Cross Life Scripting

トライアスロン,工事現場,建築士,webプログラミング,データベースなど


テーマ:

初めてトライアスロンに出場したのが11年前。
その時の記憶をいつかは消化しておきたかったので、ブログにしてみた。

#1 伊豆大島
#2 留守電
#3 新幹線
#4 とんぼ帰り  
#5 誕生日
#6 快晴
#7 父親



アップするのに2年 もかかってしまった。
どこが即断即決なんだ >>自分


AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
最近の画像つき記事  もっと見る >>

テーマ:
無言の父との対面。
今さら何もできない。
ただ、どうしようもない無念さだけに包まれ、台所へ行って皿でも洗ってみた。
(もちろん何も起こらなかった)



父は、高校卒業後、東急建設に就職し工事現場監督として東急東横線の高架橋を造っていたそうだ。
その後、僕が生まれる数年前に浜松へ帰り、郵便局の配達員として働いていた。
極めて平凡な労働者という感じで、おまけに不器用で物事に疎い父親だった。
あれこれ言うタイプでは無く、僕の進路にも一切口を出さなかった。


容体が急変し救急車で病院へ運ばれるものの、一時は「大丈夫です。」と先生に言われ、母と兄が家へ帰るとすぐに病院から電話。
病院に駆けつけると全身配線だらけで上に主治医が馬乗りになって心臓マッサージをしていたそうだ。
なんとも父親らしい、不格好な死に方だ。


3年後
僕が世界学生選手権日本代表選手として日の丸を胸にハンガリーまで遠征したこと。
日本学生選手権(インカレ)で3位に入ったこと。
そんなこと、父は知らない。


初トライアスロン 失格。
それが、僕が父に捧げられた唯一のトライアスロン結果である。


- 終わり -
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
それから3日後の木曜日早朝、兄からの電話に起こされ、寝たまま受話器を取る。


「今朝、お父さん亡くなったから。通夜は明日、お葬式が明後日・・・」

「わかった。今日はバイトだから、明日帰る。」と僕。


思ったより早かった。
後、1ヶ月と知らされてから、わずか10日ほどの出来事だった。
その日は特に取り乱すこともなく、普通に授業に出て、夕方からアルバイトをして


「土曜日は、葬式にでなければならなくなったので休ませてください。」


とチーフに伝えて翌日、帰省した。
雲ひとつ無い晴天。
小田急ロマンスカーから、富士山がくっきりと浮かび上がって見えた。
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
まだ高校を卒業して3ヶ月。
名残惜しさもあって、静岡の県立プールへ寄って後輩の水泳部の試合を観戦してから帰ることにした。
静岡駅には、この春就職した2番目の兄が新車で迎えに来てくれた。

「大変だったな・・・。」と兄。
2人とも無口なので、会話は空回りで途切れっぱなし。なんとも微妙な空気とともに実家へ帰った。

トライアスロンの記録が出ていたので、正式に失格だったことを父に報告。
その晩は久しぶりに家族全員そろって食事。父はもう、布団から起き上がれなかったので、
兄はビールを、僕はジュースを父の枕元まで持っていって乾杯した。


翌朝、午後からの化学実験の授業へ向けて玄関で靴を履いていると


「また来いよー。」


と父。その瞬間、


ー 次に来るのは葬式 ー 


脳裏をよぎった言葉に、声が出ず、
黙って玄関の戸を閉めた、19歳の誕生日。
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
月曜の朝。通勤する人々に混じって実家に向かう。
不自然な切符の買い方に駅員に首を傾げられたが、何とか新幹線で浜松到着。
午前10時すぎ、残金30円。(ATMが開くのを待っていた方が早かったのかもしれない。)


実家に帰り、父親に会う。

「こんなに痩せちゃったよ。」

と苦笑いする父親に、気の利いたフォローは出来なかった。
5月の定期健康診断でひっかかった時には、既に肺癌の末期だったらしい。


無情な現実を受け入れられなかった。
月曜午後は必修科目の化学実験とアルバイトがあったので、トライアスロンに初めて出場したことと、コースを間違えたみたいだと伝え、


「来週、また来るから。」


と言って実家滞在30分程度でとんぼ返り。
母に駅まで送ってもらう車の中で、堪えていた涙が溢れてきた。
母も涙ながらに何を言い出すかと思ったら


「学費は、なんとかするから大丈夫だからね・・・。」


とお金の話。後は二人とも黙っていた。
わずか3ヶ月前、大喜びで掴みとった有名私立大学&関東での一人暮しが申し訳なかった。


続く → #5 誕生日

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
小田原に到着したものの新幹線の最終便は既に出発していた。
おまけに、実家の浜松までの新幹線代を持っていないことに気がつく。
新幹線の始発が6時、しかしATMが開くのは8時。そんなに待っていられない!!


そのとき思いついた最善の方法が、静岡まで鈍行で行き、
そこから所持金全て使って新幹線で浜松へ行くという方法だった。


街灯もまばらな小田原の街をふらふらと放浪し、夜が明けるのを待つ。
仮眠を取ろうにも所持金はギリギリ、宿へ泊まるわけにはいかない。


そこで、次の駅まで歩くことにした。
夜中に幾つか進めれば電車代が安くなってもっと手前から新幹線に乗れるかもしれない。


しかし1時間ほど歩いて、たどり着いた早川駅から静岡駅までの運賃は、小田原駅からと変わっていなかった。東海道線の一駅は、長い。

作戦失敗。



続く → #4 とんぼ帰り
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
レースの後、民宿に一泊し、午前中に大島観光をして、日曜日の午後にフェリーで東京・竹芝桟橋へ。
品川付近で夕飯を食べてから、輪行して一人暮しのアパートへ着いたのは午後10時過ぎだった。

日焼けした肩に輪行バックの紐が食い込む痛みから開放され、
ほっと一息付いたとき、部屋の留守番電話※のランプが点滅しているのに気づく。


1件目、無言。

2件目、無言。

3件目、母親の声、また後で電話するとだけ。

4件目、もういい!と半ばなげやりな母親の声。


何かただならぬ事が起きたことだけは分かり、すぐに実家へ電話した。
すると、母親がこれまで聞いたこともないような弱々しい口調で教えてくれた。



「お父さんがね・・・。あと1ヶ月しか会えないかもしれないの・・・。」



電話を着ると同時に僕は財布を持って部屋を飛び出し、ママチャリで向ヶ丘遊園駅へ向い、間一髪、急行小田原行きの最終電車に飛び乗った。

何も考えず、ただ衝動的に。



続く → #3 新幹線

※当時はまだ携帯電話の普及期で、流行に鈍感な僕は当然の如く携帯やPHSを持っていなかった。


いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
1997年6月21日、大学1年生の僕は初めてのトライアスロン大会に出場した。
東京アイランドシリーズ大島トライアスロン51.5km。
関東学生選手権を兼ねたレースでもあり、上位の選手は9月に開催されるインカレへの出場権を獲得できる大会だった。


金曜日の夜に伊豆大島行きの船に雑魚寝、土曜日の朝に到着。昼に説明会があり、午後からレース。
「ゆったりできるのがこの大会の良いところなんだよ。」
という先輩の言葉を覚えてる。


スイムは第二ウェーブでスタート。
高校時代プールでは散々泳いできたが、海で泳いだ経験がほとんど無く、水のしょっぱさに慌てる。
バイクは初心者そのもの、次から次へと追い抜かれる。
ランは気を取直し、前行く選手をごぼう抜き。ひたすら前の選手を追いかけた。


フィニッシュしてから、
 「おまえ、ラン早いなぁ!?」
 
と、この大会で総合6位になった先輩に驚かれたが、
 「慣れないバイクでは、体力を温存して、得意のランに集中しました。」
 
などと生意気な返答をしていた。


その結果、


・・・


失格。


追いかけていた選手が給水地点で間違えて折り返したのに気づかず、
そのまま続いて折り返してしまったようだ。
もちろんインカレへの出場権は獲得できなかった。


これが、僕の初トライアスロン。
ちなみに母親の誕生日。


続く → #2 留守電
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。