2011-02-03 19:21:20

近藤誠氏への反論III②治らないと意味がない?

テーマ:近藤誠氏への反論

文藝春秋2月号で対談している立花隆氏が腫瘍増大しないのは患者にとってものすごく意味があると指摘しているように延命だけではなく、症状悪化しない事にもつながる。
記事内に効く抗がん剤がなくなったら単独承認が取り消された例のクレスチンでさえ使うという人の話の中で高額で意味不明な代替療法よりましかも、と近藤誠氏はぽろっと論理破綻した本心を吐露している。

近藤誠氏が延命しているかの様に見えるのは検査機器の発達で小さい転移が早く見つかり早めに治療開始しているためという主張は根拠がないのはすでに説明した。

各種固形がんに抗がん剤治療をしつつ、効かなくなっても途中で新規抗がん剤(分子標的薬を含む)が使用可能となり、つなぎつなぎで生き延びている患者さんも実地診療では珍しい光景ではなくなった。
生き延びても副作用が問題となるが10年前と比較すると患者さんに我慢させない意識がかなり浸透して来た(それでもまだまだ改善の余地がある⇨今後患者さん側のできる事をブログに記載します)。
治らない病気は他にもたくさんある。ただ抗がん剤治療は患者さん側にかなりの努力を要するのは事実。それでも生き延びて、充実した人生を送るためには必要な事だ。

結論
治らなくても治療でき、腫瘍増大しないことは患者にとって大きな意味を持つ

残りの反論テーマ」
・「腫瘍内科医になると患者さんの苦悶に鈍感になる」
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コメント

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4 ■Re:Re:Re:突然失礼します。

ご返答ありがとうございます。

今日も家族とその事について話をしました。
正直なところ、どの道を選ぶにしても実際にやってみなければ分からない部分が多いです。

本人も治療を前提に、これからを前向きに過ごしたいという事でした。

もし「抗がん剤=無意味な苦しみ」であるならば、その投薬に費やす時間をもっと有意義なものに使ってあげたい。

そして抗がん剤を使わないで済むのであれば、その可能性に賭けてみてもいいのでは無いのかと思っていました。

知識が無いゆえに、いざ身内が癌宣告をされた時にパニックに陥り、どうしたらいいものか分からなくなるものです。

果たして本当に医師を信じていいものかとさえ思ってしまいます。
人の命は1度きりです。

あの時の判断は良かったのかと悩むかもしれません。

癌自体の苦しみは当人でしか分からず、抗がん剤投与によってどの程度軽減されるのか、また、副作用で酷く苦しむ事はないのか、不安です。

それでも、前向きに考え治療という形を選びたいと本人は決めました。


私は、おっしゃる一般論に若干の恐怖を覚えます。
何故なら少なからず例外はあるからです。

その例外がまさに自分の家族に起こりえないとは言えないからです。

結局のところ決めるのは当人、そして家族・医師の判断に委ねられる訳です。
その結果どうなるかも神のみぞ知るといったところでしょうか・・・


「今の生活をなるべく長く続けられるようにする」
おそらく、当人も一番この事を強く願っている事でしょう。

長々と失礼いたしました。
私自身、ご返答いただいた事で気持ちの負担が軽減できた気がします。

3 ■Re:Re:突然失礼します。

>つづき
正直な話、治癒までは望めませんからそういった意味では抗がん剤は効かないと言えます。しかし無理のない程度にがんとの共存をはかり、今の生活をなるべく長く続けられるようにすることが目標になりやすいのではないでしょうか。
あとは本人が希望を持てる治療なら多少がんばりたいのか、そこまではしたくないのかという思いにもよるでしょう。

2 ■Re:突然失礼します。

ご質問ありがとうございます。
まずこのブログで主張している内容は一般論であり、個々の患者さんの状況と希望に合わせた治療選択をされることが最も重要です。近藤誠氏は一般論として抗がん剤は有害、こちらは有用だという反論を行っています。
肺がんを含め一般論として抗がん剤治療が有効かというのは臨床試験の結果を元にしていますが、その患者選択基準と一致しているか、していなければ本人家族、担当医が許容範囲内と判断するかで決定されます。
一般論というのは「科学的根拠の基づいている」とも言えますが、簡単にいうと、結果を先に知る事ができないため治療開始前に「良い選択となる確率が高い」治療法を選ぶことが望ましいという意味です。
多くの臨床試験では70~75歳までを対象としているので条件としてはぎりぎりです。しかし自立して一日半分以上を起きていられる体力があれば臨床試験の結果を適応でき、抗がん剤治療に耐えられる体力があるかもしれません。
副作用が抑えられるようになったというのは本人を確かに我慢させる要素が入ってきますが、
「がんの苦しみ>抗がん剤の副作用」
であれば抗がん剤を使った方がいいという論理です。
延命はがんによる苦しみを緩和したあとに得られる結果です。
そして「がんの苦しみ>抗がん剤の副作用」の図式をなるべく継続させるためには、血液検査以外本人にしか分からない副作用の度合いを可能な限り担当医へスムーズに伝えられるようにする必要があります。
また単純に本人を苦しませたくないといってもそれは今のことなのか、将来も含めてなのかで意味が違ってきます。抗がん剤治療は内科の手術といえますが、がんに限らない外科手術でも苦痛があっても行われるのはその後のメリットが大きいと判断されるからです。
がんの症状が現在あるのならば抗がん剤の副作用以上にがん縮小による症状緩和効果があれば、本人にとってメリットとなります。また副作用を抑える薬剤は発達していますが個人差は残ります。

1 ■突然失礼します。

はじめまして

祖母が先日肺癌の告知を受け、それに対して最初は医者から手の施し様が無いと言われました。

ところがPETなどの検査の結果、抗がん剤の治療が可能との事で今月半ばにも入院との事です。
肺の偏平上皮癌なのですが、年齢も75近くになりますし、副作用などで家族も本人も相当辛いものだと医師からは言われました。

老体に酷な治療をしてまでも意味があるのだろうかと、正直、近藤氏の言う言葉が気になり、他の方々の意見を見たく色々なページを探っていました。

私は一般人で素人の人間ですから、何も確実な事は言えません。
ですが色々な方のwebの記録を見ますと、肺の偏平上皮癌には抗がん剤はほとんど効かないそうですが・・・本当でしょうか?

病院で治療をせずとも、今まで通り住んだ自宅でやりたい事をし、食事をし、家族と過ごす時間を多く作った方が良いのでは、などと考えていました。(最初にcopdと言われ、酸素吸入機による酸素治療はしてますが、歩行・食事・トイレ風呂は今は自分でできています。)

あるいは抗がん剤の投与による治療(延命)を期待した方が良いのか・・・
治療の余地はあるが、完治はかなり難しい(無理なのでは)と思っています。進行が遅いがんだそうです・・・

痛み苦しみながら命を終えるとしても、本人の残された時間をどう有効に幸せに少しでもすごせるかと思うと、正直どうしたらいいか分かりません。

>今は支持療法の発展でかなり副作用を抑えられるようになってきた。

とありますが、そうであれば医師が抗がん剤で本人も家族も辛いものを強いられると言うような意味の発言をするでしょうか。
ここが何だか個人的にひっかかります。

個人差もあり、比較的抑えられるようになって来たという事でしょうか・・・

小さい頃からとても世話になった祖母であるがゆえに、医師の言葉を信じて治療に当たった方が良いのか悩みます。(抗がん剤を使わない方が良いなんて言っている人も居て、気持ちが揺らぎます)

なにが本人にとって幸せなのかを考えると、わかりませんが、心苦しいです。

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