僕も芸術家の端くれとして、わかるのは、
政治と芸術は似ている、という事だ。



ビジョンをプランにしていく上で、
己一人では世に作を問えない。
作品を作り、世に問うまでの一連の流れを
多くの人の関わりを、
ディレッタントする、或いはそういう人間と連携をとって
話をプロデュースすることは、
根源的に「政治」的なのだ。


多分そこが、
趣味と、芸術のひとつの分かりやすい、差異点なのかもしれない。





だから僕には分かった。

たった一枚の絵、ひとつの器、一連のふすま絵から、
細川護煕という人の感性と、政治が。

適当な表現かは分からないけれど、
現代の千利休、を感じます。



武(ぶ)の時代を、わび、さび、「数寄(すき)」の力で終わらせようとした、
芸術と政治をない交ぜにした、利休のやり方というのも、
やはり立派な政治だったわけです。








脱原発候補にエールを
ガンバレよ