いのちのうた 〜母と子の名もなき日々に〜

母から子へ 子から母へ へたくそな愛を紡ぐうた

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おかあさーん!と 大きな口あけ

手を振りながら 駆けてきて


勢い余って ズベンと転び
驚き 慌てて かけ寄った




大丈夫⁉︎ と 起こしたけれど

痛かったーと 言うだけで

泣かないあなたに 驚いた




痛かったねー
強くなったね


そう言って
膝についた 砂を払って


誇らしげに ポーズする

やんちゃな頭を 
ぐしゃぐしゃ撫でた





ちょっと前まで
泣いてばかりいたはずなのに


いつの間にか
ちょっとや そっとじゃ 泣かなくなって



大声出して 泣いた最後を

すぐにはもう 思い出せない






晴れた日に 
長靴履いて 出かけたいとか


エレベーターの
ボタンは 僕が押したかったとか


そんなことで 地団駄踏んで

力の限りに 泣いてるあなたに



ため息ついたり
イライラしたり 


“ お願いだから 泣かないで ”


必死になって 機嫌をとって
そんなことばかり 考えてたけど





だけど ちょっと

なんだか ちょっと


あんなに うんざりしていた日々を
過ぎてみれば 懐かしく 
少し寂しく 感じたりもして




「 お茶じゃなくて ジュースがいい! 」

「 今日は靴下 履きたくない! 」


そんなちっちゃな理由なんかで
ポロポロ 涙を流せる時期に


もっと 思いきり
泣かせてあげればよかった なんて


また少し
大きくなった 背中を眺めて 

あの頃のあなたに 思いを馳せる





まあるいほっぺに 落ちた涙を
なだめながら 拭くことも


ゆらゆら抱いて 寝かせたことも


毎日していたことたちが


二日に一度
三日に一度


一週間に 一度になって


気付かぬうちに 少しずつ
私の手から 離れていくこと



もっとちゃんと 分かっていたなら

抱っこ抱っこと ねだるあなたに
後でね なんて 言わないで
手を止め 抱いてあげられたかな




こんなに早く 成長するなら

ご飯を食べるのも
靴を履くのも


着替えも 
トイレも
寄り道も


もっと気楽に ゆったりと
待っててあげれば よかったな




“早く出来るようになってほしい”

“早く一人の時間が欲しい” と

ついつい 急かしてばかりいて



早く早くと 願っていたのに
それがこんなに 早いだなんて



目の前のあなたのことだけで
精一杯だった 私には

想像しても ピンとこなくて

まだまだ先のことだと思った





もう言い出せば キリがないほど
 
“ もっと こうしてあげれば良かった ”

“ 今ならもう少し ちゃんとできるのに ”



そんなふうに 悔やんだり

やり直せたらと 願ったり


今になって 思うけど



でも それは
手探りのなか 母をして

共に育ってきたからこその

今だから
思える気持ちなんだろう




欠けているから ぴったり合わさる
パズルのように 母と子も


未熟だからこそ 愛し 愛され
許し合いながら 共に歩いてく



だからきっと なにもかも
全てがこれで よかったんだね





「ありがとう」も

「ごめんね」も

あなたへの愛には 変わりないけど


お日様のような あなたには

やっぱり「ありがとう」の 言葉が似合う





あなたがただ いてくれるだけで

どれだけ愛を 受け取っただろう





可愛い あなたへ


いつもほんとに ありがとう 








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同じテーマ 「母になった私」 の記事

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この間の記事の続き↓






大人になってから


「子どもの頃
 ほんとはお母さんに
 こうしてほしかった」とか


「あの時の こういうことが悲しくて
  大人になるまで辛かった」とか



トラウマだったり

親の呪いとか言って


なんかそういう呼び名のものって
色々あるし
色々聞くけど。




だから今 
子育て真っ最中の お母さんからしたら


子どもに変な呪いを
かけてしまっていないか とか

心配になっちゃうことも
あるんだろうけど。





そんな子どもが 大人になって


いつまでも 
いつまでも

そういう言葉に入り浸って



「親のせい」

「育った環境のせい」

「あの出来事のせい」

「この病気のせい」と 言いながら



悩んで 
悲しんで

嘆いている人って




一言で言うと

ただ好きでやってるだけなんだよね。




そういう趣味嗜好になってるだけ。



( これ、人によっては誤解したり
 すごい嫌な言い方なんだろうけど
 あえて言う。)




大事に大事に
いつまでも 
傷ついた過去を握りしめて


その出来事で味わった気持ちを
簡単に忘れてなるものか、って



もう随分と経っても

あの時のように傷つくことを 
わざと探して


大事にしまってた 
あの時の悲しみや痛みを

あの手この手で ほじくり返して 


また わざわざ傷ついて、
を 繰り返して。




そんなことさ。


好きじゃないと出来ないんだよね。





私も
好きで悩んでるわけじゃないって
もがいてたけど


そうやって
自分を陥れるのが
好きなだけだったんだ。


今思えばだけど。




だからほんと、
気が済むまで 存分に


不幸ぶって

悲劇のヒロインを熱演して


そんな自分を
嘆いていればいいんだと思う。




なんだかんだ言って
不幸な自分でいる方が
メリットがあると思っちゃってるんだもん。



そういうのが好きだから
そう簡単には やめられないんだよね。



やめようと思ってるのに、

やめられない 止まらない
かっぱえびせん♪ と同じ。(古




だからそんな自分を

「やめたい。
  やめなきゃ。」って 戒めるんじゃなくて



とことん
暗くて 重くて

ドス黒い自分を 味わい尽くせば


そのうち
「うっ‥  なんかもういらないわ‥」って


勝手にお腹いっぱいになって

本気で嫌になる時がくるから。




だから

安心して
不幸に浸っていたらいいと思う。


 

中途半端にやってるから

ずーっと同じようなとこを
ぐるぐるしてしまうんだよね。




不幸だと嘆く人を
慰めたり 

「そんなことないよー」
なんて言わないで



ちゃんと不幸でいさせてあげるのも

また大事なんだと気付いたこの頃。





私の場合だと わかりやすく
母や継母からの虐待っていう
経験をしたけど


「好きでやってる」って 言葉の一つに

生まれる前に
「こういう経験をしたい」って
望んで生まれてきたんだな、

ってのが やっぱりあって。




せっかく 
この世に生まれてきたんだから


心から痛い体験して
苦しんでみたかったし


悲しい思いも
味わってみたかったし


“死にたい”って思うくらいの

心が強く揺さぶられるような

贅沢な体験を
してみたかっただけなんだよね。




そういうのを経て

「愛ってなんなのさ」みたいなことを

自分の心や身体を使って

腑に落としたかっただけなんだ。




スピリチュアル的なこととか
全くわからないけど、

「子どもは親を選んで生まれてくる」
っていうのは

今なら めちゃくちゃわかる。



「そんなわけない ‼︎ 」
「何も分かってない!」って憤りながら


ここに生まれてきたことを悔やんで

恨んで 
憎んで


そんなこんなしてたら 
いつの間にか


「いや ほんとそれだったわ」って
思い出して 吹き出してた。


「なんだよ 自作自演かよ!」って。




よく 
「虐待とかされる 可哀想な子が
わざわざそんな親を選んで
生まれてくるとは思えない」とか


「自分はこんな親なんて望んでない」
とか言う人もいるけど

私は断言してる。


「虐待されたくて生まれてきました」って。 



それこそ私の場合は
ただの趣味嗜好。




大好きなはずのお母さんを 
苦しくなるほど恨むって
どんな気持ちなんだろう?


死にたくなるほど辛いって
どんな感じなんだろう?



生きるってなんだろ?

愛ってなんだろ?って



好奇心の塊な私は、

「そんな人生 経験してみたーい ♪
  おもしろそー♡魅力的ー♡」とか


雲の上だか どこかで
目をキラキラさせてたんだと思う。





だから誰がなんと言おうと、

私は 私が選んだ母を

やっぱり誇りに思ってるし
やっぱり大好きなんだよね。


私が選んだ この人生が
今 もう 好きでしょうがない。




善い、悪いとか
正しい、間違ってる だとかいう

正義という仮面をつけた
つまらない偏見を教わるために
この世に生まれてきたわけじゃなくて



いろんな形や 色した愛を

この身体で、
この心で 感じに来ただけ。





だから

「かわいそう」って
いろんな人に言われてはきたけど


私は自分のこと
可哀想だと思ったことは一度もなくて。


 

なんだろう、

「かわいそう」って言われたところで

「何 トンチンカンなこと言ってんだろ」
くらいに思ってたから。



私には そう言ってくる人の
“普通”が分からなかったし

可哀想と言われるこの人生が
“私なりの普通”だったのもあるけど



勝手に趣味の悪いフィルターつけて
可哀想だと決めつけてきて、


ある意味セクハラだと思ってた。



これっぽっちも嬉しくないしね。笑




なんかさ、
自分の家の玄関に

「つまらないものですけど‥」とか言って
申し訳なさそうに


でも その人は良かれと思って

その人の う○こを 
勝手に置いていかれる感じ。



「いやいや ちょっと待って。
 自分の物は自分で処理してよね」っていう。


例えが汚くてすみません。


分かりにくいかな。笑





「かわいそう」って
都合のいい言葉なんだよね。


人を慮る 
いい人みたいな気分に浸れて



ほんとは 自分の中の
満たされない何かを

都合よく その人に重ねて


優しさという名の罪悪感を
感じていたい、みたいな


なんか じめっとした
趣味の悪い欲でしかないのに。




だから なんか
よくある 虐待とかの
“可哀想なニュース”で


おもっきり 偏った目線からの
ねじ曲げられた断片を見て


そのまんま
それが全てで
事実かのように受け取って


みんな揃って 一斉に

「あぁ なんてかわいそうなの。」
  みたいな空気感。


あれこそ
ほんと いらないよなーと思う。




で、
かわいそう かわいそう言って
涙流したり


「理不尽だ」なんて
腹を立てちゃうような人ほど


“本当のこと”を知ろうとしたり

何かしようとするわけでもなく


「私一人じゃ
  何もできないのが悔しい」とか
  言っちゃうの。




出来ないんじゃなくて
しないだけじゃん?




都合のいいとこだけつまんで

怒りとか悲しみっていう
刺激が欲しいだけなんだよね。



不倫ドラマにハマる
主婦の心理と何ら変わらない。笑





あれ。
話が逸れた。





だから、


‥ 何がだからか忘れたけど、



親の存在って
小さな頃は

それが自分の世界
そのもののような気がしたり


親に嫌われる=生死に関わる
くらいのことだったけど



実際は
親の存在すら


自分の人生をドラマチックに彩る為の
脇役でしかないんだよね。





だからほんと、

子どものことで
過度に あれこれ悩んだり
心配してしまうお母さん。



我が子に対して 


何をしてしまったって

何をしてあげられなかったって



なーーーんにも
問題にはならないから


ずぇーーったいに大丈夫。




大丈夫でしかない。





むしろ子どもに
色々してあげてるお母さんほど

自分の育児を振り返って

「何にもしてあげられてない」と
悔やんでる不思議。



キリがないんだよね、
母親という生きものって。



でも 
あれこれ心配することが
イコール愛情ではないから。




これを言っちゃうと
元も子もないようだけど、


トラウマにしたって
親の呪いにしたって



“それ”を経験したくて
そんな親の元に生まれてきたんだから、



親が「子どものために」って
色んなことを抑え込んで
先回りして

そのままの自分らしく生きないのは


もったいないし
子どもからしてもいい迷惑で。




そもそも 親が
心配しなきゃいけないような子なんて

その親からは生まれてこないと思うし


子どもが 親より 
弱いわけがないんだよね。



というか
どれだけ子を想って

考えながら
気をつけながら 育てたって


どーーーーせ 大きくなったら

全く見当違いなとこを
引っ張りだしてきて


「お母さんのそういう所 嫌だった」とか
言われるんだから。笑




子どもは子どもで、
私達がそうであったように

一人で育ってきたような顔して
とりあえず好き勝手言うよね。笑




だから
安心して 諦めて

好きなように
生きていこうじゃないかと思う。






この世に生まれて
経験してみたかった

怒りや悲しみや
魂の成長(?)←よくわからないけど。


とにかく そういう「楽しみ」を

子どもから奪おうとせずに



ただ信じて

手を離して 
後ろから見守ることが


母親の唯一の
ミッションなんだと思う。




そう。

私はまだ



全くもって出来てないけど。




だって心配だし?


子どもが傷ついたら
その倍の倍 私が傷つくし?


見守るどころか
先頭きって 
道案内してしまうけど。←




それもまたいいよね。


少しずつで。
ゆっくりで。



そう、
むしろ出来なくても。

( 自分には一番優しい。←これモットー。





でも やっぱり、

怒りや悲しみは 
「悪いこと」ではないから


むしろ それが必ず

時間と共に
かけがえのないものに変わるから




いや、変わらなくても

ずっとそのままで
持ち続けていたとしても


それはそれで
どちらにしたって 


そう感じる心があるだけで
素敵なこと




だから いっぱい泣いて
いっぱい失敗もしてほしい。




私だって やっぱり

今まで流した どの涙も

感じてきた どの気持ちも


どんな時間も 
どんな自分も

取りこぼしたくない 大事なもので



「だから今の自分がある」って
言葉にしたら
薄っぺらくなってしまうけど


苦労が良い とか
乗り越えてきた とか
そんなんじゃなくてね、



いろーーんな気持ちを知ることができて


ただ豊かな
楽しい人生だなーって
思うから。




だから私自身が これからも

子どもなんて
気にしていられないくらい


怖がりながらも
やりたい事やって 

失敗して
たくさん転んで 


泣いたり 怒ったり

自分の人生に
ただ夢中でいたいと思う。




誰かの人生を
「かわいそうだ」と
間抜けな顔してジャッジする

そんな暇なんて ないくらいに。笑




勇敢な人はたくさんいるけど、

可哀想な人なんて
この世に一人もいないから。






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ねぇ おかあさん


なあに?



ねーねー おかあさーん


はぁい、どうしたの?



用はないけど 呼んでみて

まとわりついて また呼んで



甘えたいとき

驚いたとき 


嬉しいときや 

泣きたいときも


聞いて聞いて と 母を呼び

見てて見てて と 母を呼ぶ




こっちにおいでー おかーさん

ねぇ おかあさん あれとってー


牛乳ちょうだい おかーさん

一緒に遊ぼー  おかぁさん



一日に
何度も何度も 
呼ばれる その名に


いつの間にか 私は

ずうっと前から 
そうだったかのように


あたりまえな顔をして

お母さんを 生きている




初めてその名を 
呼ばれたときは


照れくさくて 

嬉しくて


“もう一回”と 
せがんだりして


やっと この子の母親に
なれた気がして 喜んだ



そして 時には

憧れていた 
そんな分だけ


呼ばれることが 
辛くなったり


耳を塞ぎたくなる時も 
あったりとかして




その 呼び名の中で 何度も

孤独を感じ 

迷い 

涙した




ほんとは 誰かに
すがりたくなるような時も

泣きたいくらい  
心細い時だって



“お母さんなんだから”


そんな言葉が 心を縛り

ぐっと堪えて 
世話に明け暮れ


夜に隠れて 
静かに泣いた




おかあさんと 呼ばれたら

もう甘えたり 頼ったり


“できない”なんて 
口が裂けても

言っちゃいけないと 思ってた




今になれば

何をそんなに 頑張って

一人で 背負おうとしていたのかも


思い出せない程 
がむしゃらになって



どんな私でも 求めてくる 子の

母であることに 向き合い続け 



少しずつ

本当に 少しずつ


自分自身と 折り合いをつけ



どんな自分も

受け容れることを 教わってきた





母になるということは


今よりも 
強くなる為なんかじゃなくて


今よりも 
立派な人になる為でもなく



どれだけ 心 柔らかに

自分を ほどいてあげられるのか



その 手伝いをしに来てくれた

我が子と共に 

ただ 生きること




どうしたらいいの と 
悩んでいたけど

どうもしなくて よかったんだね





母として 迷う日も


自信がなくなる時だって



「おかあさん」と 真っ直ぐに

呼んでくれる 小さなあなたと


怒って 

泣いて


唄って 

笑い



今日も一緒に 時を重ねる





ねぇ いつか

ずっとずっと 先の いつかに



歳を重ねた あなたが この名を 

心の中で 呼ぶ先に


居るのは どんな 私だろうか




そのとき 胸を温めるのが

一緒に過ごした 今日ならいいな




“ おかあさん ”


そう 呟けば

あなたを 温められますように




意味もなく 

口に出したい


そんな名前で ありますように






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「私はだめな母親だ」とか


「怒ってばかりで
トラウマになっちゃうんじゃないか」とか



離婚したからとか

片親だからとか



手をあげてしまうとか

どう育てたらいいのか分からないとか



要は

「こんなんじゃ子どもが
  可哀想なんじゃないか」


「どんな大人になるのか心配」
っていうような



お母さん自身の
不安とか 恐れとか


罪悪感からくる
悩みごとって 色々あるけど、




ほんとに
ほんっとに その悩み



ぜんっっっっぜん



それこそ もう1mmも


心配することじゃないんだなって

この頃 やっと腑に落ちた。





かく言う私も
何かの拍子に

母としての自分に凹んだりはするけど。



何かと
「子育て向いてないわー」って思うし


子どもの遊びに
集中して付き合うのも
10分と持たないし




イライラして当たったりとか

怒ったら汚い言葉になるとか



お弁当が手抜きすぎるとか

「早く 早く」って
すぐ言っちゃうのが直らないとか 



一つ一つは
小さいことかもしれないけど

それが つもりに積もると


「こんな母親でごめん。」って

変な罪悪感が出てくるけど。





自分に 何かが欠けている気がしたり、


もっと料理とか好きで 
家庭的で


「子どもと遊ぶことが大好き♡」みたいな


そんな気質なら良かったのにな、とか。




右往左往は
それ自体が 楽しいからするけど、


でも そこで
いちいち悩むことに もう飽きた。




わけのわからない
「普通のお母さんはこう」みたいな


自分の中の 
「こうあるべき母親像」と 比べながら
あれこれ 考えることをやめて


何にも属さない ただの私で
子ども達とも いることにしたら

やっぱりすごく楽になった。





母親になった瞬間

子を思うばっかりに、


そして 
どう母親をしていけばいいのか
分からないばっかりに


勝手に自分で
あれこれ 背負い込んで

制限かけてしまってたけど




自分を縛ってみて、


いいお母さんになろうと
自分を戒めながら 頑張ってみて、


ようやく諦められた。






私には無理だ。



色々 無理だ。笑






例えば
私は一人の時間がすごく好きで


今まで
一人の時間を 
何より大事にしてきたんだけど、



子どもを産んで
お母さんになったら

そうじゃなくなるかって言ったら
そんなわけもなく、 



子どもとの時間は 幸せではあるけど


一人の時間の方が よっぽど楽しい。





それを

「お母さんなのに 
 そんな風に思ってしまうなんて
 母性が足りないんじゃないか」とか


罪悪感 感じてた自分に

今は「あほか」と言ってあげたい。





料理も一緒。

苦手なもんは苦手。 



そもそも興味がないから

重い腰なんて まぁ上がらない。






そりゃあ 最初はびっくりしたけど。



世の中に はびこる
「普通のお母さん像」が
あまりにも素敵すぎて


でもあまりにも
自然に浸透しているもんだから、



私もお母さんになれば

「母性溢れる家庭的なお母さん」に

勝手になっていくもんだと
思ってたから。




いざ子育てを数年してみて、


あれ?
「子どもの成長が生きがい♡」みたいに
ならないぞ?



あれ?
子どもと一緒に遊んでても
すぐ つまらなくなっちゃうぞ?



あれ?
「子どもに美味しいものを
  作ってあげたい」とかって

料理も好きになるんじゃないのか?



むしろ忙しすぎて
前より 嫌いになってるぞ?


みたいな。




世の中の 「普通のお母さん像」を

「なんだ、
  あれはただの幻想だったんだ」って

思えるようになるまでに、

たくさん自分を責めてきた。





で。


我が子は愛しくて 

世界中の何より一番に可愛くて


いつでもどこでも
こねこねしてたいけれど、


子育て自体には だいぶ無関心で。




適切な言葉で言うと、


子どもの生き方に興味がない。






じゃあ 
“こんな母親”に育てられて


「それ おかしくない?」

「子どもが可哀想じゃない?」とか


やんわり チクチクと
何かしら 忠告して下さる 

お暇な ご丁寧な方も いらっしゃるけど。





大丈夫なんだよね。




大丈夫でしかない。






「こんな素敵な子なんだから
  大丈夫に決まってるじゃない。」

っていう 母親の
根拠のない自信だけで、



母親が自分の存在に


そして
子どもの存在そのものに

胸張って 自惚れてるだけで



もう、それだけでいいと思ってる。






大丈夫っていうのは


ちゃんと皆に
「素敵だね」って言われるような
子に育つとか



しっかりした子になって

いいとこ 就職して 
いい人見つけて 結婚する とか


そういうことじゃなくて




皆に眉をひそめられたり

だめな奴だと言われたり



ニートになって

あげく 犯罪者になって



そんな大人になったとしても



この子の素晴らしさは
1mmも変わらないと

分かっているから、という意味。






それもそうだし、


子どもなんて
居るだけで 
周りが笑顔になっちゃうんだよね。




居るだけで愛される存在が

親がどう育てたからって
大丈夫じゃなくなるわけがないんだよ。



それは子どもから大人になった
私達も同じく。




そんな程度なわけがなく、


そんな程度(親の育て方)で
子どもの人生が変わるだなんて

おこがましいにも程がある。



こう育てたら こうなる、みたいな
法則なんて何にもないしね。




だからもう、

「褒めて育てましょう」とか
「怒らない育児」とか

なんか色々 
子育てについて 

手法?ノウハウ?みたいなのあるけど



それはお母さんが いかに


「自分が納得できる子育てが出来るか」
っていう自己満足なだけで


別に子どもの為でも何でもなく



子育てを通して


どれだけ自分を思い出して


自分を愛せるか



= 世界を愛せるか 


体感しているだけなんだと思う。





「親の呪い」とかいう言葉もあるけど、

呪いなんて
親からのギフトでしかないんじゃないかな。



受け取り方、使い方次第だと
今のところは思ってる。






だから 毎日怒っていようが

悲しい思いをさせようが


なんっっでもいいと 私は思ってるのだけど。






ほんで。


こういうこと書くと


虐待とか
ネグレクトとか

そんなことする親でもいいのか、とか



それで死んでしまった子は
どうなるんだ、とか



「私は親のせいで
今でもずっと苦しんでる」とか


色々言う人も居るんだろうけど、




例外なく。


なんでもいいと思ってる。






あ。なんでもいいっていうのは

それが良いとか悪いとか

そんなことどーでもいいよね、って意味で。




少なくとも私は

「かわいそう」だとは思えない。







・・あぁ そして また。


一記事が長すぎる!!( ̄∇ ̄)





その辺はまた きっと長くなるので ←

改めて!







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待ち望んでいた 
初めての妊娠



嬉しくて
嬉しくて

目に映る全てが 
喜びに満ち

キラキラと 輝いて見えた




元気な姿を 
早く見たくて

高鳴る胸を 抑えながら


足早に通った 
何度目かの検診





赤ちゃんの心臓が 

止まっていると 
聞かされたあの日



世界が ひっくり返ったように

目に映る全てが 
灰色に変わった




手術を終え 

空っぽになった 
お腹を抱きしめ


いつまでも

いつまでもずっと 泣いていた






ときは流れ

少しずつ 元気を取り戻し



やっと

やっと また

新たな命を 授かった





嬉しさと 

失う怖さと


どうしても 守り抜きたい 
切なる想いで


こんなにも

愛しい命が あることを知った





日に日に膨らんでいく お腹を

くる日もくる日も 見つめては



この子をこの手で 抱けるなら

他にはもう 何もいらない



心の底から そう思った






願いが叶った日


今にも壊れそうなあなたを 

おそるおそる 抱きかかえると



言いようのない想いが込み上げて

“ありがとう”が 溢れ出た





小さな 小さな手が 

私の指を しっかり握り



懸命に生きる鼓動が 

私の心を 強くした





あの日から 

驚くほどのスピードで


今日まで過ごしてきたけれど



ふと 足を止め 見渡せば



今 ここが

どれほどの 奇跡の中にいるのかを


あの頃の私が 教えてくれる







眠る 我が子の 
まつげを 見つめ


まだ 泣いてばかりの 
この子が いつか

どんな声を出し 笑うのだろう と 


月灯りの下 
思いを馳せて




けらけら笑う 
あなたを抱きしめ


一人で立つ日を 心待ちにし




よちよち歩く 
あなたを支え



“お母さん”と 

呼ばれるときを 夢見てた






膝にのせて 
絵本を読んだり


手を繋いで 歩いたり



“美味しいね”と 
言いながら

笑い合って ご飯を食べる





もし そんな事が出来るなら

それほどの幸せはないだろう




そう呟いた あの日から

想像も出来ないほどの 


今日という日




思い描いていたこと 全て

いつの間にか 叶ってる





今 

目の前の 愛しい命は


ぴょんぴょん 
元気に 飛びまわり


大きな口を開け 笑う



地団駄踏んで 
怒ったり


大きな粒の 涙を流す




姿が見えなくなると すぐ

おかあさーん!と 駆けてくる






好き嫌いが多い とか

全然 落ち着きがないだとか


小さな事を 気にするほどに



今 

とてつもない 

幸せの中で 生きている
 







ありがとう 




あなたに会えて 

こんなにも



生きていることが 

今 嬉しい






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