最下位マリナーズを解雇された、カサカサゴキブリ戦隊 スズキ・ゴキローのブログ

・3番をクビにされたが、1番は僕の場所と言い訳し、2割2分なら40本打てると大法螺を吹き、内野安打は無いほうがよいと言いながら、後日、セクシーと言い放ち、子供たちに200安打に向かうことは約束すると言いながら、後日知らないと言い放ったクチだけ男。

賸係講得好聽不有用ロ既、要睇行動
↑↑イチローやイチローファンに言える事です。
NEW !
テーマ:

中学3年の英語の達成課題は「書く」だけにとどまり

読む、聞く、話す は惨憺たるものだったらしい。

 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170224-00000077-jij-soci

 

 

というかね

 

 

それは中学3年生だけに限ったことではないよ。一部(実戦の場で言語を活かしてお金を貰っているプロ)を除いた日本人全体にいえることだ。

 

 

以前、記事にしたことがある。

 

 

「どうして日本人は外国語を使えないのか」

http://ameblo.jp/miumalovely/entry-12124875105.html

 

 

 

そもそも

 

 

 

日本人全体の外国語そのものを学ぶ目的が不純なんだよ。

 

 

 

そもそもの目的が

 

「その外国語を活かして世界で仕事をする」

 

というものではなく

 

 

受験(入試、資格、就職、昇級)のため

という視野が非常に狭い、方便目的で終わっているからだよ。

 

 

その目的と言うこととなると

 

 

どうしても、試験に出る出ないに限定してしまうし言語を学ぶ醍醐味も失われる。

 

 

 

例えばさ

 

 

 

[キミが超好きなんだけど]

 

 

と言う日本語を英語にしたい場合(面倒だから全部小文字で書くよ)

 

 

i like you hell of a lot.

 

これ、実際は本当によく使われる表現だ。特にネイティブは

バカみたいに使う。ネイティブでは当たり前なんだろうね。

お前ら覚えとけ。良い勉強になったな。

 

 

でも、殆どの日本人はこう捉える。

 

 

 

「そんな表現、試験に出ないよ」

 

 

 

で、こういう

 

 

「試験に出ないよ」(or試験に出る)

 

 

という、何でも試験の範疇で括る狭い思考は

 

 

 

特に「試験のため」に外国語を学んでいる日本人や学生の間でバカみたいに抱いている。

 

 

 

 

出る出ない

出そう出そうにない

 

 

 

言語にはそんなもの関係ないんだよ、ボケ。

少しはそこから外れて、広く勉強してみたらどうだ。

 

 

 

 

と 手厳しく言うオレも

現実、受験の世界(予備校)で教壇に立っているから

どうしても試験に出る出ないの内容は絞って、学生に伝授するようになる。

 

 

 

以前にも書いたと思うが

 

 

 

俺たち指導者もいけない部分はあるんだよ。

出る出ないをどうしても限定してしまうから。

 

 

 

 

でもな、オレは、コレも前にも書いたと思うけど

例えばさっきの例文でも書いたとき

 

 

「こういう表現もあるんだよ。試験には出ないけどね。

でもこういう表現、面白いだろう? 色々な表現が使えたら

実戦では楽しいよ。ネイティブの反応とか面白かったりする。

『なんでそんな表現知ってるの?』とか驚きの反応とか面白い。

で、どんどん難しい表現を使って、『その表現初めて聞いた』と言わせるのはもっと楽しい。言語って、強制的に学ぶものじゃない。楽しいものなんだ」

 

 

ということを極力生徒に伝えるようにしている。

 

 

 

そのときの生徒の反応で

 

 

「こいつは試験が終わったらもう外国語の勉強もストップするな」

「こいつは試験目的で終わらないな」

 

 

というのはわかる。

 

 

前者は、ボケーっと聞くだけの奴。メモも取らない奴。

 

後者は、真剣なまなざしでメモしている奴。

 

 

 

そこのキミ。自分の学生時代を思い返してご覧。

 

 

英語教師が「コレは試験に出ないけどね」という説明をしたかどうか知らんが

仮にした場合、キミ、出ない表現を必死にメモして、自分でなんか例文を作ったりそれを発音してみたり、言語を楽しんだか??

 

してねーだろ。

 

 

 

やっぱり日本人って殆ど

99%と言っても良いのではないかな

 

 

外国語を学ぶ目的と言うのが試験の為 という目先のものであるから、楽しんで学ぼう・その言語を活かそう という本来の言語を学ぶ(べき)目的が全く見据えられても居ないことは間違いない。

 

 

 

小学校3年から、英語を必修科目として扱うらしいが

 

 

 

そもそも、勉強と言うものは

強制ではじめるのではなく、自らの学びたい意思があって

初めて成り立つものだよ。

 

 

この日本人の英語問題を改善したいなら

 

 

「学びたい人だけが学ぶ」

 

 

という選択科目で試してみてはいかが??

 

 

 

案外、それが近道かも知れんぞ。

 

 

 

オレはもうガキの頃から

言語に興味を持っていて、英語と中国語はマスターしていたから

運が良かったのだが。

 

 

 

 

いいね!した人  |  コメント(0)

テーマ:

張本勲氏の守備に関して

 

巷は「ヘタクソ」「お粗末」という思い込みしか持っていない。

 

それが客観的に新庄剛史レベルの良い?数値で示されていても

「数値は意味がない」「他の数値のほうが参考に出来る」

と示された良い数値を否定する発言までするバカが居る。(本当にバカだと思う)

 

こういう巷の心理(思考)を鑑みたとき

 

前回の記事の結論のように

「ただたんに、張本氏の守備を問答無用で『悪いもの』と思いたいだけ=良いとは思いたくないだけ」 ということがわかる。

 

 

 

今回は(も)、張本氏の守備に関して客観的に証明したい。

 

 

 

守備率というのは

 

(刺殺+補殺)÷(刺殺+補殺+失策) で導き出すことが出来る。

 

 

刺殺と補殺は簡単に言うとアウトに携わった回数と考えたら早い。

その分母に失策が含まれているだけではあるが

これが何を意味するか。

 

自分の守備機会(ボールが自分のところに飛んできてor転がってきて、ボールを処理する機会)で、いかにエラーをしないか(鉄壁さを誇るか) という意味になる

 

 

客観的に考えて

 

 

コレは十分にそのフィールダーの守備が

良いか悪いかを示す値になるということだ。

 

 

「守備率は意味がない(守備率でフィールダーの守備の良し悪しは測れない)」 という人が居るが、十二分にそのフィールダーの守備の良し悪しは守備率で測れると言うことであって、意味がないというのは矛盾する

 

 

ということだよ。

 

 

 

 

で、あまり馴染みがないのだが

 

RF(レンジファクター)と言う指標があるようで

 

(刺殺+補殺+失策)÷試合数

 

で導き出されるらしい。

 

分母が試合数になっている。

ここに着目すると、必然的に以下のことが言える。

 

 

その試合(9回)で自分がどれだけ守備機会に携わったか=守備範囲の広さ(処理する回数の多さ)を示すもの

 

 

そういうことだろう。

 

 

 

で、例に出すと以下の数値

 

 

1976年 山本浩二のRF(282+10+1)÷128・・・2.29

1976年 張本 勲のRF(167+4+7)÷130・・・1.37

 

 

この小数の数値から何が言えるか??

 

 

山本浩二は1試合(9イニングス)で2.29回守備に絡め

張本 勲は1試合(9イニングス)で1.37回守備に絡める

 

1回も差はない。が、1回の差と大きく見積もっても9イニングスで1度の守備機会しか変わらない

 

ということだ。

 

 

何がいいたいか?

 

 

1試合で1度絡むか絡まんか(1度絡むレベル)の値に、そこまでサルがいきり立ったように顔を真っ赤にしてこの指標を持ち上げるのはいかがなものか? そこまで大きく持ち上げるようなものではない

 

 

ということだ。

 

 

逆に、都合よく?

そのフィールダーのところにボールが飛んでこなければ

この値はどうしても低くなる欠点もある。

 

 

「それだけ絡んでない」 という人も出るだろうが

ゴロが多かったり、例えばセンター守備であれば引っ張りや流しで飛ばす打者との対戦ではレフトorライトがどうしても処理するようになるので、センターはなかなかこの値は伸びない(低い)可能性も十分に出てくる。なかなかセンターバックスクリーン方向へ大きく飛ばすのは難しい。ゴロで抜けさすのも困難だ(投手→セカンド(ショート)という2つの位置を抜ける必要が出る)

 

 

 

 

ここに着目するより

 

1・・・そのフィールダーが「守備機会に絡んだ際」

2・・・いかに鉄壁に守れるか、エラーをしないか(守備率)

 

の、その選手の上手いか下手かを見る主観的要素のほうが

よほど客観的データとして信頼できる。(断っておくがキチンと捌けるか否かの守備の上手さを見ることの判断だ)

 

 

 

例えば上に出した例(データ)の
1976年の張本は、実際絡める回数が山本浩二より少ないのに
やたらとエラーを喫しており、守備率は実際に悪い。



単純に以下のことが言える。



巷の「守備率で守備の上手さは測れない」「守備率には何の意味もない」というのは大間違いで、十二分にそのフィールダーの守備の優劣を測る指標として価値がある


ということだ。

 

 

 

最初のほうでも書いたが

守備率の計算式

 

(刺殺+補殺)÷(刺殺+補殺+失策)

 

から、アウトに携わった回数に失策を加えていて

後者が分母であるので

 

そのアウト処理にいかにエラーをせずに絡めるか

 

の意味を持つからだよ。

 

 

ここで、以前コメントでもあった内容をぶり返す。

 

 

 

「守備範囲が広ければ、それだけ多くの打球を捌くのでエラーが付く。新庄の守備率が悪いのは、多くの打球を捌き、守備範囲が広かったからだ。新庄は名手だ。」

 

 

 

 

この内容について。

 

 

 

守備率は、自分の捌く打球(守備機会)において如何にエラーをせずに捌けるかの鉄壁さ、堅実さを示す十二分に証明になるもの

 

 

と示したが

 

 

この結論から、上記コメント「新庄は名手だ」は

矛盾する内容になる。

 

 

実際に

 

 

新庄の守備率は0.986で

張本の守備率0.981と殆ど大差がない。

 

 

 

結論としては

 

 

 

巷の「名手」という発言に関しては

何の客観性(データ)も持たず、新庄の良いところ(肩のよさ)やそのとき(現役時代)の良い印象しか持っておらず、良い判断しかしていないため「名手」と錯覚している。

 

 

ということだ。

 

 

要するに

 

 

データ上、新庄は守備率で関して言うと

鉄壁さ、堅実さは無かった(データ上事実)

 

 

ということは確実にいえる。

 

 

 

そこで

 

 

 

「新庄は名手だ」「張本は守備がお粗末だ」

と言う発言も矛盾してくる。(データ上、新庄も率からお粗末であるのは間違いない)

 

 

だから結果的にこういうことも言える。

 

 

巷は、ただ単に、張本の守備を問答無用で悪く思いたいだけで、良いと思っている選手(例 新庄剛史)に対しては、数値が低かろうと「良い。名手」と思い込みたいだけの話

 

 

ということで終結する。

 

 

 

簡単に言うとコレだ。

 

 

 

新庄が名手なら、張本も名手。

新庄が下手なら、張本も下手。

 

 

 

 

 

 

いいね!した人  |  コメント(2)

テーマ:

コメントでも書いたことですが

結論を書いていきたいと思います。

 

もうそろそろ出るので

殴り書きになると思いますが、帰宅後清書?します。

 

前回、張本勲選手の守備のことを書いていったと思います。

張本選手は、守備が下手と世間で言われています。

 

そんな張本選手の守備率は23年の現役で 0.981です。

 

因みに

 

名手と言われた、元日ハムの新庄剛史選手の守備率は0.986

 

 

両者は0.005しか違いません。

0.005の差は以前客観的に理論的に説明したと思うので割愛。

 

 

コメントでもあったのですが

 

 

「新庄の守備率が悪い(名手といわれる)のは、守備範囲が広くて

強肩であったことも含んでのことだ」

 

・・・

 

このコメントの発言がまこと正しいのであれば

結果的に以下のことが言えます。

 

 

守備範囲が広いフィールダー(外野手)であればあるほど多くの打球を処理する範囲が広くなるので、守備率が悪くなる

 

 

そういうことですね。

 

 

ということは?

 

 

張本選手の守備率0.981も新庄と同様のことが言えるのでは??

 

 

しかし、矛盾したように張本選手の守備の場合

なぜか巷はそういうように擁護した指摘(発言)をしません。

 

 

「張本の守備率が0.981なのは、打球を追わなかったからだ」

 

「エラーを回避していたからだ」

 

 

おかしいと思いません???

いや、おかしいよ。誰がどう見ても(聞いても)

 

 

矛盾してるでしょ(笑)

面白いように。

 

 

 

じゃあ、日本時代のイチローの守備率。

非常に優秀で、守備率は0.991です。

 

 

この事実に対して

 

 

「日本時代のイチローの守備率が良かったのは、打球を追わなかったからだ」

「エラー回避していたからだ」

 

なんていう人居ますか??

 

 

 

まあ、実際、イチローは難しい打球を捕球しなかった。

走って届く打球しか捕れなかった事実はあるので「安全パイの守備」で

上の2点は事実なんですけどね。 

 

イチローの守備率0.991に対して

 

 

「コイツは安全パイ守備だ」

「打球を追わなかったからエラーも付かなくて守備率0.991なんだよ」

 

 

なんて言ったら、世間は、名手がそんなわけない とか言うんじゃないですか??

守備率0.991を持ち出して。おまけにゴールデングラブ常連であったことも持ち出して。

 

 

 

で、これは外野手じゃなくて、1塁手ですが

守備がなぜか下手と言われた、元ヤクルトの大杉さん。

 

 

守備率は19年の現役で0.994で名手・松原と同じ値です。

 

 

1塁手は悪送球も対処しないといけない

最も送球を処理する回数が多い位置です。 ということは

 

 

エラーも付きやすいポジジョン

 

 

ということですよ。

 

 

0.994の大杉さんの守備率を知ってか知らずか巷は

「下手だった」「エラーを回避していた」「守備範囲が広くなかった」

とか抜かしています。

 

 

だから、守備範囲が広い選手であればあるほど

それだけ色々な打球を処理する能力もあるから

比例して捌く回数が多くなり、エラーも付きやすい

 

 

と言う理屈ですよね。新庄の0.986の守備率の言う場合

このように擁護する人が多々居るんです。

 

 

でも

 

 

 

張本選手の場合、矛盾したように

そういうことは一切言わないんですよ。

 

 

 

結論としては、巷の心理と言うのはこういうものだということが

自ずと分かってきます。

 

 

 

 

「良いと思っている(思い込んでいる)選手に対しては客観的に数値が低くても、良く思って都合よい解釈をしたいが

悪いと思っている(思い込んでいる)選手に対しては、悪い数値どおりに判断したり

良い数値が出ていても『悪いんだ』と逆方向の都合よい解釈をしようとしている」

 

 

 

ということです。

 

 

 

 

まあ箇条書きにしたら、以下です。(コメントで当方が書いた内容)

 

 

1・・張本の場合守備率0.981で悪くはない(新庄レベル)のは打球を追わなかったからという吹聴

2・・新庄の場合張本と殆ど変わらない守備率0.986と言う事実に「彼は守備範囲が広かったから」と吹聴(でもなぜ張本の場合はそんなことを言わないのか? 矛盾)

3・・イチローの場合、日本時代の守備率は非常に優秀でイチローの守備は、巷はキチンと守備率を見ているという事実(イチローを仮に名手じゃないというと守備率を持ち出す人もいる。ここまで守備率が良いのに名手じゃないワケない!とね。 矛盾)

4・・1塁手の大杉さんは守備率0.994で率上名手の値だが客観的にその数値を持ち出すと「打球を追わなかったから」「エラー回避したから」と言う人が居る。0.994の値を知ってか知らずか「守備が下手」と言う人まで居る。矛盾

 


結論からして、こういうことです。

上の結論にも書いたことだが

 


「下手だと思っている選手には客観的数値は度外視して兎に角『下手だ』と巷は思い込みたいだけだということ。」

 

 

 

何事も冷静に、判別できる人間になりたいものです。

 

 

 

まあ、オレは世間にはある意味感謝してますよ。

 

 

 

「こいつら(世間一般の思い込みの激しい輩)のように、アタマの悪い世間一般人のように、オレはならない」とオレは反面教師に出来てますから。 

 

オレは子供の頃からああいうような矛盾発言を平気でしてくる大人を実際に見てきましたし、接してきましたから。昔から反面教師にはしていたんだよ。

 

改めて、お前らに感謝するわ。

オレはもっと脳力を今以上に磨いて

お前らのように爆笑矛盾発言だけはしない大人になろうと改めて思った。

 

 

 

 

いいね!した人  |  コメント(16)

テーマ:

張本の守備が良いことを客観的に証明したら

決まってこういうバカが現れる。

 

「打球を追わなかったり、捕球しなければ、エラーも付かないから率は下がらない」

 

 

・・・ハァ!?

 

 

「打球を追わなかった」

「捕球しなかった」

 

その具体的な証拠でもあるのか?

 

 

打球を追わなかった実際のプレー

捕球しなかった実際のプレー

 

 

戦前のタイガースの景浦が守備練習中

自分のところに飛んできた打球を全く追わなかった事実がある。

その光景を、当時の石本秀一監督が

 

「景浦将 飛球を捕らず、追わず。走らず動かず、理由不明」

 

と監督日誌に綴っている。

 

 

張本氏はそういうことを実際に試合中に行っていたのか???その証明でもあるのか?その映像とか。

 

 

 

仮に行っていたとしよう。

 

 

 

実際に試合中にやっていたら

大問題だし、いくら打撃が超一流でも

スタメン外されるわ、ボケ。

 

 

 

 

例えばレフトとセンターの間に来た打球を

センターの守備の張本が、打球は追うもレフトに処理を任せる状況があった

 

イコール 守備範囲が広くない イコール エラー回避していた

 

ということなら、まあまだ話は分かる。

 

 

 

でもこういう理屈を取り上げるなら

 

 

 

イチローの守備範囲の狭さも同じことだよ。

 

 

 

イチローは守備範囲が広いとか言われるが

 

 

 

彼はかなり狭い。自分の範囲は的確に守る。

これは所謂、巷で言われる張本の「自分の範囲だけ」というレベルと同じ。

 

 

 

 

イチローは実際

 

 

1・・・自分で走って

2・・・グラブをさし出して

3・・・捕球できる打球

 

しか捕球できない。

 

 

 

事実

 

 

イチローはダイビングキャッチが出来ない。

 

 

 

コレも有名だが、ダイビングキャッチが出来ない(しない)理由として

 

 

「怪我に繋がる」

 

 

という理由を本人が挙げている。

 

 

要は

 

安全パイ(エラーと怪我のリスク回避)

 

を狙った行動だろ。

 

 

 

このイチローの行動は

 

 

「イチローの守備率が高いのは、そういうリスク回避をしているからだろ。イチローがダイビングキャッチを試みていたり守備範囲が広ければ、もっとエラーは増えていて、ここまで守備率はよくない」

 

 

なんて誰も言わない。(オレは言ってるけどね)

 

 

おかしいねえ。

 

 

 

どうして

 

 

張本の守備率0.981の優秀さを取り上げたら

打球を追わなかったから とか否定するようなことを言うのかねえ。

イチローの安全パイ行動は肯定するくせに(笑)

 

 

 

結局アレだ

 

 

 

お前ら(張本の守備はダメと言っている奴)は

ただたんに、張本の守備はダメと問答無用で思っていたいだけだろ(笑)

 

 

 

 

 

 

 

いいね!した人  |  コメント(21)

テーマ:

ちょっと英語の記事を綴っていく。

 

日本人にとって英語で難しいのは

 

1・・冠詞

2・・前置詞

 

だと言われる。大筋、これに対しては間違いないと思うし、オレも賛成だ。

 

 

 

以下の表現でどれが適切か

考えてみよう。(全部小文字で書いているのでご了承を)

 

 

「雨が降ってきたら窓を閉めてね」

 

1・・・in case of rain pray close a window.

2・・・in case of rain pray close the window.

3・・・in case of rain pray close windows.

4・・・in case of rain pray close the windows.

 

 

どれが適切かわかりますか??

 

解説してみる。

 

1・・・冠詞a付属の単数形。

冠詞のaは、「不特定多数」を示す。基本英語で示される冠詞のaは「不特定多数」であると抑えよう。

 

i am a teacher という表現で使われる a  は日本人がよく言う「一人の先生」と言う意味ではなく、「この世に先生は沢山いるが、どの(教科の、学校の)先生と特定はしないけど、兎に角私は先生です」 っていう意味なのだよ。 訳すとき日本人はいつも 「一人の」と言いたがるが、実際はその意味はほとんど無い。

 

this is an apple の表現も同じ。 日本人は「1つのりんご」と「1つの」と訳したがるが、実際は「どの種類のどこのだれべえのりんごとも限定しないが、兎に角りんごです」という意味合いだ。

 

a≠1つ である。この場合1を選ぶと、 「どの窓とは限定はしない。だからどの窓でも良いから閉めてね」 というニュアンスになり、非常におかしい。4枚あったとしたら1枚閉めたらノルマクリア。残る3枚は??

 

よって1は不適合。

 

2・・・定冠詞the付属の単数形

定冠詞theは「特定既知」を示す冠詞。だからこの場合閉める窓が限定され、1箇所であることもわかる。 家の状況次第ではあるが、閉める窓を1箇所で限定するということはまず無い。よほどの犬小屋レベルの家で無い限り、2枚3枚4枚とある。(ただ、平屋で窓が1箇所・1枚しかない=誰もすぐ目に付くのであれば、2は問題ないが)

 

よって2も不適合。

 

3・・・冠詞無しの複数形

複数形はそもそも2つ以上の場合。しかも限定もしていない。なので、この場合、窓2箇所を閉めたらノルマクリア。じゃあ、4箇所窓があったら?? 2箇所閉めても、残り2箇所から雨が入る可能性があるので、表現としておかしい。

 

よって3も不適合。

 

4・・・定冠詞the付属の複数形

窓を複数扱いで限定している。 要は、閉めなければならない家の窓=開いている家の窓(複数)をすべて閉めろというニュアンスになる。 複数を限定するので「開いているすべての窓」と相手に伝える意味になる。 all the windowsと回りくどく言う人(日本人)がいるが、あまり英語的ではない。

 

4が適合。

 

 

冠詞をつけるかつけないか、複数か

こういう細かな説明は学校ではなかなか教えてくれない。

 

 

文法上、1~4すべて問題ない。

だからどの表現でも試験(入試)では○が下される。

 

 

しかし、相手にキチンと正しく通じるかを細かく見たら

1~3は×を下す内容。 4が正解。

 

 

 

次に前置詞の使い方。

 

 

「~へ」「~に」

 

という前置詞は

 

to

at

 

が代表的だ。

 

 

 

じゃあ、次の日本語を英語にしてみると

 

「月に向かって打て」

 

 

 

1・・hit a ball to the moon.

2・・hit a ball at the moon.

 

 

 

どちらが正確だと思います??

 

 

 

どちらも

 

「月に向かって(ボールを)打て」

 

で通じます。文法上の間違いはありません。

日本人(同士)には通用するでしょう。

 

しかし、ニュアンスが全く違う。

 

 

前置詞toは前の記事のとおりで

方向を示す前置詞であって

 

最終目的地に、どこにも寄らずに一直線に向かう

 

と言う意味なんです。

 

 

だから1の場合はニュアンスとして

 

 

「月に向かって(その方向へ一直線にめがけて)打て」

 

 

と言う、カッコ内を加えた表現になります。

 

 

 

2の表現は前置詞atの場合。

 

 

前置詞atは「一点」「場所」を示す前置詞。

広い場所の中の一点という意味ですわ。

 

 

だからこの場合、方向を示す意味は無いので

「月に(ボールを)届かせろ・実際に放り込め」

という意味になる。


物理的に40万キロ弱の距離の月にボールを放り込むことなんて無理な話ですから
この場合、1が適切な「~へ」「~に」の使い方ということです。



 

 

学校の英語はここまで細かく見てないので

 

 

別に2で書いていても○はもらえます。

(何度も書くように、文法上の間違いはないから)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいね!した人  |  コメント(2)

テーマ:

巷では、張本勲氏の守備を

 

「守っても安打製造機」

「守備はお粗末」

 

 

と言う始末。

 

 

 

オレは非常にこの状況に訝りを覚えると言うか

「お前ら、アホだろ」 と言いたくなる。

 

 

と言うのも、以前書いたと思うが

 

 

 

張本勲の守備率は悪くないからだ。

あくまでも「守備率」=「失策の少なさ」「いかに失策をしないか」に関しての話だよ。

 

 

 

以下のリンクは

張本勲氏の外野守備データ。

 

http://2689web.com/ind/1959060.html

 

外野守備 2429試合 失策77

守備率は

 

0.981

 

 

細かく(詳しく)この値を説明すると

 

100回自分のところに来たボールを処理するときに1~2回(まあほぼ2回)ミスする。

 

これが0.981のポテンシャルだ。

 

 

 

これを頭に入れて

 

 

なぜか名手と誉れの高い

新庄の守備率と比較するから見てみろ。

 

 

http://2689web.com/ind/1991033.html

 

 

 

新庄の守備データ

外野守備 1348試合 失策41

守備率は

 

0.986

 

 

 

張本氏より5厘上なだけだ。

 

 

5厘(0.005)

 

 

この値を、お前らどう解釈する???

 

 

 

小学校の算数も出来ないおバカな張本嫌いの新庄マンセーのお前らに、幼稚園児でも分かるようにオレが細かく説明してやる。ありがたいと思え。

 

 

 

 

0.000(ひゃくぶんりつ)

 

 

 

 

てんのまえは100ぱーせんとをしめす。

だから、たとえば、1かいくじをひいて1ぱつであたったとしたら100ぱーせんとなので、1.000(もしくは1.00)としめす。

 

てんのすぐうしろ(1つうしろ)は「わり」といわれ、「10ぶんの~」をしめす。

だからここが0.3だったら、10ぶんの3をいみし、10かいのうち、3かいあたりですよ っていみだ。

 

てんの2つうしろは「ぶ」といわれ、「100ぶんの~」をしめす。

だからここが0.03だったら、100ぶんの3をいみし、100かいのうち、3かいあたりですよ っていみだ。

 

てんの3つうしろ(ここではさいご)は「りん」といわれ、「1000ぶんの~」をしめす。

だからここが0.003だったら、1000ぶんの3をいみし、1000かいのうち、3かいあたりですよ っていみだ。

 

 

 

ほんとうは、りんのうしろに、「もう」(10000ぶんの~)、「こつ」(100000ぶんの~)、「し」(1000000ぶんの~)もあるが、あまりいっぱんてきではないので、「りん」まででとめておいたよ。

 

 

 

さあ、これで百分率はわかったね?

 

 

 

先ほど書いた「りん(厘)」の値を見てみる。

 

 

 

張本の守備率は0.981

新庄の守備率は0.986

 

 

 

 

差は0.005(5厘)だ。

 

 

 

 

0.005(5厘)と言えば

 

 

 

1000回自分の所にボールが来て処理すると

新庄は張本に比べ5回ミスしない(張本は新庄に比べ、5回ミスをする)

 

 

 

約分すると

 

 

 

1/200の差でしかない ってことだよ。

非常に微々たる値だ。

 

 

 

 

 

そこに着目して

 

 

 

やれ新庄は名手だ

やれ張本はボロクソな守備だ

 

 

 

お前ら、率のことわかってんの???

 

 

 

って小一時間問い詰めたい。

 

 

 

 

張本氏を擁護する気は毛頭ある(ないじゃなくて、ある ね)から言わせて貰う。

 

 

ゴールデングラブ賞が創立されたのは

1972年だ。(当時はダイヤモンドグラブ賞という名前)

 

 

張本氏が現役14年目 32歳のとき。

張本氏は生涯現役23年のうち、6割を終えたころだよ。

 

 

 

 それまでの張本氏の守備率で0.980台後半~0.990台が何年あるのか調べると

 

 

6年もある。(実際72年の守備率も0.988で優秀。72年も含めると7年もある)

 

 

 

72年以前にゴールデングラブ賞が創立されていたら

 

 

張本氏は5~6回はゴールデングラブ賞を受賞していてもおかしくない。

 

張本氏の守備をやんやかバカみたいにコケにするアホたちは、それを頭に入れておけ。

 

 

 


実際



新庄はゴールデングラブ賞を受賞したのは10回。
そのうち8回は0.970~0.980台の低数値での受賞だ。


その低数値でも受賞できていたのが
新庄の現役時代 ということもちゃんと頭に入れておけ。




何がいいたいか???



新庄のときは、外野手に余程のカスしかいなかったんだということだ。

え? だから0.970~0.980台でゴールデングラブ賞とれたんだろ?? 違うか?





あのねえ




張本は1978年 守備率1.00(100%)でも受賞できてないんだよ。(恐らく張本に対しての悪い偏見があったのだと思う)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいね!した人  |  コメント(6)

テーマ:

前回の記事内容で

 

this train goes to tokyo station. 

はニュアンスとしておかしい、実戦でその表現は使えない

 

と書いたが

 

「全然おかしくない」

「どこがおかしいのか」

 

と苦情染みたメッセージを多々頂いたので

この場で返答する。

 

あまり時間がないので、手短に。

 

 

過去にこの記事を書いたのだが

時間がある人はご覧あれ。

 

http://ameblo.jp/miumalovely/entry-11483204946.html

 

 

こういう詳しい前置詞の使い方って

学校の英語(授業)では教えてくれないと思います。

 

オレも学生時代(中高)では

前置詞の詳しい使い方なんて教わらなかったし

教えてもくれなかった。

 

なぜか??

 

今思えば答えは簡単なんですよ。

 

 

前置詞は英語の中でも一番難しい内容になるから。

(あと、難しいのは冠詞の使い方)

 

 

 

だから、そこに時間を割いていては

進めない。

 

 

他にやることはたくさんある。

 

 

 

でも、オレ個人としては

 

 

「指導者(学校の先生)が詳しい知識を持っていない」(だから触れない)

 

 

というのもあると思っている。

 

 

 

だから

 

「この電車は東京駅行きです」を英文に直しなさい

という問題があって

 

this train goes to tokyo station.

 

という表現を学生諸君がしていた場合

 

 

 

厳しく見ないで文法での判断をしてください(ニュアンス云々は度外視)

 

 

と言う採点の指示が学校長から出ているのであれば

 

 

 

○をつける。

 

 

ただし

 

 

何も指示が出ていないのであれば

 

 

 

問答無用で×をつける。

オレは文法は勿論だが、ニュアンスも厳しく見る。文法がキッチリしていても表現がおかしかったら×をつける。

 

実戦では、文法が的確に出来ていても

表現がおかしかったら意味が無いんだよ。

 

 

 

 

上記リンク先記事でも書いていることだが

 

 

 

乗り降りの一切無い交通機関なんて

現実あるわけないだろ、ボケ。(特急、急行でも乗り降りがあるのに。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいね!した人  |  コメント(2)

テーマ:
題目のとおりです。

以前にも受験英語(受験の言語)に関して
警鐘を鳴らしましたが、再度綴っていきます。

受験英語に携わる仕事をしていて
良く思うことが題目のことです。

で、どうしても仕事上

受験に出そうな表現
受験に出る表現
受験に出なさそうな表現
受験に出ない表現


この4つを選別して生徒に指導していくことになります。

どうしても力を入れるのが上2つ


ということは
上2つに偏向していくということになります。



そうなると、どうしても


生徒も試験に出る表現ばかりを覚えて
社会に巣立つことになります。


そこから


仮に社会で言語(ここでは英語とする)を活かす場面に遭遇したとき
どうしても上2つの表現に大きく偏っているので、試験の為の表現に傾斜した内容になってしまうということです。



では、例によって、例文を
と言いたいところですが、以下の日本語を英語に直してみてください。
簡単です。



「出来るだけ早く、この場から立ち去ったほうが良い(オレが怒号あげる前にね)」
(ちょっと脅しっぽく言う感じで)


大体殆どの人が、以下のように英訳するんじゃないですかね?
(面倒なのですべて小文字で行きます)


you had better leave here as soon as possible.



「~したほうがよい」というのは had better で学校で教わるので
そうするひとがほぼ全員でしょう。


「離れる」「立ち去る」は学校でleaveで教わっていると思うので
leave統一かもしれませんね。


しかし


そういうのは機械的にかつ強制的に
「そうしなさい」「そうしないとダメだ」「そういう表現で書きなさい」とインプットされているということを意味する。だから学校における受験に縛られた人は、こういう「単調な表現」しか出来なくなる。要は、幅が狭すぎるのだよ。





オレだったら、こう表現する。



you better get the hell outta here as soon as possible.



ネイティブの表現
口語表現

こういうものがどういうものか実際に知っている人なら
色々と表現法を知っているし、場に応じた使い分けも出来るので
それなりに幅が広い。


オレが上記の表現を出したのは
オレは相応の力があるのだよ
と言うことを言いたいのでは毛頭無く


「脅しっぽく言う感じで」 ということを付け加えていたからだよ。


知らない人が殆どだと思うが



had betterのhadは実際ほとんど付けられない。
口語ではまずbetterだけだ。(ただし、受験ではちゃんとhadをつけよう。×を下される可能性が高い)

それと leave には脅しっぽい意味を含めた「去る」「出て行け」「帰れ」「立ち去れ」の意味は無い。あるのは get the hell だ。(こういうことを覚えていれば実際、会話は楽しくなる)





受験の英語(言語)は先ほども指摘したように
この表現はコレ、あの表現はアレ と一方通行で結び付けてしまうので


どうしてもニュアンスも考えず表現してしまう。



だからコレも良く指摘されるが



日本人の使う英語(外国語)は
かなり場違いにとられることが非常に多い





オレは生徒によく指摘(忠告)はしているが



学校(受験)の英語はあくまでも
文法目的のものであって、そこで学ぶ表現は
さらにあくまでも、文法の例文上で使われているだけの表現であって会話(対話)として成立する内容ではない




ということだ。



だから、過去に

交通機関で方向の前置詞toを使うとおかしい
と指摘したことがあるが、これと同じだ。




文法上は this train goes to tokyo station. でも通用するが
実際のニュアンスは非常におかしい。



文法上の間違いは一切ない。だって、キチンと第一文型の形をとっているから。
しかし、この表現がそのままリアルで実戦の場で通用するかといえば、通用しない ということだ。







 
いいね!した人  |  コメント(0)

テーマ:
いまから晩御飯の買い物に出ます。

帰宅後記事を上書き更新します。


----ここから------

帰宅。沢山買いましたよ。
晩御飯代5000円弱使いました。

つーか、ほぼ毎日5000円くらい晩御飯代で飛んでます。

少しは控えて
1000円くらいでおさめないと・・・ つーか1000円で晩御飯なんて可能なの??


さて、ビートルズの楽器演奏レベルは
昔から色々と意見が分かれています。


「普通に上手」
「下手ではない」
「ヘタクソ」


公平に、中立的な立場から



「ビートルズの楽器演奏レベルは低い」



と言う判断です。



何を根拠に、何を根本に
「下手か上手かを決めるのか」
と言うところは人それぞれですが・・・・



1・・・楽器の音色一本で勝負できる腕があるか
2・・・かつてそういうことを「イッツショータイム」で大観衆を前に披露したことがあるか



この2つだと思いますね。


この2つは余程の楽器演奏レベルが試されます。


ジャズギタリスト、カントリーギタリスト、クラシックギタリストのような
演奏レベルです。


「魅せる」
「聴かせる」




レベルが要求されます。



ビートルズといえば、誰もが知ってのとおり
「ロックバンド」であって、「楽器演奏のプロ集団」ではありません。




バンドというのは



作詞作曲、歌があって、そのおかず程度で
楽器演奏が入ってくる程度なんです。




彼らは楽器の音色で勝負しようと、楽器の演奏を磨いてバンドを組む前に、ジャズギタリストやカントリーギタリスト、クラシックギタリストのようにその音で勝負していたわけではありません。そういうことをしてきてバンドを組んできたわけではないんです。




バンドマンのほぼすべては
そういう状況であることを理解すると



バンド(バンドマン)にプロの楽器演奏家はいない



ということが簡単に分かってきます。




実際に、ビートルズの面々は
作詞作曲は神がかり的で、今でも評価されるところではありますが楽器演奏レベルに関して同様に評価を受けることは無いのがその証拠です。




彼らが、本当に楽器演奏のプロたちであったのなら




ソロ活動を皮切りに
楽器の演奏(楽器の音色一本)で勝負する方向(態度)を少しでも我々に見せたでしょう。(しかし実際は一つも無かった。ソロ活動でも弾き語り一辺倒。)





だから



ビートルズは楽器の演奏レベルは下手で当たり前(巧いならそもそも、その音色で勝負する方向で動く。弾き語りなんて馬鹿げた行動はしない)



ということです。




彼らは演奏技術(楽器の音色勝負)で飯を食っていたのではなく
作詞、作曲、歌唱において神がかり的力を発揮し、世界的成功を収めたんです。






誤解しないで頂きたいですが




演奏レベルが低いことを
「アハハ」と笑っているわけではないんです。
彼らは事実、楽器演奏技術で飯を食っていたのではないのだから下手で当たり前だ。上手い(巧い)と言っている奴は彼らの演奏のどこを見てるんだ と言いたいだけです。





ビートルズレベルの演奏なら



ハッキリって日本に素人でもゴロゴロ居るよ。



しかし



作詞作曲のレベルにおいて
彼ら(ビートルズ)の右に出る人間は、恐らく世界にもまずいないかもしれません。








 
いいね!した人  |  コメント(0)

テーマ:
いつかも似たような記事を書いてきたのだが
日本人は、同じ日本の人(選手)を持ち上げる国民性が
他の国の人よりもやたら強い傾向にある。

日本という島国内での目線でしか見なかったり
その島国意識での判断で世界を判断したり

狭い視野(目線)で大海を判断し「世界で通用する」とか「金メダル10個以上とれる」とか・・。
それが結果的に全く違ったり。過去のオリンピックの金メダル予想でも、あまりにも行き過ぎた行為で、オレも記事で「甘い」「とれるわけない」と突き放したのは記憶に新しい。

日本人の同じ日本人(選手)を異様に持ち上げて評価し
あたかも世界でトップクラスかのような扱い。
それが再々というか、かなり頻度として多い。(ニュウスやスポーツ番組でもかなり多発してみられる)

元来、能力的に2~3辺りの選手を、6にも7にも見積もって評価している傾向が非常に多い。

そして、絶対に悪く言わない(仮に能力的に乏しくても、それを隠蔽し、すばらしい選手かのように扱う)。



他国は、仮にそれが同じ国民の選手だとしても
ダメなものはダメと言い放つ(突き放す)傾向がある。

日本と他国の大きな違いは



冷静に客観的にその選手を見定めることが出来ているかどうか。
情を廃し、その選手を評価できるかどうか。



この点だと思う。



日本人は
この点が非常に乏しい。




恐らくそうなるのは



日本という国が、聖徳太子の和の精神に則り
成長し続けてきた国だからだと思う。



要は


他国とのかかわりを遠ざけ(避け)、日本人は日本人同士
仲良く、議論も言い争いも無く、お互い協力し合っていがみ合いもせず生きていこう



日本という国は事実、そういう意識で成り立ってきたのだ。



そういう意識が他国よりも密で強いのは確かで
間違いのない事実だ(実際、日本人は議論も非常に下手ですぐに感情的になる)




良い言い方をしてあげたら


同じ日本人、密故に、日本人は情に脆く、人の気持ちや痛みもよくわかる優しい人種



オレはそう思ってます。


だから日本人が同じ日本人(選手)を良く言いたい(持ち上げたい)気持ち、都合よく言いたい気持ちは正直に言うと、痛いほどよくわかる。


「わかってるならイチイチいうな、黙っておけ」 じゃなくて
それは



同じ日本人に限って



という但し書きが付くことがネックなのよ。
そこを断っておく。




オレも前回の記事のように
猫の記事だったが、間違いなく、もう生きては居ないだろう猫のことでも
「どこかで元気で生きているはずだ」と今でも思っているからね。
死んだところを見ていないし、人から聞いても居ない。


だから都合よく良い方向で考えることが出来る。


人間と猫を一緒にしてはいけないと思う人もいると思うが


都合よい解釈ということは共通だよ。



けどね、日本人が日本人(選手)を言うときに
やたらと持ち上げる行動は



些か行き過ぎだと思うことは良くある。
要は限度ってものがあるんだよ。



 
いいね!した人  |  コメント(2)

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。