宮沢隆仁 オフィシャルブログ 100年後の子どもたちのために」Powered by Ameba

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■ 100年後の子供たちのために!
■ 日本の医療システムを改革するために!
■ 日本の政治を再定義するために!
■ 日本を沈没させないために!







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私は素直に称賛したいと思います

戦争は 「発展途上にある人類」 の罪です

被爆者の皆様の態度も立派でした

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160528/k10010537911000.html
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 戦後の五大都市と管轄府県との間の確執に始まる「政令指定都市の多発」に至った事情がよくわかりました。結局、人口80万人以上という人口要件だけで旧自治省が政令指定都市を認可したものの、高度経済成長期には「憧れ」かつ「バラ色」であった政令指定都市も、少子高齢化時代と税収減少時代に入り、増えた事務権限と税収入減少の中で立ち行かなくなりつつあるということのようです。また、大阪都構想が生まれた理由も改めてよくわかりました。

 都道府県のような広域自治体と自立性の高い大都市間の政治的ガバナンスの難しさについては民主主義発祥の国イギリスで既に前例があり、West Lothian Questionというそうです。本来は、大都市が都道府県の中で占める面積比率と人口比率、昼夜間人口差、産業構造、経済力、交通網、エネルギー供給環境、観光資源の多寡、都道府県と政令指定都市間の権限移譲と税源移譲のあり方等に加え、国家ビジョンが加味されて政令指定都市の制度設計がなされるべきだったのでしょう。今後の検討課題として、大都市の範囲の定義、狭域単位の暴走(エゴ)、都会の限界集落の増加等を挙げています。

 私は、上記要件を検討した上で、解体あるいは再編成される政令指定都市があっていいと思いますし、同時に都道府県のあり方と道州制も再考察する時期に来ていると思います。

http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss_2?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%E6%94%BF%E4%BB%A4%E6%8C%87%E5%AE%9A%E9%83%BD%E5%B8%82%E3%80%80%E5%8C%97%E6%9D%91

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初村尤而氏著 「政令指定都市・中核市と合併」 を読了。

急ごしらえの合併誘導策の結果、指定都市や中核市は必ずしもバラ色でないようです。

さいたま市という政令指定都市が生まれてから、大宮と浦和の確執など、あまり良い話が伝わってきません。また、私の故郷 長野市のような中核市でも、無理やり合併させられた地区の住民からは不平不満の声が聞こえ、財政状況は必ずしも順風満帆とは言い難いようです。

指定都市はいくら権限移譲がおこなわれたとしてもそもそも府県の事務権限を受けるだけであり、二重行政を完全に解消することはできない。また、内部組織である区に指定都市の事務権限を委譲しても、巨大都市ゆえの<住民と行政との距離>を縮めることには限界がある。・・むしろ指定都市を分解して特別区とし、広域行政は都に移行するか、関係自治体で事務組合や広域連合をくむ方がすっきりしている。」 (p161-162)

私は 「大阪都構想」 に賛成の立場ですが、全国には 「都構想」 に相応しい自治体がたくさんあるように思います。「都構想」 を大阪だけの問題にとどめず、地方自治改革の一環として大阪以外にも 「都構想」 を適用できるような地方自治制度設計に持っていってもいいのではなでしょうか?

例えば、さいたま市を 「さいたま都」 とし、大宮、浦和、岩槻、与野など旧市では、公選で区長と区議会議員を選出して単なる「行政区」ではなく「自治区」とします。もちろん財源と権限の分け方には工夫と法律の改正を要しますが、良い意味で区同士で競い合えば地方自治は活性化するでしょう。但し、高度なガバナンス手法が必要です。

今後、憲法改正の議論が活発化するでしょうが、上記のような 「国民の生活に則したロジック」 があれば、国民も憲法改正に納得できるはずです。

なお、戦後、五大都市とその府県との間に激しい確執があったようですが、私はもともと都道府県のあり方に疑問を感じており、地方自治制度を根本からリセットしてもいいと考えていることを申し添えます。
http://s.ameblo.jp/miyazawa007/entry-11697427834.html?frm=theme




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開高 健氏著「オーパ!」を読了。

私は子どもの頃から魚を見るのも釣るのも大好きでした。

中学生当時、熱帯魚が流行っていましたので、親に水槽を買ってもらい、エンゼルフィッシュ、グッピー、ネオンテトラ、スマトラ、ベタ、キッシンググーラミ―、ソードテール等々、少ない小遣いをはたいて熱帯魚を買ってきたものです。

グッピーは胎生なのですが、一晩中子どもが生まれるのをじっと見ていたこともあります。熱帯魚といえばアマゾン川ですので、アマゾン川は憧れの川でしたが、ピラニアは怖くて飼えませんでした。

一時間、幸せになりたかったら酒を飲みなさい
三日間、幸せになりたかったら結婚しなさい
八日間、幸せになりたかったら豚を殺して食べなさい
永遠に、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい       -中国古諺ー 本文より

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%91-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-122--%E9%96%8B%E9%AB%98-%E5%81%A5/dp/4087504026/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1463646780&sr=1-1&keywords=%E3%82%AA%EF%BC%8D%E3%83%91%E3%80%80%E9%96%8B%E9%AB%98%E5%81%A5

ポロロッカでのサーフィンもすごい!
https://www.youtube.com/watch?v=JXa62G_B4Zg

やはり、一生に一度はアマゾン川 かなー?


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この本に出会えて、本当によかったと思います。

「反哲学」などという表現そのものにも驚きました。

哲学に興味を持ち、独学で、手探りでさまざまな本を乱読し始めたものの、ご多分に漏れず、その難解さには閉口していました。特に「存在するとはどういうことか?」、「主観と客観」、「肉体と精神」などの問題提起の意味に困惑していました。また哲学思想の歴史的変遷がわかっていなかったので、どの哲学者から勉強すればいいのか途方に暮れていました。

 

木田先生は、西洋哲学の歴史的変遷、その中での宗教との関わり、明治時代以降の日本での哲学解釈、日本人にとって哲学が難しい理由、「理性」の解釈の違い等をわかりやすく解説してくれました。特に、「日本に西欧流のいわゆる「哲学」がなかったことは、とてもいいことだと思っています」とか「日本の哲学研究者たちの集団的自己欺瞞」という表現には度肝を抜かれました。

 

私は哲学研究者になろうとも、なれるとも思っておりませんし、哲学を今後の社会生活や日常生活に生かせればいいと思っているので、またどのような学問も庶民の日常生活に役に立ってこそ価値があるものだと思うので、その視点から興味の対象となる哲学者を選択し集中するために、当面は木田先生の著書に導いてもらうつもりです。

 

以下に、私の琴線に触れた内容をまとめました。
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%E6%9C%A8%E7%94%B0%E3%80%80%E5%8F%8D%E5%93%B2%E5%AD%A6%E5%85%A5%E9%96%80

 

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  哲学一般について ―なぜ日本人にとって哲学は難しいか?―

 

ü  社会生活では何の役にも立たない。・・それでも、哲学というものに心惹かれて、そこから離れることができない人間がいるのです(p20-21

ü  哲学なんかと関係のない、健康な人生を送る方がいいですね。(p22

ü  よく日本には哲学がないからだめだ、といった風なことを言う人がいますね。しかし、わたしは、日本に西欧流のいわゆる「哲学」がなかったことは、とてもいいことだと思っています。

ü  ・・そういう意味で哲学は自然を限定し否定して見る反自然的で不自然なものの考え方ということになります。・・哲学は自然に生きたり、考えたりすることを否定しているのだと思います。ですから、日本に哲学がなかったからといって恥じる必要はないのです。むしろ、日本人のものの考え方の方がずっと自然だったということになりそうです。(p24

ü  こうした「哲学批判」「反哲学」なら、われわれ日本人にもよくわかるのです。超自然的原理を設定してものを考えるなんて習慣はわれわれにはありません。ですから、「哲学」を理解することはムリでも、「反哲学」ならわかるということになるのだろうと思います。(p26

ü  ソクラテス以前の古代ギリシャ人や古代日本人の自然観はanimismの洗練されたもので、こうした自然観のもとでは、自分もまた生成消滅する自然の一部にすぎません。(p28

ü  もともと「哲学」という言葉自体が、西周(にしあまね)による明らかな誤訳なんです。古代ギリシャ語のphilosophiaは、philein(愛する)という動詞とsophia(知恵ないし知識)という名刺を組み合わせてつくられた合成語であり、「知を愛すること」つまり「愛知」という意味です。

ü  まず、哲学の基本となる超自然的原理のようなものが、われわれ日本人の思考のうちに見いだされない。(p30

ü  哲学の発想の根本的な分かりにくさを、道徳的実践や、宗教的悟道、誌的直観のむずかしさと一緒にしてしまったので、哲学はむずかしい、分からないのが当たり前と思いこんでしまったのです。おまけに、哲学を学び紹介する者が、自分の修行がたりないせいでわからないと思いこむのは仕方ないとしても、そのことを他人に悟られないようにごまかそうとするので、ますます話がややこしくなります。(p30

ü  デカルトの「方法序説」を読むと、デカルトのいう理性は我々日本人が「理性」と読んでいるものとはまるで違っています。われわれ日本人が理性というのは、われわれ人間のもっている認知能力の比較的高級な部分、人間のもっている自然的能力の一部ですから、生成消滅もすれば、人によってその能力に優劣の違いもあります。デカルトのいう「理性」とは、たしかにわれわれ人間のうちにあるけれど、人間のものではなく、神によって与えられたもの、つまり神の理性の出張所ないし派出所のようなもの。つまり、思考の大前提がまるで違うのです。(p45

ü  これまでの日本の哲学研究者たちの集団的自己欺瞞がおかしくて仕方なくなりました。(p46

 

  哲学の問題提起について ―特に、日本人との比較―

 

ü  「ある」ということがどういうことかを考えるためには、全体を見渡すことのできる特別な位置に立つことができると思わなければならないからです。いま、「存在するものの全体」を「自然」と呼ぶとすると、自分がそうした自然を超えた「超自然的な存在」だと思うか、少なくともそうした「超自然的存在」と関わりをもちうる特別な存在だと思わなければ、存在するものの全体がなんであるかなどという問いは立てられないでしょう。(p23

ü  自分がすっぽり自然のなかにすっぽり包まれて生きていると信じ切っていた日本人には、そんな問いは立てられないし、立てる必要もありませんでした。(p23

 

  哲学の歴史

 

ü  古代ギリシャの早い時期、通常「ソクラテス以前の思想家たち」(前65世紀)のギリシャ人はそんな反自然的な考え方はしていなかったようです。自然がすべてだと考え、万物は自然だと見ていました。ところが、ソクラテスやプラトンの時代に、たとえばプラトンのいうイデアのような自然を超えた原理を軸にする発想法がもちこまれます。プラトン以来西洋という文化圏では、超自然的な原理を参考にして自然を見るという特異な思考様式が伝統になりました。(p25

ü  「哲学」といっても、ソクラテス/プラトンあたりからヘーゲルあたりまでのいわゆる超自然的思考としての「哲学」と、ソクラテス以前の自然思考や、そしてそれを復権することによって「哲学」を批判し解体しようと企てるニーチェ以降の「反哲学」とは区別して考える必要があります。それを一緒くたにして考えようとするから、なにがなんだか分からなくなる。(p28

ü  東ローマ帝国では、529年にはユステイ二アヌス大帝の哲学禁止令によって、プラトン以来900年に及ぶ伝統をもつアテナイのアカデミアも閉鎖され、ギリシャ哲学の遺産は遠くアラビアの知に運ばれ、やがてそこに登場してくるイスラムによって研究され保存されることになります。(p119

ü  11世紀末に十字軍の運動がはじまって、ヨーロッパとイスラム圏との交流がはじまると、アリストテレス哲学がコルドバからイタリアあたりに、まずはアラビア語訳で、次いでギリシャ語原文が輸入され、ラテン語に訳されて、キリスト教の教義の再編成に使われることになります。(p122

ü  14世紀あたりからふたたびローマカトリック教会に世俗政治家ら手を引かせ、信仰の浄化をはかろうとするプラトン-アウグステイヌス主義ないしプラトン主義復興の動きが各方面で澎湃としておこってきます。(p127

ü  このように、キリスト教の教義史のなかでさえ、プラトン主義とアリストテレス主義とは派遣の交代を繰り返したのです。(p129

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