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論語講師用副読本(566

 

論語抄5 ⑤教え有りて類無しⅰ

 

子曰わく、教え有りて類無し。

衛霊公第十五   仮名論語2435行目です。

伊與田覺先生の解釈です。  

先師が言われた。「人は教育によって成長するもので、はじめから特別の種類はないのだ」

*人に教育は大事だが、貴賎老幼の別はない。

 

教育は人を選びません。その人がどこの生まれだろうが、貧しかろうが、裕福だろうが、そんな事は関係ありません。人としての値打ちは、その人間が善人か否かで決まるのです。それは、その人がどんな躾や家庭教育を受けてきたかで決まるのです。

孔子は、教育の可能性を信じていました。

「教え有りて類無し」どんな人でも、教育というもの次第なのであって、決まった種類というものはないということです。

「類」は生まれ育ち、貴賎、習俗、才能、性質など、その人の種類を言います。

教育すれば、誰でも進歩する。教育は、身分・能力によって差別するべきではないということです。

まだ奴隷制度の名残が存在していた身分社会の当時にこうした考え方をしていたというのは驚くほかありません。

どちらにしても、現代にも通用する考えかたではないでしょうか。

今のその人は、教育を受けたか受けなかったか、真剣に学んだかいい加減だったか、実践に励んだか頭だけの理解で終わったか、等々による結果です。

決して種類によるものではなく、教育によって、どういう人にでもなり得ることを簡潔に述べているのです。

 

子曰わく、性、相近きなり。習、相遠きなり。

 陽貨第十七   仮名論語2625行目です。

 伊與田覺先生の解釈です。 

先師が言われた。「人の生まれつきは、大体同じようなものであるが、しつけによって大きくへだたるものだ」

 

 人間の持って生まれた性質にはそんなに差はない学習によって大きな違いが出てくるのだ。

これとは逆に、人間の優劣は生まれる前から決まっているという考え方があります。

そうした考え方は身分差を固定させている社会で成り立つものです。

 孔子の時代は、まだ身分差の厳しい社会でした。生まれが重く見られていたのです。そうした中にあって、孔子が、人間の才能には生来の大きな差はないと主張したのは、驚くべき進歩的な考え方でした。

 いかに努力しても厚い壁が立ちはだかっていてどうにもなら無かった時代、まだ奴隷制の名残まで存在していた身分社会の当時にこうした考え方をしていたということは驚くほかありません。

 

つづく

宮 武 清 寛

論語普及会                       

http://rongo-fukyukai.jp/

 

 

 

 

 

 

 

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