覚醒のひかり

僕、シャンタンが長年経験してきたことや、osho、バガヴァン、津留晃一さんなどの言葉を分かち合っていきたいと思いまあああああす!

NEW !
テーマ:

 

 

 



明後日です。どうか拡散してください。


 ◆ 5月27日(土) 11時


◆長野県上諏訪駅より、徒歩10分、諏訪湖の遊覧船乗り場前にお集まりください。



いま、日本列島を感じてみると、諏訪湖と琵琶湖がとても気になっています。


諏訪湖と琵琶湖は、ある意味繋がっています。


諏訪湖は大地の底から噴き出さんばかりの「火」の力を。


琵琶湖は「水」の力を。


火と、水が統り合わさり、『火水・カミ』となる組み合せ。



その「火」の諏訪湖は日本のへそといわれており、


フォッサマグナと中央構造線の断層が交わるところ。


もしも、日本が海底に沈む時が来るならば、


それは「諏訪湖から」と言われているところです。



"諏訪一大事"という言葉がありますが、一大事は諏訪湖から始まります。


ちょうど、そんな時ネイティブアメリカンの血と諏訪の血を引く、


『ムーンドラゴン』こと、


諏訪 瞳さんと出会いました。


諏訪 瞳さんと、シャンタンが繋がり、祈り合わせを


諏訪湖にて緊急に行うことになりました。


地球(子宮)の深部へと祈りを届けるためのツールとして、


諏訪 瞳さんのインディアンドラムのパワフルな波動と響きと、


日本で生まれたシャンタンの三昧琴の澄んだ音の響きのコラボをします。


ここまでをこの前あげてから、たくさんのひとたちが集まってくることになりました。


北海道から山本大雲さんや、群馬から福島直美さん、大島から麻弥 香織さん


千葉から西口章子さん,岐阜から和田 圭世さん、、、、、、。


どうかどんどん集まってください。


そして、なにか楽器をとくに太鼓を持ってきてください。


太鼓でカミナリさんを起こして、日本の大地のエネルギーを開放しましょう。



多くの方の愛と平和の祈りを、この諏訪湖より広げたいと思います。


この祈り合わせの時にご一緒してくださる方は、


次の場所にお集まりください。




◆ 5月27日(土) 11時


◆長野県上諏訪駅より、徒歩10分、諏訪湖の遊覧船乗り場前にお集まりください。




 5月27日(土) 12時に、諏訪湖に光の柱たてをします。祈り合わせをお願いします。 




そのひかりを



それぞれの皆さんの場所で 


受取り、祈り合わせをしてください。 


皆さんが居る、その場所が、 


光のエネルギーに満ちます。 


そうすると、地中のエネルギーが光を通して開放されます。 


よろしくおねがいします。




福島尚美

龍蛇族直系の日本人達にむけて!!

諏訪湖に大きな光の柱を建てたいと思います。
諏訪湖にはたくさんの龍が集まっています。
龍とともに生きた時代を思い出せる場所でもあります。
この地上に現れ出る大きな龍神がいます。
その龍神とともに、うたい踊り舞いたいと思います。
光の柱のまわりではたくさんの老若男女が集うことでしょう。
火の元の国(日の本)、この日本から発信いたします。
太古の昔に戻って
大地を踏み鳴らし
古来縄文を復活いたしましょう[m:76]
平和なる命の和泉
根源の聖なる涌き出る泉
地の奥の奥に封印されている
大きなマグマのエネルギー
その炎のようなダイナミックなエネルギーを開放いたしましょう
イカヅチの神々の復活です!!
大きな音の出る鳴り物が多く必要です!
太鼓やインディアンドラムなど、
大地を揺さぶり地響きするような
大きな音の出る鳴り物を
多くの男神人に叩いて響かせていただきたいと思います
かなりのおおきさです。
怒りのような荒れ狂うパワーです
封印されていた地の神々は
荒ぶる神々
炎のごとく
暴れ狂い太鼓を叩いてくださる男性の方々のご参加を多くお待ちしています!
今までかつて
ないほどの巨大な光の柱を建てていきましょう
古いものがそぎおとされて
新しい進化した日本の縄文の復活です!!
燃えるような情熱をもって
今ここにたちあがってくれる多くの男神人の参加をお待ちしています!!
忘れかけてしまった日本魂を復活させましょう!!
くくりひめさんやいろんなひめさんの復活でもあります
黄泉の国から総勢復活いたします日本の神々がいます
ひめさん達の復活祝いです
多くの舞いひめ、音ひめさん達のご参加をお待ちしています
ヒツジひめも復活いたします!
(ヒツジひめとはさいごのさいごに現れ出れるとされる浄化神
陰陽統合の女神
光の最も高き闇の最も深き
光と闇の統合の女神です。
これからの竜宮経済を担当いたします!)
懐かしき未来縄文
花園楽園地上天国の復活です!
この世は楽園ミロクの世でございます!
黄金時代の幕開けです!
めでたき祝祭で祭り祝い喜びを共に分かち合いましょう[m:76]
なぜこの日本にうまれ
この日本を選んできたのか
思い出すことでしょう!!
熱き情熱を復活させましょう!!
この日本から発信です!!




 

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
NEW !
テーマ:

 

 



■バガヴァン
 ディクシャとは、ヒンドゥー教で
「シャクティパット」と呼ばれる古代のシステムです。
それは、人類の歴史を通して、ほとんどすべての国において、
さまざまな形で行われていました。
なぜなら人間は、一つの身体から他の身体へ、
 一つのマインドから他のマインドヘと、
エネルギーを転写することができるものだからです。
それは、時代を通して、すべての大陸、
あらゆる文明において行われていました。
ヒンドゥー教においては、少なくとも数世紀の間、
ディクシャというシステムがかなり保たれていました。
 実際のところ、グル(訳注:精神的なマスター)とは、
 他の人に自分の意識状態を転写する人のことを指します。
 今、私たちは、
ディクシャを再び与える能力を開花させているのです。
それは、シンプルなディクシャではなく、パワフルなディクシャ、
つまり、ディクシャを与えられる能力を人々に与えているのです。
そのための手助けをしています。
 簡単に言えば、ディクシャとはエネルギー転写です。
このエネルギーはそれ自身が知性を持っています。
それは身体のいろいろな箇所、すなわちチャクラヘと流れていきます。
さらにそこから脳へと作用します。
そして、脳のある部分は活性化され、脳のある部分は非活性化されます。
そして、脳の中でいろいろな変化が起こります。
それらの変化によって、皆さんの心を開花させたり、
 神実現したり、あるいは、悟りを得たりします。
 皆さんが、どのような状態を得るかは、
 皆さんの持つ条件付けによるでしょう。
キリスト教徒なのか仏教徒なのか、イスラム教徒なのか
 ヒンドゥー教徒なのかということが、それを決める要因になります。
 私たちが思うに、この状態を得られない人は一人もいません。


 

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
NEW !
テーマ:

 

 

 



その歌に、あなたの署名はない。それは、存在そのものの歌だ。


osho

まず、瞑想とはマインドの中にあるものではない。

世界はマインドの中にある。

瞑想は、マインドを超えたところにある。

マインドは世界を創造するが、瞑想を生み出すことは出来ない。

マインドがもたらすのは、不満、充足、快楽、苦痛、不安、苦悩、

もしくは動物のような満足、水牛のような満足だ。

だが、水牛は、瞑想の中にはいない。 
 

瞑想への大切な一歩となるのは、神聖なる不満であり、満足ではない。

自分の金、自分の力、自分の評判に満足している人間が、

どうして瞑想するだろう?

  
大昔から、全ての宗教が同じことをして来た。

人々に阿片を与えること。人々を満足させること。

人々に慰めを与えること。

この世間に満足することには、宗教的な価値があると教えること。

全ての宗教は、人々に慰めを与えて来た。

だが、慰めは宗教ではない。

宗教は革命だ。

そして革命が、満足から生まれることはない。


それは途方もない不満から生まれる・・ 

瞑想をマーケット・プレイスにもたらすがいい。

だが瞑想とは、満足という意味ではない。

いつかは満足がやって来る。

だが、それは瞑想の出発点ではなく、

瞑想の究極の開花においてもたらされる。


瞑想が深まるにつれて、あなたはより静かになり、平和に満ちて来る。

よりバランスが取れ、より中心が定まり、気づきが増し、意識的になる。

それにつれて、満足はまるで影のように、あなたに付き従うようになる。


だが、そうなるのはあなたの作為によってではない。 

私は、人々に満足を教えない。

だが、これまでも人々は騙され、ペテンにかけられて来た。

あなたが世間に入って、自分の欲望に満足する方法や、

自分の状態に満足する方法を人々に教えるなら、

あなたは人々から愛され、尊敬されるだろう。

だが、それによってあなたは、人々の精神に鋭さを与える訳でもなく、

人々に英知をもたらす訳でもない。

あなたは人々を鈍感にし、凡庸にする。 

あなたは、人々が自分自身の存在を変容させるのを助けてはいない。


その場合には、不満が必要だからだ。

人は、自分を変容させる為には、どんな代償、

どんな危険もいとわなくなるほど、世間に対して絶望しなければならない。


瞑想とは、危険なものだ。

危険というのは、あなたのエゴが犠牲になるからだ。

あなたが残るか、それとも瞑想が起こるかのどちらかだ。 

普通、あなた方は「自分が瞑想する」と考える。

あなた方には、瞑想という現象が分かっていない。

あなたが瞑想することは出来ない。

あなたは障壁であり、邪魔者であるに過ぎない。

瞑想に起こって欲しかったら、あなたは消えなければならない。

自分が重要だという考えは、捨てなければならない。 

無のごとき人間にならなければならない。

あなたが無のごとくなった時、沈黙があなたを訪れ、

それに続いて満足がやって来る。

それは、世間に対する満足ではない。


存在に対する満足、星や、薔薇や、海や、岩や、山々に対する満足だ。


それは、一国の大統領や首相になることによる満足ではない。

世界一の金持ちになることによる満足でもない。

それは、あなた方の野心の世界とは、全く関係がない。

それは、野心のない状態だ。


完全に空っぽであり、あなた自身もいない。 

そのような空っぽさの中に、満足がある。

花が咲くのは、そんな時だけだ。

だが、そのような満足は神に属するものであり、

あなたが求めて達成したものではない。

あなたは、それが起こるのを許しただけだ。


あなたは、その邪魔をしなかった。あなたは、

中空の竹のように、竹笛のようになった。

そして歌が自分を通り抜けていくのを許したのだ。

それは、あなたの歌ではない。

その歌に、あなたの署名はない。


それは、存在そのものの歌だ。




 

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
NEW !
テーマ:

 

 

 

 



この歓びの時を迎えるには、 

あなたのエゴのギブアップ宣言がどうしても必要なのです。 


津留晃一 

  解脱は、元々我々の足下、今ここにありました。 

 求め続けた悟りなるものは どこにも求める 

必要などなかったことがわかりました。 

 今ここが自分にとって最善の場所であるということが 

自分の信念の中心に座ったとき、自我は沈静化してしまうものです。 

この時あなたの自我は何も求めなくなります。 

 起こってくることを楽しむようになります。 

 今この時よりも最良の瞬間など、 

どこにもないことを確信できたとき、 

あなたの心は安らぎ、涅槃の言葉の意味を知るでしょう。 

 今、癌を患っているあなたにとってもその事に変わりありません。 

その瞬間は、あなたが求めることを放棄した時にのみやってきます。 

この歓びの時を迎えるには、 

あなたのエゴのギブアップ宣言がどうしても必要なのです。 

  「求めなくて悟れるはずなどないではないか」 
そんな信念をお持ちのあなたにこそ申し上げたいのです。 

ほんの少しの間その信念を脇に置いてこの先を読んでみて下さい。 

 求めようとする心こそが 
 あなたの悟りの道への最大の障害となっている 
 という仮定のもとにこの先を読み進めてみて下さい。 

 私はあるとき問いかけました。 

 「私は地球人類のために貢献したいと決めています。 

さらに効率よく人々に貢献するために、 
 今私の中のどんなところを変えればいいでしょうか。 

 私はまだまだ自分が 
到らない人間であることを充分に知っています。 

 自分にはいくつかの欠点があるのではないかと思います。 

でも残念ながら私は自分の改めるべき点に気付いていません。 

 変えるべき欠点があればどんなことでもお教え下さい。 

ご指摘された問題点を必ず改めたいと思います。」 
というものでした。 

 私はその時まで、 
 人は誰でも改めるべき欠点を持っていて、 
それを改めたときに人は悟るのだと考えていました。 

しかし返ってきた答えはこうでした。 

 「あなたに改めるべき点など何もありません。 

 人に欠点というものは存在しません。 

 人にはそれぞれ異なった特質が備わっており、 

その特質を役立てたとき人々はそれを長所と言い、 

 特質を活かしきれなかったときその現れ方を欠点と言います。 

 長所、短所は一つの特質の裏表です。 

ですからあなたに改めるべき点など何もありません。」 

  「一つだけいうとするならば、 
あなたのその『改めなければならない点があるという考え方』 
だけです。」と教えていただきました。 

 私はその言葉を素直にそのまま受け取り、 
 「ああそうか、私には変えるところなど何もないのだ。 

このままでいいのだ。 

 何かを変えようなどとせず、 
 単に人々に歓びを創造し続ければそれでいいのだ。」と解りました。 

  それから私は急激に変わり始めました。 

 今、自分の目の前にある事に夢中で係わっていると、 

 次々と自分の自我に気付いてくるのです。 

 本当に簡単なことでした。 


あんなに自分を変えようと格闘していたことが 


 まるで嘘のようでした 
 

 

 

 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 

 


津留晃一
「現実」という
言葉の概念に向けて
意識の焦点をあわせていくと、
私の意識は空間をさまよい、
やがて私の心の中に
戻ってきます。
現実と呼べるものは
私の想念の中にあるという
当たり前の事に気付かされます。
目の前に展開されている
「現実」を眺めながら、
それを心の中にたどっていくと、
そこに私の想念が発見されます。
「私にとって
この想念は必要なのだろうか」
とチェックしてみると、
必要というわけではない
ということがわかります。
ですが
「では、その考えを手放そう」
と思ってみたときに
心の中には葛藤が生じます。
何がこの葛藤を
誘発しているのかと
探してみると、
私がこれまで
永い間慣れ親しんできた、
固定的観念が上がってきます。
この古い価値観と
対面させられる事になります。
そんな時には
この葛藤の元となっている
習慣的考え方に、
しっかりと
意識の照準を合わせます。
そうしていると、
それに関する様々な恐れや、
雑念が上がってきます。
その一つ一つに
丹念に意識を合わせて下さい。
恐れがあるなら
そこにじっと意識を合わせ、
自分の中心を外さないで下さい。
あなたの心が
ハートの中心にいて、
何かに意識を合わせていると、
その対象に、
あなたの内面の光が
照射されます。
そしてやがて数分の内に、
不思議なことにそれが
どうでもいいことのように
思えてきます。
そしてそんな時には、
その対象に
意識を向け続けるだけの
集中力が無くなっています。
すなわち集中力が
途切れた時には、
既にその固定的考え方が、
もはやあなたを動かす力を
なくしてしまっている
わけです。
そしてあなたは
一つの習慣的考え方から
自由になります。
あなたの内面から上がってくる
葛藤のエネルギーが、
古い価値観を破る
破壊のエネルギーとして
働いてくれるわけです。
こうして
あなたの眼前に展開される
一つひとつの出来事が、
あなたを無心へと
導いてくれる
原動力となるわけです。
どうぞ自分のために
静かな時間を
とってあげて下さい。
あなたの古い価値観を
はずすためには、
どうしてもこうした
エネルギーワークが
必要となるからです。



 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:


 



バガバァン

自己(self)は錯覚を生じさせます。 

自己は本当には存在しません。 

単に感覚器官の協調により発生したものです。 

いろいろな心理的要素がそれを創り出しています。 

それ自身の存在はありません。 


常に、あなたはあなたがいると推測しているでしょう。 

あなたはあなたがいると強く感じています。 

それは、誰かがあなたを愛するときに起こります。 

あたかも、あなたはあなたが居るように感じています。 

そうすると、あなたは必要とされているように思います。 

それは、大きな安心感と心地良さをあなたに与えます。 

だから、あなたは愛を渇望するのです。 


『あなた自身が愛だ』ということを発見しさえすれば、 

あなたは、もう愛を乞うことはなくなります。 

あなたがこれまで話してきた愛は、ただ愛を乞うているだけです。 

ただ、愛を乞い続けていただけです。 


もう、愛を乞うことはなくなります。 


でも、この本当の愛を発見すると、


あなたはただ愛を与えるようになります。 


本当の愛を持つと言うことは、ほとんど悟ることと同じです。 


あなたが悟るとあなたはそこにいません。 



あなたがそこに居なく、あるのはただ愛だけです。 




こうなると、あなたは愛を乞いません。 






 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:








<OSHOとのダルシャン(面談)より>       (1976年7月28日) 




OSHO・・・(イタリアから来て、サニヤスを受けようとしている探求者に)

目を閉じて、もし何かが起こったらそれを許しなさい。

自分の内側で私のエネルギーを感じてごらん・・・。 


※カテリーナは目を閉じて、1分から2分ほとんど微動だにせずに坐り、その間にOSHOは彼女のサニヤス名を書いた。OSHOはそれから、しばしペンシルライトを彼女の顔に当てながらカテリーナを凝視した。 


OSHO・・・これがあなたの新しい名前だ。

アナンド・サハジョ。

アナンドは至福を意味し、サハジョは自然に内から出て来るという意味だ。

内発性の至福。

そしてサハジョというのは、ある女性の神秘家の名前でもある。

偉大なインドの聖者、世にもまれな女性の神秘家のひとりだ。 

私があなたにこの名前をあげるのは、絶えず内発的で

いなければならないということを、覚えていられるようにする為だ。

瞬間から瞬間へと生きなさい。

過去のことを考えたり、未来のことを考えたりしないこと。

両方とも存在しないものだ。

過去はもう去っている。

未来はまだ来ていない。

あるのは現在だけなのだ。 


だから、現在の中にいることこそ唯一の在り方なのだ。

その瞬間に感応出来る状態でいなさい。

もし誰かが何かを聞いても、自分のマインドから答えないこと。

マインドは脇に置いておくがいい。

なぜならば、マインドというのは決して内発的ではあり得ないからだ。

そして内発的であり得ないものなど、あなたではない。 

マインドを脇にのけると、あなたの内発的な実存が浮かび上がって来る。

だから一貫性などに構うことはない。

そんな必要はない。

あるひとつの人格を持つ必要などない。

人格というのは、過去が現在を決定するということだからだ。

自分は過去にあることをやって来た。

今、自分はそれと一貫していなければならない。

それが人格の何たるかなのだ。 

社会は、あなたにも他のあらゆる人にも人格を持たせたがる。

なぜならば、人格を持った人間というのは簡単に操れるからだ。

人格を持った人間は予測可能だ。

内発的な人間は予測不能だ。

彼は根本的なところで自由なのだから・・・

次に彼が何をするかは決して分からない。

自分でも次の瞬間に何が起こるか予測出来ない。 

もし次の瞬間に何が起ころうとしているか、自分が

何をしようとしているか分かったら、あなたはもうすでに死んでいる。

それでは、その瞬間は生きた、新鮮な、若々しいものではあり得ない。

あなたはもうすでに、それに対する構えを取ってしまっている。

だから何も用意はいらない。

ただ次の瞬間が来るのを待って、結果がどうであれ

自分の全体性(トータリティ)をもって感応するのだ。 

結果を考えるということは、世間的であることだ。


そして結果を考えるのを止めることが、サニヤシンになることなのだ。

分かるかな?

それがこの名前の意味だ。

そして、それはあなたの名前になるだけではない。

それはあなたの実存そのものにならなければならない。

何か言いたいことはあるかな? 


ラダ(通訳)・・・彼女はどのグループをやるべきか知りたがっています。

彼女は8月の10日までしかいられません。

カシミールの山に行きたいからです。

彼女は山に登るのが大好きなのです。

彼女はイタリアでも山に登っています。

彼女はとても達者な登山家なのです。 


OSHO・・・私よりも大きな山は見つかるまい!

(笑)だが行くのはいい・・・いい練習になるだろう! 

ラダ・・・延ばすことも出来るそうです。 


OSHO・・・延ばしなさい。そうでないと、

早く山に来すぎたということになるだろう。

少なくとも1ヶ月ここにいて、私の何かを吸収出来るようになりなさい。

そうしたら私が山にのっけてあげよう。

何か他に言いたいことは? 


ラダ・・・彼女は小さい頃から音楽を勉強していて、

大きなコンサートでオルガンを弾いて来ました。

けれども、今彼女の中にはある衝突があります。

それを続けるべきかどうか分からないのです。 


OSHO・・・音楽というのは、絶対に

捨てるべきでないビューティフルなものだ。

それは一種の瞑想なのだ。

だからそれを捨てるよりは、むしろその中にもっと深く入って行きなさい。

私がその中にもっと深く入って行くのを助けてあげよう。

私にはどこに問題があるか理解出来る。

問題は音楽の中にあるのではない。

問題は「演奏家」でいることにある。 


ラダ・・・彼女が言うには、自分の問題は

音楽の中で完全に自分を実現したいということだそうです。

そうすれば、もうこれ以上コンサートはやらないだろうと言っています。 


OSHO・・・そう、私が言っているのはそれだ・・・。

「演奏」が問題なのだ。

世の中には本当のところ演ぜられ得ないものがある。

もしそれが自分の中の深いところにあったら、

ごく共感度の高い愛を持った聴衆が得られない限り、

あなたはそれを他人の前でやることなど出来ないものだ。

そして、そういう聴衆というのはなかなか得られるものではない。

公衆の面前でコンサートをやるというのは、

路上でセックスするようなものだ。

それはそれほどに親密なものであり、人は柔らかなハートを

あんな公衆の凝視にさらすなどということに戸惑いを感じてしまう。 


ラダ・・・彼女は、自分が思う存分ほかの人達に音楽を

与えてあげることが出来ないことも問題だと感じています。 


OSHO・・・それは可能になるだろう。

あなたが瞑想の中に深く入って行けば行くだけ、

音楽の質も変わって来るだろう。

あなたの能力も変わってゆく。

あなたは音楽の中にもっと根づいた感じになるだろう。

だから今の今はここで瞑想し、いくつかグループをやりなさい。

ここは音楽グループもあるから、それに参加してごらん。

そして、あれは演奏ではない。あれは瞑想だ。 

(ラダに)そしていつか彼女はここ(ダルシャンの席)に来て、

演奏しなくてはいけないよ。


何でもやりたいものをやればいい。


とにかく彼女がどこにいるかを私が感じられるようにする為だ。



そして、ここで私の前で演奏する時には



(サハジョに)自分自身を完全に忘れてしまうことだ。




30分間、出来る限り深く入り込むがいい。





そうすれば、私はどこにブロック(エネルギーの滞り)






があるかを感じることが出来る。







それが分かれば打つ手もあるというものだ。 Good サハジョ! 







 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(1)

テーマ:




田中徳子

花空お話館 【梨】 花空著




僕が小学校3年生の夏休みのときのこと・・・。 

家の近くの道の端に座って、ただ何となくぼーっとしていた。 

こういうの・・・ただぼーっとしているの・・・ 

空や雲をながめたり・・・道端の草花が風にゆれるのを見ていたり・・・

アリがえさを運ぶのや、カエルが葉っぱの影でじーっと

身をひそめているのを観察したり・・・ 

そんなことをただぼーっとしているのが好きだった。 




あるとき・・・向こうからおじいさんが歩いてくるのが見えた。 

あんましきれいじゃなかった。 

着ているものは汚れているようにも見えた。 



僕の目の前に来たとき、僕は【こんにちは】と挨拶した。 

いつも校長先生が【挨拶はきちんとしましょう】って言っているからね、

みんな挨拶はちゃんとしてる。 



【おぅ~?ぼーはおじちゃんが見えるんかい。    

そうかそうか・・・ぼーは何をしてるんじゃ?】 

変なことを言うおじいさんだなあって思ったけど・・・ 

おじいさんが汚いかっこしてるから、だあれも声を掛けないだけ

なんだなってその時は思ったんだ。 


【おじいさんはどうしてそんなに汚いかっこしてるの?

もっときれいにしていたほうが良いと思うけど】 

僕は今なら決して言わないようなことを言っていた。 
まだまだガキだったんだと思うよ。 



おじいさんは 涙を流しながら大笑いをして言った。 

【そうかそうか・・・そうじゃのう・・・

わかったよ。もっときれいなかっこしてみるよ】 



そうしてポケットから1つ梨を出して、 

【ぼーは良い子じゃのう。この梨をあげよう。  この梨を食べるとな・・・

<嫌なことは1つもナーシ>っつってな】むふふふ・・・・・ 

と、誰も笑わないような親父ギャグを言ってすたすたと歩いていってしまった。 





僕は・・・あの汚い洋服のポケットに入っていたって思っただけで

食べる気はしなかったけど・・・ 

でも何となくあのおじいさんのことばが気になって・・・ 

僕のシャツに強くこすり付けてから、一口かぶりついた。 




甘くて・・・すごくおいしかった。 






次の日も・・・僕は道端に座り込んでただぼーっとしていた。 


すると、あのおじいさんはやってきた。 


【おぅ~。ぼー・・・梨はおいしかったかい?】 

そう言ったおじいさんを見上げると、おじいさんはとんでもない格好をしていた。 

なつかしの一曲みたいな歌番組で見たことがある・・・

西条何とかって人がヤングマンって歌を歌ったときの・・・

あんな感じの洋服だった。 


僕は目が点になった。 


【おじいさん、その洋服どうしたの?変だよ・・・すっごく変。

やめたほうが良いよ。もうちょっと歳を考えなよ。】って思わず言った。 



【そうかい?変かい?かっこ良いと思ったんじゃが。・・・・・だめかい・・・」 


まったく変なおじいさんだ。 


【ぼー、今日も梨を1つあげよう。<この梨を食べると悲しいことは1つもナーシ>

ってな】むふふふ・・・・・ 

今日はポケットがきれいに見えたから、

ちょこっとシャツで拭いてがぶりとかぶりついた。 



甘くておいしかった。 




何となくおじいさんに会うのが楽しみで、 

僕は毎日道端に座っておじいさんを待った。 


それからおじいさんはいろんな格好をして現れた。 

インディアンの酋長みたいなかっこう・・・ 
サラリーマンみたいにスーツだったり・・・ 
TシャツにGパンなんてときもあったなあ。 

そして、やっぱり梨を1つづつくれた。 

<この梨を食べるとつらいことは1つもナーシ> 
<この梨を食べると苦しいことは1つもナーシ> 
<この梨を食べるとだめなことは1つもナーシ> 

相変わらずな親父ギャグだった。 





夏休み最後の日がやってきた。 

きちんとおじいさんに挨拶しとかなくちゃって思ってた。 



僕は道端に座っておじいさんを待った。 

しっかりとおじいさんが歩いてくるほうを見て、今か今かと待っていた。 




すると・・・おじいさんはながあい杖をつきながらゆっくりと歩いてきた。 


おじいさんのかっこうは・・・まるで絵本に出てくる【仙人】のようだった。 


僕は言った。 


【おじいさん、すごいよ。おじいさんにぴったりのかっこうしてるよ。

今までで1番似合ってるよ。すげえ・・・かっこ良い!!!】って。 

本当にすごく似合っていて、今まで出1番かっこよく見えた。 



【ぼー、そうかそうか・・・1番似合っているか・・・。】 

すごく嬉しそうに笑って・・・ 

【ぼー、今日が最後じゃな。ぼーに出会ってすごく楽しかったよ。

 嬉しかった。ありがとう。】そう言った。 


僕はまた会いたいって言った。 


おじいさんは・・・【いつもわしはぼーっと一緒じゃよ】と言った。 




今日も梨をあげよう・・・と1つ梨をくれた。 


今日の梨は・・・<全部がナーシ>だって。 


その時の僕には難しくてわからなかったけど・・・ 
(今の僕にもまだよくわからないけど) 

【空】って言う言葉を教えてくれた。 



僕がどんな格好をしているときのおじいさんにも、

変わらないでおしゃべりしたりしてくれたのが嬉しかったって・・・ 

おじいさんは言った。 



大人になった僕は、時々空を見上げてはおじいさんに話しかける。 


だけど知ってるんだ。 


おじいさんは本当は僕のハートにいつもいてくれてるって。 



梨を見ると思い出す。 

おじいさんが親父ギャグを言ってあと、下をぺろっと出して

すっごくお茶目な顔でおどけて見せてくれたこと。 

最高の笑顔だったな!!!!! 
 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(1)

テーマ:




バガバァン 


五感を、思考の支配から自由にすることは可能です。 

思考は、要求されたときには必要です。 

しかし、そうでなければ、なぜ思考が干渉すべきでしょうか。 

思考が実際の体験を干渉する必要はありません。 

五感が、思考又はマインドの支配から自由になったとき、 

その時私達は、あなたが無条件の喜び、無条件の愛を発見したと言います。 

このように無条件の喜びと共にいると、あなたは皆とつながっていると感じます。 

こうしてあなたは本当の愛を発見します。 

本当の愛と本当の喜びは、別々のものではありません。 

この二つは、一つの同じものです。 

これは自然の現象です。 

あなたは、そうなるようにデザインされているのです。 

これが、常に人類が体験するはずのことなのです。 

あなたはそれを体験しないので、人生が苦痛(みじめ)になったのです。 


その精神的苦痛から逃れるために、あなたは様々な逃避手段を作ってきました。 

あなたは、いつも精神的苦痛から逃れようとしてきました。 

この精神的苦痛それ自身、あなたが現実を体験しないことから作られています。 

そのため人々は、アルコールや薬物やセックスなどなどに走ります。 

そうしなければ、あなたの人生にあるものが、 

意味のないものになってしまうからです。 

ですから、この運動の全ての試みは、 

あなたが現実をあるがままに体験することを助けることです。 


それが起こる時、あなたは、無条件の愛と無条件の喜びを発見し、 

あなたは、全ての物、全ての人とつながっていると感じます。 


あなたは、切り離された個人とは感じません。 


あなたは、もう、あなたのためだけに生きることは、なくなります。 


あなた自身が皆になります。 



 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 

 

全ては完全なゆとりの中で、 穏やかな環境の中で生活が出来るようになってきます。


津留晃一


「働かざるもの食うべからず」という価値観があります。

「何もしない人間には価値がない」という考え方です。

「その通りだ」と思われる方が多いことでしょう。

「人の役に立たなかったら生きている価値がない」

という考え方が現代の道徳律の骨格にあるようです。

しかしこの考え方の裏側の作用として、

 役に立たない人間を裁いてしまう
 
という結果を生みだしていることも事実です。

「今、自分は充分に人の役には立っていないのではないか」
とその裏面に意識が向いたとき、

「このままではいけない」という思いがわいてきます。

「自分にはもっと人のために何か出来るのではないか」

と思考がまわり始める事でしょう。

そして、そんな風に考えている自分を
 
なんだか嬉しく感じていることに気付いて下さい。

これは思考を使って自己を満たしている想念作業なのです。


自我はこれで満たされるわけです。

三次元の人間意識の中にある人は、

こうして自己を満たすという思考ゲームを続けています。

これが地球人類のこれまでのゲームでした。

 特定の価値観を握ると、そこに満たされた思いと、

 満たされなかった思いの二極を体験することが出来ます。

満たされなかった思いを満たしてやるというゲームです。

全ての価値観に

表と裏という二面性があるのだということを知って下さい。

どんな考え方であれ、それを受け入れると、

そこから二極の世界へ入っていくのです。

もちろん二極性の世界が悪いと言っているわけではありません。

二極的思考になれきっている我々は、

 「これこれはこうです」という話を納得すると、

その瞬間からそうでないものを
間違っている、正しくない、異質のものとして認識し始めます。

 ニュートラルな世界へ入っていくためには、
 数学でいう「逆は必ずしも真ならず」
という発想方法を身につけて下さい。

その反対は間違ったものでも、正しいものでもありません。

ただそうであるだけです。

「あの人はこんなことを言っていたからおかしい」
という考えが浮かんだ瞬間に
「あ、これは二極思考だ」と気付いていて下さい。

あなたの正しさに反するものが、
 
間違っているというわけではないのです。

であるならば「人の役に立っていない」

という状態も別に問題ではありません。

「人の価値はその存在にある」と伝えられました。

これまで人類は
 
この存在の価値をあまり認めようとはしませんでした。

それは存在を当たり前と受け止め続けてきたからです。

あって当たり前と思えるものに価値を見いだせなかったのは、
 
当然といえば当然でしょう。


健康な人が

健康であることに喜びを発見できないのと同じです。

病気の人が健康にフォーカスし始めると、
 
健康であること事態に喜びを見い出すようになるように、

我々は単に「在ること」事態にフォーカスし始めると、

ただ「在ること」に至福を体験できるようになります。

そしてこの「在ること」に意識を向け続けると、

その悦びの大きさに、

人はだんだん圧倒されてくるようになってきます。

あまりに偉大すぎる
 
その「存在」に強烈なエクスタシーを体験することでしょう。

自分が存在することの至福を体験し始めた人は、

これまで自分の抱いていた「無価値感」という概念が
 
いつの間にか消滅してしまっていることに気付くでしょう。

「自分はもっと人の役に立つべきだ」とお思っている方は、


何か行動を始める前に、
 
役に立ちたいという思いはどこからやって来ているのか、

その源に意識を向けてみて下さい。

「この思いはいったいどこからやって来るのか」

と内側に問いかけてみて下さい。

この尊い考え方も、ひょっとして、

エゴの欲望を満たそうとする、
 
自己満足的活動であったかもしれないと・・・。

自我が「良いこと」と判断して取る行動は、

あくまでも純粋動機に基づく行動ではありません。

全ての「良い」、「悪い」の価値観を手放して委ねていると、
あなたの肉体を通して
存在の源から純粋な動機がわき上がってきます。

あなたの価値判断を使うことなくそれはやって来ます。

それが「大いなる一つ」の活動欲求です。

その「大いなる一つ」の欲求に従って行動していくとき、
あなたは世界一役立つ人間そのものになっていることでしょう。

そんな人が「何かしないといけない」と、
 不安を感じることはありません。

そんな人は、たとえ今何もしていなくても
「このままではいけない」
というエゴの脅迫にたじろぐこともありません。

存在の至福を理解できる人であるからです。

 そして自我を超越し、
ハイヤーセルフに委ねて生活している人が、
 忙しさを体験することもありません。

全ては完全なゆとりの中で、

 穏やかな環境の中で生活が出来るようになってきます。

もしあなたが忙しいと感じているとしたら、
それは時間を焦っているということです。

もう一度全てを手放し委ねきりましょう。

 あなたは存在している事に価値があります。

あなた一人がもし欠けたとしたら、

この宇宙はその瞬間消滅すると伝えられました。

あなたの存在がこの宇宙を支えています。

たとえそれが寝たきりの障害者であったとしてもです。

あなたはそんなかけがえのない一人です。

何かすることがあなたの役割ということではありません。

寝たきりの人は寝たきりでいる事がその人の役割です。

看病をしたいというその人のために

自らその身を横たえ奉仕しているわけです。



 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。