究極の運命論 | 深見東州(半田晴久)さんの本とその他私の好きなもの

究極の運命論

天中殺や大殺界、吉方位や悪方位を本当に活用したい人が読むべき本はこれ、「究極の運命論」です。生きることの意味の本質を知ることができますよ。

究極の運命論/深見 東州
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 特に問題なのは、天中殺。昔は天中殺、いまは大殺界ですね。天中殺というのは四柱推命でいう空亡のことです。ではこの空亡の期間というものについて、どう考えたらよいのか。人生でいうと厄年もそうですね。概念は、天中殺も大殺界も厄年もみな同じです。ある時、ラジオだったかテレビだったかテレビのアナウンスをしている人が来ました。その人が占い好きでして、天中殺を信じ込んでいるのです。「すべての災いの原因は、その事務所に所属した時が天中殺のときだったことにある」、とその人は考えているわけです。それだけではありません。どんなことでも天中殺と結びつけて考えているのです。

 例えば天中殺の時にあなたが事務所に入ったとしましょう。そして、守護神さんや守護霊さんの目から見て、三十五歳くらいで開運し、ラジオでもテレビでも引っ張りだこになって、才能と実力が最高に認められるという運命を持っているとしましょう。燦然と輝く、黄金まばゆき三十五歳があるとしましょう。前世で徳を積んだのだから、三十五歳でテレビのアナウンサーとして大成させようと、守護霊さんも守護神さんもそういう計画を立てていたとしましょう。

 それで、今あなたは二十五歳だとします。二十五歳のこの時に、裏のお金が動いたり、あるいはまた足の引っ張り合いがあったりという、アナウンサーの世界の葛藤、芸能界の中のどろどろしたところを体験しながら、テレビ局の態度のでかい連中に混じって苦労をする。自分自身の性格の悪い面も頭の固いところも柔軟にならざるを得ないような環境、つまり、上からも下からも同僚からも嫉妬されたり、揉まれたりするという環境の中で苦しむ。

 そうして、いぶし銀のごとき立派な才能と実力ができてきて、事務所からもテレビ局からもプロダクションからも、あらゆるところから引き立てを受けて、三十五歳で社会的に大いに開花することとなるのです。

 人間、わけもなく社会的に開花するなんていうことはありません。その人に実力があるからです。実力とはいかなるものか。実力というのはやはり、その人が磨いた、外へ出して表現できるだけの自分の力、ということができますね。

 しかし、外へ出ている陽の面があったら、そのぶんだけ隠れた陰の苦しみ、自己の力の厚みがなければだめです。外へ出している力を不動のものにしようと思ったら、もっと見えないところで苦しみ、葛藤し、悩み、思索し、体験し、実践を積み重ねなければいけない。これが無いと、外へ出す実力が不動で長続きするものとはなりません。

  この三十五歳で大成させようという「天の意志」は、あなたをどう錬磨しようとなさるのか。やはりまず、二十五歳のあなたをこの事務所に連れてきて、初めから苦労をさせる。そして、三十三歳で事務所を変えさせ、二年くらいでパッと開運させて、ずっと持続させようとするのではないでしょうか。この場合、盛運を持続させるには、三十二歳までの錬磨期間中、できる限り厳しく鍛える必要があります。それには、一見良さそうに見えていて、実は中身は最悪の事務所で修行をするのが一番。そして実際、守護霊さんの働きでそういう事務所に行くものなのです。

 そして、ホロスコープで見た時のそうした試練の期間というものが天中殺の期間にあたるわけなのです。この天中殺の期間中に錬磨しておかなければ、いざ開運の時期が来て事務所を変わったとしてみても何の役にも立たない。(本人にしてみれば)それなりに苦しんで、不満が多いかもしれないけれども、ここで葛藤して、テレビのあれに出た、これに出たという実績を積むことが大切でしょう。いろいろと苦しみ、実績を積む。その実績の積み重ねと、そこで得た経験と実力。これが大切なのです。天中殺の時にマイナスで苦しんだぶんだけ(開運期が来たあかつきには)プラスになって、今度はガラッと大開運するわけです。衰運期に苦しんだぶんがそのまま盛運期に加増されて、全部社会的開花の糧となって、結実の糧となってここで開くわけです。ですから、守護霊さん、守護神さんは、「今は苦労すべき時だ。錬磨して実力を蓄える時だ。やがて三十三歳になれば、素晴らしい人と出会い、才能と実績を見出され、三十五歳で素晴らしく確立するぞ」と、わざわざ問題の多い事務所へ連れて行っているわけです。苦しみの経験と実績を積むために。

 ところが、ホロスコープ等の占いの角度だけで見てしまうと、天中殺だから苦しみばかりが多いんだ、どのみちこの事務所とは別れなきゃいけない、同じ別れるななら早く別れたほうがいい、といった結論に達してしまいます。つまり、その期間中に苦労や体験を積み重ねて成長の糧、開花の糧としなければならないのに、過程を経てじっくりと人間を練らなければならないのに、何をやっても「天中殺だから」ということになって真剣味がないなら、人として大成しないことになります。中身を練る、徳を積み重ねる期間として、天中殺というものがあるのだ、という考え方に立つことなく、運、不運の中で近視眼的にものごとを見てしまい、目前の修行に集中できない、徹底できないということは、やはり「天の意志」から見たら大いに間違っているのではないでしょうか。

 占いの問題点というのは星の配置や運、不運だけを見まして、改善方法がないわけです。改善方法に関しましては気学にはあるわけですが、「吉方位必ずしも善ならず」。「悪方位必ずしも悪ならず」と考えねばいけないのです。

 さて、祐気を取って、プラスの気を受けますとどうなるかというと、自分の中にあるプラスの面が出てきます。才能とか素質とか、天運のプラスの面がどんどん出てくるからうまくいきますし、巡り合わせと運びがよくなってきて、家運の、家代々のいい因縁が出てきます。

 ところが、小さい頃から絶えず吉方位ばかり取っている人はどうなのかというと、決して幸せになるとは限らないのです。

 冷静に考えてみますと、人間には誰しも生まれながらに持っているマイナスの劫があります。同時に生まれながらに持っている徳分があります。いわば借金と貯金ですが、吉方位ばかり取りますと、いいほうの現象ばかりが出ますので、この劫は持ったままです。ではどうしたら劫が取れるかというと、苦しむことで初めて劫が取れるのです。

 劫を取るのに一番効果的な、というか、一番即効果がある方法とは、「死ぬ」ということです。死ぬというのが家代々の劫、前世のカルマを取る一番の近道、早道なのです。ですから、家族が全部死に絶えたというのは、その家にものすごい劫があったということですね。

 ただし、自殺をすれば劫が取れるわけではありません。自殺は新たな劫を積みますから、決して自殺してはいけません。

 例えば、病気で早死にした、つまり死ぬ、というのは劫の抹消です。命をなくすということは劫を贖う(あがなう=何かを代償として出して、罪などのつぐないをする)一番の近道なのです。これがまず一番。

 その次は、赤貧洗うがごとく貧乏で苦労する。要するにお金で苦労すること。

 三番目は、病気で苦しむ。

 四番目は、人間関係で苦しむ。

 五番目は、好きでない仕事に就いて苦しむ。

 これらが、劫を贖っていく五つの方法です。

劫を消すには原則的には苦しまなければならないわけなんですが、苦しみが苦しみとして感じられないぐらいに勇気をもって精進し、徳を積んでいけば、知らないうちに自分の劫と相殺されてしまうというものです。これが天の法則というものでしょう。消極的な劫の抹消はただ苦しむだけ。積極的な劫の抹消は苦に立ち向かって徳を積んでいく。劫の消し方には二通りあるわけです。 ところが、たえず吉方位、吉方位ばかりで、小さい頃からいつも祐気をもらっていますと、悪いところは出てきません。その代わり、晩年、六十歳、七十歳になってから、一生涯分の劫がドーッと出てくるわけです。一気に。

 それでしたら、なるべく若いうちに取った方が楽というものです。十代か二十代か三十代か、なるべく若い間に劫を、先の五種類の中で苦しんで小さくしておきますと、開運期には徳分をそのまま表現できますし、思ったこと、願ったことがすぐに成就できます。実は、そのように仕向けることが、「天の意志」の慈悲慈愛なのです。

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