「子育ての体験をエッセイにまとめてみませんか」
こんなキャッチコピーを目にしたのは、
たんたんと療育園に通い始めて半年後。
いつも前向きで明るい、
元気なお母さんでいたかったわたしは、
たんたんを伸ばすのも、
まぼを落ち着かせるのも、
あーちゃんを受けとめるのも、
すべて自分の責任!と肩にチカラが入っていた。
(若かったね、わたし・笑)
でも、ひとりじゃどうにもならない。
がんばってもうまくいかない。
「つらい」と泣くこと、
「しんどい」と愚痴ること、
「助けて」と頼ること。
弱い自分に気づくことも、
そんな自分を許してあげることも、
すごく勇気のいることだったけど、
療育園の座談会で大泣きしたら、
みるみる気もちがラクになった。
ああ、子どももきっといっしょだな。
凹んでも失敗しても、
それでいいじゃん?っていってもらえるだけで、
きっと落ち着くんだろうな。
そんな自分の体験を書いた作文が、
運良く主催者の目に留まり、
そのままエッセイ集に載せてもらう運びとなった。
応募した時点で著作権はこちらにないので、
本が売れても何も入ってこないけど(笑)、
わたしの棺にはこの本を入れてもらう予定( ´艸`)
ここにこっそり載せてみますが、
昔の拙い文章なうえ、原稿用紙5枚分です。
お時間のない方、興味のない方は、
スルーしてくださいね。
・・・おいしい家族・・・
子育ては料理に似ているなあと思う。
腕のいい料理人は素材の持ち味を生かしながら、
その旨みを存分に引き出せるのだという。
私は子どもたちの持ち味を、
どのくらいわかってあげられているだろうか?
以前の私なら味付けばかりに気をとられて、
素材の味を台無しにしてしまっただろう。
「普通の子育て」にこだわるあまり、
自分を見失いそうになっていた。
自他共に認める子ども好き。
結婚したら3人くらい子どもを産んで、
ごくごく平凡な子育てを楽しむつもりだった。
そんなささやかな夢を、
神様はちょっぴり勘違いしてしまったのだろうか。
それとも我が家担当のコウノトリが、
3往復する手間を惜しんだのだろうか。
私たち夫婦のもとには、
1度に3人の赤ちゃんが届けられてしまったのだ。
平成10年12月24日、3つ子誕生。
私の将来設計のどこにも3つ子の存在はなかった。
育児書のない育児。
頼りの実母でさえ、3人の赤ん坊を前にあたふたしている。
まさに手探りの毎日だった。
おっぱいは2つ、腕は2本。
文字通り両手に余る育児。
初めての子どもだというのに、
生後3ヶ月までの写真がほとんどないのだから、
どれほど余裕がなかったことか。
「よく育児ノイローゼにならなかったね。」と言われるが、
ノイローゼになっている暇などなかった。
「ここまで頑張ってきたのだから、ここで挫折したらもったいない。」
という変な意地もあった。
両脇に乳飲み子を抱えてのダブルおっぱい。
3人が連鎖反応で絶叫するトリプル夜泣き。
つばめの子育てさながらの離乳食・・・。
私の夢見ていた、ゆったりとした母子の時間はどこにもなかった。
ベビーカーに子供を乗せて優雅にお散歩するママ達を、
どんなにうらやましく思ったことか!
あと少しでよちよち歩きの3つ子達と、
手をつないでお散歩できる日がきっと来る。
頭に浮かぶ未来のかわいらしい光景が、
私をがんばらせていた。
平成12年9月、次男に脳性麻痺の診断がおりる。
1歳9ヶ月の時だった。
まさか、このうえ障害児まで?
ずっと楽しみにしていた、
みんなで手をつないでお散歩する夢さえも、
私には許されないのだろうか。
ごく普通の子育てをしたかっただけなのに、
私ばかりがなぜこんな目に・・・という思いでいっぱいだった。
なんとかしなければと、
藁にもすがる思いで地域の療育教室を訪れた。
血眼になって訓練する光景を思い浮かべて門をくぐったが、
そこでは思いがけず、
優しい目と穏やかな空気に迎えられた。
特別な訓練は何もない。
強いて言えば、時間の流れがゆっくりであること。
オルガンの伴奏も、先生の話しかけも、
子供たちにわかりやすいようにゆっくり、はっきりしている。
ここに通う子どもたちの成長は、
歯がゆくなるくらいにゆっくりなのだ。
その分、お返事ができた、拍手ができた、「ママ」と呼んでくれた・・・。
小さな成長のひとつひとつがこのうえなく愛しく、うれしい。
自分の子も他人の子も、
それぞれの成長を精一杯喜びあえる空間がここにはあった。
世の中にこんなに優しい場所があったなんて。
恥ずかしながら私はここに来るまで、
ハンディを持つ子どもたちのことをよく知らなかった。
障害を持つ人と持たない人の生活が、
いかに切り離されてしまっているかを思い知らされた。
成長はゆっくりだけど、心のきれいなまっすぐな子どもたち。
本能で「命」と「時間」の重みを感じているのか、
手を抜いたりごまかそうとしたりせず、常に一生懸命だ。
「子どもは親の背を見て育つ」というが、
私は逆に「子どもの背」を見て頭が下がる思いだった。
私はいつからこんなに焦って毎日を過ごすようになっていたのだろう。
他の2人の子どもたちが、
初めて拍手をしたのはいつだっただろうか。
こんなに喜んだだろうか。
いつのまにか子どもたちの成長は当たり前になっていた。
それどころか、できないことがあるといらつくことさえあった。
コンビニ、ファストフードに代表されるように、
早さと便利さがもてはやされる時代に育って、
私の感覚も麻痺していたのかもしれない。
みんなと同じように成長しない次男を、
何とか追いつかせなければと躍起になっていた。
なんて傲慢な母だったのだろう。
数ヶ月前までは確かに、
「この子は個性的で面白い。」と笑っていたはずなのに、
病名がついたとたんに「個性」を「障害」にしてしまうなんてどうかしていた。
平成13年4月、次男が自閉症でもあることが判明する。
2歳4ヶ月の時だった。
私達は、
「自閉症も悪くないじゃん。
それにしても、脳性麻痺に自閉症だなんて、
たんたん(次男のあだ名)は欲張りだね。」
と笑った。
次男は顔をくしゃくしゃにして、
「ぼく、すごいでしょ。」とでも言いたげな満面の笑みを浮かべている。
それを見たきょうだいたちが、
「たんたん、にこにこしてるよ!」といっしょになって笑う。
家族というお鍋の中は、
あたたかい笑顔でいっぱいだ。
100人いたら100通りある育児に、
「普通」などというものはないのだとやっと気づいた。
料理も育児も、我が家流の味がいちばんおいしいのかもしれない。
「心の健康がいちばん。」と言う楽天的な夫。
愛嬌たっぷりの3つ子たち。
ひたすら子どもたちをかわいがってくれるじいじとばあば。
「子どもはみんなで育てなくちゃ。」と言ってくれる近所のおばあちゃん。
次男の「いいところ」をたくさん見つけてくれる先生方。
たくさんのあたたかい人々に支えられて、
我が家のお鍋はいつもほこほこだ。
縁あって我が家にやってきてくれた子どもたち。
せっかくだから、じっくりコトコトつきあっていこうと思う。
全てをありのままに受け止めて、
いつか、世界一おいしい家族になれたらいいなと願っている。
2002年2月
*長い長い作文を最後まで読んで下さって、
ありがとうございましたm(_ _ )m
長すぎるし昔すぎるので、
迷いに迷って載せてみましたが、
がっかりさせちゃったら本当にごめんなさい。
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