2008年07月10日 10時36分41秒

平成20年7月第2週モーニングセミナー

テーマ:セミナー記録

第354回
日 時 7月10日
場 所 三鷹商工会館3F
講 師 (株)ひこうき雲  代表 古賀恵美子 様
テーマ 夢の後押し"「ひこうき雲」に思いをこめて


20080710古賀恵美子様

 私の生まれは北海道の美唄、父が転勤族であったので道内を転々としていた。北見の高校時代"アテンションプリーズ"のテレビ番組に触発され、客室乗務員になろうと考えた。
 情報を得るには東京に出なければならない。本格的な英語の勉強も始める必要があった。両親の承諾を得て単身24時間かけて東京に出てきた。(当時18歳)。住まいは女子寮、厳しいが心配りの行き届いたシスターにお世話になった。
 本番の試験はそう難しいとは感じなかった。
最終面接の折、私にはあまり質問がなかった。「何年ぐらい務められますか」と「尊敬する人は誰ですか」というものだった。後者の問いにははっきり「父」と答えたことを覚えている。
 1972年東亜国内航空(後の日本エアシステム)に入社した。私が入社した時、会社自体がこれから伸びようとパワーがみなぎっており、いいときに入社しいい会社を選んだとしみじみ思った。
 当時はまた国際線発展の始動期であり東亜国内航空にもその時がやってきた。客室乗務員の育成が求められ、私はその国際線開発メンバーのリーダーに選ばれた。
 皇室のフライトのお世話をさせていただいたこともある。貴重な体験、まことに光栄であった。
 毎日が充実していた。毎日が違うお客様との出会いであった。刺激も頂き心身が鍛えられた。
 子供が満1歳になるまで休暇を頂く「懐妊・育児休職制度」も利用させていただいた。
 育児はそれ自体が大変な仕事であるがその任務をこなしながら仕事を続けていくこ
とが肝心と考え、そのことを子供にも分からせようとつとめた。自分でも欲張りと思うこともあったが、その信念は崩さなかった。実家と主人の両親の協力・支援がなければ出来なかったと思う。
 しかし、中学生になった子供の弁当作りを80歳を過ぎたご両親にお願いするわけにはいかなかった。月に10泊近く家を空けなければならないフライトも必要になるというときでもあった。私は34年間の勤務に終止符を打つことを決意した。やりたいと思ったことはすべてやってきたから未練はなく卒業する時期が来たと判断した。
 在籍時の終盤の5年間、私は客室乗務員の採用担当部門の中枢に籍をおいていた。試験に立ち会うこともしばしばある。そうした場面を通じて感じることがある。
 客室乗務員になることを望んで学んできた人、入社したいと切に願う人は数多い。だが、きれいごとを言うだけであったり、形を繕うばかりで中身が乏しかったり、個性が表現できていないため魅力が乏しかったり等、適格者となるとなかなか見当たらない。
 私は今の仕事を始めて丸1年になる。客室乗務員になれる人を育てたいと思って始めた仕事である。夢に向かってまっしぐらに走る人の後押しをさせていただきたいと願い会社名を「ひこうき雲」とつけた。
 自分の良いところに気づかせたい。気づいたら自信を持って堂々とアピールしてほしい。そのためには感性が必要である。私が先輩たちから教わり心掛けてきたことを後進にも伝授していきたいと思う。
 "サービスの三原則"
1.相手が気づく前にきづいてさりげなくして差し上げる。
2.(相手に)恥をかかせない。
3.くつろいだ雰囲気作りに心掛ける。
 夢と希望をもった若者が働くことを楽しいと思って社会で活躍してもらえたとき、ひこうき雲はすーーっときえていきます。そんな夢の後押しの役割を果たしたいと思っている。

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