと思う。なにかが起きたとき、自分の子供だけを守ろうとしたり、他所の子供に無関心ではちっと困るんじゃない?それぞれの子供たちが影響しあっていろんな出来事が起きるんだから。

日本人は全体的に幼いと思う。わたしもそうだけど、自分の考えで行動することに自信がもてない。自分自身を確立させなさいという教育をされてきていないし、周囲との協調が重視されるから、ほどほどそこそこにコミュニケーションをとることを良しとされる。それは悪いことじゃないけど、もう少し自分の意見を持って行動したい。

そういえば、昔々わたしは学校の先生になりたかったんだ。教育系の大学を受験したけれど勉強不足で現役不合格。予備校に通うもまた失敗(お父さんごめんなさい)。その後は短大に通い、特に目標もなく放送局のアルバイトやタウン誌の編集者の仕事をしてきた。そんなふうにしていい加減だけど時には一生懸命にたくさん生きてきて思う。また思いっきり仕事したいなあ。

ところで、学校の先生って本当は新卒じゃ難しくて、社会人やってもまれてきてから就いた方がいい職業じゃないかな。だってワガママな母親たちを相手に日々を乗り切っていかなくちゃいけないハードな仕事なんだもん。なによりタフでなくてはね。