さてと、、

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お久しぶりです。

次のライヴに向けて、少しずつ動きだそうかと言うところです。
なにしろ、我がバンドは人数も多いので、その大きな車体を動かすには、排気量の大きなエンジンに、たっぷりの燃料を入れないとダメなのであります(笑)。

ま、でも、腕まくりして、頑張ってエンジンかけますからね。

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さんぽのき 増刷!!

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ソング絵本、「さんぽのき」の増刷が決まった!

「さんぽのき」は僕とトヤサンで曲を書き、前ちゃんが詞を書いて、魅惑の音楽団でレコーディングしたCDが付いている絵本だ(レコーディングした頃は、まだ、ズミさん、ケイちゃん、Seiちゃん、伊勢君は加入前でした………)。

歌は、絵本作家のサトシンさんと真珠まりこさん。絵本の原作も前ちゃん(前田たかひろ)なのである。


誰からだか、「本屋に行ったら売り切れで、もう入荷しないんだって!!」と聞いてたので、嬉しい限りだ。
これで、また「さんぽのき」が本屋に並ぶ。

全部で5コーラスあるのだが、その5コーラス全てのアレンジを変えてある。だから、「あなたは何番が好き?」と言うと、歌詞だけではなく、アレンジもと言う事になるのだ。

是非、みなさん、ご購入を!!
因みに、僕達の著作印税は、全額被災地に寄付致しております。
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公開練習

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3月23日、僕らは鎌倉市立西中学(仮称)で1年ぶりに公開練習を行った。

現役吹奏楽部の部活動の一環として行われたが、卒業したばかりの旧3年生、保護者、職員、それに、ほかの部活の生徒も多数訪れた。

今回参加したメンバーは、僕の他、トヤサン、長谷川君、菱ちゃん、ズミさん、宗ちゃん、よすおさん、コバちゃん、まちゃさんの合計9人。スケジュールの都合で欠席者が多かったが、それでも9人も集った。普通のバンドのおよそ倍である。

最後はみんなで記念撮影をして和やかに締めくくった。

公開リハーサルについては、昨年も書いたが、「音楽の面白さを体験してもらう」と言う意味では、ふつうのコンサートよりも身近ではないだろうか?
途中、トヤサンのお話なども出て、普段聴かれないような音楽の話なども出来た気がする。

先生からは、非公式ながら、「毎年恒例になったらうれしい」とお言葉をいただいた。

今後は、もしも他の学校などからでも声が掛かれば、積極的に考えてみたい。
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自宅録音……2

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21~3歳の頃、僕の音楽の活動場所はライヴハウスからだんだん自宅へと移行して行った。つまりオタク化だ。
「オタク」と言われると、自分としてはかなり違和感があったのだが、ステージで演奏するよりも、自分の作品を作り上げる事に熱中した。

当時はシーケンサーはまだ一般的ではなかったので、シンセの類いは全て「手弾き」と言う事になる。つまり、キーボーディストではない僕には、無理だったのだ。

そこで、友達2人とユニットを組んだ。
M君はギターとキーボード。A君はキーボードとベース担当。
僕らはOrbits(オービッツ)と名乗る事にした。

ドラムに関しては、生ではなかった。人からシーケンシャルサーキット社のドラムマシーンを借り録音していた。当然それはすぐ持ち主に返さなくてはならなかった。暫くして、ヤマハからRX-11と言うのが発売されたので、僕はすぐに買った(正直、今の物と比べると、月とスッポン、いい音ではなかった)。メンバーでは、僕だけが定職(アルバイトではなく、一応社員であった。ま、僕としてはあまり変らないのだが……)を持っていたので、その役目は自然と僕と言う事になった。
僕の職業も、相変わらず運送業であったが、今度のところは、前の会社より、手取りで2万円多く貰え、しかも7時には家に帰って来る事が出来た。

M君もA君も同じ市内に住んでいたが、録音は僕の家ではなく、M君のおばあちゃんの家で行った。
正確には、「M君のおばあちゃんが住んでいた、現在は空き家」で行った。
ここはお墓と隣接していて、或る木戸を開け、暗い細道を行った先にあった。こう言ったら大変失礼かもしれないが、「お化け屋敷」と言っても不思議ではない建物だった。
特に夜、ひとりでそこに行くのはとても怖かった。
ここには、何故か大黒様が置き忘れられていた。だから僕らはここを「大黒スタジオ」と自然にネーミングして呼んでいた。
大黒スタジオは僕の家から歩いて5分の距離にあった。
僕は仕事が終るとそこへ行き、歌やコーラスを録ったりしてたのだが、それが終っても、玄関から木戸まで行くのが怖かったので、朝になるまでそこで待って明るくなってから帰る事もしばしばあった。
一度、どこからか、野良犬が玄関と木戸の間に入り込んでしまい、一晩中暴れてた事があった。僕は犬を飼っていて犬は怖くはなかったが、でも流石に、玄関から出て、野良犬ちゃんの為に木戸を開けてやるなんてことは怖くて出来なかった。ここの暗さは、灯の類いが一切なく、月の光も星の光も当たらない、つまり目を瞑ったのと同じ状態の暗さであった。ホントの暗闇であったのだ。
ある時は、そこに行った時、先ずは木戸を開け、暗い小道を歩き、玄関の前まで行き、玄関の鍵を鍵穴に刺し……、実はこれが真っ暗で大変だった………、玄関を開けたら、中から猫が飛び出してきて、その時はホント心臓が止まるかと思った。
ホラー映画さながらの経験をして、玄関に入ると手を上に延ばし、裸電球のスイッチをひねって、第一灯を入れるのだった。暫くは、腰が抜けて何もする事が出来ないでいた。M君が1時間ほどして来たので、その話しをすると、「作り話はやめろ!」と逆ギレされた。
そこは2Fもあったし、他の部屋もあったが、僕らは玄関の隣のスタジオ(?)以外、行った事がなかった。怖くてそんな気になれなかったのだ。当然、トイレも使わないし、水道もない、、、。
現在、コンピューターさえあれば、当時の様な事は容易に出来てしまう。今の若いやつらにこんな苦労をさせてやりたい、なんて思う僕は、意地がわるいだろうか?

つづく?

自宅録音……1

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「自宅録音」と言う言葉、最近はあまり聞かない。
今はDTMというのかな?でも、自宅録音とDTM、僕の感じてる印象は随分違う気がする。

DTMはデスク・トップ・ミュージックの略で、コンピューターを使って音楽を作り上げて行く事だ。自宅録音はアナログな印象。

僕が自宅録音を始めたのは20歳の頃だ。当時、周りの音楽仲間でそれをやってる人はほとんどいなかったと思う。
でも、僕の先輩で、テープ・レコーダーで演奏を綺麗に録音する人は実は2人位いた。その音質の素晴らしさに驚愕した覚えがある。それは、ドラムも生、全部、生。シンセサイザーなどは使ってなかった………と言うか,ポリフォニックのシンセは……なかった。有っても、ぼくらアマチュアが手の届くようなものではなかった。そんな時代だ。
僕は20歳の頃、バンドと言うものに幻滅し、ソロ活動をしようと決心した。何故,幻滅したかと言うと、僕の周りで音楽を演ってる人達は、「プロを目指す」なんて事は口に出さない人がほとんどだったからだ。内心はどう思っていたかは分からない。でも、プロになると言うのは現実性に欠け、「ちょっとおかしいんじゃないの?」と思われてしまう事も有ったみたいだ。だからなのか、みんな少し冷めていた感じがする。そうなると、バンドの方も、真剣さに欠けるメンバーが多く、女の子とのデートを優先させたり、遊びに行っちゃって練習をすっぽかすなんてことは珍しくなかったからだ。僕は思ったようにならないメンバーに嫌気がさし、バンド活動と決別、ドラムからボーカルにパート・チェンジ、そして、持っていた車を売って、お金を貯め、MTRを買う事にしたのだった。
MTRはマルチ・トラック・レコーダーの略で、つまりオーバー・ダビングの出来るテープ・レコーダーである。
ティアックの33-8と言うレコーダー、当時定価で58万円、それにDBX(ノイズリダクションシステム)確か14万くらい、ミキサーは35万円、シュアーのマイク4本と、コンデンサー・マイクを2本、その他もろもろ買った。僕は都内で働いていたが、藤沢の実家に戻り、地元の運送屋さんで働いた。給料は手取りで12万5千円だったので、当時の運送屋さんの中でもかなり安月給の部類であった。同族会社で、僕ら外様はかなり安月給だった(だったら辞めればいいんだけどね。結局1年近くそこで働いた)。
僕は残りの機材を10万5千円の10回ローンで揃えた。洋服は買えなかったので、何処へ行くにもその運送屋さんの作業服を着て行ってた。実際、エイジアの武道館公演は、会社の車で武道館に乗りつけて(もちろん会社にはナイショ)、作業服で観た覚えがある。
仕事中、昼飯はいつも会社にナイショで自宅に戻り、家で食べていた。朝8時から夜は9時頃まで働くのだが、残業代は一切貰えなかった。いわゆる、サービス残業ってやつだった。だから、少しくらいサボっても心はちっとも痛まなかった。昼はいつもレコードを聴きまくった。仕事中はラジオのチューナーを810に合わせ、FENを聴きまくっていた。
なんだかんだ言って、けっこう楽しんでいたのだった。
ただ、仕事が終って帰ってくると、すでに10時近くになっていて、レコードを大音量で聴く事も出来なければ、自宅録音も行えなかった。
僕はまだ鍵盤が今ほどは弾けなかったので、ほとんどがアカペラのコーラスの多重録音であった。シーケンサーも一般的にはない時代だったので、「いつかは生のドラムを録ろう」などと考えていたのだが、とうとうそれを使って生でドラムを録る事はなかった。つまり僕はこの頃、オリジナルを書き始めた。でも、当時は、「いつか、素敵な曲が書ける相棒を見つけて、僕は歌に専念しよう」なんて考えていたのだった。

そのうち、アナログのドラム・マシーンを購入し、、、、たしかコルグのKPR-77ってやつだったと思うが、それでまずプログラムしたヤツを録音して、その上にキーボードで仮のコードを入れ、そこから歌を録音していた。実はこれが僕がボーカルをやる上で、とても勉強になった。

つづく。

ザ・オーディション

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『ザ・オーディション』と言うFM番組がある。局は静岡のK-MIXだ。放送局は浜松にある。
因みにK-MIXは所謂コミュニティーFMではない。規模は静岡県全般をカヴァーする。

この番組はその名の通り、オーディション番組だが、毎年この時期(3月中旬)に行われる。

今年も僕は審査員として呼ばれた。実はこの番組自体、今年で4年目を迎えるが、僕は3度目の登場となる。つまり僕は、第2回から参加していると言うわけだ。

今年はソロ部門とバンド・ユニット部門に分かれて審査した。
ソロ部門はギターの弾き語りも多かったが、カラオケで歌う、なんて人もいた。
オケを友達に作ってもらったという青年がいたが、僕が「オケは打ち込みだよね?」と聞くと「友達が生で作った」と答えた。このオケを僕の音楽仲間10人に聴かせたら、間違えなく10人全員が「打ち込みだよね?」と答えると思う。そんなオケだった。オケを創る時の注意点だとかを教えてあげようかと思ったのだが,「友達が創った」と言うので、歌に対するアドバイスをしてあげた。
既製のカラオケで歌ったのは中1だか、小6だかの女の子だった。将来はシンガーに成りたいのだと言う。僕もその子と同じ歳のころミュージシャンになろうと決めたので、頑張ってもらいたいと思った。
アドバイスは、月並みだが、「色んな音楽を聴こう」とした。もしもプロを目指すのであれば、好き嫌いをしていてはダメである。あらゆる音楽を吸収することは、音楽性を高める為にはとても重要だと僕は思う。僕は食べ物では「レバが嫌い」と言うその子に、「好き嫌いしないでなんでも食べる子は丈夫でしょ?」と言う例え話で話しをした。将来はオリジナル曲を書きたいと言うことだったが、であれば尚更である。僕も作曲は22歳くらいから始めたので(2~3曲、曲を書いた事はあったが……)、希望を持って頑張ってもらいたい。
よく、「自分は曲を書く才能がない」などと言うプレイヤーがいるが、だったら「今まで一体何曲書いたのか」と訪ねると、大抵の人はほんの数曲だったりする。良い曲を書くにはやはり沢山曲を書き、自分で学んで行かないと良い曲は書けないのではないだろうか?まぐれで1曲書けちゃったなんてことは稀にあるが、ホンの数曲書いたぐらいで「才能がない」とするのはもったいない気がする。その子にも曲を書くなら、あきらめずに忍耐強く書いて行って貰いたいと思う。僕も書き始めの頃は、ろくな曲が書けなくて、同じように思ったものだ。だが、書いた曲の「何処がつまらないのかなぁ」とか思ってやっているうちに、段々自分で満足の行くような者が書ける様になって行った。楽器だってそうだが、始めたその日にばりばり弾けるわけはないだろうに・・・。作曲だってそうなのだ。

さてこの時のバンド・ユニット部門のグランプリは、以前にも出場したPESOと言うバンドだった。オーディエンス賞を獲った、I Knowsと言うバンドと、実は1点差だった(逆にオーディエンス賞の方は、PESOも僅差であった)。I Knowsの方は、まだ結成間もなく、まだまだ完成形ではないのだが、上手くやれば面白いのではと、ポテンシャルの高さを感じた。逆にPESOは完成度が高かった。ま、僕がみたところ、まだまだポテンシャルは伸ばせる気がしたが、とりあえず、現在の彼らの実力は充分に発揮出来ていると思った。彼らは、多分来年はゲストとして演奏するはずだ。どんな演奏をするのか、楽しみである。

この2つのバンド以外にも面白いアーティストはいっぱいいた。毎年そうだが、静岡県の音楽性のレベルの高さを感じさせる、そんな番組であった。

実は今年は行きも帰りも新幹線で浜松に出向いた。行きも帰りも、車内で食事をとらなくてはならなかったのだが、行きはサンドイッチを食べた。僕は「好き嫌いはいけないよ」などと言っておきながら、実はツナが苦手で、車内販売のお姉さんに「ツナは入ってないですよね?」としつこく聞いてしまった。あ~、みっともない。だが、「入ってません」と言う言葉を信じてガブリとやったら、しっかりツナサンドだったのである。げげげげ………。でも、ちゃんと食べたっす………(自分で自分を褒めてあげたい……なんちゃって)。
帰りはお弁当がいいと思ったのだが,売り切れててサンドイッチしかないと言う事だった。行きのとパッケージがおんなじヤツだったので、買うのを止めた。因みに、その車内販売のお姉さんに(車内ガラガラだった)、「これツナですか~?」と聞いてみると「はい、ツナです♪」と答えた、、。そうだよね。






久々です

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ここのところ、更新をさぼってました。

メンバーはそれぞれ忙しくしてるみたいです。
トヤサンは音楽大学で作曲を教えているので、この時期は特に新年度の準備とかに追われてる。明ちゃんは海外公演があるみたいでその準備、ケイちゃんも海外での仕事、と、ほんとみんな頑張ってる。

僕の方は、シンガポール映画の仕事も終わり、今はちょっと暇。

こんな時とばかりに自分のコンピューター周りの整備をしてる。

今、僕の周りにあるコンピューターは全部で3台。Mac Pro、MacBook Pro、それにWindows7のVAIO。せっかくなので、この3台を同期させてしまおうと思っているのだ。

僕もなんだかんだ言って、「電脳人間」なのだろうか?

因みに僕の場合、10年前は音楽でコンピューターを使う率は0%であった。その更に前は、90%以上だった時期もある。元々僕がこの業界に入った頃は、シーケンサーなるものが音楽業界の最先端でヒップだった頃である。今じゃ考えられないが、ミュージシャン達はそれを「同期モノ」と呼び、かなりそれに憧れていたのであった。
僕も最初は、シーケンサーを武器に作曲家になったくちである。もちろん、学生時代は70年代ロックの時代だったので、シーケンサーなどなく、普通にアナログに音楽を演っていた。

プロになって暫くして、シーケンサーをMacコンピューターに換え(SE30って機種。モノクロのモニターだった)、ハード・シンセを何十台も繋ぎ、レコーディングしてたが、ある日、僕の「アナログ回帰」は始まり、行くところまで行った。

なんか、僕の音楽人生はアナログとデジタルの間を行ったり来たりしてるみたいだ。

デジタル(コンピューター等)はこの業界で仕事をする限り、必須である。アナログは、僕の目指す音楽を演る為には必須である。

魅惑の音楽団はとことんアナログにこだわりたい。

でも、普段はコンピューターに囲まれている………。

今は、好きなのはアナログ、でも、しかたなくデジタル、、、みたいになってる。



さてさて、もうじき、1年ぶりの公開リハーサルである。「公開」と言っても一般公開ではなく、限定公開になってしまうのだが、僕達のリハーサルを地元の学校の生徒に観てもらうと言うやつで、昨年も同じのをやったのである。

今回は、メンバーが多忙の為、7~8人のりはであるが、それでも、普通のバンドよりは人数は多い(笑)

僕達も、あの1月のライヴ以来である。リハが終ったら,みんなで飯でも喰いながら、いよいよ次回のライヴの日取りなども決めたい。

旧友 3

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昨日のブログの続きだよ。

NHK何しろデカい。人も多い。
だから、まさかH君と会う事はない。しかも、今、東京のNHKにいるとは限らない。NHKのアナウンサーは、かなり転々と転勤するものみたいなのだ。

ズミさん、ケイちゃんと食堂で飯を喰いながら、表を見ると雨だった。
「アレ?雨が降ってるね」
と言いながら、ご飯を食べてた。

時間も時間だったので、食堂の人が僕らの前に、仕切りを立て始めた。僕達の席ははじっこだった。食堂としては、今は混雑してるが、空いてきたらあまりお客が散らないように、どんどんフィールドを狭めて行く為の様だ。

ちょうど食べ終った頃、「オレの中学のクラスメート、NHKでアナウンサーやってるんだ。もしかしたらいるかもね」などと言って、まさかいるわけはないと思いながら周りをきょろきょろした。

すると、仕切りの隙間から、H君らしき人がお盆を持って同僚と移動してたのが見えた。

「うわ!!!ホントにいた!!!」

僕は彼に近寄り、声を掛けた。
感動の、30数年ぶりの再会だった。

僕もビックリしたが、H君は更に驚いたことだろう。
時間はあまりなかったが、二人きりで席を移動して、イッキに話しをした。僕は沢山喋ろうと、凄いスピードでマシンガン・トークになってたはずだ。でもH君、流石アナウンサー。落ち着いて滑舌よく、僕の目をしっかり見て話しをしてくれた。僕が音楽を続けていた事、ホントに喜んでくれてた。なんどもなんども、嬉しいと言ってくれた。ホントに何度も。

旧友 2

テーマ:
一昨日、NHKにレコーディングに行った話しの続き。
話しの経過を説明するのも面倒なので(笑)、前回の投稿を読んでね。

NHKの社員食堂、結局ケイちゃんもちょっと遅れて合流。

ズミさんと3人でお盆を持って、並んで席をとる。結局、一番端が空いてたので、そこに座った。いつもなら奥に先輩方を座らせるのだが、今日は僕が奥から、食堂を見渡せるので、そこに座った。






中学の時の話しだ。僕が中学の時の流行りは、なんていったってフォークである。
かぐや姫や吉田拓郎、井上陽水、ウイークエンド、ふきのとう、、などなど人気だった。

クラスの中でもやはりフォーク人気はそうとうなものだった。僕はロックだったんだけど。マイノリティだね。
フォーク・ギターを持ってる生徒はかなりいたけど、一番上手かったのがH君。次がA君。僕はまだたいして弾けなかった。でも、H君がちょっと教えてくれた御陰で、けっこう弾けるようになった。僕は自分のフォーク・ギターを持ってなかった。

↑これは、中一の頃の話である。

中二になると、ロックに目覚めるヤツも増えてきた。H君もじつはロックをやりたかった。クラスのお楽しみ会で、休みの日に体育館を借り、そこでロック・バンドを演る事になった。
つまり、僕の初めてのバンドである。
この時、H君はリード・ギター、A君がサイド・ギター、僕はドラムだった。

H君とは高校は別々で、高校の時何度かは会ったが、それっきり会う事はなくなり、実家も越してしまい、連絡先も分からなくなった。

実はH君、現在はNHKのアナウンサーである。
僕は彼がニュースを読んでるのを何度か観た事がある。

続く。

旧友 1

テーマ:
金曜日(一昨日)は、NHKでレコーディングだった。

今回もケイちゃん(椎名邦仁)の仕事で、ズミさん(今泉洋)と僕と3人でリズムを録る事になっていた。

集合は朝の9時。

こりゃ早いぞ。……と思い、前日はバーボンをしこたま飲み、早寝する事にしていた。

なんと、予定より1時間早く、4時半に目が覚めてしまった。

楽器はほとんど前日積み込んであったので、のこりの楽器を1分で積み込み、家で時間潰すのもなんだから、仕度が出来た時点で出発する事になった。


なんと、7時半に着いてしまった。。。。

しかたがないので、NHKの手前、代々木公園のところの路上パーキングでiPadを弄りながら時間を潰した。

あっという間に9時になった。みんなは「信ちゃん、来るの早すぎだよぉ~」と言って笑ったが、渋滞とかで遅れるの恐れてをドキドキするのだったら、早く来てiPadを弄ってる方がましだった。ちょうど通勤時間だったしね。

NHKはなにしろでかい。楽器の搬入はけっこう大変である。搬入の時点で汗びっしょりであった。

スタジオも恐ろしくでかかった。その広さ、小学校の体育館、1.5倍はかるくあった。天上はマンションとかの4階分ぐらいあるだろうか?

予定通り、楽器をセッティングして、音決めをエンジニアさんにしてもらい、録音開始。

練習がてら、ヘッドホンのモニターを自分好みに調整させてもらい、いざ本番。

あっという間に終った気がしたが、続いて弦のレコーディング。そして、僕とズミさんのダビングの続きである。

その間にご飯をNHKの社員食堂に食べに行く事になった。

ズミさん、「信ちゃん、ご飯食べ行こう」とニコニコして誘ってくれた。僕はこれが楽しみであった。
実はレコーディング中、お腹が空きすぎて、「燃料切れを起こす直前」って感じだったのだ。


続く。