『あたらしくてなつかしい経済の物語り』(4)

今回は、究極の養生食と云われる「鉄火味噌」について。冨田講師、お願いします。(店主)

文・冨田貴史
絵・Karri Tree Design
構成・三宅洋平

「なぜ、いま鉄火味噌なのか (前)」
お味噌3


(腰にぶら下げた味噌玉の大きさで男を量った時代?)

馬や舟の通れないような山野において物流を支えてきた飛脚。
長距離を走るための鍛え上げられた身体と、目的を遂行するためのぶれない精神力を兼ね備えた彼らの多くは心身の健康を保つ為に梅干や炒り玄米や味噌や鉄火味噌を腰に携え、お灸や鍼による体調管理も自ら行っていたといいます。
峠の茶屋で白湯を一杯もらえば、そこに味噌を溶いて飲むだけで簡易味噌汁の出来上がり。水や食べ物が変わっても梅干によって解毒を促すことができ、十分な栄養補給がままならない状況であっても炒り玄米や鉄火味噌によって最低限のミネラルを補給することができました。
とりわけ麻紐などで腰に括りつけた味噌玉を見るだけで、その人の基礎体力や健康状態、心身のメンテナンスに関するセンスを推し量ることができ、時の女性たちは彼らの味噌玉のクオリティによって「自身の健康管理をできる自立した男性かどうか」を見定めていたといいます。

一方現代社会に於いて、前回、前々回に書いたとおりのグローバリズムおよび大量生産の影響で「なるべく安い素材でなるべくたくさん、なるべく素早く味噌を作って大量に売りさばく」流れが主流になり、市場からは天然糀(こうじ)、無農薬無肥料の遺伝子組み換えでない大豆、自然塩を使った「本当に効く味噌」が消え去ってしまいました。それによって味噌の価値は「たかが味噌」という扱いに成り下がってしまいました。
しかし元々の味噌は「身礎」とも呼ばれるほどに「心身の基礎を作る養生食」とされてきたもの。発酵の力による解毒・分解、熟成期間を経て得られる滋養強壮の効能を携えたジャパニーズ・トラディショナル・メディスンです。


(放射能対策としての「天然熟成」味噌)

長崎に原爆が投下された後、市内のとある病院では患者に塩で結んだ玄米おにぎりとわかめ入りの味噌汁を毎日食させることによってガンの発症を抑えたというエピソードもあります。またチェルノブイリ原発事故後、今も継続して現地には味噌、梅干、ドクダミといった日本に古くから伝わる養生食が支援物資として送られ続けています。
これらの食品が放射能対策になるのかどうかについては様々な意見が飛び交っており「これがぜったい効く」という主張をすることはできません。
現在の日本では、放射能を心配しない自由は広く受け入れられているにも関わらず「心配する者の自由」は侵害、差別されているように感じますが、本来は「心配しないも自由、心配するも自由」です。放射能対策についても同様で、効果がないと思うのも自由であるし、効果があると思うのも自由。どんな養生法を効果的と受け取るかは個人の自由です。

長時間火を入れることで陽気を得た大豆を手で潰し練り上げることでさらに陽気を足し、塩を加えて長期熟成することでさらなる陽気を補充した天然熟成味噌は極陰性の性質を持つ放射性物質の影響を緩和させることができると言われています。被ばくを自覚する僕自身、味噌の薬効に助けられているという実感があります。陽気とは求心、集中、凝縮、ひきしめる、温めるなどの働きであり、遠心、拡散、膨張といった極陰性の性質を持つ放射性物質の影響でやる気がでない、覇気がない、だるい、むくむ、眠い、集中力が続かないといった陰性体質になった体を陽性に傾け直すことができます。
仕込んだ者の数だけの個性を持つ多様な味噌の中でも、とりわけ強い陽気を持つと言われている長期熟成豆味噌。大豆と豆糀と塩を合わせ、二夏以上の熟成期間を経て仕込まれた豆味噌は多分のミネラル、アミノ酸を含み、放射性物質のみならず不要な重金属や過酸化脂質を排出し、酸化還元を促してくれます。

お味噌2

(八丁味噌作りに助成金を出した家康)

江戸幕府を築いた徳川家康は自身の出身地である三河、特に今で言う愛知県岡崎市八帖町の豆味噌蔵を守り、この地域で作られた三年熟成豆味噌は現在「八丁味噌」というブランド名で市場に出回るようになりました。1000年以上前に始められた「味噌蔵を守る取り組み」は今も細々とではあるものの、伝え守られています。
もし自分が味噌屋だったらと想像してみると、1駄の味噌を仕込むための投資を回収できるのは3年後。かなりリスクの高い仕事です。だからこそ、家康公は事前に経費を先払いしたり、現在でいう助成金のようなもので支援をすることで「コミュニテイの健康にとって大事な仕事」を支えてきたわけです。そして、遠征や戦さの現場で最も体力を使う足軽や歩兵、伝令係のような末端の武士にこそ、ピカイチの養生食を支給することで彼らの健康を支えてきました。

しかしながら当時10以上あった八帖町内の味噌蔵は、いまや2軒のみになってしまっています。
工場で機械的に作られた大量生産型の「味噌に似た化学調味料」の消費量が増えるにつれ、本来の天然熟成味噌自体の需要は減り続けています。
豆味噌の仕込みに使う樽はおもに「八尺樽」。高さ八尺(およそ3メートル)の杉樽に仕込める味噌の量はおよそ1駄(800キロ~1トン)。裏を返せば、1駄の味噌を作ることによって生じる経費が回収できるだけの需要の見込みがなければ味噌を仕込むことはできません。1キロ、2キロと少しずつ需要が減ることで作り手は一気に1駄ずつ生産量を減らさなければいけなくなります。これは、広大な農地を耕していた農夫がその仕事を続けられなくなると、その広大な農地全体から得られる収穫量が一気に減少していく構図と似ています。

自分の食べている1キロの味噌が1トンの味噌樽の一部であり、自分が味噌の対価として支払ったお金がその樽を仕込む仕事を結果として支えていることになります。
年々減少する天然味噌の生産量を支える取り組みは、クラウドファウンディングのように、または家や車やキッチンや農具をシェアするように「八尺の樽を皆で支える」というような意識が必要になってくるようにも思います。私たちひとりひとりの味噌との関わり方によって、伝統的な味噌蔵の今後が決まってくるといってもいいでしょう。


(養生食のエース「鉄火味噌」)

徳川家が守ってきた八丁味噌。これを使った携行養生食の代表は鉄火味噌であり、家康公はこの鉄火味噌作りも積極的に奨励してきたといいます。極陽性の長期熟成豆味噌に、下降性、求心性、つまり陽気のつまった根菜類を細かく刻んで混ぜ合わせ、長時間かけて弱火でじっくり丹念に炒り続けて作る鉄火味噌は、味噌の陽気をさらに高めた養生食。放射能や化学物質といった極陰性な物質の蔓延する環境の中で陽気が不足しがちな現代においても非常に効果的なメディスンであると実感します。

医者や先生や薬局に依存することなく自らの心身の健康を自ら養生していく上で、日本列島に古くから伝わる伝統的なメディスンに目を向け、先人の健康術から学びを得ることによって得られる恩恵は大きいと感じます。明治維新以降徐々に忘れ去られていった土着の養生文化を思い出し今のライフスタイルに取り入れていくことが、新しくてなつかしい養生文化、養生経済を作っていくことに繋がっていくように思います。




次回 第4回は、「なぜ今、鉄火味噌なのか (後編)」を予定しております。
*二十四節気ごと、およそ15日に1度の連載となります。



■冨田貴史 http://takafumitomita.blogspot.jp/
京都在住。ソニーミュージック~専門学校講師を経て、全国各地で年間300本以上のイベント・ワークショップを続けている。ワークショップのテーマは暦、エネルギー、手仕事(茜染め、麻褌、鉄火味噌など)自家発電など。大阪中津にて養生のための衣食を自給する冨貴工房を営む。また、疎開保養「海旅キャンプ」主催団体「21st century ship 海旅団」代表代行。『原発事故子ども・被災者支援法』を活かす市民ネット代表。

■冨貴工房 http://fukikobo.blogspot.jp/

『あたらしくてなつかしい経済の物語り』(4)
SPEND SHIFT / 消費動向で世界を変える 三宅商店



お味噌1



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