失敗と迷惑

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今朝 facebookで投稿したのですが、
いろいろ思うところがあったので 
BLOGでも。


↓ 以下 facebookでの内容


たまたま 
今朝の高畑淳子さんの会見を見て

ものすごく  
ものすごく 胸が詰まる思いだった。


自分の息子が 
許されないといわれる事をしてしまって

深く傷つけてしまった相手もいて

謝っても謝っても
謝りきれない思いだろう。


それと同時に
社会、世の中、多くの人から
我が子が集中的に批判され

攻撃とも言える正論を 
叩きつけられるという心情は

どれほどのものかと 
ちょっと想像しただけでも苦しくなる。


自分の気持ちを殺して殺して、
「おっしゃる通りです」としか言えない気持ちは
どれほどのものだろう。


それでも、

それでも自分は
「あなたのお母さん」には変わりないから

「あなたへの愛」が
これっぽっちも変わることはないから


どれだけ今
息子を抱きしめたくてしょうがないだろう。


罪の意識に苛まれて
「死のうと思った」と 震えて泣く我が子を
飛んで行って 抱きしめてあげることもできない。


小さな頃は
あれほど涙を拭ってあげられたのに

もう 側に行って
抱きしめてあげることすらできなくなるんだ。


母親としての無力さを
出来ることの少なさを
これでもかと感じる。


だけど 深く傷つけてしまった女性が
もし、自分の大切な大切な娘だったら。


娘が 知らない男に
同じ事をされたとしたら。

そう思うと言葉が詰まる。


今、本当に私は
どれだけかけがえのない時間を生きているのか
改めて知った。


泣いて 助けを求める我が子を
抱きしめてあげることができる。


その笑顔を、涙を、怒りを、
一緒に共有することができる。


いつでも駆け寄って
「大丈夫だよ」と 言える距離

手を伸ばせば
すぐに抱き寄せられる距離


今を生きよう。

本当に、
それ以上に大切なことなんて
何もないんだと 胸に刺さった。


☆ ↑ここまで。



そして
考えさせられる言葉もあって。



どれだけ我が子が
人を困らせてしまうことがあったとしても、

どうしようもない人間だと
言われるようなことがあったとしても、


「私の子育ては間違っていた。」
「失敗したのかもしれない」とは

絶対に
口が裂けても言わないでいたいな と。


「あなたの育て方が悪い」と
面と向かって責められても、

「そうだったのかもしれない」と
首を縦にふることはしない。

たとえ 表向きの言葉だとしても。


“そう言えない”ことを 謝ったとしても、
“そう言わない”という気持ちは曲げない。


それは息子、娘の存在を
何より自分自身を
否定することになってしまうから。


だからそう言ってしまった、
あの場ではそう言うことしかできなかった
高畑さんの心情は計り知れない。



自分の子育てに
自信があるわけじゃない。


むしろ 何かあるたび

「こんな時どーすればいいの?!
 誰か教えてー!助けてー(>_<) 」
と じたばたしている。


母として 未熟なことも
不足があることも 重々承知でいる。


だけど「失敗した」と言うことは

息子という人間に対して
娘という人間に対して

とても失礼なことだと思う。


たとえ 親であっても 
そして 親だからこそ

言う言葉では ないんじゃないかな。


育て方や環境が
大いに影響はあるとしても、

“ その人が どう在るか ” は 
その人次第なわけで。


それは何より
尊重したいところなわけだから。


ちっぽけな ものさしで
偏見だらけの常識で

いいとか 悪いとか
誰かのことを議論するなんて
本当に無意味



自信なんてないけど、
間違いだらけかもしれないけど、

何があっても 
その存在だけは 否定したくない。

死んでもなお、味方でいたい。



そして
その時その時 精一杯にやってきた自分を
ちゃんと知ってる自分だけは
否定しないであげたいから。



それで、
世間がいう「失敗」っていうのは

“人様に迷惑かけて”
みたいなことも含まれると思うのだけど、

私は子ども達に
「人に迷惑かけたらだめだよ」
なんてことは 言うつもりはなくて。

(これは犯罪とかの話ではなく。)



私自身は
“人に迷惑かけちゃいけない”と思って
自分を戒めるように生きてきたから、

「これは迷惑なんじゃないか」とか
「私なんていない方がいいんじゃないか」とか
もう ぐるぐるぐるぐる 考えて

だから苦しくて 
孤独で
情けなくて 
悲しくて

ずっと自分が大嫌いで。


だけど、

迷惑かけていいんだ!
それって誰かの
“嬉しい”に繋がったりするんだ!

って 肩の荷が下りたら、

誰かに甘えるごとに
迷惑かけるごとに 

「生きてていいんだ」って思えるようになって。


そもそも
「私は誰にも迷惑かけてない」と
思ってること自体が 傲慢なんだって知った。


だからきっと、
いっぱい人に迷惑かけて
人は人に なっていくんじゃないかな。


で、子どもっていったら
言えばもう

「その存在自体」が
迷惑でしかないと思うのだけど。


朝から晩まで うるさいし、
面倒なことばかり言うし、
しつこいし。

一人でまだ 何も出来ない赤ちゃんなんて
どうやったって 居るだけで
迷惑かけちゃうものだし

「いいこと考えた♪」って言うことは大抵
私にとって ぜんっぜん 
いい事なんかではないし。

話が逸れたけど

でも、
ほんと

そんな子どもが 居るだけで
周りは笑顔になっちゃうんだから


迷惑って 
素敵なことなんじゃないかとさえ
思うようになった。


逆に言えば、
人に迷惑も かけないで
何しに生まれてきたの?って
思ってしまうようになった。


だから
いっぱいいっぱい迷惑かけて

そしたら自分も その分だけ 
人からもらう迷惑を

「いいよ、いいよ」って 
喜びながら 受け取れるから

そうやって子ども達にも
生きていってほしいと願う。



なんだか話が 二転三転したけれど

今日、思ったことを
ただつらつらと 書いてみました。


どこかで誰かの
何かに響くものがあれば嬉しい。







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母心

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初めてあなたを 目にしたとき

あなたは まだ
小指の爪にも満たない程の
小さな小さな 命の芽だった


受け取った エコー写真を 
穴が開くほど 眺めては

溢れる喜びを 抑えきれずに
にまにま にまにま 一人で笑った



まだ ヒトの形にも ならない頃から

「どんな子なのかな」
「男の子かな、女の子かな」


あなたが生まれてくる時を
あなたに逢える瞬間を

指折り数えて 待ちわびた



どんどん大きくなるお腹が

重たくて 
不思議で 
愛しくて

「早く会いたいねぇ」なんて
気付けばいつでも 話しかけていて


もう とっくに 心のなかは
あなたのことで いっぱいだった



やっと あなたに逢えた日に
優しく響く 産声が

それはそれは 可愛くて


おそるおそる 抱き寄せた
「はじめまして」の あの日から


今日まで まだ
ほんの数年しか 経ってないけど



今ではもう ちゃっかりと
母の腕を するする抜けて

「あっち行ってて」と 言う日もあったり

そんな あなたの成長に
こっそり静かに 驚く毎日



あっという間に 
外の世界に 踏み出したあなたは

「ただいまー!」と 帰ってくるたび


私の知らない 歌をうたって
私の知らない 遊びをして

私が話したことのない
言葉を 次々 口にして


いつの間にか
私の知らない あなたの方が
そうして どんどん増えていく



その度 私は 誇らしくなって
その度 少し 寂しくなって


ずっと 続くような気がしてた
あなたと過ごす この日々が

ずっと 続くわけではないこと
だんだん 思い知っていく



そして いつか

遠いようで 近い いつかに

あなたが 育ったこの家を
旅立つときが 訪れて


新しい世界に 胸を躍らせ
ここに居た頃より きっと

楽しいことや 
嬉しいことや

色んなことが 新鮮で

振り返る 暇もないほど 
夢中に生きて 


この家を 
父や母を

想うことも 少なくなったり
忘れる日だって でてくるのでしょう


家の中にいたって いつでも
くっつき回って 離れなかったのに

忘れられるほど 大きくなった
あなたをきっと 喜ぶのでしょう



だけど もし
なんだか 疲れてしまった時や
心がクサクサする時なんかは


ふと 
帰る場所が ここにあること

あなたを いつでも
待ってるひとが いることを

思い出してくれたら いいな


こんな母にも まだ出来ること
何かあったら また嬉しい



だから 今

いつか 離れて生きていく
大きくなった あなたにも

この温もりが 伝わるように


願いを込めて 小さなひとを 
ぎゅーっと ぎゅーっと 抱きしめる



意地っ張りで
さみしがり屋で

甘えん坊で
生意気で

とても優しい 
小さなひと



出逢った その日から
その 全てに 夢中になって

オロオロしたり
悩んでみたり

小憎らしいなんて 
思う日もあるけど


その 全てが 嬉しくて
その 全てが 愛おしい



きっと 
この先も ずっと

あいも変わらず 
そうやって

余計な心配なんてしながら
あなたを想い続けるのでしょう



あなたが 泣いたら
私も一緒に 泣きたくなって

あなたが 怒ったら
私も 腹が立ってきて


同じだけ 傷ついて
同じだけ 嬉しくて


誰かの幸せが
そのまま 自分の幸せになること

初めて知った 感情たちが
いのちいっぱい 沁み渡っていく



そして 
この先も ずっと

願うことは

「 明日も あなたが
  笑って いられますように 」


ずっと ずっと
あなたの笑顔を

そっと 見つめていれますように






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降参

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両手を広げて 抱っこをせがみ

あなたが 何の疑いもなく
信じてくれてる この母が 


あなたのことを 
面倒くさいと 思う日があったり

見てて見ててって 同じことばかり
しつこいなぁって思ったり


あなたと公園で遊ぶことより
ゆっくりお茶してる方が好きとか

一人になりたいと思いながらも
それでいて孤独を感じていたり


誰か 助けてほしいって 
すがりたくなる日が あったりすること


ばれないように こっそりと
心の奥に しまい込んでた



そんなこと 
うっかり 口に出したなら


ダメな お母さん
ひどい お母さん

そんな風に 思われそうで




いつもすぐ 怒っちゃうけど

これでも まだ 
ぐっと堪えているほうで


ほんとは もっと 
気持ちのままに 怒ったり

疲れたときは 構わず寝たり

そんなふうに出来たなら
きっと もっと 楽なのに なんて

意地悪みたいに 考えたりして



だけど
あなたのことが 大好きだから


私らしくない 私になっても
いいお母さんに なりたくて

“あなたの為に”と 必死だったの




自分のやりたいことだけを
好きなときに 好きなだけ
やれたら そりゃあ いいけれど


“大人だから”
“親だから”

そんな気持ちには ぐっと蓋して


大人なのに
親なのに


“まだまだ甘い”
“だらしない”

“こんなことも できないのか” と
自分を正しては バツをつけてた



だから もう
色んなことを

勝手に 我慢して
勝手に 諦めて
勝手に 一人で頑張って

いつも勝手に ピリピリしてた



だけど一体 何とそんなに
私は 戦っているんだろう




ほんとは そんなに 
いつも笑顔で いるほうじゃないし


ほんとは 別に
優しいわけでも
気が長いわけでも 全然ないし

たいして ポジティブなんかじゃないのに



あなたに 幸せになってほしくて
寂しい思いを させたくなくて


がんばって
がんばって


いつもにこにこ 笑顔で優しい
お母さんに なろうとしてた




だけど やっぱり
それじゃ何だか 息苦しくて


いつまでたっても しっくりこないし
いつまでたっても 満足できない



こんな私の言うこと 全て
1から10まで 信じているけど

ほんとは何にも 知らないし
ほんとは何にも できないんだよ



こんな自分を 許してしまうと

嫌われそうで 
怒られそうで
呆れられそうで 怖かったけど

わざわざ無理して 戦ってたのは 
私一人だったんだ




だから もう
とっとと そんな自分自身に
「それでいいよ」と 降参しよう


戦わない 勇気を持って
土俵をおりる 強さに変えよう



大人だから
親だからこそ

自分のことを もう少し
大事にできたら かっこいい



怖いけど
怖いまんま 進むから


あなたらしい あなたのことを
私らしく 愛していくから


迷うときも あるけれど

仲直りした 私自身と
あなたがいるから 大丈夫



だらしなくって 
弱虫で

怒りん坊で 
怖がりで

そんな母をもつ あなただけれど

あなたが幸せで ないわけがない



だって 私はこんなにも
なんだかんだと 言いながら

あなたの母で 幸せだから




 




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みっともない

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お母さんになったら

リクエストに 沢山応えて
美味しいご飯を 毎日作って


いつもいつでも 笑顔でいて

沢山 子どもと一緒に遊んで
沢山 子どもの話を聴いて



優しく 強く
愛情いっぱい 包んであげる



子どもの前で 
涙なんか見せないし

理不尽に怒ることなど 絶対しない





そんな私の 母として掲げた目標は
いざ 母親となったとき

想像以上の 大変さに
いとも簡単に 崩れてしまった





いつでもせかせか 手一杯

上手くこなせない歯痒さで
後回しにしてしまうのは

ほんとは一番 大事にしたい
我が子と触れ合い 過ごすひととき




熱を出したり 怪我などすれば
誰よりも一番 オロオロとして

今にも一緒に 泣き出しそうで



何だか 疲れがとれない時に
つい 手が伸びてしまうのは
チンするだけの お惣菜



そんなご飯に 文句も言わず
一生懸命 頬張る姿に
罪悪感と 情けなさ


そんな自分に イライラとして
泣き止まない 我が子を前に

感情的に 怒っては
一緒になって 泣くことも




自分の弱さと 
隠れていた本質が
我が子の前で 浮き彫りになる






あなたに まだ出逢うまえ
あなたを想い
描いていた 理想とは
随分違う 母だけど


あなたにまだ 逢うまえの
あなたを知らない私より
今の私が これほどに



怒って 泣いて 喜んで
立ち止まっては また踏み出して



こんなにも みっともなく
こんなにも 人間臭いのは


ただ夢中に がむしゃらに 
あなたの命と 向き合っているから




挫けそうになるときも
投げ出したくなるときも

ほんとは 何度もあるけれど



それでも こうして母でいること
つまずきながらも 頑張れるのは

自分の命も 惜しくないほど
あなたを 愛しく思うから




母なのに
みっともないと 思っていたけど


母だからこそ これほどまでに 
みっともなく 
なってしまうのかもしれない




涙流さず 悩まずに
母になっていく人などいない




そんなみっともない人を
子は愛し
全てを許し


「お母さん」と 呼ぶのだろう







わかってほしかったこと

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「 小さいうちなんて今だけなんだから
もっと子どものこと見てあげたら?」

「 子どもが寂しい思いしてもいいの?
親の都合で振り回したら かわいそうよ 」


「 やりたいことなんて
子どもが手を離れてからでも
いつでも出来るでしょ 」



先日、笑っちゃうくらい
自分の罪悪感を 的確につついてもらいました

心の隅っこをチクチク刺激されて苦笑い



でもね
子どもが小さいときは
今しかないかもしれないけど

私の人生の「今」も、今しかないんだよ


やりたいことか 子どもかなんて
何でどちらか選ばなきゃいけないんだろう



お母さんは我慢するもの?

母親は常に子どもの事を一番に考えて
何より子どもを優先するべき?


そういう価値観が
心細い母親の心を
追いつめていたりもするんじゃないかな



そんな事わざわざ言葉にしなくても
母親は いつでも
子どものこと考えているし

何をしていても
何をしていなくても

お母さんでいるってだけで
本当によくがんばっていると思う



そこに 
「私はあれもこれも我慢してきた」とか
「今どきのお母さんは我慢がない」とか

自分の満たされなかった思いや抑圧を
遠回しにぶつけてきたり、

自分の親にしてほしかった事を投影して
「親はこうあるべき」とか言うのは
お門違いなんじゃないかな



我慢が美徳のように思っていたり
人のことばかり考えているふりして
自分自身をないがしろにしている人と
一緒にいても 私は楽しくない

そんな人と一緒にいて
側にいる子どもは
のびのび笑っていられるのかな



だけど
それぞれがそれぞれに“正しさ”を持っていて
時にぶつかることもあるけど
紐解いていけば 根っこは皆同じで

あの人も、私も
「わかってほしい」だけだったりする



不安だから
自分のことを 許してないから

誰かにわかってほしい
認めてほしい

頑張ってるねって
褒めてもらいたいし

そのままでいいよって 
受け入れてもらいたいんだろう




そんな事を考えていると、
私には「わかってほしい」っていう気持ちが
とても強いことに気が付きました。


このブログにしても
恥ずかしい所や かっこ悪い所を晒してまで、

幼少期の話で言えば
思い出したくないことをほじくり出してまで、

何をそんなに わかってほしいんだろうって
考えてみたんです。


そしたら結局は
お母さんにわかってほしかっただけだったんだと気が付きました。



私 こんなに辛かったんだよ
こんなに頑張ってきたんだよ


だから 褒めてよ
「えらかったね、頑張ったね」って
私のことを認めてよ


そして
「生きてていい」って
言ってほしかったんだ



私が感じてきたこと
考えてること

「そんなの わかってる」とか
「お母さんだって あの時は」とか 
そんなふうに遮らないで

私の言葉を 最後まで聞いてほしい
私のことを 真っ直ぐに見てほしい



そして お母さんのこと、
亡くなった今でも嫌いなお母さんのこと

こんなに大好きだったんだよ って

愛してるよって 
伝えたかっただけなんだ。



そう気が付いたら
途端に涙が出てきてしまって

誰も見ていないのに
なんだかすごく 恥ずかしくなって
慌てて涙を拭きました。


バカみたいにちっぽけな自分が
かっこ悪くて
認めたくないけど、

今まで頑張ってきたのは
たったそれだけの理由だったのかもしれない



お母さんに こっちを見てほしかった私

だからこそ

「 子どもが寂しい思いしてもいいの?
親の都合で振り回したら かわいそう 」

そんな言葉に 
罪悪感が顔を出して

子どもの私と 母親の私の間で
迷子になってしまったりもする



でも
私は「かわいそうな子ども」ではなかったし
私の子どもも「かわいそう」なんかではない



私が胸を張らなくてどうする

私が楽しまなくてどうする


私が 私のことを わかってあげなくて
誰が私を わかってくれると思ってたんだろう


もうとっくに 自分で自分を 
幸せにできる力があったのに



だからもう
やりたいこと
我慢している場合じゃないし
人のこと
気にしている暇なんてないんだ


「 幸せになる」と決めて 走り続けて
すでに幸せだったと 気付いた

これからは もっと
私が私を 笑わせてあげたい


そう決めたら また少し 
世界が優しく見えました。



母からもらったものは
いいことも
悪いことも

全てがギフトだったんだなぁ


そんな幸せの種を
今度は私が 咲かせる番だ