覚醒のひかり

ぼく、シャンタンが長年経験してきたことや、
   osho、バガヴァン、津留晃一さんなどの言葉を
      分かち合っていきたいと思いまあああああす!

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あなたのする体験に「良い体験」も「悪い体験」も ありません。
 

津留晃一
ではどうしてあなたは
比較をするのでしょう。
比較から混乱、
 苦しみがやってくるのなら
比較しなければ
良いのではないでしょうか。
それは、結果には
「良い結果」と
「悪い結果」とがある
とする
 あなたの考え方に
起因しています。
私にとって
「都合の良い事」と
「都合の悪い事」があるのだ、
とあなたは信じ込んでおり、
これまで
 そのことを疑ったことさえ
 なかったのではないでしょうか。
この世に
「良い事」と「悪い事」はないのだ、
本当にそんなものはないのだ、
右を選べば右の道があり、
 左を選べば左の道があるだけである、
と伝えられました。
右の道を選べば
右の体験があり、
左の道を選べば
左の道の体験があります。
その体験に、
 良いも悪いもありません。
ただその体験を
 しているだけです。
そして右を体験しつくした人は
 その体験による学びが終わり、
次には自ずと
左の体験を望むように
 なってきます。
人はあらゆる体験をするために
肉体を持ちました。
神には出来ない
 あらゆる体験をするためにです。
そして単に
 まだしていない体験に対して
欲望がわいてくるように
 なっているにすぎません。
従ってあなたは
望むとおりに、
 欲望どおりに、
行動を起こしていけば
 いいわけです。
そのことに
意味をつける必要はありません。
比較する必要などありません。
あなたは全ての体験を
 しつくすために今ここにいます。
そこには人殺しをした後の
強烈な後悔の念を体験してみる
 という事も含まれていたようです。
今あなたが
人殺しをしようと望まないのは、
きっと既に過去世でそういう体験を
終わっているから
 なのではないでしょうか。
先生や、親から、
 人殺しはいけないと教わったから
人殺しを否定しているわけでは
 ないはずです。
そんなことは教わる前から
知っていたのではないでしょうか。
それはあなたの過去世にある
魂の記憶に由来しているのだと
思いませんか?
だとしたら人殺しでさえ
大変貴重な体験であった
 といえるはずです。
あなたのする体験に
「良い体験」も「悪い体験」も
 ありません。
あなたのする体験に
「得な体験」も「損な体験」さえも
 ありません。
ですから起こってきた結果を
比較することに
 どんな意味もありません。
このことが心の底から
本当に理解できたとき、
あなたはもはや
比較や判断といった
古めかしい習慣から
解放されることでしょう。
あなたは右にしようか
左にしようか迷わなくなります。
それはどちらでも良いからです。
その心境が
 ブッダの言った中なる道、
「中道」ということ
 なのではないでしょうか。
そこが
我々の目指す最終ゴール、
ニュートラルポイント、
宇宙の始まり
特異点のことです。
私は「全ては一つ」という概念から、
あらゆるものの統合を目指して
 これまで一貫して進んできました。
私の中に「どんなものとも
決して別々のものではありたくない」
という強い強い思いあったからです。
私は小さい時から、
 見たくないものがありました。
それは人の諍いです。
人と人の対立が
 イヤでイヤでたまりませんでした。
小学生のころ、
 先生が生徒を
叱りつけているのを見るのが、
一番の苦痛であったことを
 はっきりと記憶しています。
今回、私がここに
生を受けた理由がそこにあります。
そんな私の求めつくしたものが
完全なる調和でした。
物質と精神、
善と悪、
東洋と西洋、
右脳と左脳、
良い事と悪い事、
そして自分と他人、
そうしたあらゆる
二極の対立の統合が目的でした。
その進む課程の中で
私の意識は右に揺れ、
 左に傾きながら歩んできました。
他人の言葉を聞き、現実を見て、
 意識は上がったり下がったり
揺らぎ続けてきました。
全ての統合を目指して。
大いなる一つに
帰り着くことを目的として・・・。
しかしその「大いなる一つ」とは、
 目指すゴールではありませんでした。
それはもう既にここにありました。
元々それは
今ここにあった事に気付きました。
「無」とは今ここの
「有」の裏側にそのままありました。
「無」に帰り着く
必要などなかったのです。
「無」とはこの「有」なる世界を
表現する土台と
考えればいいでしょうか。
「無」を体験してみたければ、
あなたの意識をくるりと裏返しに
 ひっくり返してさえみれば、
そこにそれを感じるでしょう。
ちょうどメビウスの帯を
立体的に作ったものを
想像してみると
解り易いかもしれません。
今が一つ、ここが一つ、
今このままで
 ここが一つです。
ここが無、
この表現が無、
この裏返しが無、
このまま、
そのままで無です。
今ここが
完全なる一つだからこそ、
この完全なる
二極の次元が存在できます。
ですから全てのものが
今そのままで完全です。
このことが解った瞬間、
自分の中の欲望が
雲散霧消していることに
気付くでしょう。
そのとき大安心の境地にいる
自分自身を観ることでしょう。
あなたの前に
今困った人がいるとするなら、
それは単にあなたが
 その人を困っていると
認識しているだけであり、
あなた以外に
困った人など
存在していないのです。
あなたが困っているだろうと
想像しているだけなのです。
「いや、現に病気で
困っている人がいる」
とあなたは言います。
それでも私は言います。
ずっとずっと
上から眺めてみると、
病気の振りをして
何かを
気付かせようとしている人と、
その人を見て
混乱するという体験を
学んでいるあなたが
 いるだけであることが
解ります。
本当の意味で困っている魂など、
どこを探しても
見つけだすことは出来ません。
そしてこの言葉を
受け取るか、
 拒否するか、
あなたが
 その絶対的選択権を
持っているのです。
あなたは創造者です。
初めも、そしてこの瞬間も。
そして
 そうでない振りをすることさえ
あなたには
可能であったということです。
宇宙の特異点とは
今ここに無限にあり、
それは皆様方一人一人の
 ハートチャクラの
中心にあります。
瞬間瞬間の
今ここにあります。
未来のいつかにではなく、
そうだと悟ったとき、
それは今あなたの
 そこにありました。
欲望を通して求め、
 求め尽くして・・・、
そして調和は
元々初めから
今ここにありました。
ここがこのままで
大調和そのものの世界
あった事に気付きました。
もともと不調和など
 どこにもないのだと
解りました。
大宇宙の
 ほんの一部を近視眼的に、
そのミクロ部分を
 とらえたときに、
そこが不調和と
映っているにすぎないのだと
悟りました。
 
 
 

 

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世界中で変化が起こっています。より多くの人がマッハのスピードで目覚めるでしょう。
 
 
質問
変化がなにもないので、不甲斐なさ、無力感が募ります。
覚醒とはただの戯言で自分が全てがムダに思えます。

バガヴァン
あなたは実はアウェイクニングする準備が整っています。

質問
インテグリティーは理解出来るが、
インナー・インテグリティー(内なる誠実性/整合性)は理解しにくい。
自分にウソをつかないこと?
ルールを破らないこと?
正当化しないこと?
一体なに?

バガヴァン
インナー・インテグリティーとは、見る事です。
自分の内側で起こっている事をみる事です。
そしてそれをマインドが正当化しないことです。

質問
私のスピリチュアルな進化は、近しい人々に影響するのか?

バガヴァン
近しい人々だけでなく、全く知らない多くの人々にも影響します。

質問
61歳です。
マインドをただ観る集中力がありません。
問題があると静けさは内観できるが、
慈悲の心がわかず、無関心になってしまう。
私の体験のどこがおかしいのか。
何をすべきか。

バガヴァン
何もするはなく、ただワンネス・メディテーションに行って下さい。
ディバインが必ず助けてくれます。

質問
ここ何十年と何も変化がありません。
誰も私を助けられません。
自分が自分でなく、他の人が生きているようで、
自分が生きた屍、亡霊のようです。
希望がありません。

バガヴァン
もう、すぐに変化するでしょう。
質問
世界はなぜあなたが予言したように好転しないのか。
ワンネスに出た人は喜んではくれるが、
すぐにまたもとの木阿弥になってしまう。

バガヴァン
世界中で変化が起こっています。
より多くの人がマッハのスピードで目覚めるでしょう。
 
質問
すべてのチャージを経験して初めて、目覚めは可能なのか。

バガヴァン
恐怖にも何千種類もある。
例えば恐れがガンになって現れる事もある。
恐れを一分で消えればガンも一分で消える。
恐れを消すのに6ヶ月かかればガンを消すのも6ヶ月かかる。
すべての恐怖に同じことが言える。
経済的な恐れや、人間関係の恐れなどもそう。
恐れがアウェイクニングを邪魔する。
恐れとはチャージ。
アウェイクニングするのに全てのチャージから解放される
必要はないですが、アウェイクニングするのを邪魔している
チャージからは解放される必要があります。
ディクシャやホーマを通して、
それらのチャージから解放される方法もあります。
 
 
 
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「独りで在ること」(アロンネス)においてのみ、あなたは光明を得ることが出来る。

osho
人は意識するようになるや、独りになる。
意識が大きいほど、自分が独りであるという気づきは大きくなる。
だから社会、友人、会合、群衆によって、この事実から逃避してはならない。
それから逃げてはいけない!
それは大いなる現象だ。
進化の過程全体は、それに向かって少しずつ進み続けている。
意識は今や、自分は独りなのだということを知る地点にまでやって来た。

そして「独りで在ること」(アロンネス)においてのみ、あなたは光明を得ることが出来る。

私は「孤独」(ロンリネス)と言っているのではない。
孤独の感覚は、人が独りで在ることから逃げようとしている時、
それを受け容れる用意の出来ていない時に生じる感覚だ。
独りで在るという事実を受け容れないなら、その時には寂しく感じる。
あなたは自分自身を忘れる為の群衆や、あるいは何か酔っぱらえるものを見つけるだろう。
孤独は、それ特有の忘却という魔術を生み出す。

もしあなたが、ほんの一瞬でさえ独りでいられるなら、
全面的に独りでいられるなら、自我(エゴ)は死ぬ。
「私」は死ぬ。
あなたは爆発し、もういない。
自我は独りの状態で生き残ることは出来ない。
それは他者との関係においてしか存在出来ない。

いつでもあなたが独りの時は、奇跡が起こる。

自我は弱くなる。
それはもう長くは存在出来ない。
だから独りでいられるほどの勇気があるなら、次第に自我がなくなってゆく。
独りで在ることは、極めて意識的で思慮深い行為だ。
自殺よりも思慮深い。
自我はひとりの状態では存在出来ないが、自殺においては存在することが出来るからだ。

エゴイスティックな人はより自殺しやすい。
自殺はいつも他者との関係の中にある。
それは決して独りで在ることの行為ではない。
自殺においては自我は痛手を受けない。
むしろそれは一層顕示される。
それはより大きな力をもって新しい誕生へと入ってゆく。
独りで在ることによって、自我は打ち砕かれる。
関係するものを何も持たない為に、それは存在出来ない。
だから、もし独りで在る用意が出来ているなら、揺らぐことなく独りで在るなら・・
逃げることも後退することもなく、独りで在ることの事実をありのままにただ受け容れるなら・・
それは大いなる機会になる。
その時あなたは、内に多くの可能性を秘めた種子のようになる。
だが覚えておきなさい。
植物が成長する為には、種子は自らを破壊しなければならない。
自我は種子、可能性だ。
もしそれが打ち砕かれれば、神性が誕生する。
その神性は「我」でも「汝」でもない。
それはひとつだ。
独りで在ることを通して、あなたはこの「ワンネス(全一性)」に達する。

このワンネスの偽りの代用品を作ることも出来る。
ヒンドゥ教徒はひとつになる。
キリスト教徒はひとつになる。
イスラム教徒はひとつになる。
インドはひとつだ。
中国はひとつだ。
こういったものはワンネスの単なる代用品だ。

ワンネスは全面的な独りで在ること(アロンネス)を通してのみ訪れる。

群衆は、自分達をひとつだと呼ぶことは出来る。
だがその一体感は、いつも何か他のものとの対立の中にある。
群衆はあなたと共にある為、あなたは安心する。
今やあなたには責任がない。
あなたはひとりではモスクを燃やしはしないだろう。
ひとりでは寺院を破壊しはしないだろう。
だが群衆の一部としてのあなたには、それが出来る。
もうあなたには個人的な責任がないからだ。
全ての人に責任があるのだから、特定の誰かに責任がある訳ではない。
個人の意識はどこにもなく、ただ集団意識だけがある。

あなたは群衆の中に後退し、動物のようになる。
群衆はワンネスの感覚に対する偽りの代用品だ。
その状況に気づいている人、
人間としての責任に気づいている人、人間である為に生じる困難で
骨の折れる仕事に気づいている人は、どんな偽りの代用品も選ぶことはない。
彼は、ありのままの事実と共に生きる。
どんな虚構も作り出したりしない。宗教や政治的イデオロギーは、
ワンネスの幻想を作り出す虚構に過ぎない。
ワンネスは、自我のない状態になる時にしか生まれない。

そして自我は、全面的に独りで在る時、初めて死ぬことが出来る。
完全に独りの時、あなたはいない。
その瞬間こそ爆発の時だ。
あなたは無限なるものへと爆発する。
これが、そしてこれだけが進化だ。
私がそれをレボルーション(変革)と呼ぶのは、それが無意識的ではないからだ。
あなたは自我のない状態になるかもしれないし、ならないかもしれない。
それはあなた次第だ。

独りで在ることこそ、唯一の真の変革だ。

それには大きな勇気が必要とされる。
仏陀のような人だけが独りなのだ。
イエスやマハヴィーラのような人だけが独りなのだ。
それは、彼らが家族から、世間から離れて行ったということではない。
そのように見えるが、そうではない。
彼らは消極的に何かから離れようとしたのではない。
その行為は積極的なものだった。
それは独りへと向かう動きだった。
彼らは離れて行こうとしたのではない。
全面的に独りで在ることを探し求めていたのだ。

探究の全ては、独りで在る時に起こる、爆発の瞬間へと向かうものだ。
独りで在ることの内に至福がある。
そしてその時、初めて光明が達成される。
私達は独りではいられない。
他の人々もまた独りでいられない。
だから私達は集団を、家族を、社会を、国家を作る。
全ての国家、全ての家族、全ての集団は群衆で成り立っている。
独りで在れるほどの勇気のない人々で成り立っている。

真の勇気とは、独りで在る勇気だ。
それは自分は独りなのだという事実、
その他には在りようがないという事実の、意識的な理解を意味する。
あなたは自分自身を欺くことになるか、
それとも、この事実と共に生きることが出来るかのどちらかだ。

あなたは何生にもわたって自分自身を欺き続けることも出来る。

だがそれは、悪循環に陥るだけだ。
 
独りで在るというこの事実と共に生きることが出来さえすれば、
 
その循環は断ち切られ、あなたは中心へと至る。
 

その中心は神性の、全体の、聖なるものの中心だ。
 
 
 

 

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シャンタンさん渡米前の最後のアウェイクニングコースです。

 

《すべてのはじまりは子宮を温めることから~女性性の解放~》

藤原 マリ
シャンタンさんがアメリカに渡る前に
日本でやり残した最後の仕事
いま、日本人に伝えたいこと

ハート子宮を温める温灸
ハートタントラ(性エネルギー)の解放
ハート女性性の解放 

社会的に抑圧されてきた女性を解放する、タブーとされてきたタントラを解放する

一人でも多くの女性の
悲しみや怒りを溜めた子宮を浄化することが
世界を救います

《すべてのはじまりは子宮を温めることから~女性性の解放~》


ハリマンさんとやったチャクラにお灸をしたときのブログです。


https://ameblo.jp/goennoomusubi/entry-12283035137.html


この時はショーガの上にモグサを載せてやっていました。


ヒマラヤに行き小さな素焼きの器を見つけて、


これなら、誰でも、自分でできると閃いてたくさん買ってきました。


これで、チャクラにお灸をすえてチャクラを開きながら、瞑想します。



ハリマンさん

藻草、モグサの香りがひろがります。

とても心地よい香りです。

普通にイメージするあのお灸とは、違っています。


ハードスケジュールだったシャンタンさん、閃きがおこり、

チャクラにお灸して大復活されたそうです!


熱さは自分で選択できます。

仰向け・うつ伏せでチャクラにお灸しました。




【日時】
5月24日 ※男性も参加可能
10:00~16:00

子宮を温める温灸のやり方、体験
チャクラの解放 
ディクシャの体験

5月25日
10:00~16:30 ※男性も参加可能
子宮を温める温灸
チャクラの解放
女性性、タントラの解放 

ディクシャ・ギバー セレモニー

【会場】
湘南かたせ家
<住所>
神奈川県藤沢市片瀬4-16-13

<交通機関>
江ノ電:湘南海岸公園駅 徒歩3分
江ノ電:湘南江ノ島駅 徒歩5分 
湘南モノレール:湘南江の島駅 徒歩5分 
小田急線:片瀬江ノ島駅 徒歩8分 
江ノ電バス:西方停留所 徒歩30秒 

【参加費】

1日 8000円
2日間 14000円

ディクシャギバーになることをご希望の方は
2日間で20,000円

※ディクシャギバーになるか迷ってる方は、
なったときに、後から差額をお支払いください。

【予約は不要です】

【持ち物】

フェイスタオル1枚

薄いハンカチくらいの布1枚

(※お灸は、肌に直接か、薄い布の上からやるか自分できめればいいいのです。 うすい日本てぬぐいが一本あるといいいいいですね。 )

動きやすい服装
各自一品、食べ物をお持ち寄りください
(お肉以外)

1日だけでもよいですが、2日間受けるとより体感が深まります虹

わたしも
ひょんなことから
シャンタンさんに2日間特別セッションを受けて(笑)

2日目により深いタントラの解放、全チャクラのエネルギーがぬける体験をしました!

生まれて初、瞑想だけでオーガズムですよハート(*´∀`)

それを皆さんに体験してもらいたい、という2日間のWSです

 

 

 

※こちらのワークショップは、男性もご参加いただけます。

 シャンタン式お灸セラピーを体験しにいらしてください。

 もちろん、子宮を摘出された方や閉経された女性も安心してご参加いただけます。

 (お問合せをいただきましたので、書かせていただきました。ヌクイ)

 

※26日は青梅でお灸のワークショップがあります。
https://ameblo.jp/miyairikuro/entry-12375827885.html

 

 

 

 

■問合せ先■
藤原マリ 080-3217-7056
ヌクイノブアキ 070-6437-4811

 

 

 

 

<ディクシャとは>

中国の気功は、元気を与えるもの。ディクシャはインドの気功で、悟りを与えるものと考えてください。宇宙・高次元の存在からのエネルギーを脳に送り、悟りを促します。悟りとは、何も特別なことではありません。この世で起こっていることは、感じる苦しみも含めて、自分の想念が作り出しています。脳にディクシャを送ることで、苦しみの捉え方が変化します。そして、ディクシャは悟りに導くだけではなく、癒し・ヒーリングのエネルギーでもあります。ワンネスユニバーシティをつくった、インドの聖者アンマとバガヴァンが、誰でも出来るよう広めました。
ディクシャ(悟りのエネルギー)を送ることができる人をディクシャギバーといいます。(遠隔でもできます。)ディクシャギバーになると、ヒーリング能力が底上げされます。レイキ、気功などをされている方は更にパワフルになります。

 

<ゆるゆる瞑想>
https://www.youtube.com/watch?v=pArgtbqYJhY

食べながら、話しながら、どんなときもできるシンプルな瞑想。
武道、茶道、書道など、和の文化の中心である丹田を前後左右、骨盤に沿って回します。骨盤の中には、使い切れなかった感情が溜まっています。その感情を燃料にして、丹田を回します。
縄文時代に人々は村で焚き火を囲んでこの瞑想をしていたことを、シャンタンさんは、体を通して思い出しました。円で繋がってエネルギーを回し、高め、病気の人が居れば、それを癒し、問題を抱えている人が居れば、それを癒していたそうです。

 

【平和の水とは】
https://ameblo.jp/goennoomusubi/entry-12310365296.html

200万人の祈り、ディクシャなどのエネルギー(波動)が込められています。祈りはとても繊細な波動です。その繊細なエネルギーを定着させるため、中身は水ではなくアルコールを使用しています。そのためエネルギーが出続けるのが特長です。蓋を開けずに、エネルギーを転写させて使います。コンコンと軽くたたいたり、水の中にビンごと入れてみてください。祈りの繊細な波動が広がっていきます。使い方は無限大で、どのように使っても海までその波動が流れ、循環します。

 

∞ シャンタンさんのプロフィール ∞
https://www.facebook.com/events/558270241032151/permalink/572703332922175/

 

■交流の場-shantam cafe■
https://www.facebook.com/groups/894259980594081/
シャンタンさんのワークショップ(アウェイクニングコース・ゆるゆる瞑想・からだの教室など)に参加されたかた、お気軽にご参加ください。非公開の交流の場です。

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《お灸です。子宮をあたためることが すべてのはじまりのお灸です。》

 

Yumi Sawatari

 

...

お知らせとおさそい

この度、宮井陸郎シャンタンさんを青梅にお迎えして、
 
子宮を温めるお灸を中心に、ゆるゆる瞑想など、心と体をほぐし、

命を輝かせるお灸の方法を学ぶ集いを開きます。

 シャンタンさんが、フェイスブックにシェアしてくださったお灸の記事を拝見して、

思い浮かんだのは、

青梅で繋がるすてきなご縁の人たちのお顔。

みんなといっしょに、シャンタンさんにお会いしてこの素晴らしいお灸を学びたい。

強くそう感じ、その一心だけで会を開くことに動き出していました。


草木の緑がます初夏の青梅で、地上天国を体験できます。

非日常の癒しを日常にする極上のお灸を学びにお出かけください。

宮井陸郎シャンタンさん

「子宮をあたためることが すべてのはじまり、お灸。」

~女性エネルギーの解放~

ハリマンさんとやったチャクラにお灸をしたときのブログです。


https://ameblo.jp/goennoomusubi/entry-12283035137.html

 

この時はショーガの上にモグサを載せてやっていました。


ヒマラヤに行き小さな素焼きの器を見つけて、


これなら、誰でも、自分でできると閃いてたくさん買ってきました。


これで、チャクラにお灸をすえてチャクラを開きながら、瞑想します。

 

ハリマンさん

藻草、モグサの香りがひろがります。

とても心地よい香りです。

普通にイメージするあのお灸とは、違っています。


ハードスケジュールだったシャンタンさん、閃きがおこり、

チャクラにお灸して大復活されたそうです!


熱さは自分で選択できます。

仰向け・うつ伏せでチャクラにお灸しました。

 

 

【とき】

5月26日(土)

午前10時~午後16時半

 

【ところ】

レンタルスペースアズマさん2階
 青梅線河辺(かべ)駅下車徒歩10分

〒198-0036 東京都青梅市河辺町10丁目17−1

 

【参加費】\8,000-
(お灸とお灸に使うお皿代込み)

 

【もちもの】
フェイスタオル1枚
薄いハンカチくらいの布1枚
※お灸は、肌に直接か、薄い布の上からやるか自分できめればいいいのです。
うすい日本てぬぐいが一本あるといいいいいですね。

 

動きやすい服装
お肉以外のもちよりランチ一品
 (無理のない範囲で)
 参加者どうしシェアして頂きます。

 

【シャンタンさんプロフィール】

https://profile.ameba.jp/ameba/miyairikuro


※24日から25日は、江ノ島でWSです。
https://ameblo.jp/miyairikuro/entry-12375836829.html

※こちらのワークショップは、男性もご参加いただけます。

 シャンタン式お灸セラピーを体験しにいらしてください。
 もちろん、子宮を摘出された方や閉経された女性も安心してご参加いただけます。
 (お問合せをいただきましたので、書かせていただきました。ヌクイ)


■問合せ先■
さわたり優美08065524553
ヌクイノブアキ 070-6437-4811


■交流の場-shantam cafe■
https://www.facebook.com/groups/894259980594081/
シャンタンさんのワークショップ(アウェイクニングコース・ゆるゆる瞑想・からだの教室など)に参加されたかた、お気軽にご参加ください。非公開の交流の場です。


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「この菓子は実にうまい!」死でさえ、この時には場違いだ。

 

次の瞬間というのは無意味なこと。この瞬間、この菓子はうまいのだ!

 


もしあなたが、この瞬間の内に在れたら、この現在の瞬間に、この現在性、この充実・・、

 

この時に初めて、あなた方にも愛することが出来る。

 

 

質問

妻とか夫、恋人といった私達の生活上のパートナーについて話して頂けませんか?

どういう時に私達はパートナーを辛抱し、どういう時に関係を絶望的と見て、

いや破壊的ですらあるとみて放棄すべきなのでしょうか?

また、私達が持つ人間関係は過去生からの影響があるのですか?

 

 

osho

 

関係とは神秘のひとつ・・そしてまた、関係は2人の

人間の間に存在することから、その双方に依存するものだ。

2人の人間が出会うたびに1つの新しい世界が創り出される。

ただ2人が出会うことで新しい現象が「実在」の中に現れる。

それは今までなかったもの、今まで存在したことのなかったものだ。

その新しい現象を通じて、2人の人間が変化し変容する。

関わることがなかったら、あなたはただある1つの存在、

関わることでたちどころにあなたは別の存在になる。


何か新しいことが起こるのだ。

女性は恋人となる時には、もう同じ女性ではない。

男性は父親となる時には、もう同じ男性ではない。

子供が生まれる・・だが私達は1つの肝心なことを完全に見落としている。

それは、子供が生まれる時には、その母親もまた誕生するということだ。

それは今までなかった存在、女性は存在していたが、母親は?

いやいなかった。

そして、この母親というのは全く新しい存在だ。


関係は、あなた方によって創られる。

が、その代わりまた、関係の方もあなた方を創る。

2人の人間が出会う・・

ということは、2つの世界が出会うということだ。

これは簡単なことではない。

非常に複雑な、もっとも込み入ったこと。

1人1人の人間が自分自身に対して1つの世界を持っている。

そして、それは長い過去と永遠なる未来を伴った、複雑な神秘なのだ。


最初のうちはただ外面だけが出会う。

しかし関係が親密なものに成長していくと、もっと近づき、

もっと深まるにつれ、少しずつ中心が出会い始める。

中心が出会う時、それは愛と呼ばれる・・

外面だけが出会っている時は面識に過ぎない。

あなたは相手に外側から、境界線あたりから触れるだけ。

そうだったらそれは面識、ただの知り合いの間柄だ。

何度となくあなた方は、面識の間柄を愛と呼び始める。

そうなったら、あなた方は誤謬に陥ることになる。面識は、愛ではない。


愛とは稀なもの。

人にその中心のところで出会うということは、

あなた自身、1つの革命を通過するということだ。

なぜなら、もしあなたが他者にその中心のところで出会いたいと思ったら、

あなた自身、相手が自分の中心に到ることを許さなければならないからだ。

あなたは防御を解いて、壊れ易くならなければならない。

完全に自分を開かなければならない。


それには危険がある。

他者をして、自分の中心にまで到らせるということは冒険だし、危険だ。

その人があなたに何をするか、あなたには知りようがないからだ。

それにひとたびあなたの秘密が知られたら、

ひとたびあなたの隠れ家が隠れ家でなくなったら、ひとたび

あなたが完全にむき出しになったら、相手が何をするかあなたには全く分からない。

その怖れがあって、私達は決して自分を開かない。


ただの面識・・ところが、私達は愛が起こったのだと思う。

外面が出会う・・それを私達は出会いがあったのだと考える。

が、あなたはあなたの外面ではない。

本当に、外面とはあなたが終わりになる境界線のこと、あなたの周りを囲っているだけ。

それはあなたではない!

外面とは、あなたが終わりになるところであり、そこから全体が始まるところ・・


たとえ何年も一緒に暮らして来た夫と妻でさえ、

ほんの面識の間柄でしかないかもしれない。

互いのことを知ってはいないかもしれないのだ。

誰かと長く暮らせば暮らすほど、

人は互いの中心はまだ未知のままであることを忘れていく。


従って理解すべき第1のことは、ただの知り合いの間柄を、愛と勘違いするなということ。

あなたはその相手と、一緒に寝るかもしれない、

その相手と性的に繋がっているかもしれない。

が、セックスもまた外面のものだ。

中心が出会わない限り、セックスは2つの肉体の出会いに過ぎない。


そして2つの肉体の出会いは、あなたが出会うこととは違う。

セックスもまた面識の程度に留まる。

物理的、肉体的・・だが表面的に知ることに過ぎない。

自分の中心に到るほどに他者が内部に入ることを

許せるのは、あなたが怖れていない時だ。あなたが恐怖を覚えていない時だ。


だから私はあなた方に言う。

生き方には2つのタイプがあると・・1つは恐怖指向のタイプ、もう1つは愛指向タイプ。

恐怖指向の生き方は、あなたを決して深い関係に導いてはいかない。

あなたは怖れ続け、相手があなたの核心にまで浸透することを許さない。

ある程度までは許しはするが、その向こうには壁が現れて、全ては止まる。

愛指向の人は宗教的な人だ。


愛指向の人とは、未来を怖れない人、成り行きや結果を怖れることのない人、

今、ここに生きる人・・


これこそクリシュナがギータの中で、アルジュナに語っていることだ。

結果の為に心乱されるな。

それは恐怖指向の捉え方だ。

そこから何が起こって来るかなど、考えてはならない。

ただ、ここに在って、トータル(十全)に行うがいい。

計算してはならないよ。


恐怖指向の人はいつも計算している。

計画して、いろいろ取り決めて安全を計る・・生全体が、こうして失われて行く。


ある年老いた禅僧の話を聞いたことがあるのだが・・

最後の日がやって来て、彼は死の床に就いていた。

彼はその夜、他界することを宣言した為に、彼の信奉者、弟子、友人達が集まって来た。

彼を愛する人達はたくさんいた・・

そういう人達が皆集まって来たのだった。

遠方から国中から、人々が彼の許にやって来た。


が、ある古い弟子の1人は、師が死の床にあると聞いて市場に駆けつけた。

「師匠は、ご自分の家で死のうとしていらっしゃるのに、

なぜお前は市場になんぞ行くのかね?」

ある者が尋ねると、その古い弟子は言った。

「師には大好きなお菓子があるのを私は知っているんだ。

だからそのお菓子を買いに行くのさ」

その菓子を見つけるのは大変なことだった。

この種の菓子は、もう流行っていなかったからだ。

だが、夜までには何とか彼は間に合わせることが出来た。

彼は菓子を持って馳せつけた・・


その頃、人々はいささか心配になっていた。

というのも、師に誰かを待っているような気配があるからだ。

眼を開けて見回すと、また眼を閉じる・・と、例の弟子が到着した。

師は言う。

「そうか、お前が来たか。あの菓子はどこだ?」

そこで弟子は菓子を差し出した。

師が菓子のことを訊いたことで、彼は非常に喜んでいた。


死にかかっていながら、師はその菓子を手に取った。

しかし、その手は震えてはいなかった。

非常な高齢にもかかわらず、その手は震えはしなかった。

誰かが尋ねた。

「あなたは大変年を取られているし、しかも今や死の縁に立たれている。

すぐにも最後の息が引き取られようというのに、あなたの手は震えていませんね?」

すると師は言った。

「私は震えはしない。

怖れがないからだ・・私の肉体は年老いたが、私はまだ若い。

そして私は、たとえ肉体が消え去ろうと、若くあり続けるだろう」


それから彼は、菓子を1つ口の中に入れると、もぐもぐ味わった。

誰かが尋ねる。

「師よ、遺言は?

最後のメッセージは何ですか?

もうすぐ私達を離れて行こうという今、

私達に覚えていて欲しいことがありましょう?」

と、師は微笑して言った・・


「ああ、この菓子は実にうまい!」


これこそ、今ここに生きる人だ。


「この菓子は実にうまい!」


死でさえ、この時には場違いだ。

 

次の瞬間というのは無意味なこと。

 


この瞬間、この菓子はうまいのだ!

 


もしあなたが、この瞬間の内に在れたら、

 

 

この現在の瞬間に、この現在性、この充実・・、この時に初めて、

 

 


あなた方にも愛することが出来る。

 

 

 

 

 

 

 

 


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名前や名声を求めることはまったく自然なことです。 それに正直でありなさい。

質問

バガヴァン、マインドを完全に取り除くべきでしょうか?


バガヴァン

いいえ、あなたはマインドなしで行きていくことはできません。

なぜなら、マインドは必要だからです。

しかし、必要な時だけマインドが働く代わりに、

マインドは常に働いているように見えます。


例えば、雪のなかを歩くには雪靴が必要ですが、もしあなたが

それを寝室や食堂でも履くとしたら、とても煩わしくて邪魔になります。


それと同じように、マインドにはマインドの場所があります。

しかし、(大部分の人においては)

マインドがどこでも、いつでも働いているようです。

それゆえに邪魔になるのです。




質問

満たされていること、あるいは持っているもので

満足することは世界でのその人の能力を下げることになるのでしょうか?

外側の世界で有名になりたいという動機は悪いことでしょうか?



バガヴァン


あなたが自然にそう感じるのである限り、私にとって悪いものは何もありません。

私は2つのダルマがあると思います。


1つはマインドのダルマ、そして2つめはハートのダルマです。


もしあなたのハートが開いていない場合、

それはマインドの枠組みのなかで機能していることを意味します。

もしあなたがマインドの枠組みのなかで

人生を生きているのなら、あなたはそれに正直であるべきです。

マインドはセルフ(自己)の回りを回転し、セルフは表現することを必要とします。

セルフはお金、名前、名声などを得ることに喜びを感じます。

セルフは自然にそれらに引かれます。

セルフは進んで犠牲を払おうとするかもしれません…

お金など欲しくない、名前や名声など望まない、と。

それもまた自己の表現です。


なぜなら、あなたは人々があなたを愛し、

あなたの偉大さを認めてくれることを欲するからです。

あなたは全てを放棄し、それに満足します。

お金を放棄するか、または反対に多くのお金を所有することで満足するか、

名前や名声を放棄するか、またはそれを得ることで満足するか、

それはあなたの選択次第ですが、しかしそれは同じことです。


あなたがそれを放棄するにしても、追い求めるにしても、それはセルフの表現です。

それゆえ、あなたがマインドのなかで機能している限り、

名前や名声を求めることはまったく自然なことです。

それに正直でありなさい。


そしてまたハートが開いている人々もいます。

そのような人は物に執着しませんが、それはそのように努力するからではありません。

彼らのハートが開いているので、自然にそうなるのです。


満足し、満たされている状態は彼らにとって真実であり、自然なことです。


それは彼らの動機が劣っているとか、有能でないということではありません。



彼らは自分のセルフを満足させるためではなくて、




より偉大な原因によってそうなるのです。 





 

 


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今世、私の学びはこの強烈な嫉妬心の克服から始まりました。

津留晃一

私たちが覚醒するまでに
乗り越えなければならない
ひとつの壁があります。
それが嫉妬という感情です。
「うらやましい」
という最も軽い嫉妬から、
人の成功をうらやむ「ねたみ」、
そして男女間の「やきもち」
という最も強力な
嫉妬もあります。
この嫉妬心は、
人の命さえ奪い取る力を
持っています。
今世、私の学びはこの強烈な嫉妬心の
克服から始まりました。
完全に嫉妬の心から
解放されるまでに、
私は7回の失恋を
体験させられました。
大きな心の傷と引きかえに、
私は嫉妬という
感情の発生メカニズムを
理解することができました。
陰の状態にあるとき、
ねたみの感情は
執拗に上がってきます。
払っても払っても
振りほどけるものでは
ありません。
マイナスの世界に
入り込んでいるときに
思考を使うと、
そのマイナスの宇宙は
拡大の方向へ流れていくという
自然の摂理をまず知って下さい。
そんな時には、
外側(他人や環境)に
向かっていた自分の意識を、
英断を持って切りかえ、
自分の内側深く
入っていく必要があります。
「この憂鬱な状態は、いったい
私のどんな考え方によって
創り出してしまったのだろう」
という問いかけを持って・・・。
どんな感情であれ、
あなたはあなたの内側の
モノサシ(価値観)を使い、
判断を下した結果として
感情が起きます。
感情というものは
あなたの無意識の
領域において下された、
判断に基づいて
引っ張り込んだ
エネルギーなのです。
感情は
あなたの本質では
ありません。
あなたという魂が、
記憶した情報を使い
ジャッジした結果、
感情が発生してくるだけです。
ですから情報を
書きかえてしまえば、
あなたに起きる
感情の質も
変わってしまいます。
起きてくる出来事に、
良い出来事と、悪い出来事が
あるわけではありません。
私たちが
「悪いと判断する」
出来事が起きただけです。
例えば75歳の人が
死んだとしましょう。
ある人は、
「どうして私を置いて
先に死んでしまったの」
と怒るかもしれません。
ある人は、
「このあいだの約束を
果たしてくれなくては
困るじゃないか」
と、 困惑するかもしれません。
もう逢えなくなったことを
嘆く人もいるでしょう。
はたまた大往生であったと
祝杯をあげる人も
いることでしょう。
人々の感情と出来事は
全くリンクしていないのだ
ということをしっかり
意識して下さい。
ですから私たちは
起きてくる感情によって、
どんな判断基準を持っているのか、
出来事によって
知らされているのだ
ともいえるわけです。
すなわち感情によって、
あなたがずっと昔に
しまい込んだ、
見ることの出来ない想念
(モノサシ)を見せられているのだ、
と考えればいいでしょう。
嫉妬の感情が
もう欲しくないのであれば、
自分が信じ込んでしまって、
無意識下に沈めてしまった
「思いこみ」を
手放すことによって
解決が図られます。
では「嫉み」の感情とは
どんな思い込みから
やってくるのでしょう。
「嫉み」の感情は
まずあなたの興味のないものには
発生しない
ということに気付いて下さい。
「うらやましい」
という思いは
「自分にはない」
という思いの裏返しです。
創造主であるあなたが、
うらやましい、うらやましい、
という思いを出すたびに、
自分にはない、自分にはない、
という想念を
宇宙に発信し続けている
ということに気付いて下さい。
こうしてあなたは相変わらず
自分の欲するものが
手に入らないという現実を
まねき続けます。
我々はこれまで一貫して
「そのままではいけない」
と教えられ続けました。
「そのままではいけない」
という妄想を
信じ込んでしまった人たちは、
何かしなければなりません。
これが全ての根本です。
「何かしないといけない」
と信じている自我は、
「何をしようか」
と考えます。
何をすべきかを決めるとき、
人は当然まだ
手に入れてないものを
手に入れようとするでしょう。
ですから自我は、
常に足りているものではなく、
自分に足りないものを
探しています。
あなたの自我は
いつも自分にはないものを
見つけだそうと働きます。
このままではいけないと
信じているからです。
自分のいたらなさを、
自分が持っていないものを、
自分には出来ないことを、
自分の駄目なところを、
自分の醜さを、
いつもいつもあなたが
眠っているときでさえ
あなたの無意識の世界で
欠点探しは続けられています。
ですからあなたには
突然ある思いがやってきます。
「あれが欲しい」
「これがやってみたい」
「あそこへ行ってみたい」
「あんな風になりたい」と。
あなたに足りないものを
満たそうとして
次々に欲求が起きます。
そして貪欲なのが
自我であると、
人々は純粋に
信じ込んでしまいます。
あなたは元々「無」であり、
欲深き存在では
ありませんでした。
あなたの内深くから
上がってくる欲望は、
単にあなたが
「このままではいけない」
という考え方を
受け入れたからに
他なりません。
あなたの中で
「このままではいけない」
という考え方が
「このままで良いのだ」
という考え方に
100%入れ替わった時、
あなたは自分の欲が
ぴたりと止まっていることに
気付きます。
「それでは無気力になってしまう」
と感じる人も
いるかもしれません。
「このままではいけない」
という、
あなたが長い間
育て上げた想念時空間が
あなたに働きかけてくるからです。
しかし実際はそうなりません。
あなたは自分が
大自然の中に溶け込んだ、
気力溢れる
創造主であることを
発見するでしょう。
何かを
やらなければいけない人から、
創造するものへと変わります。
あなたは
生き生きと輝いている人を見て、
「私もあんな風になりたい」
と思うかもしれません。
そしてその瞬間のあなたが
どんなに輝いているのか、
そのことに気付いていますか。
本当はあなたはその瞬間、
その人ではなく、
自分の内にある輝きを
発見しているにすぎないのです。
しかし多くの人は
そのことには気づけません。
あなたの目は
確かに外にあるその人に
向いているからです。
あなたの目は
その人が素晴らしいのだと
誤解します。
そんなとき、
あなたは外ではなく、
内側で
確かに感じている自分、
素晴らしいものを
素晴らしいと認識している
その主体に
意識をフォーカス
し続けていると、
自然にいつの間にか
「自分はこのままで良いのだ」
という感覚が、
自我の壁をやぶって
あなたの表面意識へと
浮上を始めることでしょう。
しかしこれまで通り、
あなたがあなたの目にごまかされ、
外にいる生き生きと
輝いている人に意識を
フォーカスさせ続けていると、
あなたの内なるエネルギーが
どんどんその人に
流れ出していき、
あなたと
その人のエネルギー量が
バランスを失っていきます。
素晴らしい人だと
気付いた瞬間は
等しかったエネルギー量が、
あなたがその人に
意識を向け続けることによって
あなたのエネルギーは枯れ、
その人のエネルギーばかりが
増え続けます。
そうなれば、
あなたはあの人は
素晴らしいが
それに引きかえ自分は
駄目である
という実感を
得る事になってきます。
それはあなたが
使ったエネルギー操作に
よるものだとは
露ほども知らずに・・・。
枯れてきたエネルギーによって、
あなたはいつの間にか
あの人が「うらやましい」と
思える程に
みすぼらしくなって
しまうのです。
嫉妬心は、
あなたの「自分は不完全である」
という思い込みによって
起きてきます。
自分は駄目かもしれない、
自分には魅力が足りない、
自分には力がない、
こんな思い込みがある限り
「ねたみ」の思いが
消えることはありません。
あなたは初めから完全であり、
本当は今この瞬間も完璧です。
「思い込み」さえ
取り払ってしまえば
それだけで元の完全に
戻ります。
あなたが駄目なのは、
単にあなたが
「自分は駄目だ」
という思いを
持っているからにすぎません。
創造主であるあなたが
「自分は駄目だ」
という思いを出せば、
宇宙はその通り、
あなたの思う通りの現実を
提供してくれるというわけです。
「いやいや私は
初めから駄目だった」
と言い張る人も
いることでしょう。
でも赤ん坊は
自分のことを駄目だ
などとは思っていません。
母親は親愛の情を込めて、
無垢な赤ん坊にこう言います。
「いい子になるのよ」と。
素直な子供は
全幅の信頼を置いている
母親のこの言葉を
まともに受け取ります。
「よし絶対に
いい子になってみせる」
と、 希望に
胸を膨らませながら。
そして無意識のうちに
「いい子になるには
どうすればいいのだろう」
と考えが動き始めます。
何をしたらいい子なのか、
今のままではいけない
ということなのかもしれないと、
母親の顔色を
うかがい始めます。
子供には
価値観がないからです。
そして母親の顔色によって、
いつの間にか
母親の価値観が
刷り込まれてしまいます。
そしてお父さんがやってきて
「人様に誉められるような
立派な人間にならなきゃいかんぞ」
と言います。
こうしてあなたは
「そうか誉められなきゃだめなのか、
存在しているだけでは駄目なのか、
まだ誉められてないから
やっぱり自分は
このままではいけないんだ」
と受け取ります。
あなたのライバルが成功した時、
妬んでしまうのは
「自分はあるがままで完全だ」
という信念がないからです。
「このままではいけない」
と信じているからです。
妬みの感情は
あなたの覚醒度の
とてもいいバロメーターです。
「自分はこのままで完全なのだ」
という思いが
完全に腑に落ちたとき、
あなたは
ライバルの成功に対して
純粋な祝福の思いだけが
わいてくる事でしょう。
いいえ、
あなたには
成功という言葉の意味が
消えている事に
気付くでしょう。
本当は大金持ちでいる事と、
無一文でいる事に
違いはありません。
万能でいる事と、
無能でいる事に
全く違いはないのです。
それが
「あるがままで完全である」
ということなのです。
今のあなたの、
あるがままでは
困るところはどこでしょうか。
妬みは、
そのことを
あなたに教えてくれる
神様からの贈り物なのです。

 

 

 


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女というのは猫のようにずる賢く、猫のように直観的で、 猫のように当てにならない。


<OSHOとのダルシャン(面談)より>           (1976年8月4日)

 

 

OSHO・・・プジャリン、お前は何だい?


プジャリン・・・(プエルトリコから来た女性戯曲家)、

先週くらいからものすごく怒りや暴力が出て来るのです。

(涙に崩れながら)今日はそれが動物に向かって出てしまって、

自分のそういう面が・・・(むせび泣き)


OSHO・・・どうしたんだね?

まず私に聞かせてごらん。ん?


プジャリン・・・(むせび泣きの合い間に)今日、猫を殺してしまったんです。

でも自分の愛が、動物に対してでさえ両極端に走るのを見て、

いろいろな変化が起こりました・・・。

本当にそれに愛を注ぎ込んだり、極端にいじめてみたり、

それに、愛が返って来ないと怒りが込み上げて来るんです。

今日という今日は本当に恐ろしくなって・・・(また、むせび泣く)


OSHO・・・ふむ、ふむ・・・。何も心配はいらない。

お前はそれと一緒に、自分の内側の猫も殺してしまったのだ。

何も心配することはない・・・。

その猫はまたちゃんと生まれ変わって来るだろう・・・。


だがお前は、自分の中の何か猫的なものも殺してしまった。

そして、それはいいことだ。

お前がそんなに動揺してしまったのはその為だ。

お前は自分の中の獣を殺した。

その猫は、まさに象徴的なものだった。

お前はそれを猫の上に投影した訳だ。

しかし、泣いたり涙を流したり、内側で悲しがるのはいいことだ・・・Good。


だが、心配はいらない。

お前の中である点まで沸騰していた何かが蒸発した。

お前の中の何かが死んだのだ。

そして二度と再び同じことにはならないだろう。

もしそれを見守ることが出来れば、それは二度と再び起こるまい。

だからお前の暴力、怒り、憤怒を猫と一緒に埋めなさい。

それを弔うがいい。

どの女性も内側に猫を持っている。

そしていつかある日、その猫は殺されなければならない。

そしてその猫が殺されない限り、女というのはいつまでも魔女のままなのだ。

こういうのはただのシンボルにすぎない。

神話の中では、それらは物語やお話や寓話になっている。

が、それらは本当にビューティフルなシンボルなのだ。


女というのは猫のようにずる賢く、猫のように直観的で、

猫のように当てにならず、猫のように非論理的だ。

こうしたものを全て、お前は落とすことが出来る。

そしてこの瞬間は、ひとつの大いなる機会にもなり得るものだ。

だから、それを逃してはならないよ。

3日間、深く喪に服しなさい・・・。


本当に悲しむのだ。

誰か自分にとてもとても深く関係のあった人が死んでしまった。

自分の一部、自分の存在の一員が死んでしまった。

自分の存在の一面が死んでしまったのだ。

だが、とにかくこの機会を使いなさい。

そうしなければ、お前はまたその部分を再生させないとも限らない。

それは問題だ。

ある特定の部分が死んでも、もし目を見張っていないと、

またそれを育ててしまうというのはよくあることだ。

それはちょうど1本の枝が刈り込まれても、

また別の枝が出て来て、それに取って代わるのに似ている。

もしかすると最初のよりも、もっと強い枝が出て来るかもしれない。


だからこれから3日間、よく瞑想して、悔み、悲しがるがいい・・・。

しかし、とにかく何か非常に重要なことが起こったのは確かだ。

ちょっと目を閉じて、出来る限り深く、悲しみの中に入って行ってごらん。


そしてもし体に何か起こったら、それを許しなさい・・・。

悲しみに支配されるがいい。

それに自分を貫通させなさい。

出来るだけ深く・・・。魂の闇夜だ。


※プジャリンは優しく震え始め、唇からすすり泣きが漏れている。


何分かの後、彼女はかがみ込んで、頭がOSHOの足に触れる。


激しいすすり泣きはなおも体を震わせている。

 

彼女の両手が一種絶望的な、空をつかむような動きを見せる。

 


OSHOは片方の足を伸ばして、軽くプジャリンの頭に触れた。

 


プジャリンの両手は静かに体の脇に落ち、

 

 

むせび泣きもおさまり、震えも体から去って行く。

 

 


彼女は静かに横たわって、しばらくの間、動かない・・・。

 

 

 

OSHO・・・戻っておいで・・・。

 

 

 

 

3日経ったら、お前は完全にそこから抜けた感じがするだろう。

 

 

 

 


Good、プジャリン。

 

 

 

 

 

 

「生命の歓喜・DANCE YOUR WAY TO GOD」(めるくまーる社)より

 

 

 

 

 

 

 

 

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