紀橡姫の墓について

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紀橡姫の墓はなぜ誰もいかないような山の奥に造られたのか Edit

紀橡姫の墓は、「光仁天皇御母(春日宮天皇妃)贈皇太后吉隠陵」とされ
桜井市吉隠(よなばり)に存在しています。

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ーーー大和の古墳探索ーーーー
http://74589594.at.webry.info/201105/article_1.html
<転載>

画像の説明

★所在地:桜井市吉隠(よなばり)・宇陀市榛原区角柄(つのがわら)
★墳丘:円墳?(径30m、高さ4m)
★埋葬施設:横穴墓と思われる
★出土遺物:不明
★築造年代:不明
★発掘調査:未
★被葬者:紀橡姫(きのとちひめ)吉隠陵「春日宮天皇妃陵」。他に但馬皇女の説もあり。

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メモ
陵は光仁天皇御母(春日宮天皇妃)贈皇太后吉隠陵といい、光仁天皇の母で万葉集でもその名を知られる志貴皇子(追尊して春日宮天皇)の妃の紀橡姫の陵に治定されています。紀橡姫は709年に吉隠で薨ぜられ葬られたと延喜式にはありますが長らく不明で明治27年に治定されています。しかしながら、その経緯も「この山の草を牛馬に与えると食わない」という事も決めてのひとつになったようで奈良県遺跡地図には古墳として認知されてはいますが、この時代にこんな山奥の小山頂に古墳を作るか?という疑問も残ります。             

見学記 おすすめ度  
初瀬から榛原に向けて車で行く場合、国道165号線の角柄付近とおもいますが国道の左側によく見ないと通りすごしてしまうような春日宮天皇妃の行先表示があります。この辺りから山道に入り約800m登ったところにあります。陵という事もあってか山道ではありますが、それなりに手入れされており雑草に行く手を阻まれるという事はありません。しかし結構きつく健脚向きのコースかと思います。ただ雨の降ったあとは降りる時、急坂なので滑りやすく注意が必要です。こんな山奥の山頂近くにある陵はここか大津皇子陵ぐらいでしょうか。古墳として特別見所はありませんが探索好きな方には打ってつけの古墳?かも知れません。
ーーー引用終わりーーー
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私はかねてより、紀橡姫の墓を自分の目で確かめる必要性を感じていました。
それは、「現在の皇室が聖徳太子の血統を継いでいる」ということが本書の最も主要なテーマだからです。
紀橡姫が光仁天皇を生む前に亡くなっているのであれば、光仁天皇を生んだ人は別に存在していたということになります。
紀橡姫の墓の状況を確かめることによって、歴史の真実により近づけると考えたのでした。

六月20日午前8時半、桜井駅でレンタルサイクルを借りて、まず長谷寺を目指しました。

長谷寺は天武天皇との関係が深い寺なので、天武天皇の御霊に挨拶をして、今回の調査旅行の加護を祈ったのでした。

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ーーー長谷寺ホームページよりーーーー

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朱鳥元年(六八六)道明上人は、天武天皇の銅板法華説相図(千仏多宝仏塔)を西の岡に安置、のち神亀四年(七二七)徳道上人は、聖武天皇の勅を奉じて、衆生のために東の岡に近江高島から流れ出でた霊木を使い、十一面観世音菩薩をお造りになられました。
ーーー引用終わりーーー
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長谷寺に立ち寄ったもう一つの目的は、長谷寺が紀橡姫についての何らかの情報を持っているかどうかの取材でした。
長谷寺には紀貫之が「歌に詠んだ「故郷の梅」が存在しています。

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ーーー転載ーーーー
http://uikoburi.jugem.jp/?eid=143

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故郷の梅

いよいよ梅の花がほころび始めました。
少しでも香りを楽しみたいと欲張って、梅の木の側を通る際思わず大きく息を吸い込んでしまうこの頃です。

梅の花と言えば一昨年の4月8日、念願の奈良・長谷寺参詣を果たした際、紀貫之の歌にちなみ「故里(ふるさと)の梅」と銘のある梅の花を見ることができました。
桜が盛りを迎えている頃のこと、もうほとんど梅は散り際だったのですが、辛うじて花が残っていて感激しました。

紀貫之で梅と言えば『古今集』に収められ、百人一首にもとられている次の歌が有名です。
長谷寺の「故里の梅」の銘はこの歌にちなんだもの。

〈本文〉『古今集』巻一、春上、四二

初瀬に詣づるごとに宿りける人の家に、久しく宿らで、程経て後にいたれりければ、
かの家のあるじ、「かく定かになむ宿は在る」と言ひ出して侍りければ、
そこに立てりける梅の花を折りてよめる
            貫之

  人はいさ心も知らず故里は
  花ぞ昔の香ににほひける

ーーー引用終わりーーー
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紀貫之が長谷寺の梅の木を「故郷の梅」と歌に詠んだということは、貫之にとって長谷寺は故郷としての存在であることを表していると考えられるからでした。
同じ紀氏である紀橡姫について何らかの情報がないかどうか、また天武天皇の娘の託基皇女についての何らかの情報がないかどうか、長谷寺のお坊さんに時間をさいてもらって話を聞くことができましたが、そのような情報はないという答えでした。
長谷寺の門前のお店で、早めの昼食をとりながら、紀橡姫の墓について聞いてみました。
六十代であろうかと思われる店の御主人夫婦や、おばあさんも墓の存在すら知らないとのことなので、長谷寺での取材を終わりにしたのでした。
近鉄大阪線に沿って走る国道165号線を、長谷寺の信号から宇陀方面に約3キロほど行くと吉隠(よなばり)のバス停がありました。

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まず、春日宮妃の墓の登り口を教えてもらうために、近くの民家にお邪魔してインターホンを押すと、私と同年代ぐらいの御婦人が玄関を開けて応対して下さった。
春日宮妃の墓を確かめるために東京から来たことを告げて、知っていることがあったらどんな事でもいいから教えてほしいと頼んだのでした。
あと1キロほど登っていくと小さな看板があること、しかし、よっぽど注意して見ていかないと見落とすことを教えていただきました。

「宇陀方面にもう一つの登り口があるとネットで調べたのですが、分かりますか」と質問すると「聞いたことはあるが、分からないので、西峠まで行ったあたりで聞いてみたら」という答えでした。

御婦人は「あなた一人で行きなさるの?何があるか分らんから気をつけなさいね」と注意して下さったのでした。

この近くの人達にとっては、あんまり縁起のいい場所ではなさそうな雰囲気を感じたのでした。

上り坂を自転車を押して歩いていくと、しばらくして教えてもらった正面登り口の案内看板がありました。

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しかし、ここはネット情報にもあった通り、草ぼうぼうで、とても登れるような状況ではありませんでした。

そして西峠をめざして、徒歩で通っていたはずの、平安時代の人たちの生活ぶりに思いをはせながら、自転車を押してひたすた坂道を上っていったのでした。

小一時間上って、ようやく西峠の信号にたどり着き、古くからの民家と思しき一軒を訪ねて聞いてみました。

鳥見山公園のほうに行くと登り口があると聞いたことがあるが、ご自分では確かめたことがないとのことでした。

とりあえず、教えていただいた鳥見山公園を目指したのでした。

国道165号線西峠の信号を左折してしばらくいくと、信号のない左折道路の角に「鳥見山公園」の案内板があって、また左折したのでした。

ここまで炎天下の中で大汗をかいての行軍だったので、熱中症にならないように十分に水分を補給しながら来たのですが、体力の消耗はかなり厳しい状況になっていました。

左折してからの道はかなりきつい坂道となっていました。

しかし、何とか入口だけは探し出して状況を確かめたいと思って、登っていきました。

あとはひたすら山道と思われる民家の庭先に木陰があったので、自転車のスタンドを立てて、道路にへたりこんでしまったのでした。

運よく、その民家の御主人が表にでてきて、駐車場で何か仕事を始めたので、ようやくの思いで立ち上がって挨拶をし、話を聞くことができました。

この先に入口があるのはあるが、この間の大雨で入口から先の山道がどうなっているか分からんから危ないよと教えていただいたのでした。

庭先の木陰に自転車をおかしていただいて、時間があったら入口まで車をだしていただくわけにはいかないでしょうかとお願いしてみたのでした。

これから出かける用事があるのでそれは出来ないとのことでした。

リックに入れて持ってきた山道用のストックを組み立てて、入口をめざしたのでした。

100メートルほど登ると鳥見山公園の矢印看板がありました。

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鳥見山公園の途中に、「春日宮妃陵墓」の看板があってそこが山へあがる入口だと教えていただいていましたので、もうすぐだと自分を励ましながら、舗装道路を登っていきました。

4~5百メートルも登ったでしょうか。

そこでとうとう体力の限界を感じ、諦めることを決断したのでした。

帰りは自転車のブレーキを掛けっ放しでそれは快適でした。

長谷寺の信号を過ぎてしばらく下ると、瀟洒な喫茶店が開店中の旗を立てていましたので、炎天下で火照った体を冷やしたい思いで立ち寄ったのでした。

大きなグラスで冷えたマンゴージュースを飲みながら、紀橡姫の墓を探して、自転車で西峠までいってきたことなどを話したのです。

翌日、そこのママさんから電話がかかってきたんです。

「紀橡姫のお墓に行ったことある人が見つかったから紹介します」「その人も歴史好きで、案内してもいいって言っていますよ」ということでした。

9月に入ってからもう一度、紹介されたNさんの案内で紀橡姫の墓に行くことにしました。

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2017年6月23日(金)東京晴れ

 

ババジ

予言:非常に早くやって来る

 

https://lightworker-japan.net/2017/06/22/prophecy/

 

地球上の誰一人として、泣くことの無い社会システムを現実のものとするために、自分の全てを投入することを選択しました。

日常性の惰性の生き方を転換して、住み慣れた家を出て個人の「転換」を選択し、もって地球の大転換の起爆剤になることを意図しました。

その日が真近に迫っているからです。

私と千加の共著「蘇我入鹿こそ聖徳太子」の出版は近いうちに実現します。

  えいきち

 

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2017年5月22日(月)

 

皆さんご無沙汰致しております。

新生地球5年目のこの五ケ月間、目を見張るような変化が地球と人々に起きていることを感じる今日このごろです。

みなさま如何お過ごしでしょうか。

私にも、これまでの人生を一変するような変化が起きております。

ライトワーカージャパンのイエスのメッセージは、まさにピンポイントで自分に宛てられたものと感じています。

皆様にとっても同じではないかと思って転載いたしました。

  えいきち

https://lightworker-japan.net/2017/05/21/there-are-no-choices/

 

ワイルドウーマンの復活ーbyマグダラのマリヤ

https://lightworker-japan.net/2017/05/10/wildwoman/

 

 

 

 

 

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