お習字

お習字父にお習字を習っている。

父は退職後、ホテルの企画室に嘱託勤務しながら、兄の住むマンションのクラブハウスで奥様向けお習字教室の先生をやっている。わたしの近所のマンションの管理棟でも小学生向けお習字教室の先生をやっていたが、習う子供たちが減っていき、こちらは昨年クローズした。今はそこを引き継いで残った数人のグループに教えている。

お習字はいい。なんていうか習い続けていくうちに、少しずつ上達していくのがうれしくて楽しい。素直にやり続ければいつかは必ずうまくなれるお稽古の代表かもしれない。

わたしは仕事が忙しくなるとお稽古をお休みするので、思うように上達できないけれどそれでもぼちぼちと何年も続けているのは、お習字を通して親からなにかを習うということがしたいからかもしれない。

父は小学校の教諭だったけど、子供の頃に勉強を教えてもらった記憶はない。子供に勉強を教えるのが仕事だったから、家に帰ってまで自分の子供に教えたくなかったのかな。コックさんがお家でお料理はしないというのと同じようにね。

この年になって(けっこうな大人年齢です^^)親からなにかを教えてもらえるのはしあわせだなと思う。この年になったからこそ習いたかったのかも。もう70代半ばを過ぎた親と過ごせる時間は有り余るほど多くないことにあらためて気がついたから。今できることは今しておこうと思う。

特別な親孝行はいらないとわたしは思う。親からなにかを教えてもらうこと。これはなかなか素敵な親孝行なんじゃない??

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先週末、毎月訪問しているホスピスを訪ねた。 一番最初に訪ねたのはMさんのお部屋。とてもおしゃべりな方でいつもにこやか。お話が尽きない。

手のマッサージはわたし、足のトリートメントはアロマテラピーインストラクター有資格者である仲間の男性が受け持った。Mさんは足のトリートメントが特にお気に入り。わたしたちは休日を利用しての月に一度だけの訪問。Mさんはこの日がいつも待ち遠しいとおっしゃってくれる。

「いつまで生かされるのかわからないけど、なんだかもう今はしあわせなんです」とMさんは言う。

71歳の彼女は肌つやもよく頬はほんのり赤くて、おかしな言いかただけれどとても健康そうに見える。語り口、まなざしの落ち着き、やさしいオーラ。どこにも無理がなくてとても素敵な女性だと感じる。

彼女は今決めかねていることがふたつあるそうだ。今入院している緩和ケア科に移るまでに担当してくれていた元主治医にあいさつに行こうかどうか迷っていること。もうひとつは遺影用に写した写真が娘さんに好評でなく、さてどうしようかということ。

専門家でもなく、他人のわたしが応えることじゃないけれど、他人だからこそ応えてもいいのかもと思って言ってみた。「元の主治医さんにはごあいさつにいかれてはどうですか?その先生もきっと喜ばれると思います。患者さんとお医者さんはお互いに支え合ったり、励ましあったりできるんじゃないかと思います」。Mさんにしたらいつ終わるか知れない命ですから、思い立ったらすぐ実行した方がいいように思いました。

もうひとつは遺影について。最近、Mさんは親友がプレゼントしてくれた花瓶入りの造花を胸に抱いて遺影用の写真を写した。ところがどうやら娘さんはその花瓶のセンスに不満があるらしい。思いがけない親友からの手作りプレゼント。彼女自身がそれを抱いて写したかったのだから、それでいいと思った。大好きな親友からの贈り物に込めるMさんも気持ちは大切だ。「Mさんのしたいようにしたらいいのではないでしょうか」と言った。

ご家族の気持ちを察すると切ないけれど。自分の旅立ちの準備について、普通に相談してくれる彼女のしなやかで落ち着いた精神状態はすごいと思った。見送る側の方がしっかりしないといけないくらい。

わたしたちが部屋を出るとき、キャラメルを一粒ずつくださった。

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少女趣味だっぴ

テーマ:
いくつになっても少女みたいにかわいらしいところを残しているのは女性という花のひとつの魅力。かと言ってそういうかわいらしさ(幼さ???)の分量が多すぎると、その花はいつまで~も開きかけた硬いつぼみのまんま、満開になるときを知らず半開きのままで盛りのときを通り過ぎ、はっと気づいたときにはポキっと茎から折れて枝からぽとりとおちてしまう・・・なんてことになる不安もあったりして。

そうなるとちっとやるせない。わが身を振り返る。やはり花は自分なりの速さで咲かせて、年とともに自然に朽ちていくのがいいよね。

そしてできればひとつくらい実を結べたっていうのがあるとしあわせ。

なんだか停滞してるな~と思ったときは何かを変えてみるといいみたい。身の回りの小さなことでいいから今までと違う新しいことをやってみると、違う角度からまたなにか見えてくることがあるらしいよ。たまには自分に変化球。

自分の外側にぺたぺた貼り付けるのをしばし休んで、内側から整える。淡々と日々のことを行いながら内部をかためる。そうやって基本に立ち返って自分を創っていけるといいなあ。気持ちよくなれるのがいい。

安心感をもって動いていけるおとなになれるように。一日一日の積み重ねが大切なのだそうだ。なにかひとつ毎日続けてやってみるのはいいことと年長者から教えられた。そんなわけで、わたしのプチ修行は毎日トイレのお掃除に燃える!コレに決めた。

少女趣味は暮らしのスパイス程度に残しておくのが好い加減かもね。



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小さなミラクル

テーマ:
ターミナルケアを受けている患者さんを時折り訪ねて、アロマオイルのトリートメントをさせていただいてます。昨年の冬の始まりの頃。まだ若い男性を担当しました。礼儀正しく気持ちのいい方でした。

終始なごやかだったその方が「今患っている癌とは関係はないですが、以前交通事故に遭ったときのケガの後遺症で味覚と臭覚を失ってしまったんです。だから今してもらっているアロマオイルのにおいもまったくわかりません」と淡々とおっしゃいました。

なんと言ったらいいのか、神様はひとりの人間にそこまで重ねて苦痛を与えることがあるのだろうか、と切ない思いでした。

その日のオイルのレシピはラベンダーとティートリーでしたが、トリートメントも終わりかけたときに彼は、突然オイルの瓶を香ってみながら言いました。

「今、ラベンダーのにおいを感じたような気がしたので」。

それを聞いたとき、あ、小さなミラクルってこういうことかな。不思議。臭覚という機能をもたない彼が気持ちで香りを感じたんだ、と納得できました。

自分に残った時間を意識しながら、穏やかに礼儀正しいその若い患者さんにはかける言葉を見つけられなかったけれど、彼の手にふれながらどうぞ一瞬でも心地いい時間を感じてくださいと祈りました。

アロマオイルの効果は素晴らしい。でも精油そのものはツールであってこちらの手から相手に伝えられるのは精油にのっけた気持ちなのだな、きっと。

春の宵

テーマ:
春の宵が好き。窓から顔を出して深呼吸をすると鼻がつ~んとしてきます。毎年のこと。いくつになっても胸がきゅんとします。雪解けが加速度を増して、どんどん進んでいくこの時期、北国の春の宵はどこか切なげで、でもきらきらした希望のにおいを胸がいっぱいになるほど運んできてくれます。

二人がそれぞれの世界でべつべつのことをしていても、大切なところでは個人的に社会的にひとつにつながっていられるような、そんな関係にあこがれます。共感したいな。物質的なことなら自分独りで解決できるけど。共感は独りじゃ無理だよね。一皮むけてもう一皮むけてつるんつるんの裸の心になれるかな。欲張り心を一度すっかり捨ててみたら、ほんとになりたい自分が見えてくるかもね。

愛は基本、あらゆる源。たとえば一見個人的な愛にしかみえないものであっても、そこから生まれたいい気分が隣の人に波及して、そしてまた次の人に手渡されて、もしかしたら遠くの平和につながっていけることだってあるかもしれない。




濫読、乱読。

テーマ:
年が明けてから、濫読している。今読んでいるのはエリザベス・キューブラー・ロス著『人生は廻る輪のように』。地下鉄の中はもちろんのこと、地下鉄を降りてからのコンコースを歩きながら読んでしまうほど、わたしにとって特別興味深い本だ。

本だって人間関係と同じことで、その出逢いの瞬間にお互いのインスピレーションが大いに通じ合うことがある。今年明けてから読んだ本たちとは近所の古本屋さん、職場そばの大型書店で、迷うことなく手に取り選んで出会えた。どの本も今のわたしが求めていることに一貫として応えてくれている。

それは。生きることはただただ成長していくこと。振り返ったときに悔いることが多くないように自分に正直に精一杯生きなさい。どんな経験も無駄になることはなく、すべてが学びなんだということ。でも大切なのは過信してはいけないこと。けれどどんな自分であっても、その自分をあるがままに愛していこうということ。たいていのことが自分の思い通りにばかりならないからこそ、ほんのときおり訪れてくれる、願いがかなう喜びのときを深く味わうことができるということ。

ありがとうありがとう。素敵な本を書いてくれたみなさん。おかげでとっても元気です。人はみんな多面体。加えて、外側からはうかがい知れないものを内包していますよね。みんながそれぞれせっかくただ一人の自分自身を続けていくのですから、自分をいとしんでいきましょうよね。しあわせは伝染しますよ。





著者: エリザベス キューブラー・ロス, Elisabeth K¨ubler‐Ross, 上野 圭一
タイトル: 人生は廻る輪のように

会話と。

いい恋愛や夫婦関係に一番大切なのは会話じゃないでしょうか。

素直な会話が自然にできる関係であるかどうか。慎重に言葉を選ばなくても、頭に浮かんだことをすっと言葉にできる。気持ちの感度が通じ合えば言葉は伝わるし、会話は流れると思う。必ずしも話し方上手であれということではなくて。

ところで。ふとした大人の男女の出逢いにも、そんな素敵な会話の時間が共有できることもあるかもしれません。お互いの存在を認めて自分の思いを語り合うこと。世の中の動きについて、仕事の話、男女のこと・・を会話しているだけ。セクシャルな関係には至らなくても、まるで関係をもったかと錯覚してしまうほど気持ちがほぐれてしまう。

そんな思いをすると、果たして、セックスとはカラダの結びつきだけをいうものではないということがよくわかる。場合によっては、動作として充足されるメイクラブと同様の感動さえ覚えることもある。

言葉を発信されたら、ちゃんと受け取って返すこと。できればそういう関係で長くいられる人とパートナーでありたい。いつも手をとって愛をささやかれたいわけじゃなく。大人の女はただやさしくされたいと望んでいるわけではなくて。お互いを認知しあって、ほぐれる会話をしたい。ごくたまにでもいい、不器用でもいいから。いたってシンプルなこと、なのに簡単ではないことなのかもね。

パートナーと、気持ちがほぐれるおしゃべりしてますか?